1-09『鳴海陽菜は誤解されやすい』
「……なんだったんだろ?」
通学路の途中、鳴海陽菜はぽつりと呟いた。
さきほど送られてきた、大輝からの奇妙なメッセージ。
明らかに焦っているようだから、とりあえず少しだけ早足にしてみてはいるが。
あれは、いったいどういう意味だったのか。
「……ふぁ。ねむ……」
欠伸を噛み殺しつつ、学校への道を歩む。
別段、夜更かしをしたわけではない。ただ日曜日はだいぶはしゃいだから、疲れが残ってしまったようだ。
ただまあ、そのお陰で気分はだいぶ晴れていた。
持つべきものは、やはり秘密を共有できる友達だろう。
幼馴染みに一刀両断されたことはともかく、そんな個人の事情とは関係なく世界は回る。
鳴海陽菜には当然、鳴海陽菜としての在り方というものがあり、それを崩すわけにはいかないのだ。
今日も、天気は非常にいい。
あれだけつらいことがあった週末だ。せめて今週くらい、心穏やかに過ごさせてくれればいい。
そんなふうに思う。
そんな思いは、けれどすぐ直後に裏切られることになった。
それはもう、学校に着いた瞬間とかに。
昇降口を通って、下駄箱に向かう。
下駄箱は基本的に学年、クラスごとに纏められている。
大輝を待たせている陽菜は、急ぎ履き替えて、教室より先に待ち合わせのラウンジを目指す予定だった。
予定、だったのだ。
その予定を覆したのは、陽菜が下駄箱の前まで来たときである。
「――っ」
必然、とは言わないにせよ自ら巻き起こした事態。そう見做すべきなのだろうか。
だとすれば、運命とはずいぶん悪戯だ。神様の性格の悪さときたら、一発張り飛ばさないときが済まなくなる。
下駄箱はクラス順に並んでおり、つまり陽菜が所属するA組の奥側にはB組の下駄箱がある。
そこにちょうど、上靴に履き替えた幼馴染み――安藤翔太の姿があったのだ。
おそらく、早足で来てしまったのがまずかったのだろう。
でなければ下駄箱でばったり、なんてクリティカルな運命の嫌がらせに直面するはずがない。
ちょうど上靴を履き、顔を上げた翔太とバッチリ目が合ってしまう。
「あ――」
「……っ」
一瞬の視線の交錯。ああ、来る途中でコンビニになんて寄るんじゃなかった。
だって、同じ駅から同じ路線で学校まで来るのだ。ここまで会わなかったということは、陽菜が買い物をしている間に、翔太は次の電車に乗ってきた可能性が高い。
駅前で時間を潰してさえいなければ、避けられた事態だったはず。
一瞬だけ、けれど確かに互いの視線はぶつかり合った。
少なくとも翔太が陽菜を認識したことは、絶対に間違いない。
――それでも翔太は、陽菜にひと言も声をかけることなく、ふいと視線を切ると外靴を下駄箱に仕舞い出す。
わかりきっていた――それでも、傷つかずにはいられない反応だった。
昨日持ち直したメンタルなど、この一瞬であえなく元通りに沈み込んでしまう。
それほどに今、陽菜の精神は翔太の一挙手一投足に左右された。
「あ、――あのっ!」
思わず、縋るように声をかけてしまったとしても、陽菜を責められることではないだろう。
周囲には不都合にも、それ以外の生徒の姿はなかった。
陽菜が呼び止める相手は、この瞬間、翔太以外にはあり得ない。
果たして翔太は、わずかに息をついてから言った。
「……学校では話さないようにしようって、そう決めただろ」
言葉が、胸を刺した。
悪意や敵意を感じるわけじゃない。
そこにあるのは、隔意だ。
圧倒的な無関心と、失望に起因する――隔絶。
それでも。
声をかけずにはいられない。
「別、に……誰も見てないんだから、同じことでしょ」
なんとか。
どうにか話してもらおうと、必死で組み立てた理論だった。
それ以外に言えることを思いつけないほどの。
「…………」
翔太は何も言わずに、視線を脇に逸らす。
陽菜から目を逸らしたわけじゃない。
下駄箱は何列もあり、ほかの場所には当然、生徒だっている。そう示しているだけだ。
翔太は陽菜に視線を戻すと、再び息をついてから。
「今までだって、別に大して話してなかっただろ……お互い、学校でなんて」
「そんな、こと……っ」
否定を言葉にしかけて、危ういところで呑み込んだ。
その通りだ。別にこれまでだって、翔太と学校で話したりなんてほとんどしなかった。
幼馴染みどころか、陽菜と翔太が友人だったことを知っている生徒はなど、この学校にはほとんどいない。
大輝を除けば、せいぜい彼の幼馴染みである小野七海くらいだろう。
実際、これまでだって学校で翔太を見かけることは何度もあった。
けれどそのとき、陽菜が自分から声をかけたことなんて、ほとんどなかったのだ。
先週の金曜日、ただ声をかけただけで翔太が驚いた理由も、その辺りにある。
その通り。ひとりでいることの多い翔太と、常に周りに人がいる陽菜では立ち位置が違う。
彼女が翔太を見かけるとき、彼女の周りにはいつだって別の誰かがいた。それは大輝であったり、あるいはほかの誰かであったりしたが、いずれにせよ陽菜はそちらと話しており、わざわざ抜け出して翔太に声をかけたりしない。
それが悪かったということだろうか。
いや、そうではないだろう。わざわざ声をかけに行っても、それを翔太が喜ぶとは思えない。
その程度の想像力は、陽菜にだって備わっている。
そんな陽菜の態度が、翔太から見てどう映ったのか。
彼女にそれはわからない。
ただ確実に言えることがひとつだけあった。
それは、陽菜が翔太に積極的に絡んでいかなかった理由が、
――だって翔太に話しかけるなんて超緊張しちゃうし……っ!
