決着
怪獣大戦争。人の力が及ばぬ領域にて、人の枠組みを超えた二体の怪物が激突していた。
【ギャォオ雄ッ!】
【ゴッガァあア!】
【蛇神鬼】の一撃を腕一本を犠牲に受けきったゴーレムは、大きく口を開け灼熱の光線を放つ。焼き殺さんと虚空を焼く光線に、【蛇神鬼】は自身も口を開け毒々しい光線をぶつけ相殺した。ギュルリ! と長き尾が蠢き、ゴーレムの胴体に巻きつく。溶岩の身体をしたゴーレムに密着した【蛇神鬼】の尾は肉の焼ける臭いと共に少しずつ溶かされていく。しかしお構いなしに解くどころかさらに力を込めゴーレムを締め上げた。
【ガァァアアア!】
溜まらず悲鳴を上げたゴーレムは右拳を【蛇神鬼】の顔面目掛けて振りかざし、同時に先ほど犠牲にした腕を槍に変え撃ち放つ。二方向からの連続攻撃。【蛇神鬼】は身体を回転させ、両方の攻撃を交わすと同時に、鋭利な牙をゴーレムの肩に突き立てた。
【ぶじゅるるルルゥ】
【ガァァァ! ゴガァァアアアアッ!】
身体を振り回し【蛇神鬼】から逃れようとする。だが【蛇神鬼】はさらに四本の剣をゴーレムの身体に突き刺した。
貫かれ、完全に動きを止めるゴーレム。口からは苦しそうな声が上がる。驚異的な耐久性を誇るゴーレム。そのゴーレムの身体が、ゆっくりと【蛇神鬼】の毒に犯されていた。【蛇神鬼】の毒は【カース・タランチュラ】のような猛毒とは少し違う。【蛇神鬼】の毒は決して生物の命を奪わない。ただ、石にして永遠に封じ込める。
苦し紛れの業火も、光線も。
何一つ【蛇神鬼】の身体には届かない。
そしてゴーレムが捕まり凡そ一〇分。果たして、そこには巨大な石像が存在していた。
あまりにも呆気ない、死闘の結末だった。
◆ ◆ ◆
「で……、どーすんのさ。アレ」
「次アレなんて言ったら殺す」
「うんごめん。その鎌下ろしてくれるかな? もうアレなんていわないから! ……ともかく、グレイヴ君どうしよっか?」
二体の怪物の激突。その決着を間近で見ていた観戦者たちはひそひそと相談をしていた。
「うーむ。グレイヴは完全に秘獣化しているみたいだね」
「見れば分かるでしょ」
「……グレイヴが秘獣化する際、『秘結晶』は確かに既に体内に存在していたんだね?」
「うん。間違いない」
「それなら……」
ヴィヴィアンは情報をまとめ、一つの答えを導き出す。
「グレイヴは『秘結晶』を初めから持っていた。だけど秘獣化はしなかった。何故なら、秘結晶は封印されていたから。その封印が死に掛けたことで解かれてしまい、秘獣化してしまったって感じだろうね」
「だから何って言うのさ」
「救えるかもって言いたいのさ」
いらいらとした調子で言ったヴェナムに、すぐさま言葉を返す。
「分かってるだろうけど、アレまだ完成体じゃないからね? 完全な【蛇神鬼】はさらにデカイし、なにより準大陸滅亡級程度なら傷一つ負わず瞬殺だろうさ。それから考えるに、多分グレイヴの封印は完全には解けていない。《封印術》の残滓は残ってる。その残滓に力を流し込めばまた封印しなおす事が可能かもしれない」
「……分かった。なら、力を流し込むのは私がやる」
ヴィヴィアンの説明を聞き、ブリュンヒルデは一つ頷き迷い無く今しがた自分達が敗北したゴーレムを圧倒した【蛇神鬼】へと歩を進める。慌ててそれを止めたのはヴェナムだ。
「ちょっちょっちょ! えなに死ぬ気!?」
「うるさい離せゴミムシ」
「ひどい!」
「二人とも落ち着きなよ。当然《封印術》の残滓に力を流し込むのは私がやる。私が一番《封印術》の熟練度が高いだろう? 恐らく成功すれば一秒にも満たないよ」
