1-08『櫻井大輝は冷や汗を悟らせない』
どういうことだろう。
どういうことだろう(一秒振り二回目の出場)。
「ま、待て。待ってくれ、岳。お前、いったいそんな話、どこから」
「まあまあまあ。わかってるさ、聞かれたくないんだろ? ちょっと場所変えようや」
「お、おい……」
そのまま大輝は、岳に連れ出される形で教室を出た。
ひと気のない方向へと進み、廊下の片隅で密談する形になる。
「なあ、岳。さっきも訊いたけど、いったいどこからそんな話を――」
ようやく立ち止まって訊こうとする大輝。
けれど、それに岳は首を横に振って。
「いいんだよ、大輝。皆まで言わなくていい。オレも、根掘り葉掘り訊こうとは思わんさ」
「いや、むしろ俺のほうが、皆まで言ってほしいんだが? 根掘り葉掘り訊きたいんだがいろいろ詳しく!」
「ああ悪い、そうだな。いや実は聞いたんだよ。昨日、お前らがふたりでデートしてたってな」
「は? いやちょ、それだけで――」
付き合っているだなんて、短絡的にも程がある。
確かに、わざわざふたりで、というのは滅多にあることじゃなかった。意味を見出そうとするのもわからなくはない。
だが、かといってそれだけで「おめでとう」と言われる理由はないはずなのだが。
混乱する大輝。
それに構わず岳は続けて、
「あの店……《のどか屋》ってトコ。行ってたんだろ? 実はあそこでちょっと前から、オレの姉貴がバイト始めててな。そこでお前らを見たって話だったんだよ」
「え」
「しかも聞いたぜ? まあ大声じゃ言わねえが、そこでお前、陽菜と抱き合ってたって話じゃねえか」
「いや」
「その分だと、やっぱ前から隠れて付き合ってたんだろ? 実はそこそこ噂にはなってたけど、ようやく確証を得たってわけだ!」
「ちょ」
「お前らも水臭いよなー、実際。せめてオレらには言ってもよかっただろうよ!」
この野郎、だなんて冗談ぶって言う岳に首を絞められる大輝だったが、頭の回転が追いついていない。
彼がもたらした新出情報の数々で、頭がいっぱいだったのだ。
姉が店員だった? 俺と陽菜が抱き合ってた? 前から隠れて付き合ってた……?
最初のひとつ目はともかく、後ろふたつは事実無根だ。
確かに、少し前からお互いの恋愛相談で、顔を合わせる機会は多かった。
それを隠してもいたから、ちょっと前から密会があったことは事実だ。
だが、断じて付き合っていたわけではない。
それに、抱き合っていたという件に関してはもはやパーフェクトに大嘘である。
せいぜい握手をしたくらいだ。見間違うのだって難しいだろう。
それが抱き合ってたって……いったいどんだけバイアスをかけているのか。
「ま、待て待て。そんなこと、いやちょっと待て!」
まずい。まずすぎる。非常にまずい。
フラれたばっかりでもう次の相手を見つけているとか、外聞が悪いにも限度があった。
岳たちは――というか普通は、大輝と陽菜がフラれたばかりだと知らない。
だが、それを知っている人間も存在する。
言うまでもない。
大輝の幼馴染み――小野七海。
陽菜の幼馴染み――安藤翔太。
よりにもよって、絶対に勘違いされたくないふたりにだけ、ピンポイントで最悪の誤解が降り注いでしまう。
なぁにそれ?
