嫁のメシがマズ過ぎて僕のレベルが下がってしまう件
僕は妻を愛している。
山よりも高く海よりも深く。
妻のためならば、どんな困難でも乗り越えられる自信がある。
妻のためならば、モンスターの跋扈する深いダンジョンや難易度の高い討伐クエスト、果ては世界の中心にあるという、登頂を果たした者のどんな願いも叶えてくれるというウラノスの塔にすら立ち向かえることだろう。
僕は妻のためならば何でもできる。
妻に毒を出されれば、皿まで食らうのだ。
「今日は、クリスの番、だが」
ウィザードのロイゼが僕に言った。
野営地に焚かれた、たき火の明かりに照らしだされた彼の表情は真剣だ。
「本当にいいの?エルス。いつもあなたばかり……」
武闘家のミーナが僕のことを気遣わし気に見てくる。
「うん」
僕は強くうなずく。
彼らは僕の大切な冒険者仲間だ。彼らの身に何かあっていけない。
「ごめんなさい。遅くなってしまって。すぐに食事の用意をするわね」
離れた場所でウサギを捌いていたヒーラーのクリスが、その肉を手にたき火の元まで帰ってきた。
クリスは僕の奥さんだ。僕たちは同じ村で生まれ育った幼なじみで、半年ほど前に結婚した。
そして、同じパーティーの冒険者仲間でもある。僕のかけがえのない人。
「ク、クリス。俺たちはいつものように適当に焼いて食うから」
ロイゼが慌てたように言う。
「え、でも……」
「う、うん。そうだね。私たちのことは気にしなくていいよ」
ロイゼとミーナが肉を受け取り、ナイフの先に刺してさっさと火であぶり始める。
「ごめんね。二人とも。僕のわがままのせいで」
僕は二人に謝る。
「い、いやいいってことよ」
「し、新婚さんだもの。手料理を独占したいって気持ちも分かる分かる」
「もう……エルスにも困ったものだわ」
クリスはそう言いながらも、まんざらでもない表情で肉の調理に取り掛かった。
僕は、クリスが料理当番の時、必ずこう主張していた。
『クリスの作るものは僕だけのものだ!』
僕はそう言って、クリスの料理は他の二人の仲間に食べさせようとはせず、僕一人が独占していた。
実際のところ、僕は自分が極度のやきもち焼きであり、クリスの事になると人が変わってしまうという自覚はあるので、別段常軌を逸した行動だとは思わない。
しかし、クリスの食事を独占するという行為の真意は、僕のそんな性質とは関わりがない。
「おまたせエルス。さあ、熱い内に食べてくださいね」
調理を終えたクリスが、満面の笑顔で手料理を差し出してくる。
僕は大きく息をする。
さあ、勝負の時だ。
「いただきます」
僕はアツアツの兎肉の香草焼きをゆっくりと口に運んだ。
瞬間、僕の全身に稲妻のような衝撃が走る。
ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!
まっずぅうううううううううううううううううう!!
