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02. ポイント・オブ・ノー・リターン<8>

 ルルと初めて出会った大樹の上で、エンジュはひとり夜を明かした。

 目覚めるとひどい気分で、しかも何かが焼ける臭いが鼻を刺した。朝餉のけむり? それがこんな距離まで臭うだろうか。いや、昨夜はあれほどの昂奮状態だったのだ。何かの拍子に松明が天幕の覆いにでも燃え移り、正気で鎮火した者が一人もいなかったとしても、まったく不思議ではない。しかし——

「ルル、行こう。スエンたちを見にいかなきゃ」

「誰だ?」

 木の下に着地したとたんに、知らない声に誰何され、少女は痙攣する。

 明らかに部族外の者だった。それも、兵士だ。三人。揃いの甲冑をつけ、いっせいに槍穂をエンジュにむけてきた。

 朱色の肩甲は、〈草の海〉のむこうにある帝国メサウィラのもの。幼いころにナムが語ってくれたところによると、メサウィラは〈恵まれた中洲〉に本拠地をおく強大な都市国家。〈恵まれた中洲〉の中心には、エンジュのお気に入りのこの木よりはるかに大きな木がそびえており、その樹上に帝城を築いているという。

「おい、アルバ・サイフだ! ティンダルの生き残りだ」

「なんでしらふのやつがいるんだ? 〈黒ぶどう〉の話じゃ、全員酩酊状態だって」

「さあな、酒が飲めないやつもいるだろうよ。とにかく、命令は『ティンダルは全員殺せ』だ」

 全身が粟立った。三人の兵士が、槍穂をむけたまま、じりじりと距離をつめてくる。エンジュの背中が、大樹の根元にあたった。兵士は互いに距離をとり、エンジュの逃げ道をふさいだ。

 男たちが笑った。爪先が大樹の幹をひっかき、爪の中に木片が入りこむ。


 ——だめだ、エンジュ!


 あらん限りの声で、叫んだのはサイレだった。


 ——きみがやるんだ! だれも助けになんか来ない!


 エンジュのからだがうごく。左手首のバングルからのびる糸は、一の刃。右手首のバングルからのびる糸は、二の刃。左足首は三の刃。右足首は四の刃。

 総称して、ティンダルのアルバ・サイフという。

 鋼鉄の糸が赤い軌跡を描き、少女が地面に舞い降りたとき、三人の男は大地に伏した。

 エンジュは駆けだした。柵が近づくにつれて、焦げくさい臭いが迫ってくる。天幕が燃えていた。しかし集落は静かだった。炎の爆ぜる音だけが妙に響いていた。

 人々はそこにいた。歓喜と狂乱の夜、天幕の外でその渦に身をゆだねた場所で、血にまみれて倒れていた。何人も、折り重なって倒れていた。子どもの家はすぐにわかった。焼け跡のまえにナムが倒れていたからだ。

 謡い家を、エンジュは確認することができなかった。

「……フリッツ」

 聞き咎められることなど、もはやかまう必要もなかった。

「フリッツ!」

 いない。慕わしい人の影どころか、単に生きているものさえ。

 残ったのは、エンジュとかたわらのルルだけ。誰もいない。地面に両拳を叩きつけると、一の刃と二の刃が瀕死の蛇のようにのたうつ。

 足音がして砂埃が立った。あげた少女の両目から、涙が流れていく。

 光に透ける、金の獅子の髪。

 白かった花嫁衣装は、最初からそうだったかのように、紅。その瞳もまた、同じ赤。

「マリオン——」

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