15.ヘルメス夫人
応接室の扉の前に立つと、室内から話し声が聞こえてくる。
この声はお母様と叔母様だ。やっぱり来ていた。
「だからね、後ろ盾って言うような大げさなものじゃなくて、
何かあったら助けてくれるって手紙を持っているだけでも違うと思うの。
もちろん、お姉様に何かあれば私が助けるわ。お互い様でしょう?
主人が亡くなったからって、弟夫妻に家を乗っ取られて…
娘までもが追い出されてしまったのよ?
家に戻っても、お兄様家族に邪魔扱いされているし…。」
「それは大変だと思うわ…でも。」
「なにもここに置いてくれなんて言ってるわけじゃないでしょう?
その手紙があれば社交界や家で厄介者扱いされずに済むのよ。
侯爵夫人のお姉さまが味方になってくれたら、
他の夫人たちだって、大事にしてくれるはずよ。
ねぇ、妹にそのくらいのこともしてくれないの?」
「…ヘルメス。」
どうしよう。
多分、手紙ってお母様が亡くなった後で叔母様が持ってきたあの手紙だ。
ここで書かされたら、お母様は殺される?
扉に手をかけたまま悩んでいたら、レイニードに後ろから引っ張られる。
そのまま扉から手を離したら、レイニードが応接室の扉を開けて入って行った。
室内にはお母様と叔母様が向かい合わせのソファに座っていた。
金色に近い茶髪のお母様とこげ茶色の髪の叔母様は見た目から印象がかなり違う。
性格も優しくておっとりしているお母様と、
どこまでも人の弱みにつけこんでいくような叔母様は、
表情にまで性格が表れているように見える。
本当に姉妹なのか疑ってしまうくらいだ。
お父様が叔母様ではなくお母様を選んだのもわかる気がする。
「え?なに?」
「義母上?こちらのかたは?」
「あぁ、レイニード。私の妹よ。会うのは初めてよね?」
突然入っていったレイニードに叔母様は驚いていたけれど、
お母様は私たちを見てほっとした顔になった。
何かあればレイニードに頼るようにとお父様が言ったからだろう。
このままお母様が一人で相手をしていたら、
叔母様に押し切られてしまっていたかもしれない。
「お姉様、この子は誰?今、母上って言ったわよね?」
「俺はレイニード・ジョランドです。
このエンドソン侯爵家の婿になりました。
婚姻は成人後ですが、もうすでに婿として住んでいます。」
実際には結婚していないけれど、婚約の儀式をして侯爵家で生活をしている。
もう社会的に見ても婿と言っておかしくなかった。
「婿?エミリアの婚約者ってことでしょう?
ジョランド公爵家から婿入りするなんて…本当に?」
「先ほど、話が聞こえてきましたが、
義母上、勝手に後見の話を引き受けてはいけませんよ。」
「は?なんで子供が口出すの?」
「成人前ですが、もう婿届を出しています。
次期当主として、口を出す権利はあります。
むしろ、義母上が後見の書類を書くことはもうできません。
当主の代理になる権利は、もう義母上には無いのですから。」
「はぁああ?なんですって!?」
レイニードが家で生活し始めてすぐ、
お父様はエンドソン侯爵家の次期当主としてレイニードを届け出た。
それにより、お父様に何かあった時にはお母様ではなく、
たとえ成人前であってもレイニードが当主代理となる。
あの時にお母様が書いた手紙が有効だったのは、
お母様が当主代理だったからで、今のお母様にはその権利はない。
だから手紙を書いたとしても無効なのだが、
それで付け込まれるようなことが起きても困る。
万が一のことも無いように、最初からそんな手紙は書かない方が良い。
「ですから、いくら義母上の妹だとしても、
エンドソン侯爵家が後見することはありません。
俺はこの方を後見する必要は無いと判断します。
何か揉め事を持ち込まれても困りますからね。」
「くっ…!お姉様、冷たいのね。
私をいじめて楽しいの?」
「…いじめてなんて…そんなつもりじゃ…。」
「いいわ。…また来るから、それまで考えておいて。」
言い捨てるようにつぶやいて、叔母様は部屋から出ていった。
エリザベスはどうしたのだろうと思ったが、
カミラに聞くと一人で中庭に出ていったらしい。
叔母様が帰るからエリザベスも帰らせるように言うと、執事が向かっていった。
カミラでは無理だと判断したのだろう。
「また来ると思う?」
「来るだろうね。…義母上、大丈夫ですか?
ちゃんと義父上から言われたとおり、
お茶にも菓子にも手を付けていませんよね?」
「ええ…飲んだ振りをしていたわ。
お茶と菓子を土産で持ってきたけど…。」
見ると封を切ったばかりの茶葉と焼き菓子があった。
おそらくこの中に何か入っている。
公爵に届けて鑑定をお願いすることにして、お父様の帰りを待った。