僕も深い淵へ?
僕らは『やるなら』の雰囲気で屋敷の中庭に出て、落ち行く光を受けていた。
単純に黒剣さんは、機嫌良い時だけで無く、お酒を飲んでも『よく喋るのだな』と思いながら、僕はフィリアの背中越しに黒剣さんとピエールの対峙を見ている。
大男同士の立ち合いが始まる寸前の様子に、僕は隣の祖父を見た。
「御祖父様、彼もお酒を飲んだと思うのですが、大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だろう。よく分からんが、二人とも出来るようだからな」
普通に冷静な祖父の言葉に、反対側からヴォル=ライルの『僕』な雰囲気が来る。
「ピエールには言ってあるから大丈夫だと思うよ。それに、木製にしておいたから、恐らく死ぬことは無い筈」
「あの御方も中々の雰囲気がおありですけれど、ピエールなら、怪我をさせる様な不手際は致しませんわ。ねぇ、アリア?」
シャルロッタが声を掛けた落ち着いた感じの黒髪の女性に、ノヴァル候ヴォル=ライルも視線を落としていた。二人が同意を求めた彼女の頷くのに、遊んで貰っていた頃の景色でそままな容姿の彼女を思い出した。
――確か、アリアンヌさんとか言ってた筈だけど。
「なら良いですけど」と祖父に話掛けたつもりで続いた声に、僕はまとめて答えておいた。
そんな様子とは関係無く、暗黙の内に試合は始まって行く。正直な話、見ても何が起こっているのか分からないけども。
エリルも確かに強かったけど、黒剣さんのあの笑いを出させたのは最後の最後。でも、今はずっとあの感じの黒剣さんが見える。
――まあ、酔ってるだけかもだけど。
「うらぁぁぁ――」と「はっ」の声と息遣いに乾いた打撃音が続いている。一瞬で終わらないのは凄いけど、黒剣さんの荒っぽさが目につく。
一応、括りでは僕も貴族の子弟だ。それなりに剣の道は通っていた。
家系で言えば、祖父は当たり前。父も剣の腕は「武神の息子」と言われるほど出来るし、兄二人も然り。
――僕は結局、フライパンだったけれど。
だから、エリルが凄かったのは分かる。普段の黒剣さんの凄さは「凄い」と分かる。でも、ピエールさんの感じは違う様に見えた。
分かる範囲で言うと、黒剣さんが振るを彼が突き捌くになる。ただ、黒剣さんが一段と荒々しくなった時、彼は何かを呟いていた。
「なかなかだぞ」
「御祖父様?」
「おお、リーパ殿だ。荒いがピエールにあれを使わせている」
「剣技ですか?」
音と光景が激しくなる中で、祖父が出した声で会話になった。何と無く行き着いた質問に、祖父は僕を見て少し考える仕草をしていた。
「う~ん、剣技とは違うな。どちらかと言えば術式なのか」
「魔術ですか?」
「魔術……魔動術式では無いな」
祖父の最後の言葉に疑問を投げようとして、祖父の視線が前を向くのが分かった。僕がその視線に釣られる前に、集まる彼らから大きな声が連鎖する。
単純に嫌悪と驚愕の声が僕に聞こえていた。
それで、二人を見た時には決着していた。立ち合いの最後場面を僕は見てないけれども。
結果だけなら、黒剣さんが壮大に嘔吐しているのが見えたのだけど。
――なんか吐いてるし。
何と無く冷静な僕は、黒剣さんへフィリアが介抱に走るのを見ていた。
それと「飲ませ過ぎたか」と「思った以上だ」が聞こえて、シャルロッタは、アリアンヌさんにしがみつく勢いで下がり「いっ!」と声を上げている。
若干、あおりを受けて何とも言えないピエールさんの顔に僕は視線が向けて、その場が大騒ぎになるのを感じていた。
一旦のお開きの雰囲気になる。個人的には話の途中だったけど、祖父は御祖母様と領地に戻ったので出来ずじまい。
何と無く顔見せと夕食を迎えて、眠りにつく流れが僕を通っていった……。
そのまま別室へ行った黒剣さんは、結局朝まで起きて来なかった。夜は付き添ったフィリアは、寝不足なのな機嫌が悪い。
そんなこんなで僕は起き抜けに、相変わらずな朝の光景を眺めているのだけども。
