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クッキー



「ここは?」


 メリッサに連れられ「待っていてください」と言われた場所は、アルム公爵家の人間が皆で食事をとるのには十分広すぎる食堂だった。


「改築して大勢入っても皆で食事がとれるようにしたんです。食堂……みたいなものですかね」


 聞かれた事に対し、メリッサは楽しそうに答える。


「それはどういう」


 案内された部屋をぐるりと見回し、彼女に質問しようと言葉を投げかけても返答がない。


「あれ?メリッサ?」

 詳しく聞こうとする前に彼女の姿はなくなり、ルカは仕方なくその場をウロウロし始めた。


 公爵邸だと言うのに、メリッサの世話をする侍女らしき人間の姿も見えなければ、屋敷を管理する執事の姿もない。


 ルチアは優秀な騎士たちをアルム領へ送ったと言っていたが、窓辺から鍛錬する姿も見えなければ、ここへ来るまでに周囲を警戒する人間の姿も見えなかった。


 アッシャムス国との国境が近いというのに、ピリついた空気もない。


 国境の警備がこれでいいのだろうか。

 こんなんでメリッサを護っていると言えるのか。

 公爵令嬢のメリッサがこんな場所にいていいのか。



 考えれば考えるだけ、メリッサはやはり首都に帰り、アルム領は誰か他の適任者に任せた方がいいと思ってしまう。

 もし、少しでも危険な事があれば、自分がダーファンに無理にでも連れて去ってしまうのに。


 いつも笑っていてもらいたい。

 苦しいことなんて知らないままでいい。

 美味しい紅茶にお菓子を食べて。

 社交界で華やかに踊る。

 たくさん甘やかして愛を囁きたい。

 髪の毛を撫でて、腰に手を回して身体を引き寄せて自分しか見ない様に囲い込んでしまいたい。


 久しぶりに言葉を交わしたメリッサへの想いは、膨れ上がるばかりで爆発してしまいそうだ。

 それは、初恋と認識してから抑え込み続けていたので尚更。




「……ま。……ットさま」




 窓際で妄想を膨らませ、ひとりいやらしく顔を緩ませるルカは、呼ばれている事に気付かない。




「……イゼットさま。ルイゼット様」



「は……へ?」



「どうしました?」


 我に返った視界いっぱいに突然メリッサの顔が映り込み、つい変な声が出てしまう。


「座っていて下されば良かったのに」



 メリッサは手にティーセットと焼き菓子を持ちながらそのまま「こちらへ」とルカを誘導する。


「焼き上がりもホロホロしていて美味しいんですよ。熱いので気をつけて召し上がって下さい」


 ルカが座るとそのままお茶の支度を彼女自身が始める。


「えっと……君が?」

「?」

 ルカの言う意味が分からずにメリッサはお茶を淹れながら首を傾げる。

「君がお茶を淹れるの?」

「はい。それが何か?」


 侍女はいないのか。とか、直接聞きたい事が聞き出せず、ルカは「うー」と心の中でヤキモキしてしまう。

 勿論、もてなす主人が客人に対し手ずからお茶を淹れる事はあるが、今はそうではない筈だ。


「驚かれているかもしれませんが、我が家ではこれが当たり前ですの」



 聞くに聞けない事を恥ずかしがる事もなく、キッパリと言い切られてしまう。


「確かにルイゼット様の知る環境と我が公爵家は違うかもしれませんが、これで皆不満なく暮らしているんです」


 だから口出ししないで下さいね。と、線引きされてしまえば、もう何も言えなくなってしまう。


 ただ心配なだけなのに。



「ふふ」



 彼のその眉の下がる表情を見たメリッサが手を口に当てて笑みを溢す。



「なっ……んですか」


 突然笑われたルカは顔を真っ赤にして理由を問う。

 彼の白い肌がまるで桜の花びらを散らした様に染まる。



「申し訳ございません。攻めている様に聞こえてしまいましたよね」


