召使、頼まれる
随分間が開いてしまいましたが、今回もまた短めなのです。うう、文才が欲しい
何処かのビルの廊下と思しき場所。怜香の父、誠二が、落ち着いた足どりで歩いていた。誠二は淀みなく進み、ある部屋の前で一度止まるとノックも無しに扉を開ける。
「よっ」
入って来た誠二に軽い挨拶が飛ぶ。
部屋に居たのは、恭一だった。学生服姿でも変装してもおらず、乱れたスーツ姿でソファーに体を沈め、組んだ足をテーブルに乗せたまま煙草をくわえている。
誠二は恭一の様子を見ると、別に驚くでもなく対面のソファーに腰を落ろした。そして、ため息混じりに話し出す。
「……あのじゃじゃ馬が掠われた」
誠二の言葉に恭一は大して驚きもせずに返す。
「ふ〜ん。で?」
「助け出してくれないか?」
「嫌だ」
即座に拒否する恭一。その言葉を聞いて誠二が唸る。
「むう、そう言わずに」
「やだって、俺はもう辞めたんだ。大体、他の奴らは何してんだよ?」
「いや、頑張ってくれてはいるんだが……」
「手掛かり無し、と」
「う、うむ」
「はあ、何やってんだか」
不甲斐ない元部下達に脱力する恭一に、誠二がぱんっと両手を顔の前に合わせる。
「な、だから頼まれてくれないか?」
「……正直、おっさんには感謝してる。二親が死んだ俺を引き取ってくれたし、仕事もくれた。でもな……」
目をつぶり、昔を思い出しているような素振りをしていた恭一の手が、軋む程強く握りしめられる。
「十年だぞ十年!! あンのじゃじゃ馬に付き合って何度死に目を見たかっ! しかも当の本人は良いように俺を使いぱしりやがる!!」
カッと目を開いて辺りに唾を撒き散らす恭一はひとしきり言い終えると、だらりと頭を垂らした。まるで疲れきった中高年のような雰囲気を醸し出している。
「もう良いだろおっさん? 充分恩は返した筈だ」
「はあ、あの馬鹿娘に随分やられたようだな。報告では聞いていたが……そんなにか?」
「正直、何度トリガーに指がかかったか分からねぇ。次会ったら撃ち抜く危険性があるな……」
恭一の言葉に何度目かのため息をつく誠二。何処かしら情けないような、しょんぼりとした視線を恭一に向ける。
どこか居心地悪い、悪人になったのではと感じさせる視線に恭一は顔を歪めた。
「んな顔すんなよおっさん。ほら、俺じゃなくても色々いるだろ? 傭兵とか何でも屋の類とか」
「むぅ……」
未だ残念そうな表情の誠二に恭一は説得を続ける。
「確かに身内で解決できないのは恥を晒す事になるかもしんねーけど、事が事だ。奈津が見つけられない以上、犯人はよっぽどの考え無しかプロか。プロなら手荒な真似はしないだろうが、そう簡単に居場所は割れない。馬鹿なら…………」
「ば、馬鹿なら?」
急に黙り込んだ恭一に誠二が不安気に問う。
「貞操の危機。どっちにせよ急いで何か手配しないとやばいぞ?」
「なあっ!?」
間を置いての恭一の言葉に、誠二がガタンと立ち上がり目を剥く。
すっかり身代金目的とばかり考えていた誠二は恭一の一言に不意打ちされ、滝のような汗を流し俯いていた。
「ま、見た目だけは、悪くないしなアレ」
見た目だけは、の部分を強調しながら恭一が言う。
が、誠二には聞こえていないのか、ガクガクと震えるばかりで反応が無い。
「ん? おい、おっさん? おーい、起きろー」
流石に不信に思ったのか、誠二の前に手を翳し、ひらひらと揺らす恭一。
瞬間。
「う、うおおおお!! 怜香には指一本触らせんぞおお!!」
突然の咆哮に中腰で様子を伺っていた恭一がびくっと肩を振るわせるのを尻目に、誠二は懐から携帯電話を取り出すと、凄まじい勢いでダイヤルを押し始めた。
