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15.棄てられ令嬢過去を知る。

 


 リメリアさんとの歓談も交えた日課のお手伝いも終わり、すっかり日も落ちた頃のことです。

 肉球に石床の冷たさを感じながら、私はいつもの場所に向かっていました。


「――にゃ?」


 明かり一つ無い廊下で、それを物ともしない私の夜目が見覚えのある背中を捉えます。

 その背を追っていった先、僅かに開いた玄関扉からは、冷ややかな夜風が流れ込んできていました。


「みゃー」

「あら?」


 月明りに照らされたリメリアさんが、その幻想的な光を背負って振り向きます。


「貴方が来るなんて、もうそんな時間だったのね」


 彼女は屈むと、私の頬を幾度か、啄むように摘まみました。

 やや冷たいよりの気温の中で、彼女の熱が心地よく私に触れます。


「にゃふ」

「ふふっ」


 頬の感触を満喫した彼女は、今度は私の身体を包むように腕を回します。


「今日は少し、歩きましょうか」

「みゃー」


 抱き上げられながら一人と一匹で、緑の庭を進んでいきます。

 庭は昼間の太陽とは違う、月で化粧をした新しい表情を私たちに見せていました。

 月光が滴り零れる花々の合間を、私たちは緩やかに歩きます。


 淡い景色の終点は、あの白いガゼボでした。

 リメリアさんは白い屋根の下に入ると、軽く周囲を見渡します。


「やっぱり夜はいいわね。誰の視線も無いし、誰に恐れられることもない。……なんてことを言うと、フェイは怒るかしら」


 よくわかってるじゃないですか。そうですよ、夜も昼も関係ありません。リメリアさんが誰かに恐れられる謂れは無いのです。


「にゃん」

「もしかして、貴方までそう思うの?」

「にゃ」

「フェイみたい」


 相槌を打っただけなんですが……。

 こういう時のリメリアさんは勘が鋭すぎて、そう遠くない内にバレるのではないかと、時折考えてしまいます。


「みゃん……」

「……寒かった?」


 耳を垂らした私を見て、勘違いしたリメリアさんが私をぎゅっと強く抱きました。

 彼女の口と私の耳がキスしてしまいそうな距離で、リメリアさんは囁くように零します。


「本当に、懐かしいわ」

「にゃー?」

「ここはね、私と弟の思い出の場所なのよ」


 弟が居るというのは初耳です。

 ですがそれにしては屋敷にも、影も形も無さ過ぎる気がしますが。


「みゃ?」

「たった一度だけ会った、私の異母弟よ。もう、居ないけれど」


 見つめる場所は、今の彼女の背丈よりも頭三つ下。

 幻視しているのは恐らく、少年と呼ばれ始めるくらいの年頃でしょう。

 そんな誰かを視界に収めながら、彼女は述懐を続けます。


「六年前のあの日のことはよく覚えてる。厳しかった父が、珍しく勉強を止めて外に出ても良いって言ってくれた日だったから。

 だから、ふわふわした気分で庭に出て、父に案内されたこの場所であの子、トルスと出会ったのよ」


 優しい日差しの中に、昏く、水底をかき混ぜたような曖昧な声色で彼女は語ります。


「最初見た時は、私によく似てるって思ったわ。異母弟なのに目元がよく似ててね。それと、話が上手くないところも私と同じ。

 初めはお互いだんまりで話も弾まなくて、勉学も社交の話も全然。けど、花の話をした辺りから、ぽつぽつとお互いに話し始めるようになったの」


 きっとその日と同じように、リメリアさんは花の咲く庭の方へとガゼボから、僅かに身を出しました。


「庭の花の話をしたら喜んでくれて、それからはそういう話ばかりしたの。楽しそうに笑って、いつしか私もつられて笑っていたわ。

 そうやって話している内、お姉ちゃんなんて風に呼ばれてね。父とはほとんど会えなくて、母は居なかったから、それが私と世界との唯一の繋がりみたいに思えた」


 それがどれほど大事な繋がりだったか。彼女の表情が、それを物語っていました。

 ただ、その弟と会ったのが一度きり、と言うのが引っ掛かります。


「すごく、楽しかった。けど、それは私だけだったのかもしれないわね」