口に広がる圧倒的な生臭さ。辛いのか甘いのか分からなくなる刺激的な香草の味と香りが、素材の味を完璧なまでに殺している。
後味は、泥。泥を噛んだような味である。不味すぎて涙が出そうになる。
「おいしい?」
クリスが輝くような笑顔で尋ねてくる。
僕は妻の手料理をゆっくりと咀嚼し、飲み込みながら、ニコリと笑った。
「うん、おいしいよ」
その夜、皆が寝静まった頃を見計らい、自分のレベルやステータスが記載された冒険者カードを取り出して内容を確かめる。
レベル12 腕力B+ 生命力A+ 魔力 D 敏捷性C- 器用さ B 知力 C+ 幸運A
うん下がってる。
昨日レベルが13に上がったばかりなのだ。
仲間の中で、僕だけがステータスの上昇が遅いのは才能がないというばかりじゃない。
クルスの手料理を食べると、ステータスばかりかレベルまで下がってしまうことがあるのだ。
原因は不明だ。
しかしレベルが下がる料理を他の仲間に食べさせるわけにはいかない。
たしかにクリスの料理はまずい。
そして、恐ろしいことにクリスは自分の料理を自ら食べて美味しいと感じているようなのだ。圧倒的味音痴。
そんな彼女が作る料理はもはや凶器と言えよう。
だがそれがどうした。
愛する妻が作ってくれた料理というだけで、僕にはどんなご馳走にも勝るのだ。
不味いと言って彼女の悲しい顔をさせるなんてことは許されることではない。
ただ、僕が彼女の料理を受け止めてあげればいいだけの事。
僕は音を立てないように剣を握り、焚き火のそばを離れる。
下がったステータスは、合間を見て修練して上げればいい。
ただそれだけの事だ。
「はいエルス。川魚のソテーよ」
川魚の泥臭い匂いと、歯ごたえの悪い酸っぱいキノコの添え物との絶妙で最悪のハーモニー。マズイ!!!!
「今日はいい鴨が手に入ったからローストしてみたの」
火を通しすぎてカチカチになった癖のある鴨肉の香りが鼻腔にまとわりついて離れない。臭み消しのネギの苦味が何故か臭みを増幅している。最高にマズイ!!!!
「ごめんなさいエルス。今日はキマイラの肉しかないの。スープにしてみたけど、嫌だったら無理しないでね」
筋張った噛みきれないほどの硬さを誇るモンスター肉と、どぶ川の水のようなスープが混然一体となって僕の中枢神経を侵す。噛めば噛むほどに虫の内蔵のような苦味が溢れだす肉と、下水と海水の混合液のようなスープがベストマッチ。このマズさ、至高!!!!
クリスの料理を食べる度にレベルが下がる僕の成長の遅さもあって、僕たちのパーティーは冒険者としては三流もいいところだ。
でも、大きな活躍ができなくとも、仲間と一緒に広い世界を旅してまわるのはこの上なく楽しい。
クリスの料理が死ぬほど不味い?
食べれば食べるほど、レベルが下がる?
そんなの関係ない。
僕はただ、仲間と自由に冒険がしたい。
そしてなにより。
クリスの笑顔を見ていたい。
ただそれだけなんだ。
数年後。
うだつの上がらない三流冒険者だった僕たちのパーティーは、冒険者たちの最終目標とまで称されるウラノスの塔に足を踏み入れるまでになっていた。
この塔を制覇した者は、有史以来誰もいない。
「エルス!一人で出過ぎないで!」
「俺の支援魔法を待て!エルス!」
巨大な一眼の巨人、サイクロプスへと一人突貫する僕に、ミーナとロイゼが焦ったように声を荒げる。
でも大丈夫。
僕はこんな奴に負けたりしない。負けていられない。
僕は高く跳躍し、サイクロプスの袈裟懸けに振るわれる巨大な剛腕を避けると、複数の石柱を跳ねるように蹴り渡りながら巨人の頭上へと体を躍らせる。
「はぁああああああ!」
剣の持ち手を逆にし、剣先を逆さにすると、サイクロプスの巨大な一眼にその切っ先を突き立てた。
ぐおおおおおおおおおおおおおおおん!
