深淵と捕食者
シャルロッタと一緒に来た、背の高い栗色の髪で精悍な感じの彼がそうらしい。
――僕も名前は知っていたけど、顔と名前が一致したのは今が最初だった。
「そうか、知っている様だね。それは良かった」
僕らの様子に満足そうな顔の彼は、自称を「僕」と言ってしまう、ヴォル=ライルの雰囲気だった。
ただ、フィリアは『だから何?』の風で驚きを隠している様にも見える。
「確かにオースは『強い奴』を探してる感じだけど、仲間するかは、私が決める事じゃないから」
「当然、最終的には彼に試して貰うよ。ただ、ピエールだけではないから、その辺りも含めて君から話をして貰った方が、上手く行くと思うんだけれど、違うかい? 君達はそんな感じの関係なんだろ」
ノヴァル候の言葉にフィリア難しい顔をした。難しいを向けられた彼は、僕らの視線を酒を酌み交わす二人に促して行く。
「あの二人が、帰還者では無くて、生還者だと言うのは知っているよね」
「ええ。オースは当然。それに、エルライン伯爵がそうなのも有名よね。……孫が『フライパン』なのはあれだけど」
僕は関係ないと思うのだけど、フィリアさん。
まあ、良いけど。後、二人が話している『帰還者』とか『生還者』の話で言えば、祖父も黒剣さんと同じ生還者だった。
――生還者とは、簡単には言えば、深淵の迷宮の地下部分から、アイテムを持ち出せた人の事だ。
それに、母方の祖父も、その時のパーティーの一人だったからそうなる。それで、深淵の迷宮からの生還者の凄さが分かるから、黒剣さんがそうだったと聞いた時にも、何と無く受け入れた……。
「僕も彼が『フライパン』を名乗るのはどうかと思う。まあ、それはそれで、話は続けようか。先ず、僕も深淵の迷宮に入る権利はある。勿論、行くのは、君達も知っていると思うけど『下』だけどね」
「上は『開けれない』から進めない。下は『持って』帰ってこれない。だったと思うけど……」
フィリアの表情が固いのが気になるけれど、彼女の呟いた感じは、当然深淵の迷宮話。――僕の事は、まあ、あれだけど。
少し突っ込むなら、上は階層の尖塔、下は深層の迷宮と呼ぶ。
上では知識が試されて、下は強さが必要とされる。得られる物は相応でその通りにしか行けない。
尖塔には知識が、迷宮には現物がと人智を超えた領域のものがあった。
ただ、下の現物は、フィリアの言葉通りに、持って帰れないがついてくる。
構造は言わすとも、深層の迷宮と言う位なので、当然、深ければ深いほど強くなる感じで、徘徊する魔物や魔獣もいるのだけど。
ただ、その『徘徊する存在』が絶対的な障害では無くて、それらを排除しても『まだ』持ち帰る事が出来無いのだ。
それは監視者の存在あるから。
迷宮構造に、これ見よがしに置いてある、誘う者を惑わす、人智を超えた領域の品々。
それを手にした者が、その深層の場から出る時、唯一の出入口の前に相応の監視者が現れる……
……と。知ってる筈だと言われ、無詠唱で調べるを発動して、自分の記憶を探る僕も『なんだかなぁ』だけど、読んだ本にはそう書いてあった。
出所は、階層の尖塔の第三階で悪戦苦闘する魔導師達。そこで得た「公開された」領域の知識の書籍。
――僕はどちらかと言えば、上がる方が向いてる気がする。……とか考えてると、ノヴァル候が、僕を人形か何かを見る様な眼をしていた。
「その認識なら、監視者を倒し深層を抜けて、徘徊する存在を排除して戻った生還者が凄いのは分かる筈だね」
「確かに、オースは強いし装備も普通じゃないから……分かるけど、それが何?」
「なら、ピエールが下の『第三層』の一つを数人でクリアした生還者といったらもっと驚くだろう。彼が生還者として名を馳せてないのは、僕が『欲張り』と言う事なんだけどね」
ノヴァル候の最初の言葉に、フィリアは『それがどうした?』と返していたが、驚きを伴う「生還者」の話には怪訝な表情している。