 リメリアさんの声の調子が、一転して深く沈みました。


「今考えれば、全部父に言い含められていたのかもしれない。私と仲良くするようにって。父と組んで私から全てを奪う時、疑われないように」


 彼女の瞳に、淀んだ諦めの色が宿りました。

 私が、一番見たくない色です。


「父は私を恨んでいたのよ。あの人の愛した女性を追い出して殺した母、その遺児である私を。よくある話、と言ってしまえばそれだけなのだけど」


 またそうやってこの人は、自分の痛みを仕方ないって受け入れて。


「あの日、トルスに会った日。父は近い内に私を殺して、自分の全てを弟に継がせる予定だった。その前の、顔合わせだったのよ。もし何かあってもトルスが疑われないように。

 もしかしたら、弟だって私のことを腹の中では笑っていたのかも。ずっと父を、厳しいけど善き親だと思い込んでいた、馬鹿な私を」


 あまりに残酷な過去に、私はただ息を呑むことしか出来ませんでした。

 こんなの、当時、十やそこらの子供に押し付けていい現実ではありません。


「みぃ」

「大丈夫よ。もう、過去のことだから」


 口では吹っ切れたように言う彼女は、私の目にはずっと、楔に繋がれているようにしか見えませんでした。

 とてつもなく、重たい楔に。


「結局、計画は完遂されることなく私は生き残ったしね。全部、覆ったのよ」


 突然、刺すような冷たさをどこからか感じます。

 冷気の元を辿ると、それはリメリアさんの手の平からでした。

 恐らく魔法、でしょう。

 まるで刃物のような、鈍い輝きを放つ氷が、いつの間にか彼女の手に生み出されていたのです。


「こうやって。私が、二人を殺して、ね」


 彼女が薄青色の刃をぎゅっと握り、手の中からじわりと赤が流れ出します。


「にゃ!?」


 まるで自ら罰を受ける罪人のように、リメリアさんは決してその手を離しません。

 このままじゃ。そう思った私は咄嗟に、その手に向かって飛び込みました。


「みゃあ!」

「あっ」


 渾身の力でぶつかると、リメリアさんは氷を取り落とします。

 良かった。そう思うのも束の間、落下の衝撃とは別に、お腹に冷気と熱さが混合するような、不思議な感覚が襲いました。


「貴方!?」


 我に返ったリメリアさんが、悲鳴のような声をあげます。

 彼女の震える視線を追ってみれば、なるほどそういうことですか。


 氷の刃が、私の脇腹を深く切り裂いていました。

 着地の際に、引っかかってしまったみたいです。

 やっぱり、猫としては不器用極まりますね、私


「みゃっ……」

「ごめんね、私のせいで。……動かないでね」


 真剣な顔のリメリアさんが私に手を翳すと、そこから優しい光が傷に向かって流れ込んできます。

 すると、みるみる内に傷が塞がっていくではありませんか。


「ある程度は治るけど、傷を塞いだだけだから無理はしないでね」


 治療魔法、という物でしょうか。存在は知っていましたが、この目で見るのは初めてです。

 ここに来た最初の日、私が命を拾ったのはこれのおかげですか。


「にゃあ」

「ちょっ、すぐに動くと」


 まだ、治っていない傷があります。

 リメリアさんの手の平をじっと見つめると、彼女は観念したように、自身の手にも魔法をかけました。


「これでいい?」

「みゃ……っ!」


 相槌を打つと同時、私の胸にあの痛みが襲ってきました。

 じくりと言う痛み、元に戻る兆候。

 これはまずい、です。


「今包帯を採ってくるからここで、ああっ!」


 斬りつけるような痛みを横腹に感じながら、私は走りました。

 緑の間を抜け、ようやくガゼボから視線が通らなくところで間一髪、身体が元に戻ります。


「危ないところでした。痛っ」


 傷が開いてしまったのか、白い服越しにじわりと血が滲みました。


「明日、どうやって誤魔化しましょうか」


 とりあえず、包帯代わりになるものを探すところからです。



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