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06. ハートブレイク<1>

 大好きなひとの近くにいて、そのひとの幸せを手伝える幸せ。そのことを、イヴは自分を育ててくれた父から教わった。

 そして今、

「んんー……」

 近くにいるそのひとが、おかしなことになっているのを、イヴはまのあたりにしている。

 そのひとは、歌っていた。ずっと歌がそんなに好きではなかったから、ときどきさぼっていたけれど、最近はずっと歌っている。

 というか、クラブの練習に来ている。毎日来ている。毎日来て、毎日人生のすべてを捧げるような顔で歌っている。決してすべてを捧げる内容のオペレッタではないのに、ひとりだけ悲劇の主人公だった。

 最初はうれしかった。ようやく真剣な姿をみることができたと思った。なんにも関心がなくて、寄ってくる女の子をとっかえひっかえして、それでも成績だけはいい、そんなそのひとをみるよりは、ずっとよかった。

 でも——

「そろそろ……長いよね?」

 イヴはひとりごち、〈オペラ〉リハーサル室の舞台袖から、舞台上のそのひとを見た。

 サイレ・コリンズワース。今や全トリゴナルに知られた悲劇の主人公。

 それに無意識にこたえるように、サイレはオペレッタ「オーレンダ」のヒロイン兼ヒーローを演じていた。今はまだ練習中。着実に本番の日は近づきつつあるけれど、本番はまだ先。

 それなのに、

〈小夜啼鳥が眠る朝に、あたしは歌う。ぼくはここだよ。ここにいるよ。ここにいるのに……〉

 いちいち百パーセント渾身の歌声、毎日が悲劇のはじまりと終わり。

 団長のギルヴィは喜んでいる。毎日あれだけ感情をこめられるなら、メモリアさまさまだと言っている。たしかに悪いことではない。そうやって生き抜くことができたなら、すばらしい人生かもしれない。でも。イヴは深紅の幕をぎゅっと握る。

「気に入ら、ないっ!」

 これまたひとり言である。

「ユスティナ、静かに出番待てないのか?」

 いらだったギルヴィの声がとんできた。ギルヴィは耳がよいから、先ほどからイヴのひとり言はきこえていたのだろうが、しばらく放っておいてくれたようだ。

 ギルヴィはやさしい。だけれど、ギルヴィはサイレの今の状態を、公演にとってはメリットだと放っておいている。イヴにはとてもそんな気になれない。

「いつ動くの? 今っ! 助けられるときに助けなきゃ! 手遅れになってからじゃ、遅いんだからー!」

 なお、ひとり言である。

「ユスティナ、出てけー! ラケル、代わりにユスティナやれ!」

「イヴったら」

 困惑のラケルタが舞台上に引きだされてきた。

「うんっ出てくね! ちょっとやりたいことできた! ラケル、話があるから練習終わったらうちに来てね」

 イヴはギルヴィに手を振り、親友に手を振り、

「サイレぇー! 歌はほどほどにしときなよ」

 最後にサイレに手を振って、駆けだした。サイレは舞台中央で首をかしげた。相変わらず、ひとごとのような顔をしている。いつもそうだ。何も知らないで、知らん顔。

 だから、サイレの代わりに、イヴがする。イヴがサイレの幸せの妖精になる。

「ほどほどとはなんだ、主役だろうがてめえ! どいつもこいつもー!」

 ギルヴィの叫びを背中に、イヴはリハーサル室をとびだしていく。

 守衛AIに頭を下げて、〈オペラ〉の外に出たイヴは、石畳風の床材のうえを、ぽん、ぽん、と飛びはねた。

 飛びはねるイヴの一歩ごと、「水紋」がひろがる。あたかも、石畳のうえに水がはられているかのように。しかし、水音はしない。そこに水という物質はない。

 イヴは自分の足あとを振り返り、ほほえんだ。

「手伝ってくれる? 妖精さん」

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