召使、知らぬ所で
今回は怜香さんメインなのです。
「っ……う……ん」
頭が霞掛かり、体に異様な気怠さを感じながら、暗転していた意識から怜香は目覚めた。
「こ……こは?」
鈍る思考が先ず捕らえたのは、見覚えの無い場所で目覚めた違和感。
ふらつく視界のまま左右に視線を巡らすも、やはりこのような寂れた廃墟に関する記憶など彼女には微塵も沸いてこなかった。
「私、何で? っぅ」
とりあえず身を起こそうと四肢に力を加えた瞬間、怜香の口から短い悲鳴が上がる。
思わぬ痛みに顔をしかめながら、何度目かの動作で自分が拘束されている事に気付き、怜香は愕然とした。
痛みによる刺激が彼女の思考をクリアにし、現状を理解してしまったからだ。
自分が掠われ、捕われていると言う、信じ難い残酷な現実を。
「おお、お姫様がオメザメだ」
唐突に、くたびれた瓦礫の墓場に、怜香ではない誰かの声が響いた。
ビクリと肩を震わせた怜香が勢い良く声のした方向に顔を向ける。
「あ、んた。誰よ」
「うっわ、やっぱりすっげー可愛い」
「だよなー、勿体ねーなー。ヤりてーなー」
目に入って来た声の主に、彼女は気丈に振る舞い、怯えを隠さんとする小さな叫びをぶつけるも、それは無情にも別の方向から投げられた何気ない下卑た言葉に掻き消された。
怜香が強張らせた表情のまま目だけを向けると、今まで視線を向けていなかった位置にたむろする複数の人影の姿。
皆一様に気味の悪いニヤついた顔をした、まるで自分達が元凶ですと言わんばかりの男達が、そこに居た。
よく見れば最初に声を発した男も、お世辞を付けても普通とは言えない荒んだ容姿である。
「……目的は、お金?」
思考を凝らし、言葉を選ぶ怜香。
今の状況を少しでも把握し、曲がりなりにも打開を考えるとするならば、迂闊な罵声や虚勢は口走れない。また、先程のお姫様、手を出せない等の言葉は、どうやら何か目的があるように取れると、驚く程クリアになった思考でそう考えた彼女は、とりあえず頭が緩そうな男達に直接目的を尋ねる事にしたらしい。
このような人種は、たいてい優位に立てばべらべらと自慢げに目的を語り、相手を見下す態度をとる輩が多いだろうと睨んだ上での問いだった。
「あん? 意外とれーせーだなあんた。まいいや、そーだよ。金さ」
内心で自分の見立てが当たった事に僅かな喜色を滲ませ、怜香は情報と希望を貪欲に模索し続ける。
「身代金? 止めた方が身ためじゃないの? 意外と誘拐の成功率って低いのよ」
「……あんた、自分の立場わかってんのか?」
話していた男から険呑な雰囲気を漂わせ始めた頃、怜香がにやりと笑みを浮かべた。背中から尋常でない汗が噴き出す程の恐怖と緊張、それらを悟られまいと必死に抑えながら。
「もちろん。……だから、こうして取引を持ち掛けるんじゃない」
怯え、泣き叫ぶのが普通のこの状況で目の前の少女から飛び出した言葉に、それまで下卑た笑みに支配されていた場がしんと静まり返った。
「あんた、なに言ってんだ?」
それまで話していた男、どうやらリーダー格と思われる彼が訝し気に言葉を返す。
「そのままの意味よ。私は無事に帰りたい、あなた達はお金が欲しい。でしょ?」
感情の全てを隠し、ある種の親しみ易さすら香らせる微笑に、男は息を飲んだ。
怜香のあまりに物怖じしない態度に、僅かな動揺が流れる。
だがしかし、それも一瞬の事。
「……へぇ、おもしれぇ。で、どーしてくれる訳?」
再び口を開いた男には、既に動揺も気圧される様子も見られないニヤつきが浮かんでいた。
如何に息巻こうと、どんな雰囲気が流れようと、今、年端もいかない彼女が四肢を封じられている事実は変わりはしない。
状況からして怜香から感じる違和感など、取るに足らない細事として扱われたようだ。
場の流れを呑み込むには、やはり彼女には足りないものが多過ぎた。せめて後数回、このような修羅場を潜れば可能性は見られるのだろうが、そんな事は今求められていない。
今彼女に求められているのは、絶対的な立場にある事を自覚し直してしまった相手を前に、どこまで気を引き、自分の提案を魅力的に見せるかだ。
