23,月は、まだ
叡智の塔。誰が造ったかもわからない世界で最も高い塔である。
塔の最高部には魔女がいる。薔薇の魔女のように人に危害を加える魔女ではなくいつも塔の中で静寂と紙の匂いをまとい毎日一人で本を読んでいる。
その静寂を破り、部屋で今日も扉を開く音がする。どうやら今日も客が来たようだ。
「今日も来たのかい。…おや、今日はソフィアと一緒じゃないのかい?」
「今日、ソフィアさんはマーキュリーに行ってます。なんか…騎士団のことで話があるみたいです。」
一人で来たこの男は何と薔薇の魔女を倒そうと企んでいる。荒唐無稽という言葉がよく似合う事を諦めずに取り組んでいる。名前は戸田浩介というらしい。何とも珍しい名前の彼に少し興味を塔の魔女は持っていた。魔女はコウスケに質問を一つした。
「どうなんだい?倒すことは出来そうかい?」
「うーん…。なんとなく見えてきました。でも足りないものがまだありますね。」
彼は肩を落としながらため息交じりに現状を伝えた。
「はじめと比べればかなり上出来だよ。足りないものはなんだい?教えてくれれば私の知恵を少し貸すよ。」
「やっぱり”魔女の行動の制限”です。傾向があるといっても自由に行動されると作戦に確実に影響が出ると思います。魔女の手札が全部わかっているわけでもないですし…。まあ、薔薇の魔女を討伐において魔女の攻撃を耐えうる手段を練るためにも魔女の行動を制限することが必要なんですけど…」
コウスケは自信なさげにうつむいた。心なしか表情が少し曇ったように見えた。
「自信のある案が浮かばないというわけだね。」
「まあ…。はい。」
塔の魔女は読んでいた本を閉じて、人差し指を立てた。
「それなら一つ考えがあるよ。」
「あるんですか!?教えてください!」
少年のようにコウスケは目を輝かせて塔の魔女に続きを促そうとした。塔の魔女はその興奮気味の彼に対して低いトーンになった。
「話をする前に一つ確認したいことがある。」
「何ですか?」
塔の魔女はコウスケの目をまっすぐ見た。コウスケも目線をそらさずまっすぐ魔女の目を見返した。
「アンタが少し努力する必要があるけど、やるかい?」
迷う余地などない。この問いに対するコウスケの選択肢は一つだけだ。
「もちろんです。やります。」
***
薔薇の魔女の襲撃から幾日か経った。メルクリウス王国王都マーキュリーには閉まっていた商店が開き、かつての姿が少しずつではあるがよみがえっていた。
王国からは討伐隊がほぼ壊滅したという情報は伏せられ、薔薇の魔女の襲撃はしばらくはないことだけが発表され、それとともに戒厳令は解除された。この報を受け王都や他の住民たちは、薔薇の魔女が退治されていないことを察しはしたが、それぞれが不安はあれど日常へと戻りつつあるようだ。
王城もかつての様子を取り戻しつつあった。前のような落ち着かない様子は消えつつあり、貴族たちはいつものように権益を増やすことに力を注いでいる。強いて言うならスザンナ=クルスという爆弾の処理をウルカヌス公国へどのように丸投げしようかということに興味が集まっていた。
そんないつもと変わらない静かなメルクリウス王国王城に珍客が訪れた。接待を任されたのは宰相アイデン・スミス。接待と言っても小ぶりな部屋で紅茶も出さずに珍客をもてなしている。いや接待というよりは珍客が絡んでいるだけに過ぎないのかもしれない。
「君が来るとはね。びっくりしたよコウスケ君。」
「こうやってゆっくり喋るのは初めてかもしれませんね。スミスさん。」
絡んでくる珍客の名はトダコウスケ。現在ベイリー家に預けられている迷子だ。
「挨拶はこのくらいにしてどんな要件出来たのか教えてもらおうかな。」
「薔薇の魔女を討伐する作戦を考えました。その作戦を実行する上でスミスさんの協力が必要なので協力してもらうために来ました。」
「わかったよコウスケ君。わざわざ遠いところまで来てくれてありがとう。ベイリーさんの家に帰って休むといい。」
コウスケの作戦も聞かずに宰相は立上り彼に帰りを促した。
「いや。ちょっと待ってくださいよスミスさん。話を聞くだけでもいいじゃないですか。」
「良くはないね。」
宰相は聞く耳を持たない。しかし、コウスケはそんなことは予測済みだ。王城に赴く際にアイデン・スミスという男がどんな男か聞いていた。
彼は自分に利益がないと思ったことには手を出さない。というのが彼女が言っていたアイデン・スミスという男だ。しかし直接「スミスさんに利益がありますよ」と言っても彼は乗ってこない。だからその為にベイリーさんと説得するための台本を考えてもらった。
「スミスさん。またそう遠くない未来に薔薇の魔女がこの国に出現するって俺が言ったらどうします。」
