1-05『鳴海陽菜は納得いかない』
喫茶《のどか屋》の手洗いで、鏡を見ながら鳴海陽菜は思った。
「やっぱ私めっちゃ美少女だよな……」
じゃなくて。
そうじゃなくて。
「……はあ。本当にフラれたのかあ。いやフラれたっていうか……、うん」
正確には《絶縁された》が正しい状態である。
今後は他人に戻りましょう、なんて。
離婚でもしなきゃ言われないような台詞を、結婚もしていないのに言われてしまうとは。
人生、わからないものである。
――じゃなくて。
そうじゃなくて。
鏡の中にいる自分――普段の美貌の数割が失われ、絶世の美少女から凡百の美少女くらいに型落ちした鳴海陽菜。
表情は暗く、メイクも落としているのに、その肌艶は変わらない。
少しだけ赤みがかった長い黒髪が、陽菜の特徴である。地毛でちょっと赤入ってるのがポイントである。
手入れは万全だから、友人たちにも綺麗で羨ましいと言われるのが自慢だ。
スタイルだって抜群と言っていいレベル。外見的な不満を――もちろん維持する努力は込みだが――自分に抱いたことはない。爪を整え、食事バランスを考慮し、運動に励むことを彼女は楽しんでいる。
成績だって、毎回トップクラスを維持していた。
ライバルとなるのは目下、櫻井大輝。教科ごとに勝ち負けを繰り返しているが、総合順位で負け越しているのがちょっとした不満だったりする。
そう。確か一年の最初の中間のときのこと。
当時から大輝は目立っていたし、陽菜ともよく話していたが――それでも自信満々だった総合順位で、二位だったことがきっかけで仲が深まったんだったと思う。
当人はもちろん、誰にも話したことはないけれど。
正直、あれは悔しかった。
まあ要するに、そういう意味で櫻井大輝は、陽菜にとっていい意味で《張り合える》相手だった。
お互い仲のいい友人だし、その部分は否定しない。馬の合う得難い相手だと思う。
けれど重要なのは、そういった要素を飛び越えて競い合える、言ってみればライバルに近い関係だということ。
陽菜に《強敵》と書いて《とも》と読むような趣味はないけれど、それでも近いレベルで、何を言わずともこちらの意思通り対抗してくれる大輝とは、ほかの友人たちともまた違った関係を築いている。
彼に出会えなければ、陽菜の努力もあるいはどこかで終わっていたのかもしれない。
そんなふうに、今となっては想像するほど。
けれど、その全ては昨日、あの日のための行いだったのだ。
恋焦がれる幼馴染み――安藤翔太。
彼に告白するとき、それに恥じない自分であれるよう。
全ては、そのために重ねてきた努力だったのだ。
まあ全部パーになったわけなんですが。
どうしてこうなったんだろう。
陽菜にはわからない。想像すらつかなかった。本当にマジで欠片もわからない。
そんなものは反省のしようすらない。
乗り越えようがないし、克服しようがない。
どうしようもない。
ここまでどうしようもない事態、もしかしたら人生で初めてかもしれない。
「……何がダメだっての」
正直、相応しいだけの努力はしてきた自負がある。
告白するとき、もし努力が足りずにフラれたら後悔してもしきれない。
それがわかっていたから、だから陽菜は自分を磨いてきた。
それが、なんだ。
努力したことすら意味がなく、どころか嫌われてしまうのだとしたら――初めから希望はなかったというのか。
そんなの、納得できるはずがなかった。
「なんで私がこんな気持ちにならなくちゃいけないわけ……?」
考えていると、だんだん腹が立ってきてしまう。
何に? いや別に、自分を振った幼馴染みが嫌いになったというわけではない。
そういうことではなくて、なんというか、もっと大きな枠組みに。
世界とか社会とか運命とか宿痾とか、そういうどうしようもない大きなものに怒りを覚え始めている。
さきほど、そういえば大輝も言っていたではないか。
今、これを見ている神様的な俯瞰者は、きっと大爆笑に違いないと。
――だったら。
※
「だったら見返すしかないでしょーが!」
「お前マジで何言ってんだ?」
いつもなら打てば響く大輝が、かなりマジ気味の疑問を視線に込めてそう言った。
回転の遅い。理解が早いのが取り柄のくせに、それを失ってどうする。陽菜は大輝を睨んだ。
「そんな目で見られても知らねえよ……」
ジト目の大輝。陽菜は、説得するように言葉を重ねる。
「いい? 冷静に思い直してもらいたいわけ」
「……、何を?」
「もちろん。私たちがフラれるに値する人間だったかどうか、ってことを」
「は?」
正面の大輝は、腹の立つ顔で口を開ける。
ちょっと引っぱたきたくなったが、陽菜は大人なのでそんなことしない。
「真面目に聞いてほしいんだけど」
「そう言われてもな。フラれるに値するって……なんだその表現? 値も何もフラれてんだから話終わりだろ」
「じゃあ訊くけど、大輝。私たちはいったい何が悪かったんだと思う?」
「そ、れは……お前」
大輝は言い淀んだ。
当然だ。だって本当に何も心当たりがない。
それを隙と見て、さらに切り込む陽菜。
「そう! 何も悪くなかったの!」
「……いや、あの、俺はそこまでは言ってないけど」
「何も! 悪く! なかったの!!」
躊躇う大輝を、陽菜は断言で押し切る。
実際、間違ったことは言っていないつもりだ。
「それ相応の努力は重ねてきた。告白が成功するように、運動も勉強もがんばって、人間として恥じないように生きてきた――そうでしょ? その不断の努力が、こんなふうに裏切られるなんてことがあっていいとでも?」
「それに頷くのは違う意味で嫌なんだが……」
なんだかナルシストみたいだし。
そう思う一方、けれど大輝にも一定の自負はあるのだ。
「まあ、これでダメなら、もうどうしようもねえな、とは正直思う」
――なにせ完璧な作戦だったのだ。
学校一の美男子たる俺がほかの女には目もくれず完璧なデートプランを仕上げて夜景と共に素敵な告白!
アナタのハートを狙い撃ちでありフラれることのあろうはずがなかったのだ。
でもフラれたのだ。
「あれ? そう考えると確かに納得いかなくなってきた……いったい俺の何がダメだってんだ?」
「そうでしょ?」
「そうだよ。完璧な作戦だったんだよ。そのために努力してきたんだよ! それが報われるどころか友人としてすら切り捨てられるだって? なぜだ。あり得ない! どうしてこんなことになるっていうんだ!!」
「そうでしょ!?」
「確かに考えると腹立ってくるな。世の中の全てのカップルがムカついてきた。いったいどこの誰が俺より努力してる? いったい誰なら俺以上に七海を幸せにしてやれるというんだ!?」
「そうでしょ!!」
盛り上がってくるふたりだった。
――はい。
もう、ご理解いただけたことと思うが。
このふたり、要領よく勉強ができてしまうタイプの、
――新手のアホである。