それを見る僕は真顔で、違う世界の話を遠く感じて、大人しいシャルロッタが少し気になっていた。
……取り敢えず、深層の迷宮の話なら祖父のエルライン伯は第四層の。黒剣さんは、聞いた話を繋ぐと第六層の。だと思う。
後「欲張り」について言うなら、黒剣さんの装備もそうだけど、本来、持ち帰った物の所有権は王国にある。
それを彼が、王国の管理をくぐり抜けて、黙って自分の物にしてる……の「欲張り」なんだと思う……黒剣さんの装備は知らないけど。
因みに、理由は分からないけど、荒れな屋敷でボロボロだった黒剣さんの装備は、一晩で元に戻っていた。
まあ、普通に徘徊してる存在から、相当だと分かるその層の監視者を倒して戻ったと聞くと納得だけども……
「勿論、彼次第ではあるけれど、君達に何かして欲しい訳で無いよ。それに彼にとっても、ピエール達は有益だと思うけどね」
「それで、どこまで知ってるの? ひょっとして、私が知りたい事知ってたりする。……あの時の具体的な事とか」
若干進んだ二人の会話が、フィリア表情の理由を僕に理解させた。
「さあ、君が彼からどこまで聞いたかは分からないから何とも言えないな。ただね。金貨は人の口を軽くして、権力は人を従順にさせる。強制力と言うのかな。残念な事に、僕には両方あるからね」
「なら、教えてよ。……そう、私が知りたかった事が有ったら、この件はオースに話をしてあげる」
「なら取引と言う事かな。では、漆黒の魔女に裏切りの末の伯爵。それと、隠れていた逃亡者辺りかな。言葉の認識は違うかも知れないけれどね」
――フィリアさん視線が怖いです。
「フライパン! 本当と最悪。やっぱり、この人ノヴァル候ね。いいわ……聞かせて、あの時の事」
「では、取引成立だね」
最悪な奴は僕ですか? を置き去りに、フィリアの聞けなかった『あの時』の事を彼は話始める。
シャルロッタの鋭く刺さる感じも『僕が何か?』だったけど、別の意味で、ヴォル=ライルはもっと怖かった。
前回の探索直後に鍵の監視者を倒して抜けた彼の事。そう、黒剣の捕食者オース=ノワール・リーパ。……黒剣さんの事を当然に調べていた。
彼の話のに戻すと、「失敗した大規模探索」の時に、黒剣さんも黒階級のパーティーに入っていたそうだ。
ただ、「失敗した」は語弊だと主張する者があるとも、一応には加えていた。
それは、下の第六層で、上の階層の尖塔の六階にある『第六階層に通じる扉の鍵』とされる物は手に入ったからになる。
その代償が、当時の最上位階級冒険者全員が戻らなかった事で、世間では「失敗した」と認識されていたのだった……。
「あざとい手を使って、目的の物と持ち帰った物が違ったのだから、いくらトゥーラント伯がその行為の正当性を主張しても、受けた側は『裏切り』としか取らないよ」
そう、ヴォル=ライルが言ったのは、エドアール・ネブル・デ・トゥーラント伯爵の事。
ジグニ候の甥になり、前回の探索の現場の指揮をした者で当時は子爵だった。
「あざとい」について言えば、監視者の特性が、各層に限定されたものであるのを逆手に取った行為だった。
殿を任せた最上位階級冒険者を残し、自身と供回りに残りを連れて上の層に戻ったタイミングで、鍵の台座付近に潜ませた手の者に台座からそれを外させた、と言う事だった。
「我らがいては、足手まといになると判断した」
魔王降臨前の必然だと。最上位階級冒険者なら、倒せて当然ではないかと。国事なのだから、多少犠牲は仕方ないと。
――そう聞いて、『馬鹿ですか!』と……言いそうになった。
深層の迷宮には、『極の神意』か『獄の神威』なのか制約があり、また、構造的にもだけれど、多数を一度に送り込む事が出来ない。
――公開された書籍で言えば、深層の迷宮こうなる。……凡そ、ノヴァル候の話もそうだった。
――深層の迷宮は……で、螺旋状に重なる円形の各層の通路は、深層を目指すなら中心へ、地上に戻るなら外側に続いている。