台本通りのセリフに宰相がピクリと動いた。良かった。興味を持ってもらえたみたいだ。
「そんなことを言えば僕が少し話を聞くとでも思ったのかい。ただの脅しなら本当に帰ってもらうけど。」
「…。」
「ベイリーさんの入れ知恵かな。根拠がないことを言っても僕は話を聞くわけではないよ。」
「根拠ならありますよ。」
「それは信用に足るものかい?」
コウスケは静かにうなずいた。
「話を聞かせてもらおうかな。コウスケ君。」
椅子に座って話の続きを促す。どうやら宰相は本格的に興味を持ったようだ。
「二日ほど前にテュポーンにソフィアさんと行ってきたんですよ。その時にクルス孤児院跡地に寄ったんです。その時にこんな本を見つけました。」
コウスケはベイリー家の屋敷から持ってきた数少ない日本からの遺物である通学用カバンから<不老計画>と書かれた本を取り出した。
「なんて書いてあるんだいこの本は?」
「不老計画と書いてあります。古代タルタロス語で書かれてある書物です。この書物には魔法がかけられていて、クルス孤児院の資料室の中でしか中身を読むことができないんです。」
「で内容はどんなことが書いてあるのかな。」
「中身は薔薇の魔女に関して今まで謎に包まれていた部分が説明されていました。実験結果という項目もあったのでかなり信頼できると思います。詳細はメモにまとめました」
「ほう。」
コウスケはメモを渡したが宰相はメモを眺めることもなくコウスケの方をじっくりと見た。
「噓をついているようには見えないな。よし、この本を古代タルタロス語が読めるものと共に旧クルス孤児院へと行こう話はそれからだ。コウスケ君。」
***
古代タルタロス語は死語の一種だ。自然言語としての日常話者は150年ほど前に絶滅してしまった為、今では話せるものはなく、字だけを媒体として残っていた言語だったが、テュポーン壊滅の折、本も混乱による失火で消滅してしまった。そのため、資料が限られ読むことも難しいとされている言語だ。
クルス孤児院に行くまで丸一日、それから本の内容とメモのすり合わせに三日ほど、そして、王都マーキュリーに帰ってくるまでまた丸一日。結果五日ほどたってから今度はソフィアさんと一緒に王城に召喚された。
「結論から言うと、素晴らしい発見だよコウスケ君。大金星だ。さて、話があるんだったね、聞かせてくれないかな。」
「わかりました。」
コウスケは息を軽く吸ってから話を始めた。
「今、自分たちが薔薇の魔女を退治するために必要な情報の中で最も欠けているのが出現の特定です。そこが対策が立てずらく、薔薇の魔女が災害扱いされる要因の一つですが、それを特定するためにいくつかこの本の情報をもとに俺なりに考えてみました。」
そして、コウスケはメモを見ながら宰相は黙って話を聞いている。
「まず不老計画は孤児院で匿われている子供たち。すなわち“不老児”が薔薇の魔女に生贄にささげることで薔薇の魔女を使役するという計画です。この計画は一部は成功し、恐らく100年ほどの薔薇の魔女の活動休止期間には使役するというところまでいかなくても、少なくとも一部で成功できたと考えます。となると薔薇の魔女には生贄が、というよりも不老児が必要不可欠なものであるという事が推察されます。この過程をもとに俺は日時を割り出したいと思います。」
「聞かせてくれないか。」
机にコウスケは屋敷から持ってきた自分のノートを置いた。そのノートには表が記してあった。
ローラ、アレン、マージェリー、ケアリー。メイナード、サム、などの人名と数字が記してあった。
「なんだいこれは?」
「魔女にささげられてしまった不老児の方々とそれが行われた年の羅列です。三年や七年などまちまちでしたが、平均すると五年ほどでした。そして最後の不老児が捧げられた日付はテュポーン壊滅と同じ日でした。」
表をしばし見た後に宰相はうなずいた。
「なるほど。テュポーン壊滅は最後の生贄が捧げられた日に行われた。それと同時に計画がとん挫し、生贄として優秀な不老児が手にいられなくなったという事か。」
「そうです。宰相と同じく何らかの理由で薔薇の魔女に必要な不老児の供給源がテュポーン壊滅によって断たれたと考えます。それから不老児がどうなったのか全員を調べることはできませんでしたが、恐らく魔女は消息を一人だけ追うことができた。」
「それがクルスさんというわけか。」
宰相は顎に手を当てた。
「うーん、クルスさんのところに恐らく今年出るだろうとは分かるが、それでは絞りきれたことにならなくないかい?」
「絞ることができます。魔女に生贄を捧げる行為は満月の翌日に行われることとが多いです。不老計画が行なわれていた初めから満月の翌日に行っています。現にこの前も満月の翌日に行動していました。だから今回も満月の翌日に行動すると思います。」