「はあ」
ようやく他に目が向いたとばかりに、恭一が疲れた息を吐く。
同時に、誠二が電話の向こうに盛大に唾を撒き散らし始める。
「け、警備部か!? 怜香は、怜香の居場所はわかったのか!? ぬ、ぬぅわにゅい!?」
「いや、警備部じゃ無理だろ。奈津は良くも悪くも大衆的だ。闇やドブ臭い方面にゃ疎い。当分は難しいだろうな」
ぎゃあぎゃあと叫ぶ誠二に向けてか、それとも唯の独り言か。小さく囁いた恭一は、もう用は無いとばかりに誠二の横を通り過ぎようとする。
「っ!?」
その時ぴたりと、彼の歩みが止まった。まるで床に吸い込まれてしまうような違和感を感じ、不信気に後ろ足を振り返る。
「……なんだ? っておっさん!?」
彼の目に映ったのは、足にへばり付き、涙と鼻水を垂れ流す誠二の姿。
元雇い主兼保護者の憐れに過ぎる様子を目の当たりにして、恭一が若干たじろぐ。
「い、いや、泣くなよ、おっさん。うわっ、鼻水鼻水!」
がっしりと恭一の足を捕らえた誠二がなんとも情けない声を上げた。
「き、恭一〜、怜香が、怜香がぁぁぁぁ」
「……もしかして、薮蛇だったか?」
ぽつりと呟く恭一。
いつまで経っても諦める気配が見えなかった誠二に他の、もっと聞き分けの良い業者へと目を向けさせるつもりが、逆に切羽詰まって自分に追い縋らせる羽目になろうとは、彼にとってとんだ誤算だった。
「……できりゃ関わりたく無いんだがなあ」
「恭一ぃぃぃぃ」
しつこい位に足に食らい付く誠二に向かって、恭一が一際大きなため息をゆっくり、盛大に吐いた。
「はぁぁ、二千」
「ぬぅ?」
言葉の意図を掴みかね間の抜けた返答を返す誠二に、恭一が先程に比べ幾分か自棄になったような口調で言った。
「前金二千、後金は適当に決めてくれ」
言い回しにも自棄になっている事がありありと見て取れる恭一に、途端に誠二が喜色満面といった様子ではい上がり抱き着いた。
「そうか、引き受けてくれるか恭一!! ありがとう! ありがとう!!」
放って置いたらキスでもしてくるのでは無かろうかと思わせんばかりのはしゃぎ様である。
先程とは打って変わり満面の笑みで涙と鼻水を垂れ流す様は、中々に見苦しい。元が渋い感じの中年なだけに尚更それが際立っている。
「ああ、はいはいやるよやりゃいんだろ。はあ、あんな馬鹿でも娘は可愛いって事か」
「当然だ!!」
「……ったく」
一もニもなく即答する誠二を横目に頭をばりばりとかくと、恭一は誠二を引きはがし、新たに出した煙草をくわえた。
「まあ、しょうがねえか」
諦めた恭一は一度、肺一杯に煙を吸い込む。
煙を吐いた時、そこにはもう先程までの恭一は居なかった。
脳内ではめぼしい情報屋のリストを洗い、眼光は鈍い輝きを放つ。
弛んだ空気を一瞬で駆逐し、見る者に無意識レベルでの緊張を与える。
それは使用人でも、誠二の義理の息子でも、ましてや一介の学生などでは決して有り得ない裂帛の空気。
これが恭一の、裏。
冴えない使用人を演じる傍らで、幾十の危険を葬って来た彼の姿。
「今日中に、始末する」
静かに、抑揚なく呟いた恭一。
彼の声は、まるで全てを飲み込み一片さえも残さず消し滅ぼすかのような深く、鋭い意思が通っていた。
「っ…………」
あまりの恭一の変化に、誠二までもが、ただ全身を蝕む寒気に震え、生唾を飲む。
恭一は他には何も言わず、ゆっくりと出ていった。溢れ出た濃密な気配だけを、そこに残して。
誠二さんは親バカです。次回はちょこっと真面目な雰囲気。