召使、疾走する
長らくお待たせ致しました。
蒼馬の居酒屋から出た恭一は捜査の足を得るべく、早速携帯電話をコートの懐から取り出した。
電源を入れ、見慣れた名称をアドレスから探してコールする。
数回の呼び出し音の後に出た相手は、奈津。
「主任!! 一体今どこに居るんですか!!!!」
開口一番に電話が壊れるのではないだろうかと言う程の声量で怒鳴る奈津に、流石の恭一も顔をしかめ耳から電話を遠ざけた。
「いきなり辞めるとか言ってお嬢様を放っておいて!! しかもどこか行っちゃうし電話も通じないしで!! 今まで何してたんですかこっちは大騒ぎですよ!!!!」
普段の彼女からは想像出来ない剣幕に、恭一はこれまでの自身の行いを鑑みた。
いきなりの辞職宣言に加え愚痴さえぶち撒け、警護対象を放置して行方不明の音信不通。成る程、怒鳴られても仕方がない行為である。尤も彼としては、警備部が何とかするだろうと彼等の対応に高を括っていたのだが、過大評価だったのか若しくは辞職宣言をしたとしてもすぐに護衛を放り出すとは思われなかったのか。
いずれにせよ怜香が掠われた今、そんな事を考えている暇は無い。さっさと電話の向こうで怒り心頭の彼女を宥め伝えるべき事を伝えるべく恭一は口を開いた。
「ああ、悪かったな奈津。それで、目星は?」
奈津の文句をまるで誠意の無い謝罪一言でばっさりと切り捨て、本題へ強引に持ち込んだ恭一の耳に、電話口からため息が流れてくる。次いでキーボードを操作する気配がした。
恭一がこういう話し方をする時は大抵何を言っても暖簾に腕押しなので、彼女は早々に諦めて手元にある端末から報告された情報を引き出す事にしたらしい。たまに愚痴が聞こえるのは、まあご愛嬌と言うものだろう。
それからすぐに恭一に警備部の現状が伝えられる。
「とりあえず今報告されてるのは、お嬢様が行方不明になったのは校舎から此処までの過程。大手の組織にこれと言った動きが無いので小規模のものやたまり場等をあたっていますが、今の所成果はありません。情報も、流れていませんし」
報告が進むほど、奈津の声は沈んでいく。これまで幾度と無く誘拐を防いできた自慢の情報網が此処へ来て全く役に立たない事に、酷くショックを受けているようだった。
組織と言うものは、大きければ大きい程、機密保持が困難になる。スパイしかり、武器の類の購入しかりだ。また、派閥による枝分かれを利用すれば、身内を売る者も少なくない。
戸澤家の警備部は、主に恭一や奈津の仕業だが、こういった方面の情報に非常に価値を見出だしていた。故に奈津としては、得意分野で役に立てないと言う、まるで自分の無能さを突き付けられたような気がしているのだろう。
「そうか。奈津、今散らしてる奴らを三ヶ所にまとめろ」
「え? 主任、今何て?」
思わぬ提案に、奈津は間の抜けた声を出し、聞き間違いだろうかと再度説明を求める意を恭一に返した。
予想通りの反応をした奈津に恭一は情報を上乗せして繰り返す。
「散った奴らを三ヶ所に集めろ。詳しい場所は電話の後で送る。ただ、その内の一つに子があるからな。荒事にばかり気が向き過ぎると手痛い目に会うぞ」
子と言うのは、大組織の息の掛かった組織や直接配下に置かれている組織の事を指す言葉として使われている。
こういった組織に迂闊に手を出すと、場合によってはその上にある組織が出張ってくる可能性がある上、最悪こちらの浮足を狙い余計な邪魔を仕掛けてくる事もあるのだ。
彼等は、金が入る方に付く。敵対しているどちらか一方に武器なり情報なり使い捨ての人員なりを送る代わりに見返りを要求してくるのである。一度受ければ、後は事ある毎にたかってくるし、断れば敵側に援助が行く。隙を見せると非常に厄介な存在と言えよう。
本来大手は末端と言えどリスクを負いたがらない。組織が大きくなれば目を付ける者も当然増える。下手に迂闊な動きをすれば容易に漏れてしまうからだ。普通は裏で援助が定石なのである。
