それは?
「夕暮れの朱色に染まる離れの校舎の壁」
それは、なんだ。
「仏頂面を引っ提げていた人物が、試験管の中身を覗いては悦楽の表情を浮かべる」
なぜ、そう言う。
昔から簡単な言葉で言えないのかと思っていた。
小学生の頃、自分がノートに「悦楽」と書けば、それだけでバカにされた。
彼女の宝物が納められる、と書けば、それだけで気持ち悪いと言われた。
―楽しい、嬉しいと書け
―引き出しへとまた帰っていくでいい
気持ち悪い
格好つけ
笑える
死ね
そう言われる度に俺は同級生ではなく、世の小説家を恨み、呪った。
自分が扱うことで中傷されているのに、同じ言葉を同じ形式で扱う貴様らが売れていることに納得がいかない、と認めずにいた。
試験管を持ち上げることに、"今"それほどの描写が必要か?
実験が上手くいったことに、"今"それだけの感情は必要か?
世の小説家全員を知っているわけでも、その生活を24時間見ていたわけでもないが
彼らは小説家として、格好つけと言われたところを見たことがない。
自分が同じ言葉を使えば格好つけたがりと言われ、気持ち悪いと笑われたのに
小説家はそういった言葉をかけられない。
友人に聞いても家族に聞いてもその答えは得られず、その度に疑問が大きくなっていく
「先刻の名残」とはなんだ
「先ほどまで作業をしていた痕が残っている」ではいけないのか
後者より、前者の小説家が褒められるのは何故だ
いや、褒められるならいい。
何故後者が叩かれなければいけないのだ。
双方ともに同じ意味のはずだ。
それなのに、何故…
体躯とはなんだ
身体ではいけないのか、全身と表すのは不正解か?
双方ともに想像することに違和感はないはずだ
それなのに、何故…
「は、と空気の塊吐く」
どうしてこの表現が賛辞を浴びるのだろう
「嗚呼止せばいいのに。思考と反して顔は音の出所に向く」
どうしてこの表現に注目が集まるのだろう
相手に伝わらなければ、意味はないというのに
俺は世の小説家を許さない。
代わりがいるにも関わらず難読漢字を使い、世間から人気を集めている小説家を許さない。
「難しい読み」を正解とし
「経験のある言葉」を不正解と判断する
「難しい読み」を格好いい、と褒め称え
「経験のある言葉」を気持ち悪い、格好つけたがりと中傷する
難読漢字を使い、それでいて世間から認められる人間がいるのか
本当に分からない。
…。
相手に伝わらなければ、意味はないというのに。