1つ屋根の下で
「──!?」
外は夜更け。なぜか自分の家のベットで寝かされていることに気づき、体勢を起こした。
「んっ...痛っ...」
重たい痛みに額を押さえると、身に覚えのないシートがぺらりと剥がれる。誰かが張ってくれたらしい。段々とはっきりしてきた意識の中部屋を見渡す。
窓から差し込んだ月明かりで容易に状況を確認することが出来た。
「そうだ、私...」
ベットに横たわっている五鈴と、部屋の中央に置かれたテーブルの上にはコンビニ袋。そして脳裏に浮かんだその人は部屋の扉すぐ横で腰を壁に預けるようにして寝息を立てていた。
「友達でもない人を家に入らせるなんて。どうかしてるわね、ほんと。」
それだけ言い残すと脱力して再びベットに倒れ込む五鈴。この様子だと彼も朝まで起きることはないだろうと判断し、重たいままの頭を枕に乗せ再び深い眠りについた。
─バチン。
目覚まし時計本日の役目を終了させ、五鈴は何度目か分からない眠りから覚める。
「...。」
五鈴は朝が早い方ではないので、学校に遅刻しないためには即座に行動する必要があるのだが、そんな素振りを全く見せることなく明人を一瞥すると、テーブルの上に置かれた袋を持ち部屋を出た。
「んー...」
疲れの取れない姿勢で寝ていたため、寝起きとしては最悪なものだった。最低でも横になるべきだったなと想いながら明人は寝ぼけ眼をこするようにして、見えている光景とここに到るまでの経緯を思い出す。
「そうだ。女子の部屋で寝てたんだ、俺。」
誰に聞こえるわけでもなく呟く。遅くまで起きていたせいか、ぼーっとする頭は冴えていない。
「いすず...?」
それでも彼女が寝ていたであろう場所に目を向けると、そこには乱雑になった布団のみ。そこに人の姿はない。
「あいつッ」
調子の出ない体を持ち上げ、リビングへ向かうとそこには昨日の様子とはまるで正反対、キッチンでせわしなく動いている五鈴がいた。
エプロン姿で。
「おそ。おっそいわよ、あんた。もうすぐご飯できるから顔洗って待ってなさい」
「怖い台詞に聞こえるけど、わかった。起きたときからいい匂いがしてたんだ」
「私が作ってるんだから当然よ。あ、洗面所はさっき寝てた部屋の向かいだから」
「ああ...」
未だ覚醒しきれていない明人は弱弱しく頷いて洗面所へ向かう。
水道水が冷たく感じる季節ではあるが、しゃきっとするという目的なら効果抜群だ。
「もう大丈夫そう?」
「スッキリした。というかそのセリフは俺が聞きたいんだけど」
「まぁまぁ、とりあえず座って。用意出来たから」
「─いただきます」
用意されていたのは立派な定食。ご飯に味噌汁、ほうれん草のお浸しとハンバーグ?は置いておくとして、普通にお金が取れてしまうレベルじゃないかと思う。しかも
「味噌汁美味いぞ。味噌か?これすげー美味いな」
インスタント主体で生きる明人には衝撃的な旨さを誇っていた。味噌汁だけでご飯が進むなんていつ以来だろうか。
「わかってるじゃない。味噌は好きで拘ってるのよ」
友達でもなく知り合いでもない、異性の家で二人食卓を囲む機会が訪れるなんて思っても見なかった。
しかも相手は五鈴レア。
綺麗な金髪のツーサイドアップがバッチリ決まっている。
明人の視線に気づいた五鈴は「...何よ?」と問う。
「いや、誰かと食卓を囲むのは久しぶりなんだ。ちなみに朝から暖かい食べ物も久しぶりだ」
「そう。悲しい一人暮らしね。」
「...味噌汁お代わりある?」
「...え、ええ。ちょっと貸しなさい」
ちょっとした皮肉より、味噌汁の方が上らしい。五鈴は照れ隠しなのか一瞬和らいだ表情をみせるもいつも通りに戻るのが面白かった。
「とっくに授業始まってるよな?」
食事も終わり、後片付けの手伝いを申し出たが断られ、食器を洗う五鈴に申し訳ない気持ちを残しつつソファー座ったところでようやく事態の緊急性に気づいた明人。
「そりゃ平日だしね。当たり前じゃない?ちなみに私は休みの連絡してるから。まだ体は重たいし」
「そっか。そうだよな、俺は...」
片付けが終わったのかテーブルを囲んで明人が座るソファの横、一人用のチェアに座り優雅にティーカップを置いた五鈴。
「私なりに借りは返したし、後はお好きにどうぞ。昨日体洗えてないだろうから、必要ならシャワー使っていいわ。使ってないタオルあるし、それ上げるから。」
まるでガムでも食べる?というニュアンス。
そしてどこから持ってきたのか、一冊の本を取り出し探し当てた頁を開くと足を組んでに文章に集中する。
「...。」
「ああ、お風呂場は洗面台の...」
「ちょっと不用心すぎないか。名前も知らない男にここまでするなんて。...例えばここで五鈴を襲うかもしれないだろ。」
「そうかしら?私としては借りがあるし早めに返しておきたいだけよ。それに武術習ってたからあんたに負ける気しないし。」
「そういう問題か?」
「他にどんな理由があるっていうのよ。」