「ちっ。この泥棒猫」
「誰も盗みやしないさ。ただ問題は……」
ヴィヴィアンは口を噤む。その先は言わなくても全員が理解していた。
確かにヴィヴィアンの言うとおりかもしれない。《封印術》残滓に力を流し込むことが出来れば、全てに決着を下ろせるかもしれない。だが、一秒にも満たないとは言っても、実際にはコンマ数秒の時間が掛かる。たったそれだけと思うかもしれない。だがたったそれだけの時間が、ヴィヴィアンの生死を分ける。
コンマ数秒。それだけでいい。【蛇神鬼】の動きを止めなければ、この計画は失敗する。
ヴィヴィアンは唾を飲み込んだ。
成功する確率は限りに無くゼロに近い。なんと言っても、結果的に《超級》、《超級》に匹敵する《拳術・剛》、そして《極級》の三つをぶつけてもゴーレムの動きを完全に停止に追い込むことは出来なかったのだから。
【蛇神鬼】の動きを止めるにはさらに強力な一撃を放つ必要がある。
「……ブリュンヒルデ、《極級》は撃てるかな?」
「撃つ」
迷い無く言い切ったブリュンヒルデに、思わず苦笑する。
きっとブリュンヒルデは必ず撃つだろう。その身を削ってでも、必ず。
「もちろん僕も。さっきは成功するか五分五分だったから止めたけど、今度は《奥義》を撃つよ」
「《奥義》を習得していたとは驚いたね」
「ヒヒッ、まぁ僕は《拳術》にのみ特化したタイプだからね。これぐらいは出来なきゃ」
美しい手甲を嵌めた拳同士を叩き合わせながらヴェナムは不敵な笑みを浮かべる。ヴェナムとブリュンヒルデ、それぞれ違う道の極意を習得した二人は揃って笑いながら、技を打ち出すための準備に入る。本来そんな準備無くして打てねばいけないのだろうが、やはりまだ二人とも未熟といった所だろうか。
ヴィヴィアンも笑みを作りながら大剣をゆっくり正眼に構える。恐らく失敗すれば真っ先に死ぬのは自分だろう。なにせ力を流し込むとは言っても、ゼロ距離近づき触れなければ力は流し込めない。そもそも《封印術》の残滓が無ければ計画の前提が崩壊する。これは賭けだ。成功率は五パーセントにも満たないであろう博打。失敗すれば払うのは自分の命。出来ればこんな博打はしたくなかったとヴィヴィアンは笑う。
今にも逃げ出したかった。背を向けて、ガンマを見捨て、どこか遠くへ逃げたかった。あるのであれば違う大陸まで逃げ出したかった。だが、それは許されない。グレイヴを助けるためにも、ガンマにいる仲間を救うためにも――――。
「今ここで、終わらせる」
ヴィヴィアンの眼光は鋭く決意の光を灯す。
◆ ◆ ◆
轟音を立てて石化したゴーレムが崩れていく。本来どんな攻撃を受けても『秘結晶』が封じられない限り何度でも再生するゴーレムの身体は、しかしあまりに呆気なく、再生する兆しを全く見せる事無く溶岩の中に沈んだ。ゴーレムの核であり心臓ともいえる唯一の急所『秘結晶』が、ゴーレム同様完全に石化し溶岩の中に沈んでいくのを、大地を駆け抜けるヴィヴィアンの目は捉えた。【ヴァーミリオン・キングコブラ】の石化の毒に犯された物質は、決して元には戻らない。《封印術》に似た性質を持つ。これであの『秘結晶』の危険度はゼロになったと見て間違いないだろう。
強敵の命をあっさり奪った【蛇神鬼】は、ギョロリと眼球を回転させ、大地を疾走するヴィヴィアンへと向けた。見据えられているのを感じながら、ヴィヴィアンは唇を強く噛む。もしかすると、【蛇神鬼】はまだグレイヴの意識を持っているのではないか? そんな考えが頭のどこかにあったからだ。しかし【蛇神鬼】の目に宿るのは明確な敵意。先ほどはあまりに矮小な存在だったために、敵として見られていなかった。だが向かってくるのならば、敵意を向けるのであれば、【蛇神鬼】は躊躇いもせず殺意を身に宿す事だろう。