大体が……「やるなお前」と「流石は名高いリーパ殿」な雰囲気で起こる、何事も無かった様な綺麗に合わさる金属音の奏を僕は聞いていた。
「オースにはさっき話して、あの話受ける事にしたから。それに、あの大きい聖導術師の人が、この件が終わったら教区から人を紹介してくれるって言ったしね」
纏まりが無い髪のフィリアが、隣から僕に話し掛けてきた。紹介なら、フィリア待望の聖導術士の事だと思う。――まあ、それはそれで。
「そうなんですか。でもあの方、聖導者と言うよりは盾持ちの感じですよね」
「下に行く時は、クロージュの胴衣鎧らしいのよね。やっぱり、あの手の人はお金持ちなんだね……」
『クロージュ』と言う、特種で高級な武具を持つらしい目の前二人より大きな彼は、サロモン・ノートルと言う名前の人だ。
アルターライン地方教区の聖司祭の一人。ノヴァル候が、領内の龍翼神聖霊教会を手厚く保護しているから、候の元に派遣されている。
ノヴァル候の御母上が敬虔な神徒――神従者とも言う――だからなのだけど、ノヴァル候には別の意味もあるらしい。
――でも、父上がそんな事を言っていただけで、良く分からないけど。
派遣されてるのとは関係無いけど、サロモンさんの本名とか神従名は、サロモン・ルネ・ドニ・アルノー・ゲラン・ノートル。
最後のノートルは教会区の地名だけど、サロモン以外は聖人の名の一部を受けた極光名。その数で分かる高い位の偉い人。要するに『あの手の人』だと言う事になる。
そう言うと、色々な取り方は有るけれど、僕の観察眼からは彼は良い人だ。
――実際雰囲気は穏和だし。
何と無く『あの手の人』の言葉から、昨日の話を思い出し、最後の名前の事に思いがいった。
同じ最後の名前でも、聖導者が教会区の地名などで『帰属名』を名乗るのと、僕が『ファーシルの』と――イーストファーシル領の男爵家の一族だから――『家名』を名乗るのは意味合いが少し違うんだなと。
――まあ、今は関係無いけど。
そう言えば、黒剣さんの『リーパ』のは国王陛下から賜ったそうだ。「サロモンさんは名前が長いのですね」と言った流れの話で、ノヴァル候が教えてくれた。
その話で、黒剣さんから名前を聞き出すのに、手間が掛かった理由が分かった。勿論、黒剣さんが凄いのもだけど。
――確かに、国家級最上位階級冒険者の黒だし。ああ、でも、一応その流れでも家名になるのか?
そう言えば隣の彼女、フィリア・フェム・ファテールの『ファテール』は、身分に関係無く使われる最後の名前の『何々村の』とかの括りでは無くて、特種な氏族に通じる名になる。
第二のとか中間名と言われる名前がある彼女は、その中でも特別なのだそうだ……
……まあ、人の発祥――起源や由来に原点――を術式使って調べてしまう僕もどうかと思うけど。でも、知識と言う点では、流石に、貴族の子弟が通う所の書庫だけあって中々の情報だ。
あと『調べる』の術式が無いと覚えられないのかと言った奴に、これの凄さはを教えてやりたい。……大体、試験の時は術式なんてつかえなかったし、幸運な事に適正があったから覚えただけだし……ははっ、でも、目の前では言えないのだけど。
「……で、アリアンヌさんが言うには……。おい少年。聞いてるの?」
「はひっ」
立ち話の様子に全く関係ない事を考えていて、フィリアに「おい少年」を打ち込まれて変な声が出た。
「また、変な妄想でもしてたんでしょ。まったく、朝っぱらからどうしようも無いわね」
「しっ、してないでふ、じゃない、『です』です」
「『でふ』って、笑えるんだけど。と言うか余裕ね、流石はフライパンって感じ?」
「何の事ですか……」
「深淵の迷宮の事よ」
確かに、話は聞いて無かったけど。この場合、深淵の迷宮の話は関係ないと思うけれども。
「パーティーの件は僕が口を出す事では無いので、何とも言えないですけど。でも深淵の迷宮の件は僕には……それに布告が出るの一ヶ月位先ですよね。大体、黒剣さんも参加するとは決まって無いと思うのですけど」
「オースは行くって言ったわよ」
――行くのか……いや、ちょっと待って。ひょっとしたら僕も行くのか……えっ。
