召使、堪忍袋の尾が切れる
「もうっ! 早くしなさい! ほんっと愚図なんだから!!」
夏の朝日が体力を削る中、醜い罵りの言葉が響く。
場所は閑静な住宅街。そこに一人の少女が仁王立ちし、後方から来る人影を苛々した様子で睨んでいる。
少女の名は戸澤 怜香 十七歳。父親が大手貿易会社の社長をしており、家は代々続く由緒正しいお家と言う、名実共に完璧なお嬢様だ。
容姿は、流れるような艶やかな黒髪、くりっとしたやや吊り上がり気味の目、すっと通った鼻筋にかわいらしい唇。少しキツそうだが間違いなく美少女。
美少女でお嬢様、加えて成績優秀、運動神経抜群、清楚可憐、品行方正。男女問わずに膨大な支持を得る生徒会長とくれば、正に完全無欠である。天は彼女にニ物どころか全物を与えたのではなかろうかと、彼女を知る者は大抵が考える。
では、そんな彼女が何故このような言葉使いをしているのか?
答えは簡単だ。つまり、天は彼女に猫かぶりの才まで与えていたという事である。
「も、申し訳ありません。お嬢様」
その時、やっと彼女に追い付いた人影が、大量の汗をかきつつ、絶え絶えの息をしながら答えた。
答えたその少年は、脂ぎった顔を疲労でゆがめている。少年の表情を見て、怜香が汚い物でも見るかのような顔をする。
少年の名は、高峰 恭一 十七歳。不細工で肥満で内気な召使と言うのが、彼の周りの人間が下した評価だった。
恭一は幼い頃に怜香の父親である誠二が連れて来て、七歳の頃から怜香付きの召使として働いている。何か役に立ちたいと恭一が誠二に訴えた為、娘と歳も近いから良い話し相手にと誠二がそうしたのだ。
しかし、此処が恭一の不幸の始まりだった。怜香は恭一を便利な道具として使い始めたのである。恭一が年を経る毎に不細工になり、太っていくにつれ、怜香の態度は益々悪化していった。今では常に何らかの罵声や皮肉を浴びる毎日である。
「全く、なんて使えない召使かしら。所詮食べ物にしか興味が無い意地汚い生き物なのね」
突き放すように言うと、怜香はまたさっさと歩きだした。恭一は未だぜいぜいと苦しそうに息を吐いている。
「ほら、さっさと来なさい! あんたが来ないと私の荷物もそのままなんだからね! 今度遅れたら夕食抜きよ!!」
怜香の荷物は恭一が持っている。
怜香が持った方が効率的なのだが、生憎彼女に荷物を持つ気はさらさら無い。恭一は怜香が自分をなぶってストレス発散でもしているのかと思っていたが、後にそうでない事を知る。そんな怜香の言葉に恭一が堪らず声を上げた。
「お、お嬢様。これ以上食べ物を減らされたら死んでしまいます」
実は恭一は最近怜香から太りすぎと言う理由でかなり厳しい食事制限を受けているのだ。
おかげで今朝も歩いている最中に何度も腹が鳴っていた。
が、そんな言葉が目の前の少女に届く筈がない。
「あら、それだけ脂肪があるんだから簡単には死なないわよ。言いたい事はそれだけ? なら私は行くわ」
冷徹に告げ、さっきより幾分速めに歩きだす怜香。
恭一は諦めて主のもとをぜいぜいと呻きながら必死になってついて行った。
やがて学校に着き、ようやく恭一は重り付きのマラソンから解放された。
怜香の机に荷物を置き、倒れ込むように自分の席に着く。その際に怜香が、
「ありがとう恭一君。いつも悪いわね」
等といつもの猫かぶりをしていたが、疲労困憊の恭一はそれに反応する体力さえ残っていなかった。
席に着いた途端、怜香の周りには男女問わず人が集まり、逆に恭一には誰一人として目を向けなかった。
当初はあの怜香お嬢様に最も近い存在と考えられ、嫉妬の的となっていたが、今では皆使えない駄目な召使としてしか捉えていない。恭一も進んで友人を作るような性格でもなく、孤立していたが、恭一自身は別段気にしていない様子だった。
恭一が誰と話すでも無くだれている間に、学校のチャイムがなり、教師が入って来る。後はどこにでもあるような普通の高校生活だった。
授業を受け、昼には弁当を食べ、また授業を受けて、気が付けば放課後である。