にも関わらず、今回は名前が上がっている。裏があるのか、余程自信があるのか。何れにせよ油断は許されない。
だと言うのに、奈津から出たのはどうにも恭一の気を抜く言葉だった。
「心当たりがあるんですか!?」
了解の意を伝えるでも無く、子についての情報を求めるでも無い。ただただ驚きに満ちた声。いくら打ちのめされていたとしても、それはプロとして余りに情けない醜態と言えた。
恭一も僅かに嘆息する。電話に出た時から彼は思っていたが、どうやら奈津は大分興奮しているようだ。
無責任な上司に立腹するにしろ怜香が心配にしろ、自分が居ない今現場責任者である彼女が行動の優先順位を的確に判断出来ないのはよろしくない。が、情が深く自分に素直なのは奈津の美点でもある。
咄嗟に浮かんだ相反する思考に、思わず苦笑する恭一。
「心配なのは解るがとりあえず落ち着け。お前が平静を欠いては組織全体に影響する」
「……っ、すいません」
恭一に言われ、ようやく感情以外に目がいった様子の奈津がいつもの冷静な声色を取り戻した。
「それで、何処の子が?」
完全に先程までの高ぶりを押しやった奈津に、恭一も表情を引き締めた。
「火天だ」
恭一の一言に、奈津が若干息を飲む。
火天。
組織としては新興の部類に入るが、多くの武闘派組織を配下に組み込み拡げた勢力は国でトップクラスの武力を有する。
また、持ち前の血の気の多さから粗暴な脅迫、誘拐、売春など実に単純な金策を取るも、下手に関われば親族もろとも解体され臓器闇市のリストに載るか薬漬けにされて弄ばれるかなので警察でさえ半ば黙認状態を取らざるを得ない。正義にこだわる人間は自分以外が巻き込まれるのを良しとせず、そうでない人間は見て見ぬ振りか尻尾を振るか。巻き込まれれば最悪の部類に属する組織にまず間違いない。
奈津が強張るのも当然の事だった。悪名高い、いや、悪名しかない組織にうら若い、しかも見た目だけはかなりの上玉が掠われたとしたら、どうなるかは想像するまでも無い。
奈津の脳裏に最悪の光景が過ぎる。もし、彼等が身代金目的で無く怜香の容姿に惹かれ絡んだ揚句連れ去ったならば。考えだけで全身から血の気が引いていく。
「奈津、まだ火天と決まった訳じゃない。有力候補ではあるが、それだけだ」
奈津の不安を読み取ってか、恭一がフォローを入れる。
「……分かっています。それで、残り二つは?」
どうやら、無用な世話だったらしい。
多少不安が伺える声色だが、決して役目を忘れていない言葉。二度と目的を見失わんとする意思に恭一は胸中で頷き、質問に答えた。
「残りは認知する必要も無かったクズ共だ。一方は俺が送る場所にたむろするだけの名も無い集団。もう一つは、確かナイトメア・ベルとか言ったか。どっちも素人特有の薬と性欲にしか目が向かない、青臭い集団だよ」
果たして、幸運と言うべきか不運と言うべきか。警備部からしてみれば素人集団と喜ぶべきなのだろうが、怜香の安全を願う者からすれば彼女の身の危険が増したと思わざるを得ない。
「俺がさっさと本題に移った訳が分かったろ」
「はい……」
強張った声で返答する奈津。
どう転んでも、一刻の猶予も無い。例えこちらの動きが多少漏れたとしても、犯人からの要求を待つなど論外だとばかりに奈津の手には力が篭り、瞳にはすぐにでも行動を起こさんとする意思が見て取れる。
だが、恭一の情報にはまだ続きがあった。
「後、これはついでだがな、柳水が嗅ぎ回ってる。穴を作らないようそっちにも気を張ってろ」
柳水。
こちらも火天と同じ大組織の一つで、特技は情報売買である。火天と違いあまり武力に主体は置いておらず、専ら対象の弱みを使い脅しをかけたり、フェイクを掴ませて敵を翻弄すると言った搦手を得意とする組織だ。
「柳水、ですか。わかりました。情報の隠蔽を強化しておきます」
「頼む。俺は今からナイトメア・ベルの方に向かう」
恭一が言うと、奈津が意外そうに聞き返してきた。
「火天じゃ無いんですか?」
