14.棄てられ令嬢散歩する。
ついにやってきた約束の時間。
足取りも軽く執務室の扉を叩くと、中からは「どうぞ」と声が返ってきます。
「迎えに来ました」
私が部屋に入ると、リメリアさんはさっきまで手を付けていたであろう書類を、片づけている最中でした。
一瞬、白い山のような物が見えたのですが、まさかあれ全部終わらせたんでしょうか。
「行かないの?」
「……行きましょうか!」
捗っているなら悪いことは何も無いですしね!
コツ、コツと、硬質な音を足裏で、リズムよく奏でながら二人で廊下を歩いて行きます。
この廊下も普段から通ることも多いですし、猫の時は毎日のように抱えられて通りますが、こうやって並んで歩くのは新鮮な気分です。
リメリアさんに合わせて、いつもより少し小さい歩幅で歩いていたのに、玄関までの距離は常よりも短く感じました。
外に一歩踏み出すと、程よく傾いた日差しが私たちの身体をぽかぽかと温めます。
「思ってたとおり、良いお天気ですね」
「そうね、悪くない」
「では失礼して」
バサリと純白の日傘を開けば、もうお散歩の準備は万端です。
「こちらに、わっ」
日傘の中に入るため、ピタリと、リメリアさんが私にくっついてきました。
ち、近づきすぎないようリメリアさん側に離して持つつもりだったのですが。
「どうかした?」
「い、いえ」
そう純粋な瞳を向けられると、近すぎるので離れてください、とは指摘し難いところです。
よくよく考えれば、リメリアさんは付き人を連れることがほとんど無いので、こういう機会があまり無いのでしょう。
ここで指摘するのも野暮ですし、なんだか気恥ずかしいですが今はそのままにしておきます。
私一人だけ若干ぎこちない動きのまま、白い日傘は庭の中をゆっくりと進み始めました。
「ここのお庭、外からでも綺麗でしたけど、中から見ると格別ですね」
「ルチアのおかげね」
「凄いですよね。たった一人でこんな庭を管理してるなんて」
「彼女には本当に感謝しているわ。ここを、こんな風に綺麗にしてくれて」
庭の形に沿って、規則正しく手入れされている草花。
それをリメリアさんは愛おし気に見つめます。
「お好きなんですね、ここが」
「えぇ。素敵な場所だもの。本当、私にはもったいないくらい」
そう言いながらも、リメリアさんは花には決して近づこうとせず、道の真ん中を歩いて行きます。
花が嫌いとか苦手と言うよりは、どこか遠慮をしているようでした。
多分、また自分には似合わないから~とか考えているのでしょう。
「ちょっとそこに居てください」
日傘を生垣に引っ掛けて、リメリアさんから大きく一歩、遠ざかります。
そして、背景ごと全部収めるように、両手の一指し指と親指で四角い窓を作りました。
「思った通り、ピッタリ。素敵な絵になってます」
不意を突かれたような表情で、鮮やかな花々に囲まれる一人の少女。
赤、黄、オレンジ、と明るい色が添えられることで、リメリアさんの薄青色の髪が即席の額縁の中で映えます。
即興の題材ではありますが、我ながら最高の一枚でした。
「似合ってますよ。道具が無くて描き留めて置けないのが残念なくらいです」
「貴方は、全く。褒めても何も出ないわよ」
薄青色の中から、暖かな笑みがこぼれます。
……早速、最高の一枚が更新されてしまいました。
先ほど最高と断じたばかりだったのですが、私、鑑定士には向いていないようです。
「いえいえ、褒めた甲斐がありました」
「?」
「ふふっ」
心のギャラリーを整理しながら、またしばらく歩いていると、
視界の端に見覚えのない白い屋根が見えてきました。
普段は来ないような、庭の外れとでも言う場所。
そこにひっそりと建っていたのは、円形屋根の小さなガゼボでした。
「あそこで少し休みませんか」
元々は真っ白だったあろう柱たちは、経年により多少色を灰に寄せていますが、
それでもガゼボ自体の手入れは行き届いているようで、この庭の中にあって楚々とした存在感を放っています。
休むには悪くない場所です。
ここまでぐるりと庭を周ってきたので、身体を落ち着けるにも丁度良い頃合いでしょう。
「ほら、こちらです」
「ん」
リメリアさんを促して中に入ったのですが、彼女は中のベンチにすぐには腰を降ろそうとしませんでした。
立ったまま、どこか幻にでも触れるように、その白い柱に手を伸ばします。
