1-13『安藤翔太は同類を見つける』
――帰ってくんねえかなー。
正直に言えば、翔太はそう思っていた。
こちらは別に大丈夫なので。
本当、小野さんがキャンプ場でアホみたいにはっちゃけてたとか、誰にもチクらないので。
なんならチクる相手がそもそもいませんので。
笑うところですよ?
みたいなことを考える翔太の目の前で、小野七海は曖昧な笑みを浮かべている。
「え、えっと。あはは……」
「…………」
「あ、あ……安藤くんは、その……ひ、ひとり?」
「……まあ、見ての通りというか」
「ご、ごめん……怒った?」
「いや、怒ってない。そんなことで怒らないよ」
「そ、そうなんだ。安藤くんは優しいねっ!」
「……えーと。そういう小野さんのほうはどうなの。ひとりで来たってことはないんでしょ?」
だいぶ空気がいたたまれない。
あのあと、七海は果たして何を思ったのか、急に翔太の機嫌を取り始めた。
まあ、この時点までは翔太のほうも悪かったかな……なんて思う。
大声を出さなければ、あるいは聞いていない振りをしてあげることができたかもしれない。
こんな開けた場所で、あからさまにテントも張ってあって、それでも油断した七海が明らかに悪いのだが。
それでもまあ、空気を読んであげることならできたはずだと思う翔太だ。
空気を読むことだけが特技だと言ってもいい。
翔太も翔太で「ええと。な、なんか……お茶でも飲む?」などと誘ってしまったのは失態だったが。
実は、断られること前提で誘っていた。
それを断ればここに用がないという意味に繋がり、彼女もそのまま自然に帰れるだろう、と。
思っていたのに、七海は「あ……えと、じゃあ……いただきます」と答えた。
答えてしまってくれちゃっていた。
――え、本当に飲むの?
なんて言い出さなかっただけ自分を褒めたい翔太である。
ゆえに仕方なく、翔太は持参した水筒に入れてきた温かいお茶を七海に差し出す。
七海は、まるでこれを飲まなければ人質に取られた家族が殺される、とでも言わんばかりに鬼気迫った表情で、それをひと息に飲み干して。
「ひゃっ、あちゅっ、あちゅいでしゅ……うぅ」
見てわかれ出てんだろ湯気、という突っ込みを翔太は堪えた。
さっきからいろいろな突っ込みを堪えている気がする。
「そんな勢いきって飲まなくてもいいよ……。別に、ゆっくり飲めばいい」
「あ、ありがとう、ございます……すみません」
「いや、あの、別に怒ってるわけじゃないんだけど……あの、もう一杯、いる?」
「……いただきます」
――飲むんかい。
これ勧めるほうが悪い気がしてくるなあ……。
翔太は思った。
言わなかった。
そして参った。
これから翔太は、火を熾すために薪を探しにいく予定だったのだ。
このキャンプ場は薪が拾い放題である。たぶん、使用料金に込々なのだろう。この辺りは開けていて燃えそうな枯れ木も落ちていないが、どこかに薪が拾える雑木林とかがあるはず。
ここを選んだ理由自体、その辺も加味してのことである。
まあ最大の理由は、保護者の許可証さえ提出すれば高校生だけでも宿泊ができるからであったのだが……。
ともあれ。
こうなってしまっては、まさか七海を置いてはいけない。
さきほどから、七海は(おそらく)翔太が学校で妙なことを言わないかどうかを危惧しているようだけれど。
翔太に言わせてみれば、怖いのはむしろ自分の側。
確かに七海は、翔太と同じくクラスでもあまり目立つ女子ではない。けれどそれでも、女子である以上、男子より立場は上だと翔太は思っていた。
ここで機嫌を損ねてしまっては、それこそあることないこと、女子の間の噂にされてしまいかねない。
もちろん、七海がそういうことをすると、必ずしも思っているわけではない。
わけではないが、それでも――翔太だって正直、あまり学校でキャンプが趣味だと吹聴されたくはなかった。
別に、趣味を恥ずかしいと思っているわけでもなければ、からかわれるのが嫌なわけでもなく。
単に面倒だから話題に上りたくない。
それだけの理由だった。
――そんな感じで虚無の時間が続き現在に至っている。
微妙な空気。それこそ、ここが一触即発の鉄火場である何よりの証だと言えよう。
お茶を飲む七海。虚空を見る翔太。お茶を飲む七海。虚空を見る翔太。
お茶を飲む七海。
虚空を見る翔太。
この時間には何か哲学的な意味があるのだろう。
そうだ、きっとそうに違いない。
翔太は混乱してきた。
「あ、えっと。わたしも! わたしも、ひとりっ……だよっ! ……ですよ?」
唐突な七海の言葉に、思わず肩を跳ねさせる翔太。
