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01.棄てられ令嬢猫になる。

 


 それは私、 フェイリア・エルドリンドがこの世に生を受けてから、丁度十五年目の日の出来事でした。


「フェイリア。お前を罪人として、我が伯爵家から除名することになった。今後、我が伯爵家との関わりを口にすることも禁じ、領より追放する」


 よく手入れされた庭の土を抉るくらいに踏みしめたお父様が、私に向かって一枚の紙を突きつけます。

書面に並んだ細かい字に目を細めれば、曰く、私はさる公爵家から家宝を盗みだしたそうなのですが、全く身に覚えがありません。


「何かの間違いではないでしょうか。私は盗みなど働いていません」

「お前が、盗んだのだ」


 私と目を合わせようとせず、取り合いもしない父様から下された断定。これはつまり、そういうことなのでしょう。どう言い訳をしようとも、私の罪は決まっている。そうなるように手配済みなのです。


 突然すぎる凶報に思考も纏まらず立ち尽くしていると、腹部に鈍い衝撃を感じました。

 腹違いの妹であるユーニスが、目に涙を貯めながら私に抱き着いてきたのです。


「ユーニスだってお姉さまを信じたい。けれどメイスリン公爵様の先祖伝来の指輪は、お姉様の寝室から見つかったのですよ」


 金色の髪を振り乱し嗚咽を漏らす真似をしながら、父様にだけ見えないよう器用に口の端を歪めてみせるユーニス。

 そこでようやく私は嵌められた相手がこの妹と、義母の二人なのだと確信しました。


「お姉様が公爵様の館で開かれた社交界に行かれたのは四日前。指輪が無くなったのも四日前。お姉様が指輪の置いてあった部屋の隣室へ入っていったのも使用人が見ているんです。犯人が誰かなんて、もう……」


 ユーニスが指折り証拠をあげつらい、逃げよう無くなった私を嘆くふりをして茅色の瞳で嗤います。

 散々友人たちに、妹と義母には気をつけろ、と言われ続けた結果がこれでは忠告してくれた友人たちへの申し訳なさも一入です。

 それでも、と妹を信じ続けたのもまた私なのですが。


「どうあっても私は罰を受けるのですね。わかりました。それで、私はここから出て行けばいいのでしょうか」

「待ちなさい」


 父様を押しのけ主張するようにずいと前に出たのは、ユーニスの母であり、実母亡き今、私の母代わりでもあったロザリンドです。

 彼女はユーニスによく似た口元を吊り上げると、最早父の手前でも隠す必要はないとばかりにあからさまに私を嘲笑います。


「まずメイスリン公爵夫人の寛容に感謝なさいな。かつて公爵家に下賜された国宝ともいえる指輪を盗んだ罪。本来は死罪が妥当なところ、追放に減刑なさってくれたのよ」


 ロザリンドはスキップでも始めそうな足取りで私に近づくと、ねっとりとした手つきで私の肩に手を置きました。


「ただし、ただの追放刑では無いわ。お前は人としての姿を捨てるのよ」


 勿体ぶってロザリンドが取り出したのは、瓶に入った透明の液体。


「これは王国の中でも特殊な罪人にだけ使われる、人としての姿を失わせる魔法薬よ。お前はこれから人として生を忘れ、動物として生きていくの。それでお咎めは無かったことにするそうよ。罪も、何もかも」