「もうとっくに寂れて、廃れてるのだと思っていたわ」
「ご存じなかったんですか?」
「庭の管理は完全に庭師、今だったらルチアに任せているもの」
ルチアも普段は飄々としていますが、ああ見えて仕事は完璧以上にこなしているようです。
「リメリアさんにとって、ここはどういう場所なんです?」
「思い出深い場所、かしら。色々と」
リメリアさんがあえて言葉を濁したのがわかりました。
それでも顔や声色から、少なくとも、思い浮かべているのは悪い思い出ではなさそうですが。
「それにしては、なんで今の今まで来なかったんです?」
「普段から、極力外に出ないようにしているもの」
言われてみれば、リメリアさんが用事など必要に迫られる事態以外で外に出ているところを見たことがありません。
それ以外だと最初、血塗れのリメリアさんと出会った時くらいでしょうか。
「何故ですか? 外がお嫌いという訳でもなさそうですが」
私がそう聞くと、リメリアさんは僅かに目を細め、敷地の外へと視線を向けました。
「私を見ると、恐れてしまうでしょう。屋敷の者も領民も、皆。だから、姿を見せないようにするのよ」
哀しいことを言うリメリアさんの声色は、どこまでも、優しい物でした。
接する時間が増えるほど、つくづくこういう人だと言うのを実感します。
根本的に、誰かが損をするくらいなら、自分が損をすればいいと思っているのです。
納得すると同時に、今日のことについて一つだけ疑問が残りました。
「なら、なんで今日のこれは了承して貰えたのでしょうか」
「……何故、でしょうね。解からないわ。きっと、ただの気まぐれよ」
結局のところ、彼女だって何かをしたいと望む気持ちが全くないわけではないのでしょう。
だけど自制心が強すぎるせいで、すぐに押し込めてしまう。
だったら押し込めたそれを引き出すのは、誰かの役目であるべきです。
「でしたらまた誘うので、幾らでも気まぐれを起こしてください。リメリアさんとこうして歩くの、私はすごく楽しかったので」
なので、お散歩をする言い訳にくらい、いつでも私を使ってください。
そう望むのは、あくまで『私』なので。
私の差し出した手に、リメリアさんの伸ばした手が重なりかけ、けれど、二つが重なることはありませんでした。
「今日はただの気まぐれ、私はもう、十分満足したわ」
リメリアさんは引っ込めた手を、もう片方の手で覆ってしまいます。
なんでそこでまた我慢してしまうんですか。
お日様の匂いのする土の上を歩く時だって、綺麗に咲いた花を眺めている時だって、楽しそうにしてたじゃないですか。
「なんで、ですか」
「さっき言ったわよね。私のことを皆が恐れる、と。恐れるだけならまだいいの。けど、過ぎた恐怖は攻撃に変わるわ。
例えば私に石を投げた平民が居たら、私が許しても国が許さないのよ。私は、公爵だから」
公爵に怪我を負わせた平民、それを国がどう見せしめるかは、想像に難くありません。
もしかしたら、もう実際に過去にあったのかも。
だからって、リメリアさんばかりが損をするなんて、私が我慢できませんけどね。
「あっ、だったら投げ込まれた石を私が受ければいいじゃないですか」
「えっ」
リメリアさんが、素っ頓狂な声をあげました。
「リメリアさんじゃなくて使用人の私が怪我をした、なら些細な問題としてどうとでも処理できるでしょう」
「ちょっ、貴方、何を言ってるの?!」
リメリアさんは慌てふためいていますが、私としてはこれは名案中の名案なのです。
『公爵を怪我させた』なら大問題ですが、『その使用人を怪我させた』にしてしまえば、騒ぎになっても揉み消せる程度のはずですから。
自分が狙われたと公爵が騒ぎ立てれば別ですが、彼女はそうしないでしょうし。
私の盾作戦、完璧な計画です。
「で、その後で石を投げた方にこう言うんです。貴方はこの人のことを何も知らないでしょう、本当はすごく優しい方なんですよ。でないと庇ったりはしません、って」
「いえ、だから、そういうことじゃなくて」
いつも理知的なリメリアさんが、本日はしどろもどろです。
「いいじゃないですか。問題は解決したので、今後も勝手に連れ出しちゃいますよ。本当に嫌なら手を振り払ってください」
引っ込められたリメリアさんの手を、強引に掴みます。
その手はお屋敷に帰る時まで、振りほどかれることはありませんでした。




