姫のポテンシャル
「本当に居るんだな。」
週が明けた朝。
いつもより遅めに起床した明人は、気持ち慌てて支度を整え通学路を歩く。学校が近づくにつれて視界に入る生徒がいつもより多いのは気のせいではない。
少しでも睡眠時間を稼いでやるという気持ちが如実に現れた光景そのものだ。それは皆が朝のルーティンを忠実に守っているせいか生徒の顔ぶれも知らない者ばかりである。一人を除いては。
明人の後ろの席と豪語するその人は後ろから見ても判別可能なオーラを放っているようで、栗色の髪が太陽に照らされて光沢を放つ。一人だったのもつかの間別の女子生徒に声を掛けられそのまま楽し気に歩き、そして校門を潜った後も会話は続く。友達は別クラスだったようで教室前で分かれた後、自身の席についた。
まるで明人がストーカーしていたような文面だが勘違いはいけない。最初から最期まで同じだったのだ。
彼女が席についたのを確認し、明人自身も腰を掛けようかと思ったときに、ふと自然と出た言葉。
悪気はない、ただ、そう、学園の有名人が後ろの席であることを目の当たりにすると誰だって驚くと思うんだ。
「君さ、何気失礼だよね。」
視線だけ明人の方を向けてそれだけ言うと咲宮は関心がなくなったように、鞄から取り出した携帯をいじり始める。
先ほどまで笑顔を絶やさなかった咲宮の変化は著しい。謝罪のタイミングを見失った明人はそのまま席に着いた。
「ラッキーだよな」
昼休み、陣がおもむろに明人の席に座り込み、教室のある一点を見定める。
「いきなりどうした、陣?」
陣は同じ方向を見ろとばかりにあごを向けた先には一際大きな女子グループ。
言いたいことが理解できないまま、明人が首を傾けると陣は大きくため息を吐いて仕方ないとばかりに答える。
「咲宮と同じクラスってことだよ。2年連続なんて中々できることじゃないぜ。」
「ああ、確かにそうかも」
「反応薄いな明人。咲宮の前の席取っていながらお前ってやつは。もう少し何かに興味を持ったらどうだ?」
「他人を無趣味みたいに言うのやめろ。帰ったらちゃんとゲームしてる」
「そういうことじゃなくてさぁ..」と横で呟かれながら明人は一人思案する。
彼氏一人作らず、悪い噂一つない。
いや噂でいえば誰とでも距離を縮められる才能があるらしい。
非の打ちどころがない人間は存在した!が、絶賛わだかまりを残す関係なのが悔やまれる。
「でも珍しいな。陣がそういうこと気にするなんて」
陣はモテるのだ。部活は野球部のエース投手、県選抜。
肩書だけで人は集まってくる、そういう人間。
とりわけ異性には困っていないはずなのだが、いくら黄色い声援を浴びたとしてもそういった話は一度も聞いたことがない。
そんな彼が気にするわけで、明人としても面白い答えが聞けそうだと思い聞いてみたというわけだった。
「ん?ああ、なんというか、いいやつなんだあいつは」
「惚れてるのか」
「結論を急くな成瀬。前に出てどうするっていうタイプじゃないが、性格がな。男女両方に融通が利くし、単純に変ないざこざが起きねぇ。去年だって覚えてる限りほとんどないぜ。」
「お前の覚えてるは信憑性薄いんだが」
「一番良いのはやっぱり..」
陣は改めて咲宮を見て、納得したように頷く。
「顔か?」
「バッカ。授業中の快眠が約束されることだろうが!俺が困るのはいきなり口喧嘩が始まることなんだ。」
「最後しか同意できないのは俺だけじゃないと思うぞ。」
色恋沙汰ではないだろうとは思っていたが変な方向に話が進んでしまった。
「わかるわ~」
「どこに共感したんだ天音は」
そこへ口を挟んできたのは天音夏。
薄紫の長い髪が特徴の、明人が唯一の女子の友達と呼べる人物。
どこか涼し気で人懐っこいその声は咲宮と一線を画す形で他人と距離を縮めるのが上手い。
「みさきの話でしょ?女子からもこれと言って悪い印象はないし、頼りがいあるわよね、あれは。」
「全くだ」
陣と天音両方が深く頷く。明人自身去年を通して全く面識がなかった。
しかし、友人の評価としては最上級。
出来ることなら是非友達になってみたいものである。
「そうね、一つ言えるのはあんたたちみさきのこと見すぎ。」