なんの話だ? と一瞬思ったが、そういえばそんなことを訊いたんだった。
「あ、そ、そうなんだ?」
「そうなんだっ。……そうです、なんだ?」
「いや、別に敬語じゃなくていいよ……同級生でしょ。俺も使ってないし」
「あ、うん、ごめん。……ありがとう」
「いや……いいんだけど。えっと、てことは小野さ、――小野もひとりで来たの?」
ここで出会ったことを奇跡と呼ぶのは釈然としないが、ひとりでキャンプ場に来る女子高生を見かけるのは、なかなか奇跡的な確率だと翔太は思う。ひとりでキャンプ場に来る男子高校生も、割とレアではあるが、それでも。
驚き半分、感心半分に訊ねた翔太へ、七海は首を横に振って。
「あ、来たのはひとりじゃないよ。お父さんに送ってもらったから」
「ああ……なるほど。え、じゃあその、親父さんは?」
「帰ったよ? 夕方になったらまた迎えにきてもらえるから、それではドライブでもしてるんじゃないかなあ」
「あー……そういう感じか。なるほど……」
ということは、父親に頼んでひとりでキャンプをしに来たということ……なのだろう。
これで七海は結構なキャンプフリークなのかもしれない。
思い返してみれば、ついさっきまでそれはもうハジけんばかりにハイテンションだったわけだし――、
「今なんか余計なこと思い出さなかった?」
「ちょっと何言ってるかわからないですね」
――いやこっわ鋭すぎでしょ今ちょっと声低かったんですけど。
翔太の生存本能が、生き残るための選択肢を即答させた。
教室では目立たないほうだし、なんなら声なんて初めて聞いたような印象すらあるが。
そのイメージと、今の七海はかなりかけ離れている。
「嫌だなあ。敬語じゃなくていいって言ったの、安藤くんなのに。あはは」
「あはは……そうですね。……そうだね」
やはり女子を怒らせるものではない。
翔太の周りに、参考になりそうな女子はそれこそ姉と――あとは幼馴染みくらいしかいなかったが。
まあ、ふたつもサンプルがあれば充分だろう。
「いやほら。わたし結構、ひとりが好きでさ」
と。膠着した空気を入れ替えるように、ことのほか明るく七海は言った。
その言には翔太も深く頷きたいところである。よくわかった。
「俺もだよ。や、そうでもなきゃこんなとこまで春休みにひとりで来ないだろうし、見ればわかるだろうけど」
「へえ。じゃあ安藤くんは、結構キャンプ歴が長い感じ?」
「うーん……」
相手が女の子――それもかわいいクラスメイト――であろうと、見栄を張るという発想は翔太には出ない。
自分のポジションなど嫌というほど理解している。その上で、それでいいと思っているのだから。
「どうかな。経験自体は少なくないけど……あー、うち家族みんな好きだからさ。でも、ソロで来るのは初」
「へえ、そうなんだあ。わたしは、結構よくひとりでやるよ? まあ、泊まりは今日はしないけど」
「珍しいな……って言っていいのかわかんないけど」
「まあ、あんまり周りにいないのは、そうだね。同じ穴の狢だー。ふっふふふ」
そんなことを、嬉しそうに告げられても困ってしまうが。
でもまあ、少し打ち解けたのかもしれない。
なんかちょっと怖いけれど。仲よくできる自信、正直あんまりないけれど。
それでも今日という一日に話すくらいは、人生にあってもいい時間だ。
「……ひとり、いいよな」
「うん。わかるわかる」
そんな会話を、ふたりでするのも少し間抜けな話だが。
その点だけは気が合うふたりだった。
お互い、ひとりでいることを特に苦としない――というよりむしろ単独行動が好き。
別に人嫌いだとか、集団行動が苦手というわけではないのだ。
ただ、誰かといる時間がある分だけ、ひとりでいられる時間も欲しくなる。一定の自由が常に欲しい。
誰に憚ることもなく、何をしていても自由なひとときというものを確保していたい――。
キャンプ趣味は、そんな考えの発露なのだろう。
「誰かと行くキャンプも悪くないけど。また違った楽しみはあるからねー」
「へえ。家族以外に、誰かとキャンプ行くことあるのか?」
そんなことを気楽に訊けるくらいには、少なくとも打ち解け始めている。
翔太の問いに、七海も「あはは」と気を抜いたように笑って。
「昔はたまに幼馴染みと来たけど。最近はご無沙汰かな」
「幼馴染み……」
その言葉を聞くと、思い出す人間がいる。
けれどそれはおくびにも出さずに、翔太は言った。
「幼馴染みがいるのか」
「うん。同じ学校だから知ってるかも」
「……俺あんま友達いないから知らない気がするけど。誰さん?」
「櫻井大輝、っていうんだけど」
翔太は思わず目を見開いた。




