11.棄てられ令嬢決意する。
10.11話に先の話が誤って投稿されていたので、挿し込みを行いました。(2023/11/02)
本来の11話はこちらです。
「ルチアに会ったんですねぇ。どうでした?」
「話しやすい方、という印象ですね」
私の話を聞きながら、エマがゆったりとした動作でお茶をずず、と啜りました。
「夕食後のこの時間が一番落ち着きますねぇ」
こうしてエマのとろけた姿を見ていると、昼間きびきびと仕事をしている時とは別人のようです。
「そういえば、今日は何をしてたんですか?」
「買い出しですよー。ほんとはフェイも連れて行きたかったんですけど、今日はちょっと急ぎの物があったので、連れて行くのを断念しました」
さっき掃除用具が新しくなっていたので、それのことでしょうか。
前のは壊れかけていたので急ぎも仕方がないのですが、街を見れなかったのは少しだけ残念です。
ここに来てからずっと屋敷で生活していますし。
「ではまた別の機会に連れて行ってください。楽しみにしてますから」
「勿論ですよぉ。ここって商人もあんまり寄り付きませんから、買い物の手は幾らあっても足りないのです。フェイも覚えることがたくさんですよー」
ここに来てもう数日になりますが、私も商人どころか屋敷外の人間が出入りするところすら見たことがありません。
恐るべきは血濡れの公爵の風聞です。
「その時は頑張ります。っとすみません、私はここで。そろそろリメリア様のお手伝いなので」
「フェイは凄く良い人なんですけど、それだけはやっぱり理解できませんねぇ」
食後のティータイムを楽しむエマを置いて、私は執務室へと向かいました。
シャッ、シャッ。
ペンの先が紙の上を走る音を背景に、ひたすら作業に打ち込むリメリアさんと私。
ここに来てからずっと、この調子です。
……このままでは、お仕事だけでこの時間が終わってしまいます。
いえ、勿論お仕事も大事なのですけど、それが一番の目的なのですけど。
とは言え、リメリアさんとはもっとお話ししたいですし、色々と聞きたいこともあるのです。
面と向かって会える時間なんて今くらいなので、どうにか切っ掛けを掴みたいのですが。
「……出来ましたよ」
「そう」
そうは思うものの、現実はこんなもので。やり取りと言えば、時折挟まる事務的な声かけ程度。
まあ私が一方的に思うところがあるだけで、リメリアさんから見た私は特に親しいわけでもなんでもないですからね。
何とも言えないもどかしさの中、書面に踊る数字と格闘しながら、ふと、頭を過ったのは昼間のルチアとの会話でした。
彼女の話しやすく、いつの間にか懐に入り込んでくるようなあの雰囲気。
いっそ、思い切って彼女を見習ってみるべきでしょうか。
「リメリア様」
「なに」
「差支えなければ、お話をしませんか」
「……好きにすれば」
帰ってきたのは、予想通りの素っ気ない反応。
そうですよね。リメリアさんかすれば一介の使用人と仲良くする意味はあまり有りませんから、いきなりそう上手くは行きませんよね。
これくらいで、諦めもしませんが。
「ではその、ずっとこんな量のお仕事を一人で?」
「そうね。それで事足りていたもの」
量を見るに普通は明らかに足りていないのですが、そこは無理矢理終わらせることの出来るリメリアさんの能力の高さが、逆に仇になっているような気がします。
他人に頼らなくてもいいというか、頼らなくてもやっていけてしまうというか。
「それでも個人の仕事としては過剰ではないでしょうか」
「だからと言ってやらない選択肢はないわ。それが公爵に在る私の責務」
「ですが」
「選択肢がない以上、それを論じても意味が無いのよ。違う?」
突き放すような言い方……のようにみえて、意外と声色に険がありません。
勘違いしそうになりますが、やはり言葉の印象ほど会話を厭っているわけでも、疎んでいるようでもないようです。
楽しくお話が出来た、などとまでは言う気はありませんが。
「そうですか。では、私が頑張って仕事を減らさないといけませんね」
軽く袖を捲った私を、手を止めたリメリアさんが不思議そうに眺めていました。
「何故? 貴女は今でも力になっているし、それ以上する義理はないと思うのだけど」
「え、頑張った分リメリア様が楽になるじゃないですか」
「私が楽になったら、貴女に何か得があるの?」
……きょとんとした顔を見るに、本気で言ってますよこの人。
多分、あくまで聞きかじった話を統合するとですが、リメリアさんは他人の善意が自分に向くとは思っていないのでしょうね。
敵意とか悪意とかに慣れ過ぎた弊害です。
私は諦めませんからね。想いが届くまで何度でも、です。
「では余った時間で私がもっとお話したいからでどうでしょうか!」
「それじゃ何の意味もないでしょ」
第一の矢は無残にはたき落されました。
「意味ならありますよ。リメリア様と交流が出来ます!」
「それに何の意味が?」
二の矢も見事に折れました。
「楽しいじゃないですか!」
「?」
第三の矢は明後日の方向へ、です。
くっ、手強い。
こうなったら、私もなりふり構わず全力で言葉を尽くすしかないのかもしれません。
「じゃあ、いいですか。今から全部言いますよ」
あまり事態が解っていないようなリメリアさんが、躊躇いがちに頷きます。
私は心の中で助走をつけると、思い切り息を吸い込んでから、スタートを切りました。
「リメリア様って冷たいように振舞っても、実は結構優しいじゃないですか。
私の手伝いだって無茶言ってたのに、怒るどころかすんなり受け入れてくれてますし、お話にだって付き合ってくれます。
正直、リメリア様の立場からしたら、こんな怪しいのの話なんか聞かずにポイするのが正解なのに。
後、リメリア様ってとても綺麗ですよね。長い睫毛も綺麗な色の目も髪も肌も。見惚れちゃいます。
同じ女性なのに、時々ドキッとしちゃうくらいです。わかりますか、素敵な人なんですよ、リメリアさんは。
だからつまり、私は立場とかそういうの関係なく、リメリア様個人と仲良くなれたら良いなって思うんですがどうでしょうか!」
言い切ってから気が付く、部屋に訪れてしまったそれはそれは見事な静寂。
…………顔から火が出そうとは、こういうのを言うんですね。
勢いで全部言っちゃいましたけど、冷静に考えると私の口走ったことってかなり恥ずかしいし、そもそも使用人大失格じゃないですか?