素早く自分の荷物をまとめ、怜香の荷物を取りに行くと、怜香は既に自分の荷物をまとめ終えていた。怜香は一瞬恭一を睨み、すぐに猫をかぶった笑顔で言った。
「悪いわね恭一君、実は生徒会の会議があるのよ」
こういう時、恭一は大抵生徒会室の入口で延々と待たされる。今日もそうだと思っていた。生徒会室に行くまでは。
放課後の人気の無い廊下を怜香と共に進み、生徒会室に着くと、怜香から思わぬ言葉が発せられた。
「今日はあんたも来なさい」
「え?」
人気がないのか素に戻っている怜香。彼女の聞き慣れない台詞に恭一が聞き返す。
「いいから来るのよ」
いつもなら罵声を飛ばす恭一の反応にも、何故か無反応で怜香は生徒会室に入って行った。心なしか恭一には、怜香が笑っているようにさえ見えた。
「あ、お、お嬢様」
慌てて怜香の後を追う恭一。
彼が開いた戸をくぐると、怜香はつかつかと部屋の奥へ歩いて行き、生徒会の仲間らしい二人の少女の元へ行く所だった。
対して恭一はどうしていいか判らず入口を抜けた所に棒立ちしている。
「何をしてるの? 早く来なさい」
少女達と合流した怜香が振り返って言い放つ。やはり、その顔はどこかしら愉快そうである。
訳も判らず怜香の元まで歩きだす恭一。
突然、生徒会室の戸が閉められ、カチャリと鍵が掛けられた。
「?」
なんだと後ろを振り向く恭一の目に入ったのは、にやつく屈強そうな男達の姿。
何かおかしいと感じ、恭一が口を開く。
「お、お嬢様、これは?」
「うわ〜、よく見るとほんと気持ち悪〜い。生徒会長よくこんな変な生き物側に置いてますね」
恭一が尋ねるのとほぼ同時に、怜香の側にいた一人が恭一を気味悪そうに見て怜香に話し掛けた。
「まあね、お父様にさりげなく召使から外すようお願いしたんだけど、うまくいかなくて。大体あれだけ嫌がらせしているのに辞めたがらないなんて、恭一、あんたマゾなの?」
心底うんざりした様子で恭一に言う怜香。
彼女の問いに恭一が答える間もなく別の少女が口を開く。
「きっとそうですよ。生徒会長の鞄を持ちながら罵しられる事で興奮してるんじゃないですか? だっていかにも変態って感じですもん」
「やっぱりそう思う? 全く、お父様はなんでこんな屑を拾ったりなんかしたのかしら」
ふうっとため息をつくと、怜香は後ろにあった机に腰掛ける。そして恭一に向けて言った。
「恭一、あんたもう高校生なんだし、いい加減出ていってくれない? 正直気持ち悪いのよ」
どうやら此処にいる人達は素の怜香を知っており、彼女が目的を果たす手伝いをするように集めたらしかった。取り巻きの女二人は精神的に、後ろにいる男達は肉体的に恭一を追い詰める役目のようだ。恭一が確実に召使を辞めるように。
状況を理解しつつ、恭一はびくびくしながらも、懸命な口調で言った。
「わ、私は拾って下さった旦那様の恩に報いるため、召使をしています。お、お嬢様、どうか」
「そこにいる彼等、レスリング部の精鋭達よ。骨の一本や二本じゃすまないかもね♪ さ、もう一度聞くわ、出ていってくれない? 恭一」
「そーよ、御主人様が出てけっつってんだから素直に出ていきなさいよ変態!」
「全く、恩を返したいならあんたが消えるのが一番なのよ役立たず」
怜香達の言葉を受けながらも、恭一は首を縦には振らなかった。
「……できません」
恭一のか細い台詞に、怜香はより一層恭一を罵りだした取り巻きを手で制すと、口を開く。
「ふうん、どうしても?」
「……はい」
恭一の返事を確認すると、怜香はぞっとする程冷たい笑みを浮かべた。
「ふふふ、そう。じゃあ仕方ないわね。 皆さん、お願いして宜しいかしら?」
怜香の声で恭一を一斉に取り囲む男達。それを見て怜香は笑い混じりに恭一に言った。
「恭一、あんたは今日、この教室で私を襲うの。それをたまたま通りかかったレスリング部の皆さんが駆け付けて私は無事保護、あんたはボコボコにされて退学。どう? ベタだけど中々良いと思わない?」
怜香が話し終わるや否や、恭一の鳩尾に強烈な一撃が叩き込まれる。
ぐふっと言う声と共に倒れる恭一をいくつもの足が踏み付けていった。
「おいおい、これで終わりかよ、もっと根性見せろよマゾ野郎」
