苦い
今日もあの二人が一緒にいる所を見てしまった。
悲しくならないかと問われてしまえば、幾らでも強がりは言えるが否定は出来ない。
胸がギューっと何かに鷲掴みされたかの様に痛くなり、喉がキュゥゥウっと、苦しくなる。
そんなに距離が近くなくてもいいんじゃないかしら。
仕方ない。
あの二人は学友会の仕事をしているのだから。
いつもそうして自分に言い聞かせる。
あんな事があったから、彼は私を婚約者として迎え入れるしかなかったのだ。と。辿り着きたくない考えで無理矢理納得させようとしている。
好きなのに。
好きなのに。
好きなのに。
ずっとあなただけ見ているのに。
いつもあなたに届かない。
***
「メリッサ?」
ペンを握ったまま、止まってしまった彼女を、隣に座る友人が不思議そうに見つめる。
校舎の図書館に来る前に、偶然遭遇してしまった二人の距離が脳裏から離れてくれない。
婚約者なのだから、堂々と声を掛けられる立場にある事くらい、メリッサにも分かっている。
頭では分かっているのに、それが出来ないのは、自分が正式な婚約者に選ばれた後ろめたい理由がつきまとってくるから。
その時を思い出す度に、そこがツキンと存在を主張してくる。
「メリッサ」
「え?」
「そんなにその問題、難しいの?」
「え?ええ。そうね」
返事を返しておきながら、自分が何を解いているのか理解していない彼女は、広げた教科書とノートに視線を落とし、頭に内容を入れようとする。
ルカも一応聞いてはみたものの、彼女の心がここに在らずなのは分かっていた。けれど、そこに触れずにいるのは、聞いても友人が口を開いてくれない事を知っているから。
ルカはダーファン国の王女。
メリッサは次期王妃。
互いの肩書きは関係なく、気付けばいつも隣にいた。
それくらい、幼い頃からそばにいる。
図書室で一緒に勉強をしようと誘ったのはルカだった。
定期考査がある訳でも、成績が危うい訳でもない。
ただ二人の時間を作りたかっただけ。
一緒にいてもメリッサが婚約者しか見ていない事は知っている。
ずっと婚約者に恋をして、気付けば目で追ってしまう。だから彼の瞳が誰を追っているのかすぐに分かってしまった。
それは、ルカも同じ立場だから。
ルカが好きになってしまったメリッサは、既に王太子の婚約者だった。
だから、友人という立場でも側にいたいと願った。
そもそも、同じ土俵に立とうともしないで、諦めてしまったのは自分なのに、恋愛対象として意識して欲しいなんて、虫の良すぎる話だと自分でも思う。
ルカは隣に座るメリッサの横顔を見つめた。
いつから好きだったかなんて愚問過ぎる。
そのくらい自分の性別を偽る事に慣れてしまった。
友人としてそばに居たいと望んだのは、幼かったかつての自分なのに、今ではそれ以上の関係を夢見てしまう。
メリッサは、ルカの視線に気付かない。
真剣に問題に向き合う彼女の表情はとても凛々しく、その姿は未来の王妃になるに相応しいと改めて実感する。周りを冷静に観察し、その時に合わせた最適な答えを導けるだけの知識と能力を持っている。
ルチアは彼女が長年慕い続けてきた婚約者であり想い人。卒業後、この二人が結ばれればこの国の将来も安泰だ。
けれど、この学園に入学し彼の前にかつて婚約者候補であったエトーレが現れてしまってから、婚約関係にあるメリッサとルチアの関係は傾き始めてしまった。
互いに視線を交わし、かつて城で共に遊んだ思い出話に花が咲き、二人の距離は近くなっていった。
ルチアは自らその立場を危うくする様な真似は決してしない。彼はそこまで愚かな王太子ではない事は、メリッサも良く知っている。
けれど、彼の好意は婚約者ではない女性に向けられ、恐らく決して本人に想いを告げる事はしないまま、卒業したら強制的にその想いに蓋をする。
エトーレもメリッサの存在を知っているからこそ、でしゃばったりはしてこない。
かつてルチアとの婚約者候補に名を連ねていたからこそ、分別はしっかりわきまえている。いっそ、性格の悪い相手であれば、堂々と対峙できたというのに。
幼い頃に交わされた契約があり、結ばれた二人。
それがずっと変わらずに続くなんて奇跡に近い事だと、最近特に感じる。
成長すれば、各々の立場を認識し、そうなるべく邁進する。少なくとも彼女はそうしてきた。
メリッサは賢かった。
だからこそ、今、決断が迫られているのだろうという事も理解している。
自分の出すべき答えの何が最善か。
辿り着く先で、誰の涙が流れようとも。
「メリッサ」
「なぁに」
周りには自分たちの様に勉強したり、本を読んだり調べ物をしている生徒たちがちらほら居る。
小声で呼ぶと、身体を寄せて反応してくれる。
こうして親しくしてくれるのも、ルカが女の格好をしているからだ。同姓だから、警戒心もなく友人のポジションに落ち着いていられる。
それを求めたのはルカなのに、最近は心の制御ができない事が多くなっている。
彼女の隣に居るのは自分なのに、今彼女の心の中を占めているのはルチアだ。
「ちょっと分からない事があるから向こうで調べてくるね」
「うん」
極力音を立てぬ様、静かに椅子から立ち上がる。
残されたメリッサは、一人になると集中している振りをしていた手元から意識を逸らし、窓の向こうに首を動かした。
「メリッサ」
名を呼ばれ、彼女の身体はドキリと跳ね、そして身構えた。
窓ガラスに映っていたのは婚約者の姿。
「ここにいたんだね」
急いで立ち上がろうとすると、「そのままで大丈夫だよ」とメリッサの動きを制止する。
メリッサは彼に向けて丁寧に一礼すると、顔を上げた。
そこには彼女が好きな凛々しくも柔らかく微笑む婚約者の顔。
その顔を自分だけに向けているのではないと知ったのは、たまたまエトーレの背後から彼の表情を見た事があったから。
「探してたんだよ」
うそ。
「そうですか」
さっきまであの方といたのではないですか?
「どんな御用ですか?」
発する言葉の合間に、秘めた言葉を乗せる。
少し息を弾ませている様子に気付いてしまえば、本当に必死に探してくれていたのかもしれない。と。たったそれだけの事なのに、どうしても嬉しくなってしまい、引き締めていた頬の力が緩んでしまいそうになる。
「週末、こちらへ来れる?」
王太子から、それを差し引いても想いを寄せる相手から「お茶でもどうか」と誘われて断れる人間が何処にいるだろうか。
「ええ」
メリッサの答えを聞いたルチアは嬉しそうに笑う。
「詳しくはまた」
言うべき事を伝えた彼はそのまま図書室から出て行き、その背を目で追うメリッサは、表には現さないが先程までの表情とは明らかに違う。
ルカは少し離れた本棚の隙間から二人の様子を覗き見ていた。
席を立ったのも、図書室の入り口に王太子の姿を見つけたからに他ならない。
本を選びに行くと席を立てば、恐らく婚約者を探しに来たであろうルチアとメリッサは二人きりになれる。
メリッサの事は好きだが、彼女の邪魔になる事はしたくない。
ルカは、彼女がルチアだけに見せる嬉しそうなその表情をなんとも言えない思いで見つめていた。