17.棄てられ令嬢書庫へ行く。
「で、本当に身体は大丈夫なの?」
ようやく調子を取り戻したリメリアさんが、気づかわしげに私から書類を受け取ります。
心配してくれるのは有難いのですが、さて、どう誤魔化したものでしょうか。
「大丈夫ですよ。……昨日、ちょっと夜遅くまで考え事をしていたんです。だから少し寝不足で」
「何か悩み事? 私に出来ることがあるなら、手を貸すけど」
「いえ! そんな大げさな物じゃないんです。ただ、魔法のことについて考えてただけなので」
リメリアさんが怪訝な面持ちで、首を傾げます。
「魔法? またなんで」
「昨日、ルチアがそういう話をしていたので、物珍しくてつい」
ルチアの話が気になっていたのは、嘘じゃありませんしね。
……いっそ、ここで直接聞いてみるのもいいかもしれません。呪いに、ついて。
「リメリアさんは魔法には詳しい方ですか?」
「普通、じゃないかしら。爵位相応の教養程度よ」
この人がこう言う時は、大体完璧に近い時なんですよね。
基本、自分に求める物が高すぎるんですよ。
今回に限っては聞きたいことが聞けそうなので、良しとはしますが。
「なら、一つ聞いてもいいですか。ルチアから聞いた話の中で、とても気になったものがあったので。
魔法の、というかその延長にある物らしいんですが」
首元を、一筋の汗が流れていきました。
鎖骨から脇腹を這って、滴が怪我に滲みます。
その痛みが、心に僅かな陰りを産みました。
このまま、踏み込んでしまってもいいのでしょうか。
私の本当のことは隠したまま?
けれど、私は彼女の核心にあるそれを、彼女を縛って離さない何かを、どうしても知りたい。
だから入り乱れる思考の中で、私は陰りだけをそっと奥底に沈め、見なかったことにしました。
思索のせいで変に開いた間の不自然さを誤魔化すように、居住まいを正します。
「魔法から更に細分化した、という技術。呪い、というものをご存じですか」
「っ!!」
リメリアさんの顔が、はっきりと強張りました。
「ずっと気になっていたんです。実質的な言葉を好むリメリアさんが、前に自分を指して、呪われてると言いましたよね。
あのリメリアさんが自分を語る時に、そんなオカルトチックな例えをするかなって。だからルチアが呪いの話をしてくれた時、もしかしたらって」
息を呑んで、反応を待ちます。
黙り込んだリメリアさんは、片手を胸の前できゅっと握り、やがて、降参したように天井を見上げました。
「……そんなマイナーな術のことを知ってる人が、まさか屋敷の中にいるとは思わなかったわ」
「やっぱり、そうなんですね。教えてください、呪いのこと」
「知ってどうするの?」
「なんとかする方法を探したいんです。リメリアさんと、他にもう一人、呪いで困っている人が居るので」
嘘ではないけれど、わざと真実からずらした言葉。
それを伝えてしまったことに、胸の奥が痛みます。
「教えて、くれませんか」
「どうにかしようと思ってできるようなモノではない。けど、そこまで言うなら、解ったわ」
瞼を落として深く息を吐くと、リメリアさんは机の奥から一本の鍵を取り出しました。
変わった形状の、とても古びた鍵です。
「そこの物を退けるのを手伝って頂戴」
「え? は、はい」
リメリアさんの指示で壁際の棚にあった、妙に部屋にミスマッチだった置物たちをどけると、その奥から鍵穴が現れます。
そこに鍵を差し込むと棚が真横に動き、棚の後ろから階段が現れました。
「これは、どこに繋がってるんですか?」
「強いていうなら書庫、かしら」
飾り気の全くないの石造りの通路から、ひやりとした空気が部屋に流れこみます。
舗装もされず、固められた石とモルタルがそのまま露出している内壁は、どこか大口を開ける怪物のようですらありました。
そう言えば執務室の横と下には部屋が無く、やけに壁が分厚いとは思っていましたが、こんな風に繰り抜かれていたとは。
屋敷の図面を頭に描いている間に、怪物の口に躊躇いなく入って行ったリメリアさんの後を、私は慌てて追いました。
手すりすらない階段を慎重に降りていくと、やがて起伏がなくなり、平坦な道へ出ます。
降りて来た高さの目算からして屋敷の下、地下道でしょうか。
「あの、良かったんでしょうか。こんなものを一介の使用人であるに見せて」
「ダメに決まってるでしょ」
私の抱いていた懸念は、当のリメリアさんによってあっさりと肯定されてしまいました。
……当たり前ですよね。隠し通路なんて、大抵は一族ぐるみの秘中の秘です。
エルドリンド家にも有ったそうなのですが、詳細は家長の父しか知りませんでしたし。
石壁ですらなくなり、土と、かろうじて坑木のようなもので支えられた道を、モグラのような気分で進んでいきます。
「じゃあ、なんで見せてくれたんです?」
「何故、でしょうね。フェイなら知っても悪用はしないと、なんとなくそう思ったのよ。そんな確証も証拠もないのに」
「それは……ありがとうございます」
信頼、してくれているんですね。その言葉は、とても嬉しいです。
そこに後ろめたささえなければ、もっと素直に喜べたのでしょうか。
「止まって」
やがて、前を行くリメリアさんが足を止めました。
眼前には、二つの分かれ道があります。
「ここは?」
「片方が書庫への道。もう片方は外に続く道よ。いざと言う時のための、脱出路ね」
それって、要するに最後の命綱みたいなものじゃないですか。
「こっちよ」
知ってしまった物の大きさに戦々恐々している内に、リメリアさんは勝手にずんずん歩いていきます。
またしばらく後をついていった先には、古ぼけた木の扉がありました。
口元を抑えたリメリアさんがゆっくりとそれを開くと、中からは埃が噴火のように舞い上がります。
「んっ……放置しすぎたわね」
軽く咳き込みながら、リメリアさんがランプに魔法で明かりを灯します。
木扉の内側は、剥き出しの土壁ではなく石膏で舗装されており、
中に置かれた棚の中には、分厚い物から表紙のないものまで、様々な本が所狭しと並べられていました。
リメリアさんはそのうち一冊を手に取ると、上に積もった灰色を払います。
「これなんか、呪いに一番詳しいんじゃないかしら」
「これは?」
受け取ったそれは見た感じ、手帳サイズの、本と言うよりは日記やメモのようなもの、でしょうか。
「代々のスティンレートの綴った、呪いに関する秘術の記録よ」
「私が見て良い物じゃなくないですか?!」
絶対に落とさないよう、記録書を丁重に持ち直します。
下手したら、これだけで私の生家が吹き飛ぶような価値のものじゃないですか。
「確かに知りたいことではあるんですけど、ちょっと内容が恐れ多いと言いますか」
「そういう物しかないの。だって、呪い自体が一部の貴族の家に伝わる、門外不出の技術なのよ。その貴族たちにとっては、奥の手みたいなものだからね。
他人を陥れ、脅すのにこれ以上ない効果があるから」
道理で、一通りは魔法も学んだはずの私が知らないはずです。
「良いんですか。そんなものを私が見ても」
「ここに連れてきた時点で、今更よ。それに」
リメリアさんが手近な木箱の上を払って、そこに座ります。
私も、それに倣いました。
「フェイには話したいこともあったのよ。ここなら、絶対に誰にも聞かれないから」
木扉の古い蝶番が、ギィと不気味な音を立てました。
「貴女には教えておくわ。私の呪いの正体を」