なんですか立場とか関係ないって。
リメリアさんもずっと俯いてるので多分、かなり怒ってます。
潮が引くみたいに、血の気がさーっと引いていきました。
「あなた」
「はい!」
戦々恐々としている私の顔を、リメリアさんがじっと観察するように覗き込みます。
近くで見ると益々ルビーみたいな瞳が綺麗で……ではなく!
「な、なんでしょうか」
「それは本心で、言ってるの?」
「……はい。本心です。本当に仲良くなりたかっただけなんです身の程も弁えなくてすみません」
猫だったら今頃、耳がペタリと垂れ下がっていること請け合いです。
びくびくしながらリメリアさんの次の言葉を待っていると、ぷっ、とどこかから空気の抜けるような音が聞こえました。
それがリメリアさんが吹き出した音だと解ったのは、目の前の彼女を見てからでしたが。
「変わっているのね、貴方」
蕾がふわりと開くように、リメリアさんの華憐な花のような笑顔が、そこには咲いていました。
普段の氷の棘で覆われたような鋭さが抜け、どこかあどけなさの残る顔。
綺麗ではなく、可愛い。そんな初めて見る表情に、私はただ茫然と目を奪われます。
「で、さっきの話なんだけど」
「へ、あ、はい!」
「……貴女、大丈夫?」
「大丈夫です。ちょっとぼーっとしてただけですので」
何故か心臓が凄く痛いのですが。今ここで突然、猫に戻ったりしませんよね?
「それで、お話とは」
「私と仲良くしたいって話だけど、ごめんなさい。断るわ」
膝から崩れ落ちなかったのは、奇跡でした。
まさか、これだけ見事に断られるとは。
主人と使用人である以上、こうはっきりと言われたら、私に出来ることはありません。
私では、リメリアさんの心を動かすに足らなかったようですから。
黙って引き下がろうとした時、心のどこかで「本当にそれでいいの?」と問いかけてくる自分が、後ろ髪を引いた気がしました。
「……理由だけ、聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」
私の、最後の抵抗でした。これできっぱりと嫌だからと言われれば、私はそれを諦めることにしますから。
「やはり使用人なんかとでは、仲良くするのは嫌、でしょうか」
「……いいえ。理由はそこには無いわ。ただ、そんなことをしてもお互いに破滅するからよ」
私から距離を置くように、リメリアさんは椅子ごと背を向けます。
背を向けてしまった彼女の表情は、こちらからはうかがい知れません。
「どういうこと、でしょうか」
「仮に、もし仮に私と貴女が友誼を結べたとしても、それがどんなに固い想いでも、いつかは疑心を向けることになる。私はそういう星の下に産まれているの。
信じられないかもしれないけれど、呪われているのよ、私は。だから、最終的に殺し合いたくないのであれば、近づかないで」
どこまでも平坦で、抑揚のない声。
それが私にではなく、自分に言い聞かせるよう聞こえたのは、きっと気のせいではないのでしょう。
呪われているから、呪いのせいだから、と。
「そういうこと、ですか」
逆に、理由が私に無いのなら、その呪いとやらのせいでリメリアさんが諦めるというのなら、私が諦める理由にはなりません。
あの夜聞いたように、私と親しくなりたいと僅かでも思ってくれるのであれば、私はそれで十分ですから。
「でしたら、猶予をください。きっと証明してみせますから」
「私に、何を証明するというの」
「呪いなんか蹴飛ばせるっていうことを、です」
机を回り込んでリメリアさんの正面に立つと、彼女は呆気にとられた顔をしていました。
「そしたらお話するのも仲良くするのも、無駄なんかじゃなくなりますよね」
私の差し出した手に誘われるように、リメリアさんの手が膝から浮きます。
けれどそれは届くことなく、途中で止まってしまいました。
「でも、それじゃ貴女に迷惑が」
「私がそうしたいんですよ。だから、気にしなくていいんです」
「あっ」
行き場を失くした彼女の手を、私の手がそっと握ります。
元よりこの身には、猫になる呪いのような物が降りかかっているのです。
今のところ無策ですが、一つくらいそんなものが増えてもなんとかなるでしょう。いいえ、して見せます。
「なので、私と仲良くしてくださいませんか。リメリアさん」
言葉は無く、代わりに、重ねた手を観念したように握り返してくれました。
伝わってくる体温が心地よくて、ずっとこうして居たいくらいです。
けれど、時間というのはこんな時にばかり早く針を進めてしまいます。
「それでは、また明日来ますね」
その日の深夜、すぐ別の姿で再会した真っ白毛玉は、ご機嫌なリメリアさんにもみくちゃにされたのでした。