「はは、やっぱお嬢様じゃなきゃいや〜ってか」
「うわ、気持ち悪っ。この豚野郎が」
罵声を浴びせながら踏み付け、蹴り続ける男達の足の隙間から恭一の手が虚空に伸びた。それを見て取り巻きが笑いながら罵る。
「うわ〜、見てあの手、指が芋虫みたい。気持ち悪〜」
不意に、恭一の手が握られた。と、次の瞬間。
「だあああ!!!! やってられっかーーーー!!!!」
いきなり部屋一杯に絶叫が響き、恭一ががばっと起き上がったではないか。
あまりに突然の出来事に部屋に居た全員が停止する。
恭一は何を思ったかその中途半端に長いぼさぼさの髪を掴むと、あろうことか床にそれを叩きつけたのだ。それだけではない。今度は耳の後ろ辺りに手を当てると、一気に顔を、いや、顔だったものを剥ぎ取った。
くすんだ茶色のぼさぼさ頭と下膨れの不細工顔の下から、長めの流麗な黒髪に、鋭い目付きの凛々しい顔が姿を現した。
次に恭一は首の付け根辺りに手をやると、ぐっと力を入れた。カチッと言う音と共に、恭一の全身が崩れたように他人の目には映っただろう。だが実際は、恭一を覆っていた脂肪だったものが落ちたのだ。同時にズボンもずり落ち、中からスパッツ姿の引き締まった下半身が現れる。
更に恭一は自分の手をつかむと一気にそれを引き抜いた。その下から新しく現れた細めだが程よく筋肉の付いた腕で、もう一方の手も引き抜く。
すると今度は片手で学生服を勢いよく開いた。ブチブチッとボタンが飛び散り、次のシャツも同じようにする。
だぼだぼになった制服を脱ぎ捨てると、下半身と同じすらっとして程よく引き締まった上半身がピッタリと体にフィットした半袖の黒い肌着姿で現れた。
正に別人となった恭一は、すっと歩きだし、呆然と立ち尽くす男達の輪を抜けると、
「ふんっ!!」
凶悪な速度のローリングソバットを繰り出した。
「あばっ!?」
勢いよく吹っ飛び壁に激突した男は、そのまま沈黙する。
「さあて、始めようか」
ニタリと笑う恭一の目は、怒り狂った猛獣の如く凶暴で、尚且つ異常な輝きを放っていた。
「「「ひ、ひぃぃぃぃ!!」」」
目の前で起きた異常事態で混乱する頭に叩きつけられた恭一のあまり迫力に、男達は恐慌状態に陥り揃って逃げ出し始めた。
恭一は楽しそうにそれを見つめながら、
「誰にしよっかな〜」
と指を巡らせると、ある男に向けてぴたりと止める。
「決〜めた」
瞬間、恭一は指差した男の真後ろまで行き、後ろから両腕でがっちりと腰を固定した。
「おらぁ!!」
「ぎゃぶべ!!!!」
そのまま背を反って男を床に叩きつけた恭一。物凄い音を立てて叩きつけられた男は泡を吹いて失神した。
恭一は瞬時に起きると、男の悲鳴に反射的に振り向いてしまった別の男の左右のこめかみを親指と人差し指で掴む。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
掴んだ男が失禁し、気絶すると、入口に鍵をかけた事も忘れて必死に戸を開けようとしている男に後ろから飛び乗り、肩車の格好から両足をクロスさせると、ふとももで男の首を絞め上げた。
「ぐ、ぐぇぇぇぇ」
ある程度絞めた所で一瞬前屈みになり、そのあと思いきり背を反って男を後ろに投げ捨てた。
「ぶごっ!!」
恭一は意識を残しているレスリング部の最後の一人に視線を向ける。
「ひっ、ひっ」
腰が抜けたのかぺたりと座りこむ男に近付くと、襟を掴んで持ち上げた。
「た、助け、あがああああ!!」
男の命乞いの途中でコブラツイスト。
「ギ、ギブ……あぎゃ!!」
最後にばきりと言う音を響かせ、レスリング部は全滅した。
「あ〜、すっきりした」
男をポイっと捨てると、恭一は脱ぎ捨てた学生服を羽織り、ズボンはベルトを絞める事で何とか履き、靴をひっくり返して足だったものを床に落とすと、すっかりぶかぶかになったそれを履いた。
そこまでした所で、恭一に声がかけられる。
「あなた……誰よ」
恭一が顔を向けると、青ざめた顔の怜香がじっと恭一を見つめていた。
はい、どうも皆様こんにちわ。いや〜恭一君暴れまくりですね。さてさて次回はどうなる事やら。