 ぬらりと、透明の薬が光を反射して妖しく光ります。動物になるなんて聞いたことも無い眉唾物の薬ですが、いずれにせよ、飲まずにこの場を澄ます方法は無いでしょう。

 私はユーニスと義母をそっと引き離しながら、その瓶だけを受け取りました。


「これを呑んで、どこかへと消えればいいのですね?」


 覚悟を決めてグラスを覗き込むと、液体越しグラスに映る私の姿が見えました。

 晴れた日の空のようだね、と友人に言われた天色の目も、母譲りの白の入ったブロンドの髪も、特別容姿に自信があるわけではありませんが、いざ失うとなると惜しいものです。

 けれど、いつまでもこうしているわけにもいきません。


「父様、ロザリンド様、ユーニス。今までありがとうございました」


 まあ、決まってしまったものは仕方ないので、切り替えていきましょう。

 これから始まる貴族ではない私、そういうのも、案外悪くないかもしれませんから。


「ご機嫌よう」


 薬をクイッと飲み干すと、瞬間、感じたのは体内から湧き上がるような熱でした。

 胸元が焼け付くような苦しさに己の身を抱こうとしても、肝心の腕が動きません。遠くで、瓶の割れる音がしました。

 朦朧としながらも飛びそうになる意識を必死に留め、熱が引くのを必死に待ちます。

 それからどのくらい経ったのでしょう。曖昧な時間間隔の中、何とか収まった熱に安堵し、潤む目を開いた私の前にあったのは、とてつも無く巨大な肌色の塔でした。


「にゃあ?」


 それがユーニスの足首であると気づいた瞬間、私の喉から私のものではない声、いいえ、鳴き声が飛び出しました。


「まあ、これがお姉様なのですね」


 ユーニスに乱雑に抱きあげられ、昨日に降った雨の名残である水たまりユーニスの腕の中から覗き込んだ時、私はようやく私の全身を知覚することが出来ました。


 元の天色はそのままに、丸みを増した瞳。白みがかっていたブロンドから、白そのものになった雪みたいな体毛。

 口元からしゅっと伸びた髭に、ユーニスの腕にすっぽり収まる程度の小さな体躯。それらの衝撃を耳をピコピコと動かすことで表現している一匹の猫、それが私でした。


「随分と小さくなってしまわれて姉さま、愛らしいですよ。ふふ、檻にでも入れて眺めていたいわ」


 物騒な事を言いだすユーニスの腕の中で、私は手足をバタバタと動かします。

 けれども、こんな私のささやかな抵抗では、ユーニスの非力な腕から逃れることすら叶いません。

 ユーニスの抱き上げ方で無理に力がかかり、肩の辺りに痛みを感じ始めた頃、お父様が無表情のままユーニスの肩に手を置きました。


「止めなさい。それはもう我が家には関係の無い者だ。さあ、お前も出て行きなさい」


 父の取り成しで緩んだ腕からなんとか抜け出すと、ユーニスはぷいと顔を逸らしてしまいます。

 それきりユーニスとロザリンドはそのままさっさと屋敷へと下がっていき、父だけは幾度か私の方を振り返りましたが、掛かる声はありませんでした。








 こうして私は野良猫となったわけですが、実のところ、私もただただ罰を受け入れたわけではありません。

 あの出所不明の薬さえ辿れれば、元に戻る方法もあるのではないか。戻れれば、実家とは無関係の人間としてどこかでやり直そう。そういう思惑もあったのです。

 けれど街に放逐されてすぐ、それどころではないと思い知りました。

 猫の身では、一日一日を生き延びることだけで戦いだったのです。


 まずご飯がありません。寝床がありません。街には既に猫同士の縄張りがあって、新参者の居場所などどこにもありませんでした。

 屋台に並ぶ食事をぼぅっと眺めてみれば追い払われ、果物屋の前を通れば商品を狙っていると勘違いで叩かれもしました。

 きゅうきゅうと鳴るお腹を押さえ、悪臭に吐きそうになりながらゴミを漁ってみても、やっとのことで手にした戦利品は、機を伺っていた他の猫たちに簡単に奪われてしまいます。


 何も食べれず、降りしきる雨の中、雨宿りにと他の猫が居ない場所に潜りこんで寝ていれば、そこは荷馬車の中だったようで。

 起きた時には出発していた荷馬車に揺られ、貨物から零れた野菜の欠片でなんとか食い繋いでいると、翌々日には知らない街へとたどり着いていました。

 新しい街に住んでいた同類たちは前の街よりも縄張り意識が強くて、結局はすぐ追い立てられるように近隣の森に流れ着いたわけですが。



 深い森の奥、土の上に横たわる私の肌を、名前も知らない雑草が撫でます。

 他の猫に手ひどく引っ掻かれた足がもう動かないと悲鳴をあげ、胃は空腹感の限界を訴えてくるのですが、どちらも私には成すすべがありません。

 意識を手放せば死ぬという確信の中、勝手に降りようとする瞼を気合いだけで跳ねのけてはいますが、それももう限界。きっと、私はここで死ぬのでしょう。

 お母様のように慕われ、人々の暖かさに囲まれて逝きたいとまでは言いませんが、誰にも知られずたった独りでというのは、寂しさに凍えてしまいそうになります。


 せめて、誰かに気付いて欲しい。近くに居て欲しい。そんなどこにも届かないであろう願いを込め、にゃあ、とか細く鳴きました。その時です。


「今の声は、ここ?」


 聞こえたのは透明で、けれどしっかり芯を感じさせる高めの声。

 それに続くようにガサガサという草を踏みしめる音が、段々と近づいてきます。


「……にゃあ」


 私はここです。そう主張するようにもう一度鳴いてみれば、その足音はより鮮明になりました。

 眼前を塞いでいた草がどけられたかと思えば、背に柔らかな暖かさを感じます。

 それが声の主の手であると認識した時、私の胸にはごちゃごちゃになった感情がこみ上げてきました。

 とにかく独りじゃなくなった、それが何よりも嬉しくて堪りません。

 安堵感に抱かれながら、私は恩人の顔を見ようとゆっくりと首を動かします。


「しまった。血を処理してからの方が良かったかしら」


 そこに居たのは全身をぬらりとした赤黒い血でコーティングした、血塗れの何か。

 その赤を知覚してしまえば、鼻が周囲に漂うツンとした鉄臭さに気付きはじめました。

 全身、顔中まで真っ赤に濡れているのに、その奥からでも輝く真紅の眼光は、それこそ御伽噺の怪物のようで――


 ポタリ、思考を遮るように私の額に何か生暖かいものが垂れてきます。

 つーと顔を流れ、否応なく口に侵入してきた液体の味は、錆びた鉄。

 それが怪物から滴る血液であったと気づいた瞬間、私はついに意識を手放しました。


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