「...じゃあ、有難く。」
「はいはい...」
シャワーを浴びる前に学園に連絡。
空見達のこともあって行きづらい気持ちがあるのは確かだったので、これに乗じて一日ぐらいと休むことにしたのだ。
「それ、落ち着いたら帰りなさい。私から話すことは何もないわ。」
明人がタオルで頭をふく仕草を目で指しながら、五鈴はリビングから出ようとする。
正直居ても居なくても変わらない、という感じがひしひしと伝わってくる。女子って皆こうなのだろうか。
「五鈴。」
そのまま部屋から去り行く五鈴に対して明人が一言だけ問う。多くを聞こうとは思わない、ただ、これだけは聞いておきたかった。
「昨日泣いてた理由ってなんなんだ?」
聞けたのは多分、距離が遠いから。
これから話す仲になるわけでもないし、恐らく距離はずっとこのまま。
なら疑問はここで解消してもいいというのが明人の結論だった。
足を止めた五鈴は振り向かないまま問いを返す。
「話すと思う?あんたに」
「借りがあるからな。暇なんだこう見えて」
明人の言葉に振り返った五鈴の口から聞こえたのは意外なものだった。
「こんな部屋が五鈴の家にあったのか」
「私しか使わないし、知らないし、あんたが知ってた方が驚きなんだけど」
「─ゲーム出来る?」
そう聞かれたが最後頷いて連れていかれた先は一言で表すならゲーム部屋。
ハード毎に整理整頓された棚はいつでも遊べるようにスタンバイ。
奥の机に置かれたPCは最新のもので有ることが分かる。
PC、据え置き、端末、なんでも有りだ。
「ゲーム好きなのか?」
「嫌いな人っているの?世の中に」
「なんでいつも売り言葉に買い言葉なんだよお前は...」
明人が小さく突っ込んだ呟きは五鈴には聞こえず、その後二人が対戦できるゲームを中心に没頭。気づけば外は暗くなっていた。
五鈴は頑固な負けず嫌いを発揮、序盤いくつかの対戦ゲームで明人が勝ちが目立ったため、明人が休憩中でも次こそはと練習を続ける五鈴。繰り返しプレイする中で明人は一つの答えにたどり着いた。
「五鈴は何かのプロゲーマーだったりするのか?」
なんとなしに聞いた明人。五鈴の握っていたコントローラーの動きが止まる。
「そう見える?」
「可能性としてだ。この前言ったサボりが良いってのを調べたんだが、特別特待生だったんだな。それならある程度学園をサボれるのも納得できる話だ」
特別特待生は入学する際ある方面に一定以上のスキルがあればそれを支援する形で入学するシステムだ。
スキルが認められ一流になれば学園側も宣伝になり、学生のうちから金銭的面でサポートが受けられる仕組みはどちらにも理のある形と言える。
ただそれが誰なのか、は一切公表されておらず、実績をだして初めて名が上がるのだそう。それはひとえに学生側に配慮してのこと。
入学前にそういう枠があることを知る人間は多いだろうが、入学後その言葉を使う人間は皆無。明人も調べて思い出した程度だった。
「調べたんだ。...ま、実際そうだからいいんだけど。だけど」
「プロじゃない。私はただ目指しているだけ。」
締め付けられるような感情のその奥には入ってはいけないような気がして、明人はその先を問うことはなかった。
そして帰り支度を済ませ玄関前。
「本当はもっと落ち込んでるはずだった。まぁでもあんたのお陰で少しは楽になった気がする」
「もっと素直になっていいぞ。嬉し...」
「あなたはe-Sportsを辞めて後悔してないの?」
その言葉に驚いて振り向いた明人を真っすぐ見定める五鈴。
今まで落ち着いていた明人の声色は強くなる。
「どうしてそれを知ってるんだ」
「いいから答えて。さっきの仕返しだから、これ」
元はと言えば明人の方から始めた話でもある。仕方ないといったように悪態をつきながら今、明人が思う答えは。
「後悔してない。そう思ってた。俺の人生で一番大きな決断だったから」
「でも今はわからない。どうしていいかも分からないんだ」
空見と出会うまでは何も思い返さなくてよかった。
時間と共に過去の記憶は薄れ、新しい記憶で上書きしていければそれで良いと思っていた。
だけどこのもやもやした気持ちは段々と明人の心の中で大きくなっている。
「分からないんだ。...そうなんだ。」
その言葉を反芻するようにして呟いた五鈴はいつもの表情に戻っていた。
「じゃ、さっさと帰る。もうここに用はないでしょう?」
明人の背中を押すようにして扉を開けさせて外に出す。流されるまま外へ出た明人を撫でる夜風は湿った空気を変えるのに十分だった。
「1つだけ教えといて上げる。」
落ち着いた声で言い放つ五鈴。明人は恐らく最後になるであろう言葉に顔だけ反らして続きを待った。
「あんたゲームで勝てそうなとき微妙にニヤけるの辞めといたほうがいいわ。キモいから」
「締めの言葉がそれかよ...」
「屋上では今まで通りで。ここに来たのも内緒だから。わかった?」
「...りょーかい。」