はつこい
初めてメリッサと出会ったのは、まだルカが五歳の時だった。
その頃既に彼女はルチアとの婚約関係にあったが、余所者だった彼はその現実を知らなかった。
一目惚れ。
と呼ぶには少し違う気もする。
ラフトゥ国の城内ではルカはいつも一人静かに本を読んでいた。
あまり人目に触れぬ様、目立たぬ様に暮らしていたのは、常に人質という不名誉な肩書きがついて回るから。
何故親の失敗の為に自分の数年を捧げなければならないのか。
肩身の狭い思いをして暮らさなければならないのか。
幼いながらもそういう不満を胸に抱えているルカ。
常に生意気に見えてしまう態度は、その不機嫌さが表に出てしまっているからである。
始終そんな棘のある空気を身に纏っていては、味方が増える筈もない。人質でありながら、あまり行動の制限は掛けられておらず、比較的自由に動き回る事は出来る。だが、城の人間の目は何処へ行っても冷たく、彼の方もこの国の人間に自ら歩み寄ろうとはしなかった為、今では僅かな従者を従えるだけで、孤立していた。
そんなある日。
とある事件が、ルカとメリッサを引き合わせた。
「この者がルチア王太子様のペンをその懐に隠すのを見ました」
広い城の中は彼にとって居心地の悪い場所である。
毎日ずっと屋根の下にいるのは気が滅入る。
空も青く雲もうっすら漂っているこんな天気の良い日は、何処で時間を潰そうか、庭園の中を行く当てもなく、ただ、足を前に動かしていた。
小脇に本を抱え、以前は友好関係にあったダーファン国の王子は、今となっては何処へ行くにも何をするにも監視をつけられた状態で、不自由しかないこんな状況を作り出した両親を恨みさえする。
「は?」
身に覚えもない濡れ衣を着せられたルカは、小脇に本を抱えたまま、立ち尽くした。
自分よりもゆうに背の高い人間たちの視線を浴びる子どもは、何も言えずに立ちすくむ。
ここには敵しかいない。
身に覚えもないし、ましてやこの国の王太子の顔さえルカは覚えていない。
否。
覚える気すらなかった。
そんな眼中にない人間の何を自分が盗んだというのか。
部屋が何処にあるのかも知らないというのに。
思っている事を口にしたとて、ここでは信じてくれる者は誰もいない。
「やはりお前か」
「ルチア王太子様にどんな恨みがあって」
「あれは王太子様が大事に使っていらしたものだったのに」
ルカは大人の壁に囲まれ、責められる。
事の発端は、机の上に置いていた筈の父親から贈られたペンが見当たらないと、ルチアがたまたま側に居た侍従に漏らした事が原因だったらしい。
たった一言で城に仕える人間たちは自分の仕事そっちのけで、王太子のペンを捜索し、行き着いた先は、何故か的外れな子どもに罪をなすりつけるという答え。
耳を塞いでも、視線からは逃れられず、俯いてみても降り注ぐ言葉の槍からは逃げられない。
「盗んだ物を出しなさい」
本を持たぬ方の手をギュッと握り、爪が自身の掌を食い込ませても、浴びせられる言葉の凶器は、鋭さを増すばかり。
「……」
その中の一人が、何の反応もなく、立ったまま微動だにしないルカに勢いよく迫ってくる。
目を逸らすのもまるで逃げているようで納得がいかず、反論したとて信じてくれる人間など存在しない。
そんな折。
自分を責め立てる大人たちの隙間から、真っ直ぐ伸びた黒髪を持つ少女と目が合った。
「……」
多分ルカと同じ年くらいの彼女は、暫くそこへ立ち止まり、こちらの様子を見ている。
見せ物なんかじゃないんだぞ。
そういう視線を向けた時だっただろうか。
その令嬢はフイッと興味なさそうにその身を翻すと、あっという間に見えなくなってしまう。
「……」
助けて欲しかった訳ではなかった。
味方になって欲しい訳でもなかった。
けれど、何故か彼女だけは味方になって笑い掛けてくれるような気がしてしまった。
盗人扱いを受けたルカは、見ず知らずの令嬢に一方的に期待し裏切られ、勝手に心は傷付く。
「早く出しなさい」
身に覚えのない盗みの疑いをかけられ、詰め寄られ、差し出せる物など何もない。
あの日までは、彼も王室の人間だった。
護られる存在だったのに、信じていた両親はその小さな手を呆気なく手放し、彼は何もかも失った。
大人同士のくだらない領地争いの末に。