「ほう。で場所はどう絞り込むんだい。」
「それは、魔女が生贄をなぜ欲しているのかはわかりませんが強く欲しがっているのは事実です。そして魔女はスザンナさんが生贄になることを望んでいます。とすると場所も特定できると思いませんか。」
「満月の次の日、そしてクルスさんのいる場所か。」
「そういうことです。」
スミスは唸りながらまだ顎に手を当てて考えている。そして手を叩いた。
「わかった。そこまでわかっているならその作戦を採用しよう。」
「え。まだ作戦も聞いていないのにいいんですか。」
「大丈夫だ。細かいところを聞いていけば今の説明にも質問したいところはあるが、一応根拠のある理論にもとづいているようだし、それに作戦でまずいところがあれば後ろにいるベイリーさんが軌道修正してくれるだろうし僕は君たちを信じることにするよ。」
「あ…ありがとうございます!!」
本心からの感謝を込めて頭を下げた。
「礼を言うには早いよコウスケ君。で僕は何をすればいいんだい?」
「この作戦はスザンナさんが生きていることを前提にしているので彼女を殺さないでください。それと、この作戦が成功したら、スザンナさんを解放してあげてください。」
「わかったよ。では僕は公国と折衝にあたるとしよう。では健闘を祈る」
宰相は部屋を出て、その後に俺たちも王城を出た。
***
ベイリー家の屋敷の庭は黒薔薇園になった。ベイリンガムの草木は枯れ、荒野になった。避難した住民はまだ戻ってこない。空き家だらけになり誰もいなくなったその町に乾いた風が吹いた。
ベイリー家の屋敷へ戻り、俺はソフィアさんと作戦を彼女の部屋で相談していた。半月の夜は少し肌寒かった。
「薔薇の魔女の出現する日時についてあらかた決めることができたのは良いことだが、まだ作戦を聞いていなかったな。詳しい作戦を聞く前にどういう風に魔女を倒そうと考えている?」
「魔女の急所である”魔女の心臓”を何らかの形で攻撃を加え倒そうと考えています。どこに薔薇の魔女の心臓があるのか正直まだわかりませんが、それを最終目標にします。」
「わかった。では作戦を聞こう。」
コウスケはうなずいた。
「作戦の概要としては、薔薇の魔女の行動を制限してその間に魔女の討伐を目指すことになります。残念なことに正面から薔薇の魔女と当たっても勝てる確率として限りなく低いと考えます。だから姑息ではありますが正面から当たらずにできるだけこちらのアドバンテージを多くして挑もうと考えています。そのために戦う場所を誘導したいと思います。それがこの作戦の肝の部分です。関係のない人達に被害が出るのもいけないので場所は人口の少ない場所にしたいです。」
「なるほどな。で、その場所に心当たりはあるのか?」
ソフィアからコウスケは目をそらし、視線を下に落とした。
「ない…です。見晴らしが良くてかつ、誘導に失敗したときに避難する場所があるところってありますかね。」
ソフィアさんは”うーん”とうなった後に一つの提案をした。
「薔薇の魔女をどこへ誘導するのかという問題だが、私はヴォルカスを提案したい。」
「ヴォルカス?」
聞きなれない言葉にコウスケはオウム返しをした。
「公国の北端にある町で、畑が多く見晴らしがとても良い。火山が噴火した時のための避難用の壕が四基ほどあるらしいが、私たちが下手を打って誘導に失敗したときにそこに避難できるし魔女が身を隠せそうなところも主にその四つを潰せばいいからな。我が国には避難シェルターはないから身を隠せそうな場所がない。だが公国の領土だから私が提案しても受け入れてくれるかは分からない。」
「いいえ、そこを中心に考えましょう。」
「で、どうやって誘導するんだ?」
「俺が囮になります。魔女はスザンナさんの場所を聞いてくると思うので、それで指定の場所に魔女を向かわせたいと思います。それが成功したらソフィアさんに戦闘をゆだねることになります。…すみません。毎度のように負担の大きいところを任せることになります。」
「それは構わないさ。次に誘導に成功した時のパターンを聞きたいんだが、その前に。」
「何ですか?」
「薔薇の魔女の攻撃をどのように防ぐ?あの苛烈な攻撃を避けるのは至難の業だと思うぞ。」
農村のヴォルカスで一人たりとも薔薇にさせられるわけにはいかない。それはその土地を殺すことにほかならない。
それを含めて対策すべき攻撃手段は主に四つ。出現したときの爆発、茨による拘束、人体が裂かれるほどの衝撃波、何より魔女に接近攻撃を加えようとすれば薔薇に変えられてしまい、仮死状態に陥る。魔女よりも射程の短い攻撃手段しか持ち合わせてない今の二人にこの攻撃を防ぐ手段などあるのだろうか。
「それですか?大丈夫です。答えは出てます。後で話しますね。」
自信ありげにコウスケは応じた。