一見迷路かと思う通路の形状は、様々で大きさもまちまちだが、続く道は一つであり行くも帰るも迷う事はない。また、折り返す様に続く通路に、時折、大小の空間が現われ同一層を複数に見せ、門や扉の様相で一つの区切りをつけていた。
そして、層の空間を網羅する通路を歩かされ、何処からかやって来る、徘徊する存在――魔物や魔獣とそれに類する者――により、誘われた者達を精神と肉体から疲弊させ、彼らに『純然な強さ』を要求する。
それは、最深層に向かうに連れて、恐らく脅威を増して、持ち帰るに魅惑的な空間を作っていく――
トゥーラント伯爵は、送り込める大半を自身の息のかかった者にして、最上位階級冒険者にフルパーティーではなく、厳選したメンバーを要求した。
そして「魔王降臨前の必然」を強要する。
当然と現れた鍵の監視者――暴然の飢属――と突発的に対峙した彼らは、凄絶な戦いの末に、当時は銀階級だったオース=ノワール・リーパを残し力尽きる。
それで黒剣さんは、遅れて来て、その凄まじい光景に出くわした、鍵を持ったそれなりの者を連れて帰還した。と言う事だった。
「……何故知っているかは、隠れていた、本来は生還者と呼ばれる者の一人を捕まえたんだ。あの後直ぐに逃げて、行方不明なってたのを探してね」
「あの、トゥーラント伯爵は?」
あらかた、僕の書庫の知識を補てんした、候の話が途切れた時そう聞いてみた。
「出て来た時は、僅か数人だったそうだ。それなりの者が七、八十名いてね。まあ、行きは彼らもいたし、『帰れない』に含まれる部分も有るんだ」
「それをオースは一人で?」
「その男の話では、鍵の監視者、名前は分からないけれど、とどめを刺したのは彼だそうだ。当然ボロボロだったらしい。ただ、ね……」
黒剣さんの事を聞いたフィリアに、ヴォル=ライルは眉を動かしてみせる。
「まあ、取引だから言うけれど、先代の黒階級、漆黒の魔女と呼ばれていた彼女が死に際に、喪失感を持つ彼に言ったそうだ。民の為に持ち帰れと」
彼は少し言葉を切って、フィリアを見ていた。
「……その上、『戯れ言でも私を愛していると言うなら、私の為にもやってほしい』と言ったそうだ。その男が『それがなかったら、帰れなかった』と項垂れてた。か細い声が、耳から離れないとね」
「そう……」
「でも、間違いだったんですよね」
僕は、フィリアが呟いたのに、つい口にででしまった。余計かとも思ったけれど……仕方がない。
何か察したのか、シャルロッタの僕を見る目が冷たくなった気がした。
「ああ、きっと気付いていたんじゃないか。彼を上に戻す為に、敢えてそう言った様に思う。あくまでも、そう思うだけで、確かでは無いけれど。それで、彼は彼女を看取ってから、後ろ髪を引かれるのを振り切ってその場を後にしたそうだ。一つの事を除いて」
「一番始めに食べた」……フィリアの小さな声。
「そうだ。何かに言われてそうした様に、だそうだ。後は、上がるにつれて、装備と引き換えに監視者を何体か食べたそうだ。信じられないが、その男が嘘をついている様には思えなかったな。それで、ウィルの所の騎士の話を信じれたよ」
――ダニエル。駄々もれだけども。報告だから当たり前なのか。……そこに唐突が訪れる。
「暴然の飢属とか言ったな。そいつが食えば戻れると言ったから食ったんだ」
「オース! えっとね、あれ、その」
「俺の話か?」
瞬間的な駄々もれ、フィリアもたじたじになり、僕もシャルロッタも身震いする感じに固まった。
「やるなら外でやろうか、リーパ殿。ピエールお相手して差し上げて」
「……そうか」
黒剣さんの「そうか」までで、僕ら三人とメイドも執事も固まったけれど、相当な三人は冷静だった。
……でも、『やるなら』とか何? だけども、本気ですかと。 いきなりの展開に、腰に手がいった。勿論、フライパンは、今吊るして無いけれど……。