蒼馬も言っていたが、今回の有力候補は火天である。滅多に尻尾を見せない大手が動いているのに、何故わざわざ雑魚へ目を向けるのか。奈津も当然恭一は火天に向かうとばかり考えていた。
「いや、ナイトメア・ベルだ。少し気になる事がある」
「……そうですか。では、こっちは火天と名無しに人員を多めに回しておきます」
奈津は恭一が火天を後に回す事に困惑したが、彼が言うのだから何か理由があるのだろうと、深く追求はせず了解の意を示す。
それを聞いた恭一はただ一言、
「任せた」とだけ言って早々に通話を終了させた。
恭一が切って少しして、奈津の携帯電話に三ヶ所の詳しい地図が送られてくる。即座に彼女は部下達に情報を振り分け三組の捜索隊を作り上げると、それぞれの場所へと向かわせた。
一方、地図を送り終えた恭一は店の近くに停めておいたバイクに跨がると、ナイトメア・ベルの本拠地へ向けて疾走を開始していた。
道中、彼は奈津に言った気になる事について、自分の中に漂う情報を纏め、思考を固める。
恭一が蒼馬に頼んだのは、一流か三流以下の組織の情報と、三流以下のたまり場。
普通、こう言った組織は力を付けるまで名も無い集団として扱われる。人員の増加や武装で徐々に力を付け、ようやく名前を呼ばれる資格を得るのだ。その時初めて、組織の仲間入りを果たす。逆に言えば、名前持ちはそれなりの人員や武装を所持していると言う事だ。
恭一が蒼馬から聞いた情報によれば、ナイトメア・ベルの人員も装備も、経験さえももう一つの集団と大差が無い。では、何故か?
疑問に思うも、蒼馬でさえ知り得ない事が恭一に分かるべくもない。
ただ、怪しむ理由としては十分だった。
火天は強大で、凶暴。恐ろしいまでに相手の不安を誘い、嫌が応でも注目を集める。周りへの意識を削り取って。
「まさかとは思うが、火天を隠れ蓑にする、か」
思わず声に出てしまう程の異常事態である。
もしそうならば、彼等はこちらと火天の両方を出し抜いたと言う事だ。素人同然の組織に出来る技ではない。
まず間違い無く取り越し苦労だとは思いつつも、恭一は最悪の場合を考えてナイトメア・ベルへ行く事を決断した。自分の判断が正しいのかは判らない。できれば正しくない、火天が犯人である事を彼はつい考えているのに気付き、思わず苦笑した。
「まさか、火天を犯人と望む日が来るとはな」
制限速度を大幅に越えて疾走する影から漏れた皮肉は、誰に届くでも無く、彼に切り裂かれる風の中へと溶けていく。
一体、どれだけの影がこの平凡な街に内包されていると言うのか。ヘルメットを通して見える景色が、恭一には酷く色褪せて見えた。
まるで目に映る全てが周りを欺く為の擬態、いや、平凡と言う色で塗り潰された張りぼてのように。
「……あそこか」
流れる景色の先に目的の建物を視界に捉え、恭一の目が鋭さを増す。
場所は既に人工の光を失い、僅かな星と欠けた月が照らすのみ。
周りにひしめくのは、打ち捨てられた前世紀の欲の成れの果て。老朽化が進み、誰からも見捨てられた旧市街。この街の隅にあるそこは、巨大なゴミ捨て場と形容され疎まれている。
恭一の先には、ボロボロに崩れ、辛うじて雨風を凌げる程度の廃ビルが立ち塞がるようにそびえ立っていた。
「捨てられた地区。確かに人目は無いし広さもあるが、今更ここに出入りする組織があったのか。」
廃ビルの五十メートル程手前にある、壁の役割しか成さない建物の残骸にバイクを隠した恭一が、廃ビルを見上げながら呟いた。
一瞬、懐かしむような瞳を浮かべるも、すぐに鋭い殺気を込めたそれに戻し、気配を殺して出入り口になりそうな崩れた壁に近付く。
背中越しに中から気配を探り、そこで何かを感じ取ったのか、恭一が視界ぎりぎりに中の様子が映るように顔を覗かせた。
「……っ!?」
一体何を見たと言うのか。
彼の目は若干動揺したように開かれ、口からは僅かに呻きが洩れる。
次の瞬間、彼は勢いよく建物の中へと飛び込んで行った。
次話は怜香さんの方に移ります。どうぞお楽しみに。