改めてヴィヴィアンは目の前の存在はグレイヴではないのだという事実を噛み締める。
目の前の圧倒的強者は。どれだけの奇跡が起ころうと勝てるはずも無い怪物は。
あの自分が知る、憧れの人物ではないのだ。何時か隣で肩を並べて戦う事を夢見た恩人ではない。
敵だ。ゆえにあの怪物を封印し、グレイヴを助け出す。
「ふふ、貴方から受けた恩は計り知れないが、今回の事でちょっとは返せるかな」
グレイヴ=ディシースは『怪物達は弔鐘を鳴らす』に所属する冒険者のエースだ。
ギルドメンバーの内半数近い冒険者が、グレイヴに憧れ、またはグレイヴに受けた恩を返すために冒険者となった。
今、グレイヴが目にかけている冒険者ロア=ウルフの事を思い出し、少しだけヴィヴィアンは苦笑した。
あんな風にグレイヴの傍をウロチョロしていた時期が彼女にもあった。
「あの頃から少しは私も強くなったぞ」
速度を上げる。脚力を限界まで発揮、一気に急激に加速。
尾を引く銀の髪がまるで流星のように靡く。
【ルるぅアォオオ!】
完全にヴィヴィアンは【蛇神鬼】に敵と認定された。
空気が打ち震え、それ自体が破壊力を持った咆哮。
ビリビリと前方から向けられる圧倒的な殺意の嵐。
ヴィヴィアンは競り上がる絶望感と恐怖の感情を強引に無視し、全てを消し飛ばすように不敵に笑って見せた。
「行くぞ、私の恩人を返してもらう」
勢いよく跳躍。空中には【蛇神鬼】の咆哮により砕けた石が無数に浮かんでいる。重力と言う法則に従い落下するソレを足場に、ヴィヴィアンは跳躍を繰り返し【蛇神鬼】目掛けて突っ切る。無駄な小細工は通用しない。ならば真正面から最短距離を疾走する。
【グゥううオオオオオッ!】
轟! と余波だけで木々が根こそぎ吹き飛ぶような、圧倒的破壊力を持った四つの巨大すぎる兵器がヴィヴィアン目掛けて振るわれる。
そこへ。
「《戦乙女流・魔術・極級》《天上導く死の乙女》――――ッ!」
下から襲い掛かる神撃。虚空を貫く九本の矢に込められた破壊の力は、二度目にも関わらず、一度目の神撃を凌ぐ事は傍目から見ても明らか。驚異的な耐久性と再生能力を誇るゴーレムの身体に風穴を開けた光の矢が。一国の領土を焦土に変える事すら可能な程の力が込められた破壊の矢が。
今まさにヴィヴィアンの命を刈り取るために虚空を裂く大剣へと吸い込まれた。
音が消えた。あまりにも巨大すぎる規模の破壊には音など伴わないという事をヴィヴィアンは知った。
爆発。破壊。蹂躙。【蛇神鬼】を巻き込み天へと真っ直ぐに上る光の渦。太陽に勝るとも劣らない爆発的な光力がペレ火山山頂を埋め尽くした。
「あっぶないなぁ!」
足を止めず跳躍するヴィヴィアンは小さく愚痴を零す。絶対に当てないとそう言われていても、やはり間近で《極級》が炸裂すれば全身はすくみ上がる。確かにブリュンヒルデの言った通り、圧倒的な破壊の力はヴィヴィアンには掠りもしなかった。防音対策も完璧。今回の攻撃のタイミングも分かっていたため、視界も良好。被害は実質ゼロ。
しかしそれでも、やはり目の前で一溜まりも無く死ぬであろう破壊を目にすれば足も竦むというもの。
だがここで止まってはブリュンヒルデの頑張りが無駄になる。
文字通り限界を超えて放った一撃だったのだろう。恰も糸の切れた操り人形の様に力なく地面に崩れ落ちるブリュンヒルデが視界の隅に映る。
(絶対に、成功させて見せる!)