大輝の目の前は一瞬で真っ暗になった。
「おいおい、あまり大声を出すな。お前らの動向は今、クラス中の注目の的だぜ?」
自分から話しかけてきておいてそんなことを言い出す岳。
この野郎はお前やろうが。大輝は思った。
――そんな冗談を考えている場合ではなかった。
「ま、でも実際、収まるとこに収まったって感じだな。このあと荒れるぜ?」
誤解を解こうとする大輝。
それに先んずるように岳は語った。
「あ……、荒れるって?」
「いや。これは別にお前らが悪いってわけじゃないんだが。やっぱ目立つだろ? それにモテる」
「えー……と」
「だから実際、お前らがフリーでいるってのはよくも悪くも影響力があったからな。そこが固まったとなれば、安心できる連中だっているだろ? いや実際、オレも好みの女に、お前を紹介するなんてのは怖いからな?」
「――――」
「そういう意味でも喜んでる連中は多いだろ。まあ悲しむ奴もそりゃいるだろうけど、元から無理筋だからなあ。その意味で言えば、純粋に祝福してやるのがいちばんだと思ったわけさ」
そう言われてしまうと、なんだろう。
非常に、こう……それは誤解ですとは言いづらくなる。
冷や汗が背中を流れていた。
なんだろう。
なんだこれ。
なんだか世界が、非常にダメな方向へと進んでいる――そんな気がして仕方ない。
「というわけで、大輝」
果たして。
その証拠とばかりに、岳は言った。
「実は。さっそくだがちょっと相談に乗ってほしくてだな?」
「……あの、」
「オレ、隠してたけど、実は千尋のこと、結構いいなって思っててさ」
「…………」
「大輝は彼女できたんだし。ちょっと協力してくんね?」
それから。
しばらくの間があってから。
大輝は言った。
「……すみませんがその件は一旦持ち帰らせていただきのちほど上と相談してから日を改めてご返答させていただくという形でよろしいでしょうか」
もうダメかもわからんね。
※
などといって諦められるはずもない。
どうする。
どうするべきなのか。
結局、大輝は一旦、誤解を棚上げにしてしまった。
そもそも解くのも難しいだろう。
なにせ以前から、絶えず噂に晒されてきたふたりである。信じる者は多いし、なんならもう付き合っているものと認識していた者もいるはずだ。
これを否定するには2パターンの方法しかない。
ひとつ、――単に強く言う。
頑なに否定すれば、少なくとも信じてくれる者はいるだろう。
けれどそれは、無駄に険悪になってしまう可能性を秘めているし、はっきり言ってリスクほどの効果も見込めない。
今回、朝のうちにもう《噂が広まり切っている》ことが、大輝の行動を留めたいちばんの要因だった。
たぶん岳が言っていた件だけではない。
最悪のタイミングで、何か他の要因と被った可能性に大輝は思い当たっていた。
でなければ、こうも見事に最速で噂が広まるものか。
――何かしらの意図を感じざるを得なかった。
もうひとつ、この噂を収束させる方法がないわけでもないのだが……。
その手も、できれば選びたくない。保留を選んだ大輝の判断は、リスクを抑えるという意味では正しかっただろう。
ゆえに大輝は、トイレに寄ると適当言って岳と別れ、そのまま陽菜に連絡を取った。
トイレの個室内でアプリを起動し、陽菜のアカウントにメッセージを送る。
タイキ:今どこ
リアクションはすぐにあった。
ヒナ :どこって
ヒナ :ふつうに通学中だけど
大輝はメッセージを送る。
タイキ:今すぐ会いたい
タイキ:今すぐ
タイキ:学校までどれくらいかかる?
ヒナ :どしたの
タイキ:なんなら迎えに行く
ヒナ :もうすぐ着くよ
ヒナ :どこ行けばいい?
陽菜も怪訝には思ったようだが、大輝の様子が尋常ではないとは察したらしい。
詳しいことは訊かずに、会ってから話すことに決めたようだ。そういうところは実に助かる、と大輝は思う。
タイキ:昇降口上のラウンジで待ってる
メッセージを送り、それからスマホを仕舞って大輝はトイレを後にする。
まずは、なんとしても陽菜と会い、今後の方針を固め、口裏を合わせる必要がある。
正直、てんてこ舞いなのだ。
フラれるわ縁を切られるわ理由は謎だわ挙句にこの事態だわ。
大輝の処理能力にだって限界があるのだ。まず、ひとまずとりあえず落ち着きたい。
あと十分ちょっとでホームルーム前のチャイムが鳴る。
大輝は人の流れに逆らって、この時間には誰も来ないラウンジまでやって来た。
自販機とベンチ、テーブルが設置されており、校内に数か所ある。
陽菜がやって来るまで、コーヒーでも買って落ち着こう。そういう判断だったのだが――。
そこに。
予想外の人物がいて。
「……あ」
と、相手が目を見開く。
大輝は目を閉じたくなってしまった。
「…………」
その相手は、少しだけ驚いたような表情を見せて。
きょろきょろと視線を動かし、辺りに誰もいないことを確認すると。
「わざわざ、こんなところまで会いに来るかなあ」
「い、や……その」
「もう、学校では話さないようにしようって――そう言ったじゃん」
彼女は言った。
自分を捨てた幼馴染み。
自分を振った、ずっと好きだった女の子。
小野七海が、困ったような表情で、その両手にコーヒーの缶を抱えていた。




