周囲の明日、自身の明日
美沙は隠すわけでもなく、その胸の内にあったものを言葉にした。
「もともと桜霞とはほとんど話したことないよ。たまに挨拶ぐらい。だけど、度々美沙と目が合うし何か言いたいことあるのかなー?って思ってた」
「美沙は別に話すことなんてないし、そこまで気にならなかったんだけど桜霞がね。相談しに来てくれたんだ」
「─あの、本山さん...」
放課後、美沙は何時ものように仲の良いグループと混ざって教室を出たとき、聞きなれない声で名前を呼ばれ足を止めた。
「んー?あれ、夕凪。どしたの?」
「あ、えっと...あの...」
足を止めてもらったのだから、早く話さなくちゃいけない。そう思えば思うほど夕凪の口は動かなくなる。何しろ話しかけたこと自体初めてなのだ、理由があるとはいえ極度の人見知りである夕凪にとって他人との会話は高いハードルだった。
それに夕凪の目の前で足を止めているのは本人だけだが、元々隣に居たグループは離れたところで二人を見つめ用事が済むのを待っている様子。
中には苛立っている人もいるようで「早くしろよ」という言葉も聞こえてくる。
「んー?」
それでも美沙は不思議そうな顔でジッと目を見つめて、答えを聞く姿勢を崩さず夕凪の口が開くのを待った。
「...。」
だが夕凪はグループの視線を気にしてか口を結んで下を向いてしまう。
「本山ー?」
ついに黙り込んでしまった夕凪を見て、グループの一人が痺れを切らし美沙に声をかける。この後に予定でもあるのだろう、時計を気にしているのが見て取れた。
「あー、うん。わかった!」
「っ...」
その声に反応するようにしてグループの方に向き直った美沙。思わず置いて行かれる気がして小さく声を漏らした夕凪だったが、その予想が現実になることはなかった。
「先に行ってて!後で美沙に連絡よろしく!」
大きく頷いたグループの一人が手を上げて応えると美沙を置いて下の靴箱へと向かっていった。
その後ろ姿を見送るようにして、再び夕凪を振り返った美沙は
「屋上で話そっか!...あ、一回飲み物買いたいかも。」
コクン小さく首を振った夕凪を見て嬉しそうに手を取った。
「よし、聞こう!」
自販機を経由して屋上へ繰り出した二人。校庭が見下ろせるフェンス際まで歩くと、美沙は後ろについてきていた夕凪を振り返り任せなさいとばかりに小さな胸を張る。
「いいの?周りにいた人って...」
「いいのいいの。煩いけどいい奴らだからああ見えて。ふふっ、これ聞かれたら絶対なんか言われそう」
「美沙で良ければ聞くから」と言い残した彼女は持っていた缶のプルタブを開ける。プシュッと聞こえた炭酸特有の音と夕焼けの空が夕凪の気持ちを軽くさせた。
「私は...人見知りを直したい。」
「...。」
「だから、本山さんに力を借してほしくて...。...お願いします。」
言い切って頭を下げる夕凪。
「...本気、なんだ?」
今までの明るい声色から一変、真剣な雰囲気に顔が強張る夕凪だが、美沙を見て強く頷いた。
「...おっけ。ちょっと待ってて」
決意の見える瞳から気持ちは伺い知れた。美沙からすればそれだけで十分だった。
視線は美沙に向けたまま、どんな返事が来るものかと肩を震わせていた夕凪は、あっさりとした答えに驚いたのか驚いた顔で美沙を見つめる。
「うん、そう。大事な用事が...。今日はパス...、ごめんね」
聞こえてくる内容から察するに先ほど居たグループとの約束を断ったのだろう。
「いいの?」
「うん。全然いいよ。」
「...断られると思ってた。ほとんど話したことないし、それに本山さんにメリットないから。交換条件があっても、おかしくない」
「いや、交換条件なんてないから。」
笑みを浮かべた美沙の存外軽い態度に夕凪の瞳に疑問が見える。美沙としては話しやすい雰囲気を作ろうとした結果なのだが、それはそれで裏目に出てしまったらしい。