という実にクソ下らないものだったということだけである。
学園一のモテ女、鳴海陽菜。
大輝しか知らないことではあるが、彼女、実のところ内心は緊張しいの乙女であり意中の男の子に簡単に声をかけるとか難易度高すぎて無理なのである。
よほどの覚悟がなければ顔を真っ赤にして走って逃げ出してしまうレベルのアホなのである。
本当にもう。
とはいえそんな脳内桃色お花畑結界も、さすがにこんな状況では発動しない。
ていうかつらい。
本当につらい。
なんなら吐きそうまである。
「ねえ。あれ、どういう意味なの? いきなりあんなこと言われても、意味がわかんない」
胃の腑の中でぐるぐると蠢く粘性の気持ち悪さを、それでも一切表に出さず、陽菜は問いかける。
ただ、それは訊くべきだと思った。
今のうちに聞いておかなければ本当に手遅れになる――そんな確信があったからだ。
あるいは、もうとっくに手遅れなのかもしれないけれど。
それでも陽菜は、大輝に対して宣言した。
あいつに。これからがんばって、楽しくしあわせになってやろう、と。
曖昧で中身なんてなくて、決意とか覚悟なんてものじゃない、言ってみただけの勢いに過ぎなくても、それでも。
大輝に誓ったことを破るわけにはいかなかったから。
「……まあ、そうか。確かに、お前にとってはいきなりかもしれないよな、陽菜。それはごめん」
「え、……いや謝られても」
「それもそうだ。いや、でも俺にとっては、別にいきなりでもなんでもない。前々から考えてたことなんだよ」
「…………っ」
「だってそうだろ? 俺とお前では住む世界が違うんだ」
「住む世界って……そんな、何言ってんの? どういう意味?」
「言葉通りの意味だよ。お前に俺は必要ないんだ。お前のいるところに俺はいるべきじゃない。そこは、選ばれた者だけが行ける場所なんだ」
「な、……なんで、そんな」
面食らってしまう。そんなことを言われるだなんて、思っていなかった。
というか、翔太は自分のことが、決して嫌いになったわけじゃないということなのだろうか?
もう、何が何やらさっぱりわからない。
「そんなこと、ないよ。そんなこと……っ」
言い募る陽菜。けれど翔太は、静かに首を振って。
「いや。そんなことはある。同じ場所で同じ空気を吸っていることに、俺は耐えられない……!」
「――だからって、」
「俺みたいなのがその神聖な絵面に入り込むとかほんと宗教的に無理なんで」
「いやだから、……え、なんて? 絵面? 宗教……? ちょっと待って、それどういう――」
その瞬間だった。
ぽろん、という特徴的な音がことのほか強く響いた。
陽菜が手に持っていたスマホに、メッセージが受信された音だ。
「出ないのか? 連絡が来たんだろ」
「……、……」
仕方なく、陽菜はスマホの画面を見る。
タイキ:しにたい
「え、えぇえ……っ!?」
割とこっちの台詞だったが、あの男がこうまで弱ったメッセージを送ってくるなど尋常な事態ではない。
というか、そういえば大輝を待たせているのだったか。あれから、どれくらい時間を使っただろう。
「……呼ばれたのか?」
陽菜の視線が一瞬、上のほうに向いた。
それだけで事情を見抜いたのは、さすがに付き合いの長さゆえか。
「え、と……」
言い淀む陽菜に、翔太は微笑んで。
「それ、さ。もしかして、――櫻井大輝からじゃないのか?」
「え? あ……うん。そう、だけど……なんで」
どうしてわかったのだろう。
いやまあ、確かに長く時間を過ごすことの多い友人ではあるが。
「なんとなくだけどね……なんだよ。待ち合わせでもしてたんじゃないか?」
「あ、いや、じゃなくて。えっと、単に急に連絡が来て、」
「連絡が?」
「う……うん。さっきなんか、急に、会いたいって連絡が来て――あ、ほら! これが証拠!」
などと言って陽菜は、さきほど来た大輝からのメッセージ画面を翔太に見せる。
タイキ:今すぐ会いたい
タイキ:今すぐ
タイキ:学校までどれくらいかかる?
そんなふうに記されたメッセージを。
見せることで、陽菜としては、別に待ち合わせていたわけではないと示したかったのだ。
本当なら、きちんと想像するべきだったのに。
それを見た翔太が、いったいどんなふうに捉えるのかくらい。
「…………、ああ。なるほど」
と。果たして翔太は、笑顔で言った。
「それなら、あんま待たせるなよ。俺はもう行くから」
「え、で――も」
「いいから」
それ以上、言葉を聞くわけにはいかないというふうに。
翔太は陽菜の言葉を切って、後ろを振り向いた。
「それじゃあ。……まあ、なんだ。仲よくやってくれ」
「え……?」
そこまで言われて。
ようやく、陽菜も自分が見せたメッセージの意味を悟る。
「あ、――あ!? いや違っ、そうじゃなくて、ちょ、ちょっと待っ、翔太っ!?」
「いいから。……それ以上聞いたら、もう……血を吐きそうだ」
そのまま翔太は、ゆっくりと教室に向かっていく。
もう止めることはできなかった。
先を行く翔太の足が、次第に速くなっていくのを音で聞き取りながら。
鳴海陽菜は、呆然とその場に立ち尽くしていた。