サイクロプスは咆哮と共に、膝を折って顔を抱えるようにうずくまる。
僕は地面に着地すると、すぐに剣を構え、その刀身に僕の力を付与していく。
「スキル!ペネトレイションブレード!」
僕はスキルを発動し、白く輝く剣を大きく縦に振り下ろした。刀身から眩い閃光が真っ直ぐサイクロプスに向かって走り、巨人の体を縦に通り抜ける。
次の瞬間、サイクロプスの体が縦に裂け、床に広がていく緑色の血だまりの中に沈んでいった。
僕は、ふうと息を吐き、その場に胡坐をかいて座り込んだ。
「まったく。一人で張り切り過ぎだぞお前は。それと、少しは俺の活躍も残せってんだ」
ロイゼが呆れたように手にした杖で肩を叩く。
「私たちはパーティーよ、エルス。もっと私の拳を信じて」
一人で突出した僕を窘めるミーナに、僕はごめん、と頭を下げた。
彼女の言う通りだ。
でも、戦いに駆り立てるこの衝動を抑えるのは難しい。
「相変わらずすごいけど、無茶はしないでね。ヒーラーとしては結構ドキドキするんだから」
僕を諭すように言いながら回復魔法をかけてくれるヒーラーの少女。
「うん。ごめんね。気を付けるよ」
僕に回復魔法をかけてくれているのはマイア。僕の頼もしい仲間の一人だ。一緒に旅をするようになって二年以上経つだろうか。
しかし、彼女と出会う前にもヒーラーの仲間がいた。
僕の最愛の妻、クリス。
僕の最高の冒険者仲間でもあった彼女。
でも、クリスはもう、ここにはいない。
死んだのだ。
あっけなく。
今から思えばなんでもないような熊型のモンスターの爪に引き裂かれ、僕の最愛の人は僕たちの前から永遠にいなくなってしまった。
いつまでも続くと思われた自由気ままな僕の冒険は、そこで完全に終わったのだ。
「ありがとうマイア。もう怪我は大丈夫だよ。少し休んだら、先に進もう」
「うん」
「ま、それはいいけどよ。焦りは禁物だぞ、エルス。慌てるなんちゃらは貰いが少ないってな」
「そうそう。先はまだまだ長いんだからねー」
ロイゼとミーナが冗談交じりにそう言うが、彼たちが真剣に僕を心配してくれているのは分かっている。僕の心情を慮って諫めてくれているのだ。
「あ、じゃあ、簡単な食事、私が用意するよ。出発は私の料理を食べてからってことで」
マイアはそう言うと、ストレージ魔法を使って異空間に保存していた食材をいくつか取り出す。
彼女の料理は美味い。本当に美味い。
あのクリスの料理が懐かしくなるほどに。
「でもさあ、多少の無茶なら通りそうなのがエルスの怖いところだよね。私が最初に出会った頃にはもうレベル50を優に超えていたんだし。今じゃ100を超えそうな勢いだもの」
マイアが調理をしながら、呆れたようにそう言う。
僕はクリスを失ってから、ひたすらに強さを求めた。
それは誰も到達していない頂に立つ為。
「ごちそうさま」
レベルの下がらない、ただただ美味しいだけの食事を終えると、僕は立ち上がって仲間たちに告げる。
「さあ、行こうか。ウラノスの塔の最上階「神の御座所」を目指して」
僕は登る。この苦難の道を。
僕が欲しいものはたった一つ。
あの、反吐がでそうな不味い食事。
それだけだ。
私はホルホース新聞社の記者、マクベイン。
首都から馬車で五日という遠く離れたこの片田舎に、私は取材目的で訪れていた。
取材対象は、一人の老人だ。
その老人は、こじんまりとしたごくごく普通の家に住んでいた。
私が初めて彼を訪ねた時、花が咲き乱れる小さな庭の片隅で、五歳ぐらいの少年とテーブルに向かい合わせで座って腕相撲をしていた。
しかし老人は、その幼い少年にいとも簡単に負けてしまっていた。
「じいちゃん、よわいー」
「また負けたのお」
ははは、と皺だらけの顔を綻ばせる好々爺がそこにいた。
私は意外だった。
もっと峻厳な雰囲気を漂わせる老戦士の姿を想像していたからだ。
「……話すことは特にないですがのお」
私が取材を依頼すると、その老人は、そう言って困ったように頭を掻いた
。