一瞬の静寂、そして何を思ったか美沙はおもむろに持っていた飲料を一気に飲み干した。
「ぷはーっ!炭酸がきつい...」
「...。」
どんな疑念を向けられようと、美沙は頼みを聞いたわけでこれから協力し解決方法を探すことには変わりない。しかし、この関係性ではスムーズに進めるのは難しいと感じた美沙は夕凪に背を向けてフェンス越しの遠くを見つめる。
「美沙にはね、兄貴がいるんだ。一つ上の」
「...。」
「で、勝手に友達を家に連れてきてどんちゃん騒ぎでうるさいし、たまに帰ってきたと思ったら一人泣きしてて本当めんどくさい。なんでこんなのが兄貴なんだろうってずっと思ってた。」
「中学になってもほとんど話さなかった。だけどいつの日か兄貴の友達は一人で楽しく遊んでた美沙に絡んできて、距離を作っても毎回詰めてくるの。でね、ちょっとずつ話すようになってきて気づいたんだ」
「美沙が中学で一人だったこと、兄貴は気づいてたみたい。美沙が嫌ってることを知ってたから兄貴からは話しかけないようにしてたんだって。ほんとバカだよね。勝手なイメージを作って話聞かずに遠ざけてた美沙はなんて小さいんだろって思った。」
それだけ言い切ると、美沙は夕凪を真っすぐ見つめて言葉を続ける。
「そのとき兄貴かっこいいなって思ったんだ。美沙にも出来ないかなって思い続けるうちに、そこからかな、誰かの力になりたいって思うようになって。」
「美沙はね、本気で困ってるなら助けたい。しかも美沙の得意分野じゃん。ま、美沙の生き方がそうなんだから仕方ないよ、相談した桜霞が悪いんだから」
いたずらっぽく言い放ったのは照れ隠しのつもりだろうか、真面目なセリフなんてあまり慣れてないらしい。
「それにメリットはあるよ。」
小さく首を傾げて疑問符を浮かべる夕凪に対して
「成功報酬は夕凪の信頼と笑顔。笑ったら可愛いと思うなー!美沙とは別ベクトルで可愛いから競合の心配もないし。」
美沙が成功したその先で待ち受ける笑顔を頭に思い浮かべながら話していると、
「...ふふっ。変。」
「変っていうな!」
それから名前で呼び合うこと、これからのことを気が向くまで話し合った。
「それで、なんで美沙に相談したの?話しやすい友達とかでもよかったんじゃない?」
「だって...出来る人に聞くのが効率いいから。」
「なんて生き方...桜霞の未来が恐ろしいよ美沙は」
「─とまぁこんなとこ。」
二人の状況は理解したと同時にこれだけ話してくれたわけで、その本気度は十二分に明人に伝わっていた。
「その話俺にして良かったのか?お兄ちゃんに言っちゃうかもしれないぞ?」
「明人はそんなことしないよ。お兄ちゃんの友達だからね」
陣が妹を愛でる気持ちが分かってきた。頼りになる兄の背中を見て育つ美沙の今後が楽しみである。
「話を戻そう。今までの話をした上での提案なんだが」
「ストップ、明人。一応言うけど、いくら本気だからっていって力技は反対だよ。人見知りが悪化するなんてのは最悪なんだから」
その言葉に苦笑する明人。
「美沙は陣に似て来たな。」
「え?やめてよ、もうちょっと言い方あるでしょ?心配りが出来るとか、なんとか」
「で、俺の提案なんだが夕凪」
「...何ですか?」
また期待外れのことを言われると思ってかその瞳に宿る灯は薄暗い。だが明人にとっては起死回生の一撃になり得た。
「ゲーマージャムってのはどうだ」
「あー。これだ、これ。」
明人が連れてきた場所の壁に小さめながらも見栄えのするポスターを指さして強調する。
「何これ?」
「実を言うと俺も良く知らない。だけど、腕前関係なく見知らぬ人達がわいわい集まってゲームをするらしい。見た目もカジュアルで取っつきやすい感じだから、これなら趣味と並行してるし行きづらさは解消できるんじゃないか?」
そういって美沙を見ると「おー!」と上々の反応。方向性は間違っていないようだ。後は...