彼の故郷ダーファン国は、魔力を持つ人間たちが他国と比較すると数が多かった。彼らが己の魔力を使い、必要な領地へ風を送る事により、ダーファンは発展を遂げてきた。一方のラフトゥ国は自国の技術により風を作る機械を創り出し、それらを各地に置き、風を送り出していた。
規模としてはラフトゥの方が大国で、技術の発展によりどの街もとても栄えていた。
だが、現ラフトゥ国国王はそれでは満足していなかった。
山を隔てているとはいえ、この大陸に同じ風を操る国は必要ないと、同じ風の国と呼ばれるダーファンを目の敵にしたのだ。
山に囲まれたダーファンはこれまで他国などからの進軍もなく、魔力を持つ者たちもその力を悪用する事なく平和に過ごしてきた。しかし、そんな平和ボケしていた国は、いざとなると戦術も他国との交易も少なく、加えて戦に関しては全く実戦経験などなかった為、誰もが予想していた通り敗戦してしまった。また優しく気の弱い国王は、ラフトゥ国が提示する条件をそのまま飲み、あまつさえ、期限付きではあるが、息子を敵国へ渡す事まで了承してしまった。
ダーファン国はラフトゥ国に敗北し、今まで独占していた魔力を他国へ引き渡し、その力をラフトゥで発揮する事を許容した。
そうして、魔力供給が安定するまでの間の人質として、第三王子のルカに白羽の矢がたってしまったのだ。
「すまない」
「元気でやるのよ」
久しぶりに両親の謝罪の言葉が脳に響く。
そこまで涙するなら何で僕を人質にしたの?
僕の事、嫌いなの?
だから手放したの?
トゥール兄さんとバラム兄さんも居るのに。
僕は王太子でもないし、兄さんたちと違って魔力もないし、何も出来ないから?
力強く抱きしめてくれた母の温もりはとうに彼の身体から消え、もう長い間、誰とも温もりを分け合っていない。
こうやって、ふとしたきっかけでダーファンを思い出す度、ルカの心は冷たくなっていく。
「ねぇ。みんな」
大人たちがルカを責める空気と、彼の心が冷めていく空気に、真っ直ぐ澄んだ高い声が入り込んだ。
子ども特有の伸びる声に、その場にいた誰もがそちらに視線を動かす。
「その子からは何も出てこないわよ」
一体何を言い出すのだ。
と、その場に居た侍従たちは彼女に対し、頭を深く下げた後、互いに顔を見合わせ、無言で意思疎通をする。
事のあらましを知っている訳ではあるまいし、突然首を挟んで何を言うのか。と。
誰もが同じ事を思いはしても、彼女の立ち位置を知っている彼らは何も言葉に出さない。
「え?」
しかし、ルカだけは違った。
城に囚われ、外に出る事を許されていない彼は彼女の事を知らなかった。
頻繁に城を訪れていた令嬢ではあったが、彼の視界は彼女を留めなかったのだ。
思わず口から飛び出してしまった言葉は、彼女の耳にまで届いてしまった様で、目が合った瞬間「大丈夫よ」という表情で微笑まれる。
ドキン。
と、心臓が一つ跳ねたのは、きっと気のせい。という事にしておく。
「だって。その子は犯人じゃないもの」
その場にいた大勢に聞こえる様に声を張り上げた少女は、その場の人間皆の視線を集めてしまった。
そして、そのまま言葉を続ける。
「みんな、この子がルチア様の部屋に入る所を見たの?」
「……」
「この子がそのペンを持っている所を見たの?」
「……」
自分を見る侍従たち一人一人の目を見ながら確認するかの様に語り掛けるが、誰一人として肯定の返事はない。
「なら、彼を疑うのは早いんでなくて?」
確たる証拠もなく疑うのは良くないと、ごくごく当たり前の事を述べている。
だが、こうして幼い子どもが年上に向かって諭すという構図は普通は角が立つというものだが、誰一人として彼女に掴みかかろうとはしない。
恐らく身分のある令嬢なのだろうという事は想像するに容易い。
「あちらの方にカラスが巣を作っているのを皆さんはご存知かしら?」
彼女は先程自分が歩いて来た方に視線を向ける。
「以前も王妃様の宝石を咥えてカラスが巣に戻るのを、アデーニが見ていたのでしょう?ルチア様がカラスの賢さについて話しておりました。その時の巣は庭師が撤去したみたいですけど、また子育ての時期がきたみたいですね。丁度、私たちからは死角になる部分にカラスが巣を作ってましたよ。彼らは光るもので遊ぶのが好きみたいですし、ペンを無くした時、窓も開いていたと聞きましたから」
あちらの方を探してみたらいかがですか?