覚悟を新たにしたヴィヴィアン。
刹那。
【ぐるるるルゥアアあああッ!!】
破壊の渦から抜け出した【蛇神鬼】が石化の毒を与えんと牙をむき出しにして猛威を振るう。ヴィヴィアンの視界が【蛇神鬼】で埋め尽くされた。一瞬で悟る。もう避けられない。ヴィヴィアンは震える足を叱咤し、逃げるどころか反対にさらに一歩踏み出した。
石化の毒を携えた牙が、目の前に。
ひぅ、と小さく悲鳴が漏れる。
(おーい、なにしてる? 早く来い。早く早く。死んじゃう――)
転瞬、破壊が空から降ってきた。
「喰らっちゃいなァァ! 《金剛蟲流・拳術・奥義》《天星失墜》ッッ!」
バカみたいな雄たけびを上げ、上空から堕ちてきた一撃は【蛇神鬼】の脳天へと炸裂した。
衝撃が全身を蹂躙する。未完成体とは言っても現在確認されている最強の秘獣【蛇神鬼】。本来なら全身が木っ端微塵に吹き飛んでもおかしくない一撃に、しかしぐらりとふら付いただけ。鮮血も、鱗一枚すら割れていない。
だが十分だ。ヴィヴィアンたちは破壊が目的ではない。
隙を作るのが目的。殺すのではない、封印し救うのだ。
大剣を邪魔だと手放す。
右腕を限界まで伸ばし、手を大きく広げ、人差し指にこれでもかと力を込める。掠るだけでいい。僅かに触れるだけでいい。その瞬間に、全身全霊の力を流し込んでやる!
しかし。
「……あ」
ギョロン、と。
血の様に紅い双眸がヴィヴィアンを捉えた。
悟る。知る。気付く。
届かない。計画は失敗する。次の瞬間彼女の身体は塵と化す。
絶望が、脳裏を撫でた。
時の流れがゆっくりとなったような錯覚を覚える。
ああ。言葉のような息の様な、意味を成さない声が唇から零れ落ちる。
ちくしょう。歯を食いしばり目を瞑る。もう駄目だ。
絶望に身を委ねた。
須臾、獣の遠吠えが鼓膜を優しく揺さぶった。
「キュルァァァアアア!!」
長年グレイヴに寄り添った相獣は、目を覚ませと訴えかけるように大きく吼えた。
真紅の双眸がぼんやりと宙を飛ぶ相棒の姿を追い、ピタリと、時間が止まったかのように【蛇神鬼】の動きが止まる。
寒い凍えるような絶望は打ち払われ、変わりに暖かい涙が出るような優しい希望が溢れる。
「なんだ……声、届いてるんだな」
伸ばした人差し指が僅かに触れる。
あふれ出した力の奔流は、【蛇神鬼】の全身を駆け巡り、そして金色の龍へと姿を変えて外部へ飛び出した。
《封印術》の残滓。ヴィヴィアンによって力を取り戻した《封印術》はその役目を全うする。太陽の如く光り輝く神々しい龍はまるでヴィヴィアンたちの頑張りを祝福するかのように光を振りまき、【蛇神鬼】の全身を覆っていく。
光に飲まれていく【蛇神鬼】。
肉体は再び元の慣れ親しんだものへと変化していく。
「終わった……、これで全て、ハッピーエンドだ」
ほっと、全身の力を抜き張り詰めていた気を緩めたヴィヴィアンは、光の中に過去の自分を救ってくれた優しい笑顔を見た気がした。