19.毒なのは
応接室に着くと、そこには誰もいなかった。
護衛が各場所に配置されているはずなのに、一人もいない。
いつもなら応接室か執務室にいる時間なのに、執事すらいなかった。
いったい、何が起きているというのだろう。
どこにお母様がいるのかと屋敷内を順に探していくと、
屋敷の奥の方に人の気配がした。お父様とお母様の私室があるあたりだった。
近付くと、そこはお母様の私室で、中から何かが暴れている音が聞こえた。
ノックもせずにドアを開けると、
ソファに座るお母様に叔母様が馬乗りになっていた。
叔母様は何かをお母様の口に押し付けて、無理やり食べさせようとしている。
「何しているの!?やめて!」
私が叫んだ声に反応してこちらを向いた叔母様を、
レイニードが勢いよく体当たりしてお母様の上から横に飛ばした。
転がるように飛ばされた叔母様が見えたが、そのすきにお母様に駆け寄る。
口の周りに何か食べ物のかすのようなものが見える。
お母様はそれを手で払って、口から出そうとしている。
「お母様!何か口に入れられましたか!?」
「エミリア、義母上の口を水で漱がせるんだ!早く!」
「っ!お母様!こちらに!」
部屋の奥にある浴室まで連れて行き、洗面台のコップで口を漱がせる。
何度か口を漱ぐと、ようやくお母様は落ち着いたようだった。
「…ありがとう。何か焼き菓子のようなものを口に入れられて…。
抵抗しようとしたのだけど、力で敵わなくて…。
飲み込まないようにするので精一杯だったわ。
二人が来てくれて良かった…。」
「お母様…一応鑑定して治癒をかけます。
少しじっとしていてください。」
覚えたばかりの上級薬物鑑定をかけると、お母様の口の周りに毒物は出なかった。
口の中にあった焼き菓子はすべて洗い流せたようだ。
そのことに安心はしたけど、少しでも体内に入っていたらと思うと安心はできない。
気休め程度だけど、初級治癒をかけておいた。
お母様を連れて浴室から出ると、叔母様が後ろ手で縛られていた。
部屋に戻った私たちを見て、憎々しげに睨みつけてくる。
レイニードが呼んだのか、護衛も部屋の中に入って、叔母様を押さえつけていた。
「…叔母様、どうしてこんなことを?」
「…ちょっと嫌がらせしただけじゃない。
お姉様が私の作った焼き菓子を食べないっていうから。
無理矢理食べさせたのは悪かったけど、こんな風に縛ることないじゃない!」
「…この焼き菓子に毒は?」
「毒なんてないわ!調べてもいいわよ!」
テーブルの上に置きっぱなしになっている焼き菓子を見ると、手作りのようだ。
その一つを手に取り、手のひらに乗せる。
成分の組み合わせまで検証する時間はない…。
叔母様のこの態度からすると、単純な毒ではないだろう。
上級薬物鑑定をかけると、
焼き菓子に入っていた材料がすべて頭の中に浮かんでくる。
確かに毒は無い…けれど、一つだけ引っかかるものがあった。
「雪蜂の蜜…?」
どうしてこんな高級食材が?
普通の砂糖じゃなくて、わざわざ高級食材を使う理由は?
そう思ってつぶやいたら、叔母様の身体がびくっと跳ねた。
これが毒になる…?
「…エミリア、それだ!それが毒だったんだ!」
「え?どういうこと?」
「義母上、雪蜂に刺されたことはありますか?」
「ええ…すごく小さいころ、領地の森に遊びに行った時に刺されて…。
高熱を出して三日寝込んだことがあるけど…?」
「雪蜂の蜜は高級食材だけど、一つだけ注意書きがされている。
雪蜂に刺されたことがある人は食べないようにと。
一般に出回るような食材じゃないから、あまり知られていないけれど、
雪蜂に刺されたことがある人が蜜を食べると、体内に血栓ができるんだ。
大きな血栓ができたら、かなりの確率で死んでしまう。
…これが毒殺だとわからなかった原因だ。
蜜そのものに毒性はない。毒鑑定でも出ないだろう。
エミリアが上級薬物鑑定を使わない限り、何も出なかったはずだ。」
「ヘルメス…あなた、私が雪蜂に刺されたことがあるの知ってるわよね?
どうしてこんなことをしたの…?
本当に、私を殺そうとしたの?」
毒がバレたことでうなだれて座り込んでいた叔母様は、
お母様の言葉を聞いて突然暴れだした。
「どうしてですって!
リンクス様は私が結婚するはずだったのよ!
ここは、私の家になるはずだった!私の娘は侯爵令嬢になるはずだった!
すべてお姉様が奪ったんじゃない!返しなさいよ!すべて!」
暴れだした叔母様を護衛が押さえつけるが、
それを振りほどくように暴れ続ける叔母様に恐怖を感じる。
吠えるような叔母様の叫びにレイニードがお母様の耳を手でふさいだ。
優しいお母様はきっと自分を責めてしまうだろう。
だから聞かない方がいい。
私もそう思って、レイニードの手の上から自分の手を重ねた。
少しでもお母様の心に傷がつかないように。
ただでさえ、実の妹に命を狙われたのだから…これ以上は傷つかなくていい。
レイニードが叔母様を警吏に突き出すように護衛に指示する。
捕縛したまま、逃げられないようにして確実に引き渡すようにと。
ついでに中庭でエリザベスが捕まってるはずだから、一緒に送るようにと言う。
侯爵家への無断侵入、侯爵夫人への毒殺未遂、
おそらく護衛や騎士団のほうにも何かしたのだろう。
伯爵の死因もまだわかっていないし、調べたら他にも出てくる可能性が高かった。
護衛たちによって引きずられるように叔母様が部屋から出て行って、
ようやくレイニードと私はお母様から手を離した。
気が抜けてしまったのか座り込んでいるお母様をソファに座らせて、手を握った。
顔色は悪く、手も冷たい。
安心したと同時に、自分に起きた事実を受け止められていないのかもしれない。
こんな状態では立ち直るまでにはかなりの時間がかかるだろう。
「お母様…大丈夫ですか?」
「ええ…ありがとう。エミリア、レイニード。
…私がしっかりしなきゃいけないのに…二人に守られて。」
「義母上、気にしないでください。
こんな怖い思いをしたのですから、無理しなくても大丈夫です。
義父上にも連絡したので、すぐに来てくれると思います。
騎士団の方もいろいろあったので、父も一緒に来るはずです。」
「ええ。本当にありがとう…。」