と、続く言葉に、侍従たちに呼ばれたであろう庭師が大急ぎでやって来て、彼女の指す樹木に梯子を架けた。
周りの皆の視線を浴びながら庭師が梯子を登り、その先にあるカラスの巣を覗いている。
巣の主が居なくて良かった。
今は攻撃される心配もないが、早く目的の物を探し出さなければ、我が家を荒らす敵と認識され、襲われてしまう。
皆の注目が集まる中、巣を覗いた庭師はゆっくりと降りて来ると、令嬢の目の前で握っていた手を開いて見せた。
「……」
彼女は口にはしなかったが、庭師の手の平にはペンが一本。
令嬢を取り囲む様に見ていた従者たちもそれを確認した者たちから居心地の悪そうな空気が漂い始める。
「だめよ。確認もしていないのに決めつけたりしては」
その気まずそうな雰囲気を感じ取った令嬢は、自分たちを囲む侍従たちに聞こえる様に話し始める。
「人を傷付けるのは刃物や暴力ばかりでなく、無意識に発せられる言葉も同じですわ。それは、悪意があるなしに関わらず。加えて目に見えないからこそ心に傷をつけてしまうのですよ。しかも、まだ私と同じ年くらいなのに。人生の先輩方である皆さんが信じてあげなくてどうするんですの?」
それは五歳の小娘が放つ言葉にしては、違和感がありすぎる程に大人びた言葉。
揺るぎない姿勢。
だが、ルカはそんな彼女に助けられた。
真っ直ぐ大人たちを見上げるその姿は神々しく、思い出してしまった苦い記憶まで、彼女に上書きされてしまった。
それからの記憶は曖昧だった。
自分たちを囲っていた城の侍従たちが謝罪をしてくれた所までは覚えている。
ルカが人質とはいえ、一国の王子という事も何かのついでに思い出してくれたらしい。部屋へ戻るとわざわざ王太子の側仕えしている人間が頭を下げにきていた。
自分に仕えていない側近の名も初めに告げられはしたが、顔も含め既に忘れた。
けれど、そこで彼が漏らした名だけははっきり心に刻まれた。
ルカの汚名を晴らしてくれた令嬢の名。
メリッサ・ブリーズ。
「メリッサ」
彼女の佇まいを思い出し、唇で名をなぞる。
あの時、ひとつ跳ねた気持ちは育つ前に、ルカの心の奥に、どぷんと沈み込んでしまう。
僕はあの子に助けられた。
自分に向けられる敵意から。
人質としてラフトゥ国に来てから、いいことは何もないと周りを見ようとしてこなかった自分の汚れた心から。
闇に沈みそうになった僕に差した光。
メリッサの存在を認識してからというもの、ルカが城内で彼女を見掛ける事が増えた。
大抵は侍女を付き従わせ、庭を散歩したり、城内の図書室で本を広げていたりした彼女。
二人とも行動範囲が同じだったというのに、今の今まで気に留めもしなかったのは何故だろう。と、ルカは不思議に思う。
しかし姿を見ても声を掛ける勇気が持てなかったのは、彼女が城で過ごすどの時間も全て、この国の王太子に会う為の時間潰しだという事を知ってしまったから。
あの時の凛とした表情とは全然違う。
ルチアの言葉に反応して頬を染め、目を細め恥ずかしそうに笑うその表情は、メリッサ自身を飾らず見せている様で、とても魅力的だ。
身分ある者。己の感情を表に出してはならないと厳しく教えられているが、ルカたちはまだ幼い。
嫌な事には眉を顰め。
