猛暑日は35℃以上(後)
「もうひとつの仕事というのは?」
ボートで湖にくりだしていくショコラとクッキーを見送って、プリンはタルトに向き直った。
「ミズトカゲを捕まえる」
羊皮紙の文字を確かめながら、タルトは籠をひとつ取り出した。本当にどこから取り出したんだろう。
「ミズトカゲ?」
「小さいワニみたいなトカゲだよ。夏場はほとんど水に浸かって過ごすんだ。水の中なら、陸にいるときより捕まえやすい」
野性の戦士タルトが解説を加えると、プリンは感心した様子だった。
「詳しいんですね」
「子どもの頃によく捕まえて遊んだよ。上からガッと行くのがコツなんだ」
「まったくニュアンスがわかりませんけど」
「勢いよくつかむんだよ」
「まさか、素手で?」
「噛んだり引っ掻いたりしないから平気だよ」
「先に言ってくだされば道具を用意しましたのに」
「そこまでするほどのことじゃねえって」
タルトは肩をぐるぐる回しながら、周りを見回した。ミズトカゲが隠れていそうな水草の群生を見つけて、そちらに歩きはじめる。
「アゴがピンク色のやつが観賞用によく売れるらしい。見つけたら逃すなよ」
「ああ、ボートのほうにするべきでした……」
「自分でこっちをやるって言ったんだろぉ?」
タルトはためらいなく、ざぶざぶと水の中に入っていく。脛まで水に浸かると、ひんやりとして気持ちいい。
「胴の真ん中をつかむんだぜ。手足をつかんだらちぎれるからな」
「なぜわたくしがこんなことを……」
目頭を押さえながらも、ここで責任を放棄するわけにもいかない。
プリンも靴を脱ぎ、裾を結んで水の中へ入っていく。足裏に感じる泥と石の感触。眉間にしわがよる。
「ふっ!」
毬に飛びかかる猫のような動作で、タルトが水草の中に突っ込んでいく。長い手を斜め上から振り下ろし、勢いよく水が跳ね上がった。
「どーだプリン、うまいもんだろ」
これまた猫が獲物を見せに来る時のように、タルトは高々と腕を掲げてみせる。その手の中には、オリーブ色のトカゲが握られていた。驚いて硬直しているのか、暴れる様子もない。
「籠持ってきてくれよ。あたしが取ってやるから、逃がさないようにしてくれよ」
「はぁ……もう、早く終わってくれればなんでもいいです」
肉食獣を思わせるタルトの動きは、さすがにマネできそうにない。プリンは言われた通りに籠をかかえ、しっかりふたを閉めてミズトカゲが逃げないように抑える役に専念することにした。
「ほっ! そりゃっ! うおぉー!」
タルトは水の上で元気に跳ね回り、次々にミズトカゲを捕まえていく。
その手際の鮮やかさに見とれてしまう……なんてことはなく、どっちかというと「肉食っぽいから近づかないようにしよう」という気持ちでいっぱいだった。
「元気ですわねー……」
プリンはすっかり気を抜いて、くるぶしを水につけながらその姿を眺めていた。
タルトが5匹目のミズトカゲを籠に入れ、再び水草の中に分け入っていった時だ。
水草の合間から、ちょろちょろと小さな影が這い出してくるのが見えた。
「あれは……」
もちろん、ミズトカゲである。住処が謎の侵略者(タルトのことだ)に襲われ、逃げ出してきたのだろう。小柄だが、明るい光の元では、アゴにピンクの斑点がくっきり見えた。
『アゴがピンク色のやつが観賞用によく売れるらしい。見つけたら逃すなよ』
タルトの言葉が反響する。そうしている間にも、そのミズトカゲは水草から離れてするすると水中を進んでいく。放っておけば、すぐ見失うに違いない……
葛藤は一瞬だった。
プリンは籠をその場におろし、全身をバネのように跳ね上げてミズトカゲに踊りかかった!
バシャァアンッ!
