惰性の放課後
「おはよ。」
「...ああ。」
昨日のような出来事の後、気まずくなったとしても朝はやってくる。
席が遠ければまだ避けられたのだが、真後ろとあっては近づかないわけにもいかず。
先に座り込んでいた咲宮に対し、遅れて明人が座ろうとすると挨拶してくれるのだから、改めて出来た人間だと感心する。
「──。」
いつもの如く繰り返される毎日が過ぎていく。休み時間に陣、天音と話すぐらいか。
始業式からここ最近はイベントが続いたせいで、こういった平和的で変化のない安定した日常は久しぶりにように感じる。
ぼーっと窓から外を眺めて、帰ったら新作のゲームで遊んで。うん、悪くない。
必要以上に干渉されず、やりたいことをやる。心が安寧を求めて何が悪いというのか。
自分の気持ちに正直に生きるのが一番なのだから。
「おい!成瀬、話聞いてたか?」
「はい!聞いてませんでした。」
担任に嘘をつくことは出来ない。
7,8割聞けていたなら可能性に懸けるが、何も聞いていないので論外だ。
「お前なぁ...」
「先生」
担任が小首を傾げ腕を組み、明人の話を聞く姿勢をとる。
「頭痛です。保健室いいですか?」
「あー...。ったく」
週に一度と決めている明人だったが、今日は如何せんやる気が出ない。
喫茶店での会話が頭を過って離れないことが原因なのは自分でも分かっている。
席から立ち上がり担任がいる教壇の前を通る明人。
すれ違い様担任が呟くようにして
「...授業中には帰ってこい。時間跨がれると面倒だからな」
「すみません」
戸を閉めた後で再び授業が再開された。
「スゥーーーーー。ハァーーーーーー!」
屋上で行う深呼吸は少しだけ気持ちを軽くさせる。高く、開放的な空間が味わえるのは屋上だけだ。
この空間を後一年以上も独占出来ると考えると週に何度も来てしまいたくなるほどの魅力である。
いつの間にかサボる気持ちよさ覚えてしまったらしい。
そのままいつものベンチを目指す明人。
もちろんといっていいのか分からないが、片方のベンチは埋まっている。
とはいえ、前回彼女から声をかけない、と言い渡されているので必要以上に気にすることもないだろう。
深く腰をかけて自販機で買ってきた缶コーヒーで小休憩。
肌寒い季節と温かい飲料の相性はバッチリだ。
「...大丈夫か?」
「...。」
「...応えたくないならいいんだけど。」
いつもは隣で悩んだり、唸ったりしていた彼女は、いつもは見せないハンカチを目にあてて俯いていた。
彼女のこんな姿を見せられて明人は反応するか些か迷ったものの、以前お節介を焼かれている経緯を建前といて、自分の気持ちに従うことにした。
そのまましばしの静寂が流れる。明人だって返答を期待したわけではない、後は彼女に任せるようにして屋上を堪能する。
ああ、屋上で飲むコーヒーはなんて甘美...
「あんたに話しかけられるとは...思ってなかったわ。」
その声は震えていて無理やり絞り出したかのようなか細いもの。明人が耳を傾けていなければ上手く聞き取ることはできなかっただろう。
「俺も話しかける機会がこんなにも早く来るとは思わなかった」
「...あっそ」
明人の本心は適当に流される。友達でも知り合いでもない不思議な関係。だからこそ次に投げかけられる言葉もなんとなく予想がついていた。
「でも、話しかけないでくれる?そんな気分じゃないから。」
色んな感情が混じっているのだろうか、明人を拒絶するような口ぶりではなく、今までのように強い意思を持って話している感じはない。
「...。」
友人なら、近い存在なら、その先まで問い詰めるかもしれない。
だが今の明人にとっては十分な答え。
明人が「そうか」と一言だけ呟くと後はいつもと同じ。
これでお互いのテリトリーは守られることとなった。
しばらく寛いでいた明人は担任から言われた言葉を思い出し時間を確認、慌てるでもなくベンチを立つと教室へと足を向けた。
「...りがと」
前を通る際呟かれたそれに苦笑する明人。話しかけにくいだけで意外と律儀な性格なのかもしれない。
それから教室に戻った明人が気付いた時には外は朱く染まっていて、クラスに残っているのはただ一人。いつの間にか寝てしまっていたのかもしれない。
「気付かないうちに今日が終わっていた」
信じられないような出来事をとりあえず言葉にしてみる。
そして自分に課せられた使命に気づく。
「あ。」
「...失礼しました。」
職員室に向かい教室の鍵を返す。最後まで残るのは久しぶりなので鍵置き場を忘れてるような気がしたがなんとなく覚えていたようだ。
最近は授業が終わった後、早くから教室から出ることが多かった。この時間まで残っているのは恐らく空見を案内して以来だろう。
靴箱を抜けて、学校を出ようかとしたとき、なんとなく気になる場所が頭に浮かぶ。特に用事があるわけでもない明人は思案するまでもなく、校門に向けた身体を翻した。
ドアを引くといつもと変わらない景色。そして変わらず座り続ける彼女。
「居たのか。」
視線を合わせることなく言う明人。受け取る相手は一人しかいないので些細なことだ。
塞ぎこむように顔を下げていた彼女も明人を向くことなく答える。
「暇なの?」
「暇なんだこれが」
適当な受け答えを済ませ、マイベンチに腰掛ける明人。