気付いた瞬間時すでに遅し、悪気なんて一つもないのだが咲宮からすれば不愉快以外の何物でもないだろう。
彼女からの突き刺し返すような視線に明人たちは撤退を決意した。
「──。」
授業が始まるということはホームポジションに戻ることと同義である。すなわち、背中から突き刺すような視線を感じ続けていた明人は後ろを向いて素直に謝罪することにした。
「えっと、ご..」
「気にしてませんのでー」
咲宮の目を合わせず、有無を言わさぬ言葉がそれ以上の全てを阻む。
観念したように再び前を向いた明人はおもむろに教師の頭上に目を見やった。
まだ授業終了まで長針が半周程度距離を残していることを確認すると疲れたように大きく息を吐いた後、左手をお腹の前に持ってくる。そして右手を弱弱しく挙手。これで構えは完成だ。あとは
「先生、腹痛です。」
「んーっ。座ってるときの姿勢が悪いせいか腰が痛い...」
伸びるようにして、明人は両手を頭の上に組んだまま手のひらを押し上げる。
授業を抜け出して屋上の扉を開けた先、開放的な空間でやるコレ最高に気持ちいい。
現在進行形で扉の前に突っ立っているものの、今の時間誰が通るわけではないので思いっきり占領できる。
授業中だからこそ成せる業だ。
心地よい風を体いっぱいに受け止めた明人は屋上に並ぶようにして設置された二つしかないベンチの片方を目指す。
座れば3人分はありそうなものだが一人で座ると贅沢な気分、今のように誰も居ない屋上だとなおさらだ。
「...。」
訂正、誰も居ないというわけではない。誰も居ない方が片方にも都合が良いのだ。
「──。」
明人は顔はそのままに目線だけもう一つのベンチに投げかける。
直視しないのは先ほどの経験から学んだから。興味本位でもなんでも人の顔を見つめて怒りを買うのはもう勘弁である。
まず目につくのは金のそれは生粋の色。
そしてハーフのような綺麗な顔立ち。名前は知らないがそれは何故か、
「こんのっ...」
難しい顔をしてイライラしていた。
いつも明人が見かけるときは何かを考えているような雰囲気なのだが、今日は特別何かがあったらしい。
それだけを確認し終えた明人は何事もなかったように目線を戻し、暫し目を瞑ることにした。
─思い出すのは、一年の春ごろ。思えば明人は入学初期の段階で屋上に来る癖があったようで週に一度ほどのペースでサボっていた。
初めて見た光景で印象が強いのは金髪女子が何かを考え込むようにして一人ベンチで耽る姿。
今は授業の真っただ中、こんな状況下で出逢った彼女に興味がないと言えば嘘になる。
始めの頃は屋上を訪れる明人に一瞥くれるだけだったが、何度か訪れているうちにやがてそれも無くなり今の状態に落ち着いてしまったというわけだ。
声をかけてこない状況を見るにお互いがお互いのことを知らないわけで、会話が生まれるポイントは皆無である。
それに本来誰かと話すために屋上へ上がったわけでもないのだから自身のテリトリーさえ荒らさなければ特段問題はない、と明人は結論付けた。
だからこそ先ほどの言葉から察するに、少なからず良い感情を持ってここを訪れていない彼女に対しても出来ることはない。
学園生活の禁忌を犯した、いわば共犯者、暗黙の了解のもとに居場所を分け合っているにすぎないのだから、それ以上のことはないのだ。
少なくともそう考えている明人からは。
「サボりは良くないわ」
「なっ!?」
初めて聞いたその声は凛としていて、そして正論だった。
慌てて声のした方を向くと、先ほどまで唸っていたはずの女子生徒はまっすぐ遠くを見つめたまま。
「聞こえなかった?サボりは良くないって言ってるの。」
明人に伝わってないとみたか、軽く咳ばらいを入れてもう一度繰り返される注意。
「ああ、聞こえてる。」
「そう、なら早く教室に戻った方がいいわよ。二年生での内心は大切にしたいでしょ?将来のためにも」
「内心?そういえば始業式の連絡事項で重要だなんとか言ってた気がする。」
明人自身で決めた適当なルールがここまで来てまた彼の足かせとなる。金輪際、連絡事項を聞き逃さないようにしなければと思っ...