 決して彼のプライドを傷付けたかった訳でも、非難したかった訳でもない。

 ただ、ここへ移り住んで暫く。

 何も知らないお嬢様がこんな血気盛んな土地へ何しに来た。という視線で、態度で街中の人間から見られてしまっては、自ずと強くならざるを得なかった。



 メリッサは彼の前にクッキーとティーカップを置いた。

 そして、蒸らし終わったポットからお茶を注ぐと、「召し上がってください」とそれをすすめる。



 今まではもてなされる事が当たり前の世界にいたメリッサ。

 ルカが好きで……彼女の笑顔を見たくてお菓子を用意していたあの頃は、もう思い出になってしまっているのだ。


「……」


 お茶を淹れた後、静かに目の前に座ったメリッサからの視線を受け続けているルカは、お茶で渇いた喉を潤すと、焼き立てだというクッキーに手を伸ばした。


 普段の彼であれば一口で放り込んでしまうサイズである。

 だが、目の前に彼女がいるという無意識下の行動なのだろうか、サクッとクッキーを小さく齧ると、味わう為に丁寧に咀嚼する。


 歯で噛むとホロリと崩れ、口の中で優しい柔らかさが広がる。


 懐かしい味。


 メリッサが喜ぶから、と、よく彼が焼いていたお菓子の味だ。


 ルカはあの穏やかな昼休みを思い出し、鼻の奥がツンと痛くなったのを誤魔化す為に、ごくん、と、クッキーを飲み込んだ。



「……」



 ん?



 声には出さないまでも、自身の身体に入ってきたものの正体に不思議な感覚を覚えたルカは、残りのクッキーを一口で頬張る。


 サク……サクサク


 二口目もゆっくり咀嚼し、メリッサの手作りだというクッキーを味わう。


 口内にある内は何も感じない。



 だが。



 ルカは今度は意を決してそれを飲み込む。




「……」




 やはり。



 今度はしっかりと感じた。


 嚥下した瞬間、身体に入り込んできた温かな温もり。


 懐かしいそれは、ルカ自身がかつて彼女に注ぎ込んだ魔力と同じもの。


 これはきっと彼自身にしか感じないものかもしれない。

 だが、ルカには分かる。

 以前メリッサの傷を治した時に注いだ癒しの魔力だ。


 期限付きのものではあるが、彼女が自らの気持ちの整理をつける為にと望み、ルカがそれを叶えた。



 まさか、まだ自分の力が彼女の中に残っているなんて。



 メリッサの中に僕がいる。




 その事実が嬉しくて、再び体温が上昇する。




「少しは元気になりました?」


「え?はい?」 



 彼の様子をひたすらに見守っていたメリッサが嬉しそうに笑う。


「不思議と皆さん、私が作るお菓子を食べると身体が楽になると言ってくれるんです」


 だから貴方もそうですか?と口にしないまでも表情が告げている。

 言われてみれば背中の辺りや下半身の疲れが取れている気がする。



 ルカの注いだ魔力がまだメリッサの体内に残っている為に、何かしらの理由で彼女も気付かない内にそれを放出しているのだろう。


 ルカ自身も度々魔法を使った事はあるが、自身の魔力を人に渡す様な使い方はしてこなかったので、この現象については未知である。




「それに」



 ルカの反応を見ながらメリッサの声はなんだか嬉しそうに弾む。



「このクッキーは親友が私に何度も作ってくれた味なんです」



「……」



 ルカは懐かしそうに微笑むメリッサを凝視してしまった。




 とても会いたくて。

 忘れたくても忘れさせてくれなくて。


 甘くて苦い思い出。



 ルカにとって、目の前に積まれているクッキーはそんな味だ。



「ねぇ。同じに作れたかしら」



 柔らかく微笑むメリッサは、ルカにそう尋ねると、自らもそのお菓子をつまみ、自身の口へと運んだ。









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