無変
いわゆる仕事部屋に戻って、資料をバラバラとめくる音だけが部屋に響く。ギンと別れた後、私は当日書けばよかったものの溜めに溜め込んだ資料を少しずつ片付け始める。
私が所属する"シャルマ"という割と大きな組織の中で、お偉いさんに報告する資料を書かなきゃダメなんだよね。しかも生存者がいたなんてのは滅多にないから、書くところがたくさんある。さあやるぞー!なんて意気込んでペンを握ったのだけど、ふと気になって少女の容態が書かれた資料を手に取った。昨日、報告書書くのに使うからってギンからもらったまま、すっかり読むのを忘れてた。早く読んで書いて返さなきゃ。
「...あれ?」
ふと、読みふけっているとおかしいところがいくつかあるのに気づいた。だけどギンに限ってこんなものを間違えるはずがない。
"身体に異常無し"。
いいや嘘だよ、だけどそういえば部屋で寝ている彼女は綺麗にされていて、見た感じ異常は確かになかったけど...でも、研究所で見つけた彼女は本当に自分の血で、それも鮮血に溺れていたのに。抱きかかえると、耳もとでプチプチって筋肉が引きちぎれる音がしたのに。それが3日間で綺麗に治るはずがないのは私でさえも分かることだよね。
「...どう書けばいいんだこれ。」
ちょっと面倒だなあ、なんて思いつつも、どう改変しようもないこの事実を、私は違和感にまみれながら書き綴った。
まあ、結果何事もないのが一番いいことではあるんだけどね。でもやっぱり、書いてて違和感がたくさんあって書きにくい。
だらだらはしてないけどちょっとのんびりと文字を書く、お昼前の暖かいと暑いの狭間の時間。数十枚は書き終わったかな?...12枚だった。書くものがいっぱいあって、結構大変だなあ...まあとりあえずある程度書き終わって一息ついてる時に、この誰もいない少し狭い書斎に木の板を叩く音、扉をノックする音が響いた。それも少し強め。ああ、ショウだな。一人で頷いて、私はすぐに扉の向こうの影を招き入れた。
「せーんぱいっ!」
勢いよく中に入ってくるのは、私の後輩のショウ。野生児のショウは手にモモをいくつか抱えていて、その中の一つはかじりかけだった。まさかつまみながら歩いてたのかな...
「センパーイ先輩せんぱい先輩!!傷大丈夫っすか!?あの子大丈夫っすか!?お腹空いてませんか!」
先輩と連呼して私を呼び、慕ってくれるのは嬉しいのだけれども、ショウは毎度毎度とても騒ぐ。一応、この部屋の隣にも部屋があって誰かが作業してるわけだしこのテンションには常についていけるわけじゃないから、まあちょっと落ち着いてほしいなって思う。
「あーはいはい、全部大丈夫だから静かにしてよねー。でもお腹は空いたかも。」
「じゃあじゃあこれこれ!貰ったんですよー、美味しいモモ、モモ!」
ふわっと甘い香りが漂うモモを私の前に差し出し、嬉しそうに子犬のごとく目を輝かせる。相変わらず、ショウはこういうところが可愛いなあ、とか思いながら受け取って、皮をむいて一口食べた。...大事に抱かれてたからか少しぬるいけど、確かに美味しいモモだね。
「どうっすか!?」
「おいしいよ。」
「よかった!じゃあもう一つあげるっす!!」
尻尾を振りながら、ショウはまた私の前にモモを差し出す。今まだ食べてる途中だというのに、でもせっかくだから貰っておこうかな。
「冷やして後で食べるよ。ありがと。」
そうだなあ夜に食べよう。きっと冷たいモモは美味しい。
そう思って受け取ると、満足したのかモモを届けるという用事を済ませたショウは、仕事の邪魔になるからって部屋を出て行った。別にもう少しいても良かったんだけどなあ。話し相手が欲しかったけど、まあいいや。
やがて、みずみずしい果実をほおばり終わった頃、あの子の様子でも見にいこうかな、なんて思い立った。多分今日中にはこの作業も終わるだろうし、めんどくさくなったとか行き詰まったとかそういうわけじゃないからね。
お昼のご飯を食べに行く前に少し様子を見に行くだけだよ。
日が空の真上に登りきった時刻、再び私は彼女の部屋へと出向いた。
多分みんな、ご飯食べてるのかな。人気のない廊下に、私の靴音だけが少し響く。だけど規則正しいリズムが響くのはあまり好きじゃないから、時々早歩きしてみたりして、音をかき乱して少し楽しんでいた。そうしているとあの子の部屋にあっという間にたどり着く。
でもきっと、まだまだ眠ってるんだろうなあ。
目覚めないかななんていう期待の中にそんな諦めを含めて扉を開けると、何一つ変わらない部屋の景色がそこにあった。