「えっ、いや、黒剣さんが行くのはいいですけど、僕も降りるんですか? と言うか無理です……」
「はあ? オースが行くならあんたも行く決まってるでしょ。大体、何日も掛かるんだから誰がオースの食べる肉を焼くのよ」
僕は、清々し様子で鍛練を終えた二人を視界にいれながら、フィリアの「はあ?」を聞いていた。
「肉を焼くのよ。って……」
「フライパンだからでしょ」
思わずフライパンだけ渡そうと思ったけれど、赤角鹿の丸焼きの時から妙な一体感が出ていて、それは飲み込んだ。
「確かにフライパンですけど、足手まといになるだけですよ」
「あの騎士と聖司祭に王国認定魔導師のアリアンヌさんでしょ。オースもいるし、荷物持ちなら足手まといにならないから。それに、魔導師適正あるんでしょ。なら、叩けば急に伸びる事があるかもって、アリアンヌさん。……叩けとは言ってないけど……」
続く「始まるまでに時間があるから、鍛えてあげる」のフィリアの言葉に僕は愕然とした。
まるまる他人事だったのに、メンバーに入っているなんて……『仲間』の言葉に喜んだのを少し後悔した。
返す言葉を探す僕に、後ろからの別の声が掛かる。
「そうですウィル。危険が伴うのですから未熟な貴方は特訓ですわ。ねぇ、アリア?」
声に振り返った僕には、起き抜けとは思えない凛とした立ち姿のシャルロッタが見えた。隣にはアルター家お抱えの魔導師、アリアンヌさんの何とも言えない笑顔もあった。
そして、シャルロッタが美しい所作で誇示する白金の階級章が目につく。
「これで私も冒険者ですわ。暁の冒険者商会には、飛翔する東の鷲商会の商主を行かせましたから、直ぐにパーティーメンバーになれましてよ。……如何かしら、ウィル?」
『どう』と言われても返す言葉に困る。
色々言いたい事はあるけれど、少し余計な事を考えていただけなのに、先ずは諸々な展開に追い付け無い位の勢いがある。
――金貨は魅力的で、権力って偉大って事なんだろうけど。いくら自分の所の商会だからって、いきなり白金とか、僕が降りる事よりも引くけども。
「名前だけだって……」
「彼女は良いのよ、あんたよりもずっと出来るらしいし。それに、ライラと違って前に出る『後ろ盾』は助かるしね」
呟きをフィリアに拾われて、シャルロッタの誇示するままを見つめていた。
「それでウィル。いかがですの?」
「どう……とは?」
――別の意味で、中々の威力なシャルロッタ。でも、前ほど萎縮してないのが自分で分かる。
「わからないのですか?」
「わかりますけど」
――今までならもう言っていたけど、何故か余裕があってシャルロッタ表情を見る事が出来た。
「なら、言いなさい」
「凄いです。流石はお嬢様」
僕の言葉に、シャルロッタは不満気な表情をする。まあ、わざとだから彼女が正しい。
「違いますわ」
「えっと、まあ……ですね。シャルロッタ様、私の仲間の為にお力添えを賜りたく、是非ともパーティーに入って頂きたいのです。宜しいですか?」
「宜しいです。はじめからそう言いなさい」
一瞬、嬉しそうな表情をした彼女に僕は戸惑った。
この雰囲気は、幼少の時期にイーストファーシルに度々やって来たシャルロッタとのお約束になる。
――彼女と何かをする時は、僕がお願いをする。勿論、事前に彼女の侍女からお誘いがあるけれども。
初めてまともに顔を見てこれをしたと思う。だから、彼女の表情の意味は分からないけれど。
そんな風なんだと思った時に、後ろから肩から首に掛かる黒剣さんの腕の勢いを感じた。
「フライパンは特訓なのか。今日は依頼を受けるとフィリアが言ったからまた明日だな。俺も手伝ってやる」
機嫌が良いときの黒剣さんの雰囲気が突然やって来た。でも、相変わらず何か違う。
そう、特訓の方向が違う。僕の目指すのは魔導師なのだから……。そして、首を絞められる感じに気が付く。シャルロッタに言った言葉で自分の首を絞めた事をだけども。
勿論、出来れば下に行くのも間違いであって欲しいとこの時は思っていた。