彼等が金銭目的なのは誰の目にも明らかだろう。手荒な事に至らない理由は未だ明かされてはいないが、少なくとも怜香の提案を聞くだけの耳は持ち合わせている。
それまで得た情報を脳内でまとめていた怜香が、一筋の光明を見出だす。
ならば、よりリスクの少ない餌を出せば、短絡的な彼等なら、やりようによっては或いは、と。
僅かでも緊張を減らす為の短い息の後、彼女は導き出した希望の撃鉄をゆっくりと落とした。
「……狂言誘拐って、知ってる?」
硬くなった頬を無理矢理歪め、渇いた唇を裂けんばかりに引き、射殺さんばかりの敵意を持ち得る全ての理性で御す。
作り上げたのは、彼女の今までの人生で最高の、悪魔の笑み。
「……なんだそれ?」
怜香の作り出した言葉の、策謀的な音に導かれるように尋ね返す男。
好奇心の消えないよう、彼女の口は最大限の魅力を漂わせる言葉を紡ぎ出す。
「ようは、私と組むって事。実は最近、我慢できない不満の種があってね。どう問い詰めてやろうか考えてた所なの」
「はあ? あんた……お嬢様なんだから、かってに問い詰めりゃいーじゃねえか」
呆れたような表情をした男に、怜香の嘲笑が被さった。
「あなた、勘違いしてない?」
大抵の者なら見て取れる侮辱の様子に、男は隠す事無い苛立ちを見せる。
「あ? 何がだよ?」
「お嬢様と言えば、なんでも勝手が通るとか思ってる見たいだけど、実際はそんなの漫画の中だけよ。訳の分からない警備部に、能面のような意思の無い召使達、つまらない虚勢に凝り固まった親族。本当、嫌になるわ」
出来るだけ険悪に、心底全てを憎んでいるように、怜香は表情を形作る。
「……へぇ、だから、痛い目みせたいって?」
思うがままに生き、不満などたかが知れていると印象付けていた少女から見られる予想だにしないどす黒い一面に、男は怜香の思惑通り意外そうに相槌を打った。
普段の下らない体面作りの為の猫かぶりが、まさかここまで自分を救う手段に役立つ事を少なからず皮肉に思いながら、怜香は続ける。
「そんな下らない理由じゃないわ。私はね、変えたいのよ。この私の手で戸澤をね。その為の資金を得たいだけ」
「…………」
返って来た反応は、無言。
果たして今の話は彼等の食指を動かすに値する内容だったのか。
怜香の心中を表すかの様に彼女の額に嫌な汗が流れた。
「くっ……はは、はっはっはっはっ! とんでもねーオヒメサマだこいつ!!」
リーダー格の男の笑いを皮切りに、巻き起こる爆笑の渦。
口々に怜香を褒めているのかけなしているのか判別のつきにくい言葉が彼女に投げられる。
彼等がどんな気持ちで言っているかは分からないが、少なくとも怜香には馬鹿にされているようにしか聞こえなかった。
怒鳴りたい気持ちを必死に押さえ込み、笑顔のまま返答を待つ怜香。
実際、手を組むと判断され拘束を解かれれば、幾らでも打開の幅は拡がる。彼女は今、彼等の心象を悪くする訳にはいかないのだ。
「あんた、いいとこのオヒメサマにしとくの勿体ないよ」
苦労が実ってか、リーダー格の男が笑い、両手を肩位置まで上げた。
肯定的な男の態度に、怜香の顔に久しぶりに素直な表情が浮かぶ。
それは、安堵。
「でも、だめ」
そして、驚愕。
男が両手で罰を作っておどけた態度で否を示した途端、怜香は驚きの余り咄嗟に息をつく事さえ忘れた。
「ど、どうゆう事? 私と組んだ方が明らかに成功率は上がるわ! その方が――」
「だーって俺らまだ死にたくねぇしー」
「……は?」
動揺のあまり自分を作るのも叶わず、狼狽を撒き散らしながら怜香が問い詰めると、思わぬ返答が彼女の言葉を絶ち切った。
好みや気分と言った理由ならば、論理的に諭せば何とかなると考えていた怜香にとっては、まるで理解できない理由だったのだろう。聞いた途端彼女から漏れたのは、なんとも間の抜けた声。
余程怜香の様子が可笑しかったらしく、男はにやにやと笑いながら彼女を指差し、優越感に浸るように理由を話し始めた。
「あ、いいねその顔。やー、俺としてはあんたに乗ってもいーんだけどさ。残念、金はあんたの家から貰うんじゃないんだよね」