頭から……いや胸から水の中に飛び込む。自分では、タルトがしていたのと同じように動いたつもりだったのだが、瞬発力に雲泥の差があった。
プリンの手はミズトカゲをつかむどころか届くこともなく、ただ派手に水の中でよつんばいになっただけだ。
「プリン!?」
「タルトさん、そっちに……!」
異常を察したタルトが振り向く。幸いにも、プリンのダイナミック入水に驚いたミズトカゲは、住み慣れた草場へ……つまりタルトの方へ逃げようとしていた。
「よし、挟み撃ちだ!」
こういう時には勘が鋭くなるタルトは即座に状況を理解し、腰を落としてミズトカゲの進行方向を見極めた。
「おぉりゃあっ!」
ザバンッ!
ミズトカゲの鼻先に飛びかかるタルト。だが、隠れているミズトカゲを捕まえるときと同じようにはいかない。タルトがつかみかかる直前で向きを変えて、猛然と逃げ出していく。
「プリン!」
「ええいっ!」
ドバッシャァアアン!
こうなったらヤケである。水柱を上げながら体ごと突っ込む……もはや手でつかむというやり方を忘れている。
当然、ミズトカゲを捕まえられるわけもない。二人に挟まれた爬虫類は水草の中に隠れようと身を躍らせる。
「せーので行くぞ」
「こうなったら、逃がしません!」
「せーの!」
二人は息を合わせ、逃げ場をなくすように水の中に突進して……
ザパァ……
4本の腕でミズトカゲの逃げ場所をふさぎ、抱え込むように捕まえた結果……
「へ、へへ……どんなもんだい」
むぎゅう、と。ミズトカゲは二人の胸の間に挟まれて、身動きを止めていた。
「ひゃ、動かないでください」
タルトのビキニアーマーがぐりぐりとおしつけられる。それは思ったより痛かったし、ミズトカゲが逃げ出そうとしてもぞもぞと動くのでくすぐったい。
「か、籠まで運ぶぞ」
苦しい体勢なのはタルトも同じだ。振り向くと……プリンが投げ出した籠は横向きに倒れて、外れたふたからは一匹残らずミズトカゲが逃げ出していた。
「……ま、まあ、こいつだけでもおつりがくるだろ」
近くで見ると、鮮やかにアゴがピンクに染まっている。高値がつくに違いない。
二人がくっついたまま、なんとか運ぼうとした時……
「……何やってんの」
背後から声。クッキーだ。後ろには、ショコラが瓶をかかえている。
びしょ濡れでくっついている二人の姿を見て何を思ったのか。
「ちょ、ちょうどよかった、その籠を取ってくれ」
胸の間で動くトカゲを押さえこみながらタルトが訴える。ヘタに手でつかもうとすればその隙に逃げられるかもしれないのだ。
「えぇー……」
ショコラとクッキーは互いに視線を向けて……結局、手が空いてるクッキーがおしつけられた。
「ふう……と、とにかく、これで達成ですね」
クッキーが抱えた籠にミズトカゲを離し、プリンはようやく一息ついた。
四人が四人とも、全員頭からつま先までびしょ濡れだ。
「あたしはともかく、みんなは乾かしてから帰ったほうがよさそうだな」
幸い、まだ日は高い。服を日に当てて乾かしても、夕暮れまでに帰れるだろう。
「ひどい成果ね」
「ほんと、他に人がいなくてよかった」
「わたくしはもう疲れました……」
日陰に並んで、一同ががっくりと肩を落とす。
「涼しくなっただろ?」
タルトはミズトカゲが逃げないように籠のふたに肘を置きながら、堂々と胸を張った。
この件について責めることを3人は保留した。気力を使い果たしていたのだ。
帰り道でタルトを糾弾する反省会が開かれたことは言うまでもない。
とにかく、スイートメイツはこうして旅行券を手に入れた。
そのうち、どこかへの旅行に行くことだろう……。
行くんじゃないかな。
行くと思う。
たぶん、そのうち、きっと。
ミズトカゲは実在する生物とは関係ありません(予防線)