屋上から見える夕焼けを独り占めしたのは多分今日が初めてかもしれない。独り占めというのは少し違うだろうが、お互い居ないことで成り立つ世界なのでこういう考えも間違いではないだろう。
朱く照らされてる間は屋上に居ると決心した明人は、部活に励む声をBGMにして目を閉じる。
目に浮かぶのは過去。
──二度と戻りたくないあの場所。
e-Sportsなんて言葉は知らなかった。明人は小さいころから親に買ってもらったゲームで朝から晩まで遊び、寝る。
それを繰り返すのに意味は要らない。そして友達と遊ぶのは決まって対戦ゲーム、中でも格闘ゲームが好きだった。
お互いが実力を見せつけ合い、反省し、強くなっていく。
調べれば調べるほど奥が深く、ネットを繋げれば何時間でも遊んでいられた。
そんなとき友達が高校への進学を境に、ある部活に入る。
「成瀬も入ろうぜ!ずっとゲーム出来るんだ!絶対エースになれるからさ!」
その選択は今でも間違ったとは思っていない。
顔を突き合わせてやるのが一番楽しかったし、実際中学3年間はずっと楽しい時間だった。
高校への推薦入学を勝ち取ったのはゲームの腕前。
自然の流れだった、一番上手いのは明人なのだ。
「あいつ、すげーな。一年でトップどころか上級生に食い込みやがった...」
「何でも知ってるからな、とにかく知識の差がデカすぎる」
高校ではもちろんe-Sports部。有名な学校らしく中学に比べると10倍ほどの人数差に驚いた明人だったが、早々行われた部内トーナメント戦で3位。周りから評価される明人。だがそんなことより自分より強い人がいて向上心の塊のようなメンバーと組めることが何より嬉しかった。
元々友達はゲームが好きなだけでプロを目指そうとしていたのは明人だけである。
それから明人は更に夢中でゲームをするようになった。実力のせいか明人は引く手あまたの人気者。しかし裏では止むことのない質問に時間を取られている事実に頭を悩ませていた。
どうすれば質問は来なくなるかと考えて行きついた先。
思い出したのは元々友達間で使っていた明人自家製の攻略ノート。
それは自らの経験と知見を詰め込んだもので、明人は同様のものを作成し共有、そのおかげで部としてのレベルは向上し競争はし烈になっていく。
それが明人による貢献であることは誰もが認めていた。
そんな中帰り道、明人は忘れ物を取りに帰ろうとして部室のドアに手をかける。
「お前最近成瀬と対戦してないだろ?」
「そりゃ勝てるからな。あいつ、持ってる知識は全部共有したせいで全然勝ててないらしい」
「ああ、慈善事業お疲れ様だよな。お前教えれば?」
「いや無理。わざわざ時間かけて培った経験をああも簡単に教えるかね普通。正直、あいつもう価値なくねーか?ノートだけあれば...」
そこから先は聞いてない。ドアノブから手を放して家に帰ったんだと思う。
「家庭の事情で転校するので辞めます。今までありがとうございました。」
「...そうか。最近休んでいたから心配してたんだ。元気でな」
顧問に簡単な挨拶を済ませてもっともらしい理由で逃げた。
楽しいだけでよかったはずなのに。
もう部内の誰とも会いたくはなかった。
そういう目で見られてるんだって思ってしまったから。
転校した先では本気でゲームをしないと決めた。
そうすれば何事も比較されなくて済む。単純な勝ち負けで終わりだ。
「ばからし。時間の無駄だろこんなの」
そう言い聞かせることでしか自分を保てなかった。
「うお。いつの間に」
再び目を開けた明人は陽が落ちていることに気づき、グラウンドを走っていた運動部は姿を消している。
思ったよりも長い時間目を閉じていたらしい。これから一気に気温も下がるだろうし早く帰るのが良いだろう。
「ん?」
隣にいた五鈴は先ほどと姿勢を変えずに項垂れたまま。
寝ているのか、だがやけに肩が上下している。呼吸音が聞こえてきそう...
「...ッ。おい!どうしたんだ」
形相を変えて近寄った五鈴から返事はなく、ただ俯いて苦しそうに呼吸を整えている。
「頭、触るぞ」
左手を五鈴の額に当てて確信する。気づくのが遅かった。
入ってきたときから恐らくは。
「動けるか?五鈴。乗れ」
五鈴の前でおんぶする体制をとる明人。この様子だと一人で歩くのは厳しいだろう。後は本人が乗ってくるだけだが、
「嫌。」
強烈な拒絶がここへきて。
「それは返事するのな。保健室に連れて行くだけだって。一人じゃ無理だ」
それでも頑なにその場から動こうとはしない五鈴。それでも額には汗が浮かび体調は悪化していく。
意固地になっている理由は分からないが今はそんな場合じゃない。
「ちょ、ちょっと」
「っと。って保健室は閉まってるか、病院だな」
お姫様抱っこって意外と出来るものだなと、自身の筋力に驚いた明人に対し何度目か分からない睨みを利かせる五鈴。
お互い譲らない場面。明人は五鈴を気にしてゆっくりと足を進める。あまり体を動かさないように慎重にだ。
それが気に入らなかったのかどうなのか。
「家。」
「は?」
「病院は嫌。家に連れて行って。財布に住所入ってる..あとおんぶ。この体制きつい、私が」
途切れ途切れになりながらも注文を付ける五鈴に従うようにして、改めて体制を整える明人。
他人の鞄を弄るのは趣味ではないが仕方がない、素早く手を動かし住所を確認する。
「...なるほど」
学園から徒歩5分。それならと明人は背中にかかる体重を受け止めながら目的地へと向かった。