もっと大事なことがあった。
「いや、おかしくないか?」
「ん?何がよ」
売り言葉に買い言葉ではないが、眉間に皺が寄りそうな口調で返す金髪女子。
「俺たちの信頼関係はどこに行ったんだ?一年間共に生き抜いたパートナーじゃなかったのか俺達は」
「うん、ちょっとよくわからないかも。貴方の言ってることが」
これに関しては明人の勝手な解釈だ。
言葉にしたのはそうだったらいいな、という少なからずの希望。
速攻で破綻したので傷口が広がらないうちにストップをかける。
「忘れてくれ。おま...あんただってサボってるわけだろ?お互い様だ」
「言い直した意味ある?お前でもあんたでもなく、五鈴レア。」
「私は良いの。」
「ああ。で、それはあれか?サボることに人生を注いだってやつか。」
「それなら俺は週1でしか来ないし、程々にしているつもりだ」
「なんかちっちゃいわね。私は許可もらってるから良いの」
「え?サボらせて下さいって申請すればいいのか」
明人が今日まで生きてきて初めて聞いたシステムである。
ベンチの最大数は決まっているので他言はしたくない。
「そんなわけないでしょ。バカなの貴方」
期待を一蹴するように言い放った後、落ち込む明人に
「あくまで忠告だから。聞いてもいいし聞かなくてもいいし。今日は特別。もう二度と話しかけないから安心して」
そう言い残すと腰かけていたベンチから立ち上がり屋上から去っていくのを明人はただ見つめていた。
もう二度と話しかけない
明人が不思議とその言葉が信じられたのは、ほとんど最初から最後まで興味を持たれていなかったように感じたから。
「帰るか」
結局授業終了5分前までサボっていた明人は、ゆっくりと重い腰を上げたのだった。
「さすがに風が冷たい..」
自由と引き換えにすっかり冷え切った明人が屋上の階段を下りる。
「どうしてここに居るんだ?」
「偶然だろうな。」
「偶然じゃない?」
踊り場から教室に向かおうとしたとき、陣と天音の二人が待ち構えていた。
一度はスルーしようと思ったが進路を妨害してくるので仕方なしに会話を始めた明人。
「サボりなら付き合うぜ」
「私は関係ないけどね」
「関係ないのか。今腹痛が治ったところだから戻るぞ」
明人を心配して身に来てくれたのは有難いのだがサボりは終わったのである。
内心を下げないためにも授業中に帰るのが良いだろう。だがその言葉に驚愕の顔を浮かべたのは陣だ。
「俺も腹痛で出てきたばかりだからそれは困る。今戻ったら嘘を付いたのがばれる」
「終了5分前で腹痛退出ならもう戻る気ないだろ、それは」
「屋上寒かったんじゃない?」
「そうだな。でも今日は話し相手が居たんだ」
「他にも明人みたいな変態がいるのね。サボるなら直に保険室行けばいいのに」
明人としても同意見だ。こんな寒い中危険を冒して屋上にいくのはあまり一般的ではないことぐらい分かっている。
「そのサボりなんだが、良いサボりらしいんだ」
「バグね、それは」
またしても同意見である。
「なんだったかな、名前は...」
会話の流れの中出た名前を思い出すようにして明人は名前を告げると二人の顔は一変した。
「おおー、やるな明人」
「駆け落ち?駆け落ちなの?明人あんた人生の階段を上って...」
「天音の飛躍は放っておくとして、それはどういう意味なんだ?」
気になる言葉を発した陣に向き直る明人。
「男子からは彼女にしたい女子生徒No.2。もちろん1位は咲宮だ。頭も良いし教師から一目置かれているって感じだな。ただ...話しかけにくい雰囲気だ、あれは。」
「だろうな。今日話せたのはその五鈴ってやつから話しかけてきたからなんだ」
「そ、それで話した内容って...」
先ほどまで口をパクパクさせていた天音が真相に迫ろうと、唾を飲み込んで聞く。
「サボりを心配されただけだよ」
「なるほどね。サボってる五鈴さんが、サボってる明人のことを心配したわけね、なるほどー。」
「おかしくない?」
その下りは一度やったので、後のことは教室に戻って話すことにした明人だった。