嬉しい事があれば歯を見せ笑い。
困った事があれば口角を下げる。
城に関わる人間達には背筋を伸ばし、真っ直ぐな声で臆する事なく間違いを正そうとするメリッサは、姿だけが幼い未来の王妃に見えてしまう。
眩しい光。
あの日からなんとなく、城の人間が僕に対する当たりが優しくなったとルカは感じていた。
姿を見つける度にそれに対する礼を言おうとするのだが、あと一歩の勇気が出ず、常に見ている事しか出来ない自分が恨めしく感じていた。
メリッサとのすれ違い様に、近くにいた人間に彼女について聞いてみると、王太子の婚約者の一人だと教えてくれた。
それ以来、ルカはただでさえ印象悪く思っていた彼が余計に嫌いになった。
自分に対して意地悪をしてきた事なんてない。
接点なんて何もない。
見た目もいいし、見ていて苦手な事なんてなさそうだ。
なにより、彼女の笑顔を独り占めできる立場。
一方、メリッサに近付けもしないルカ。
そうして自分からは関わりに行けず、しばらく観察を続けていると、彼女の周りを取り囲むのは、同じ年くらいの令嬢ばかりということに気が付いた。
僕も女の子になれば側に行ってもいいかな。
そう考えたルカは、その為にまず、短く整えられた髪を伸ばすところから始めた。
中途半端な長さは慣れない内は煩わしく感じたが、櫛を通し、香油を塗って手入れを続けると、手触りも良く、次第に長く伸びる髪に愛着も湧いてきた。
その次に社交の場で麗しいと噂にあがる令嬢たちよりも女性らしくあろうと、仕草を学び、言葉遣いを真似し、些細な話題にも耳を傾け、自身の手入れに勤んだ。
だが彼は女性になりたい訳ではなかった。
故に、人目に触れぬ場所で、身体を鍛える為の鍛錬は欠かさず行っていた。
勉学はどんな姿でも出来るのでなんの問題もなかったが、剣を払ったり武術を習うには、女性の姿をしていては目立ってしまう。
あくまでも、彼女の隣にいる権利を得る為にはそうするしかなかったというだけで、本当なら、偽りのない姿で彼女の隣に並びたかった。
けれど、それは既に婚約者のいるメリッサを取り囲む周りが許してはくれないだろうし、何よりルカは人質として来ている。
だから、少しでも彼女の目に留まる様に努力を重ね続け、やっとメリッサの方から興味を持って近付いてきてくれた。
「あなた。何処かで?」
意識し始めてからほぼ初めて彼女から声を掛けてくれて、ルカは一瞬舞い上がった。
初めて会った日のことを覚えていてくれたら嬉しいが、きっとあの時の事など彼女は覚えてなどいない。
ルカがずっとメリッサを見つめていた年月分、互いに成長したし、外見だって全く違う。
むしろ、本当は何度も場内で会っているし、数える程しかないが、言葉を交わした事だってある。
どの時もルカは忘れた事はない。
だが、ルカは嘘をついた。
「はじめましてメリッサ様。ルカ・エーヴィヒと申します」
彼女の心に残る様。見事なカーツィだと思ってもらえる様、この日の為に毎日練習してきた。
全ては彼女の側にいたいと願った心のままに。
既に胸の奥で燻っている気持ちの正体の名を気付いていながらも、彼女の側にいる為に、ルカは全てに蓋をして、メリッサに近づいた。
女の子の姿をして。