「ですが、あなたは世界初のウラノスの塔の登頂者の一人。オリュンポスの四英雄とも称される伝説の戦士ではないですか。ぜひそのあたりの話をお聞きしたいのです」
「はてはて、弱りましたの」
どこで自分の事を嗅ぎつけてきたのやら、と困りきった表情の老人に私は畳みかける。
「あなたは、英雄としての名声を捨て、人々の前から突如として姿を消した。おかげで今やほとんど世の中から忘れられた存在になっている。一体何があったというのです」
「いやあ、まあ。そんな大した理由なんてありはせんのです。ただただ静かに暮らしたいと思っただけの話なんですじゃ」
「厭世というには、早過ぎる歳だったように思うのですが……。登頂を成し遂げた後、ご自身の価値観が変わられた、ということでしょうか。あの塔を目指す冒険者は一様にギラギラとした野心があるものです。あなたもそうだったはずだ」
「まあ、元々自由気ままな冒険が好きな質でしたからの。野心、と呼べるものがあったかどうか……」
「では、なぜあの塔を登りきることができたのです?相当の理由があったはずでしょう……やはり伝説にある神からの祝福が目的でしたか?」
その時、その穏やかな好々爺の瞳が、僅かに力強い光を帯びたように私は感じた。
「確かにそれはありましたな。じゃが、それは語ることはできんのお」
「どうしてです?」
「ほっほっ。こっ恥ずかしいからですじゃ」
呵々と笑う老人の愛嬌になんとなく勢いを削がれた私は、取材という目的をひとまず置いて、完全に個人的に聞きたい質問をぶつけようという心持ちになった。
「これは取材とは関係のない話なんですが……実は私も、あなたの冒険譚に心を躍らせた少年の中の一人でして。純粋にあなたの強さに憧れのようなものを持っていたのですよ。実は私も冒険者をやっていた時期もありまして……あなたの強さに秘訣というものがあれば、ぜひお聞かせ願いたいのです」
「これはこれは……では、ガッカリさせてしまうかもしれませんなあ」
「何がです?」
「どこに仕舞ったかのお……少し待って下されよ」
そう言って、家の中に入っていった老人は、やがて戻ってくると一枚のカードをこちらに見せてきた。それは私も見慣れた冒険者カードだった。
「えっ……!」
そのカードを見て私は驚いた。
エルス・ホーエンシュタイン
LV1 腕力D 生命力C+ 魔力 D 敏捷性E- 器用さ C 知力 B- 幸運AA
そんなステータスが記載されていたのだ。
「レベル1……?」
「ほっほっ。まあ、年を取るとこんなものですわい。がっかりさせてしもうて申し訳ないですがの」
信じられなかった。加齢と共に、レベルが下がるのはよくあることだ。しかし、レベル1だとは。
彼、エルス・ホーエンシュタインは、最盛期には実にレベル150に達していたと伝えられている。
「……」
驚きで声の出ない私に、エルス老人はニッコリと微笑んだ。
「まあまあ、遠路はるばる来てくれたのです。カビの生えた昔話でよければお話させていただきましょうかの」
よっこいせと腰を叩きながら立ち上がるエルス老人。
「本当なら食事でも一緒に、とも思うんですがの。今日の食事当番は、うちの婆さんでしてな。その、まあ、食事はまたの機会ということにしていただけるとありがたい」
「?……え、いや、大丈夫です。宿も取ってありますし。また明日にでもお伺いします。今日はこのあたりで」
「そうですかの?じゃあまた明日。わしがまだ生きていたらいいんですがのお」
そう言って笑うエルス老人に別れを告げ、私は家を出た。
その時、籠を持った一人の品の良い老婦人とすれ違った。
「あら」と小さく声を出す彼女に私は軽く会釈をして、その場を離れる。
宿に向かう道すがら、エルス老人の家から笑い声が聞こえてきた。
ふと、私は振り返って、色とりどりの花に囲まれた老人の慎ましやかな家を眺めた。
どこにでもあるような平凡な家と家族。
そんな当たり前しか持っていない彼は、一体あの塔の頂上で、神にどんな願いごとをしたのだろうか。
私は、そんなことを考えながら、宿へと続くだらだら坂を下っていった。