エピローグ
グレイヴは目蓋を持ち上げた。
まず見えたのは木で作られた天井。間違いない、ここは医務室だ。
慌てて真っ白なベッドから身を起こそうと力を込める。
瞬間全身を針で貫くような激痛が走り、悲鳴を上げそうになった。
「おや、起きましたかグレイヴ。随分とぐっすり寝ていたみたいですね」
「ギルドマスター、俺は……」
「落ち着いて、まずこれを飲みなさい」
差し出されたのは澄み切った透明感溢れる飲み物。コップ一杯、並々と注がれたソレには見覚えがあった。ゴクリと唾を飲み込みどうにか飲まずして終わる道を探すが、どうやら天は見放した。黙って受け取り一口含む。
「んぐっ!」
吐き出すかと思った。
刺し貫き切り刻むような激痛が味覚を蹂躙する。喧嘩売ってるのかと叫びたくなるほど味覚への理不尽な暴虐。上手い不味いではなく、痛い。断じて飲み物に対する感想ではないが、そうとしか言いようが無いのだから仕方が無い。
「よし、頑張りましたね」
「その子供に対する慰めみたいなの止めてくれませんか」
「頑張った子は褒めるのが私のポリシーです」
「……さいですか」
ギルドマスター、ケイオスは空になったコップを取り上げ、グレイヴが寝ているベッドの隣に腰掛ける。
「さてグレイヴ。誓いを破りましたね?」
「……申し訳ありません」
深く頭を下げた。
「あの時はアレが最善策だと思いました。その考えは今でも変わっていません。ですが誓いを破ったのは確かです。強制脱退ですか?」
「脱退にすると思いますか?」
「……」
「誓いを破ったのは許されない事ですが、今回死人は出ませんでした。終わりよければ全て良し、今回は不問とします」
「ありが――」
「――ただし」
びっ、とグレイヴを指差し、断固とした口調で、
「次はありません。次誓いを破った場合、強制脱退ではなく。私がこの手で貴方を殺します」
「分かりました」
グレイヴは言わば爆弾だ。もしこのことがばれれば、間違いなくガンマ上層部だけでなく全国の《騎士団》がグレイヴを殺しにやってくるだろう。そんな危険極まりないモノを匿ってくれているケイオスには変えそうにも返しきれない多大な恩がある。次誓いを破るようなことがあれば、それがどんな事であれ自殺しようとグレイヴは心に刻む。ケイオスの手を煩わせる訳には行かない。
「一つ質問を良いですか?」
「どうぞ、一つといわずに幾つでも」
「あいつ等はどうなりました?」
冒険者の大半は秘獣に恨みを持っている者達である。今回グレイヴは秘獣化した。それはつまり、恨みがグレイヴに向けられる可能性を示唆していた。
「ああ、安心してください。彼らは何故貴方が怪物といわれてあんなにも激怒するのか、その長年の疑問が解けたと笑っていましたよ。動けるようになったら一緒に食事にいこう、とも」
「そうですか、良かった……」
バタン、と全ての重圧から開放されたようにグレイヴはベッドに寝転ぶ。
仲間から拒絶される。それはグレイヴのトラウマを大きく抉る、最も恐れる事だった。
グレイヴが『秘結晶』をその見に宿したのは一〇歳の時だった。幸運にもその時通りかかったケイオスの《封印術》のお陰で完全に秘獣化することなく、被害をゼロに抑える事に成功したのだが、一つ失敗した事があった。
グレイヴは純粋な人族ではない。正確には蛇人族と呼ばれる種族である。しかし今のグレイヴをみて蛇人族と言い当てられる人は誰一人として存在しないだろう。グレイヴの『秘結晶』を封印するさい、もう一つ封印したものがあった。それが蛇人族の力である。蛇人族の力と『秘結晶』があまりに強く結びついていたために、そうするほか無かったのだ。しかし蛇人族は排他的な種族である。種族の力を失ったグレイヴを群れの仲間として認めなかった。グレイヴの親さえも答えは同じだった。
一〇歳の少年にはあまりに衝撃的な拒絶。絶望し心が折れかかっていたところを救ってくれたのがケイオスだった。恐らく罪悪感も合ったのだろう。グレイヴも幼い時はケイオスのせいで村から追い出されたと見当違いな恨みを抱えていたものだ。流石に今ではそんな事は無い。過去の自分を殴り飛ばしたいと本気で思うぐらいに大恩を感じていた。
「まだ、村へ帰りたいですか?」
突然告げられた問いに、グレイヴは少しの間を置き頷いた。
「今じゃもうここでの暮らしも好きだし、村に住みたいとは思いません。だけどやっぱり故郷だから、一度でいいから故郷には帰りたいです」
「そうですか……」
故郷に帰るには秘結晶を取り除くのが一番の近道だろうと考えた。だが秘結晶を取り除くなど、一体どういった方法を取ればいいのか分かる筈も無い。考えて、考えて。もし『秘結晶』の影響を全く受けない物質が存在するのであれば、それを使って『秘結晶』を撤去できるかもしれないという答えにたどり着いた。あるかも分からない物質。例えあったとしても取り除くことができるか全く不明。完全な机上の空論。しかしグレイヴはソレに縋った。
故郷に帰る。
たった一つの目的を再確認し、拳を握り締める。
と、ケイオスが呆れたように、
「言っておきますが、これから一ヶ月依頼を受ける事を禁止します」
「えぇ!?」
「罰です。撤回はしません」
「そ、そんな……」
グレイヴは呆然と嘆く。
ケイオスは優しく微笑み、
「それまで、仲間との親交を深めなさい」
その言葉が終わるや否や。
今までの会話を聞いていたかのような完璧なタイミングで。
医務室の扉が大きく開いた。
入ってきたメンバーは皆笑顔で、驚いた表情を浮かべたグレイヴに大きな声でこういった。
「祝杯を上げるぞっ!!」