「っ!? まさか!?」
はっとした表情で男を見る怜香には、理解の色が浮かんでいたが、同時にそれ以上の絶望も見受けられる。
男はそれを見て満足そうに頷き、言った。
「そ、俺らはただ、あんたを掠って来いって言われただけ。成功したら、金と組織の一員にしてくれるんだと」
短絡的な彼等がよりリスクの少ない提案を呑まない理由とは。
簡単だ。誘拐や交渉のリスク等、彼等には元々無かった。彼等はただ、どこか別の組織から依頼されただけなのだ。怜香を掠い、引き渡せと。
「っ!」
ぎりっと、怜香の口から歯を食いしばる音が漏れた。
自分が捨て置いた情報が最も重要で、希望を根底から覆すものだったと言う事実に、怜香の胸中に悔しさが溢れる。
今まさに絶望を噛み締めている怜香に次に掛けられた言葉は、吐き気がする程ふざけたものだった。
「でも、俺達を満足させてくれたら、乗っちゃうかもよ?」
満足、とは考えるまでも無い。
外聞を取り繕う事など投げ捨て、とうとう怜香は溢れ出る憎悪を叩き付けた。
迷う価値すらない余りに馬鹿げた提案。
怜香を抱いた程度でころころ変わる程度の意思なら、リスクが低い時点でまず間違いなく提案に乗る筈であるし、そもそも彼等が彼女の提案を断ったのは自分の命欲しさである。つまり、彼女を掠い、渡さなければ彼等は取引をした組織に消されると言う事だ。
彼等の提案が怜香を弄ぶ為のただの方便なのは明らかだった。
故に怜香も、全力で抵抗する。
彼等の事情を知り、十二分に現状を理解した怜香は、もはや交渉はしない。駆け引きなどする価値は無い。それでも、無抵抗になる気もさらさら無かった。
「ふざけた事したら、舌、噛むわよ」
怜香に残された手段は、もう自分の身体を使った抵抗のみ。もちろんただの脅しであるが、怜香を無事な状態で渡さなければならない彼等にとってはそれなりに有効な手段に思えた。
だが、それも無駄な努力に終わる。
「なー、もうやっちゃわね?」
「いや、それはやっぱマズイっしょ」
もはや彼等は怜香から興味を移していたからだ。則ち、彼女の抵抗も意思も相手が認知していないのである。
彼女を余所に、尚も彼等の下卑た会話は続く。
「だからよ、ようは壊すなってんだろ? こんな腹黒がヤったぐらいで壊れるかっつの。それに、あっちから誘って来たっつーなら問題ないっしょ」
「おー、お前あったまいいなー」
「マジ!? 俺すっげ好みなんだけど」
事態は、最悪の方向に向かっていた。
怜香の画策は彼等から純粋な、所謂、儚いお嬢様と言うイメージを完全に塗り替える結果を生み出したのである。
遠慮する必要の無くなった相手に礼を尽くす程、彼等は理性的ではない。今や彼等の脳内には怜香をどう弄ぶかしか浮かんでおらず、目は彼女の肢体を舐めるように見つめている。
「っ!? ほ、本当に舌噛むわよ!」
息を呑み、身動きの効かない身体を震わせながら悲鳴のように叫ぶ怜香。
羨む視線、蔑む視線。今まで怜香はその存在故、普通の人間より多くの視線を感じる機会があった。中には当然、今の彼等の視線に似たものもあったが、そのなんと可愛いかった事かと、怜香は思い知った。
生半可なものではない、人を弄ぶのに何の躊躇も遠慮も無い、純粋な暴力の意思の宿る視線。
近付いて来る男達に、意味を成さない抵抗の意思はあっさり削られ、恐怖が怜香の心を埋め尽くしていく。
「ひっ! あぐっ!?」
悲鳴の瞬間、何処から取り出したのか、ボロボロの布切れを口に詰められる怜香。
同時に男達が、彼女の体を覆わんばかりに手を伸ばす。さながら、砂糖に群がる蟻といった所だった。
「ーーっ!! ーーっっ!!」
着ている物が次々に引き裂かれ、肌の露出が増える中、ひたすらに怜香は抵抗する。目に涙を浮かべながら、縛られた体をじたばたと動かすも、それはあまりに稚拙な阻害に他ならなかった。
確実に近付いている最悪の瞬間に、彼女の恐怖に染め上げられた心に、遂に絶望が見え始める。
不意に、怜香は滲んだ視界の端に、この建物に入って来る人影が見えた気がした。
怜香さんぴーんち。次回、どうなるんでしょうか。