「夕凪はどう思う?」
「...。」
口を結んだ桜霞は黙ってそのポスターと対峙する。
正直ここが一番難しい。とはいっても結局は他人と会うのだ。一歩踏み出すのは未知の領域に首を突っ込むということ。変化に弱い人にその決心は重たくのしかかる。
「...でも。」
「桜霞」
視線を下に落としている桜霞の傍に駆け寄る。
「無茶はだめ。でも美沙はこれが今の最善だと思う。ここまで桜霞がついてきたからチャンスが巡ってきたんだと思う」
「桜霞が行くなら私も行く」
「...。」
「決めるのは自分なんだ夕凪。自分の人生は自分で決めるしかない。でも自分で決めるから意味があるんだと俺は思う。それに間違っても美沙がいれば大丈夫だ。陣の妹だからな」
それから明人と美沙に向き直るようにして大きく息を吐いた桜霞は決断する。
「分かりました。...やってみます」
「やったー!うんうん、これいいと思う!うーん、ワクワクしてきた!ゲーム好きだし。ソーシャルゲームだけど」
「なんで美沙が張り切ってんだ...」
それからはトントン拍子で参加が決まり、二人からのお礼を受けた明人はそのまま本来の買い物を済ませて帰路についた。
「30分が4時間かかるとは。偶然って恐ろしい」
購入したコントローラーを本体に繋ぎながら、いざゲームを開始しようと思った明人だがその手が電源を入れることはなかった。
「...。何やってんだろうな俺は」
先のやりとりが頭の中を動き回る。夕凪に言った言葉だって本心なのか分からない、夕凪に言ったのかそれとも自分に言い聞かせたのか。
1つ言えるのは夕凪も美沙も、それに空見も自らのために明日を見て決断した。それと同じように明人が行った過去の決断は自身が前に進むための一歩となり得たのだろうか。
明人自身が悩んで選択した結果。自分がこうしたいと考えて、叶えた世界。
何もおかしなことはない。前に進んでるはずである。
「明人はそれでいいの!?自分の好きに嘘を付ける!?あり得ない、明人それはね、それは...」
「──ッ!?」
いつの間にか寝ていた明人は、何か強烈なものから逃げるようにして飛び起きる。
時計を見ると時間は明朝。起きるには少し早いが、明人の目はとっくに覚めていた。
早くから学園に出向き、一時限目から授業をサボる。
その足で向かったのはいつもの場所。
そこで電子タバコを吸って佇んでいる後ろ姿に声をかけた。
「今は授業中じゃなかったか?成瀬。」
「色々ありまして。...山城先生」
山城の隣に並ぶようにして足を止めた明人に対し、視線を向けることなく話し続ける。
「教え子が嘘ついてサボるのはなんとも心苦しいものだよ。」
「絶対思ってないですよね」
明人の言葉にフッと笑みを見せた山城は遠くを見つめる。
「私はこの学園に来て中々楽しいと感じている。何かを教えるのも嫌いじゃない。意外と休みはあるんだ」
「いいじゃないですか」
「うん。でもな、刺激が足りないんだ。潰されるようなプレッシャーもなければ明日一日で人生が変わってしまうような日もやって来ない」
「小さな腹の探り合い。下らない世界だ。そんなことの為に人生生きてるのか?と思うんだよ私は」
吐き出すだけ吐き出して、明人の方に向き直り目を見合わせるのはいつになく真剣な表情をした山城。
「私はな、成瀬。お前がやりたいならサポート出来る。もちろん強制はしない。私の身勝手にお前を巻き込むことはできないが、お前の人生に私を巻き込ませるのはいいんだ。」
「...はい」
「それだけだな、私が言えるのは。」
そう言い残すと山城はまた、ゆっくりとタバコをふかす。
変わらないな、と思ったことは明人の胸の底にしまう。過去の語らいのために来たわけではない。
「俺は皆のように正しい決断をした。転校したのは自分の意志で自分に正直に生きた結果だと思っていました」
「ああ。」
「でも何故でしょう。押さえつけて薄れてきた心の靄はやっぱり消えることはなくて、何が正しいのか分からなくなって。」
「昔の決断は後悔してません。悩んで悩み抜いたものだからです。ただ常に自分に正直に生きないと後悔するかもと考えるようになりました。」
「多分俺はずっと後悔してたんです。でもそれが何かはまだわかりません。ゲームを辞めたからか、あの日々が楽しかったのか。」
「だからとりあえず、行動してみようと思うんです。」
「今が停滞しているんだっていうのは周りを見て理解出来ました。それが山城先生の期待する結末を迎えるか分かりませんが。」
言い終えた後で山城を見やると、頭に手を当ててなにやら考え込んでいるように見えたが勘違いらしい。
「はっはは...」
「笑うとこありました?」
いきなり笑いだす山城に恥ずかしい告白をしてしまったのではないかと戸惑ってしまう明人。
思えばこんな気持ちを誰かにぶつけたのは初めてかもしれない、その相手が山城で良かったのだろうか?という疑問すら頭をよぎる。
「いや、全然。ああ、いい答えだと思う。面白くなってきたなぁ成瀬!」
「なんで俺より盛り上がってるんすか」
明人の口には笑みがこぼれ、1つ心の荷が下りたようなそんな気がした。
そのまま雑談していると五鈴が入ってきて睨むような視線で明人を刺すので、会話を中断して教室に戻った。