怪物と呼ばれた理由
剣戟の音が炸裂する。
既に下半身の形成が完了したゴーレムの全長は凡そ五〇メートルを超える。しかしゴーレムが巨大な足で噴火口を越える事はない。出来ないのだ。周囲を飛び回り噴火口に押し留める四人と一頭によってゴーレムの動きは制限されていた。
現在、空中を自由自在に飛びまわれる術を持つのはヴェナム、ヴァイオレットの二名だけである。しかし、グレイヴたちは時にヴェナムやヴァイオレットのサポートを受け、または衝撃によって宙に浮かぶ岩石などを足場に、空中を自在に飛び回る。
【ゴガァアアアアアア!】
両腕を振り回すが攻撃は掠りもしない。それどころか足場にされる始末。ゴーレムは怒号を上げた。
グレイヴたちは余裕がある訳ではない。ゴーレムの一撃は防御力を遥かに上回る。一撃でも貰えばその時点で戦線離脱を余儀なくされる。
「チッ……、誰か《極級》の《魔術》を使える奴居ないか?」
「《極級》かい? 《超級》なら使えるけれど……」
「駄目だ、奴の動きを一瞬で良いから止めたい。《極級》でないと止める事は出来ない」
《極級》といえば《奥義》に匹敵する極少数の者しか習得していない魔術の極意だ。グレイヴといえど使えるものではなく、頼みのS級二人は方や《拳術》特化型、方や万能型。ヴェナムに至っては《上級》しか使えず、また万能型のヴィヴィアンですら《超級》は幾つか使えるものの《極級》となれば使えない。
小さく舌打ちを一つ。一か八か複数の《超級》をぶち込み動きを止めるべきか、と頭を巡らす。
と、ブリュンヒルデが、
「《極級》、一つだけど使える」
「おいおいマジか。お前まだA級だろ?」
「うん。《詠唱術》が全く使えないから」
「納得。で、今撃てるか?」
「守って」
ブリュンヒルデは迷わず地面へと着地、鎌を手放し魔力の収束に入る。ヴィヴィアンがヴァイオレットに跨り、ヴェナムと共にゴーレムの注意を引き付ける中、ブリュンヒルデの隣に着地したグレイヴは剣を構える。
「何分掛かる」
「三分」
「了解」
油断無くゴーレムの一挙手一投足に意識を張り巡らせていたグレイヴは逸早くゴーレムの狙いに気付いた。先ほどからゴーレムは咆哮を上げていない。怒号も、口を開けることすらしていない。まるで何かを溜めているかのように。
「ヴィヴィアン、ヴェナム! 射線上に入るな、来るぞッ!!」
見覚えのある予備動作に、グレイヴは吼える。
二人と一頭は声に反応し急激な方向転換。
その直後、ゴーレムの口から地獄の業火が光線となり解き放たれた。
「ッ!」
息を短く吸い込み大剣を恰も盾のように前方に掲げる。
自分と光線の間に挟まれた大剣に手を沿え、湿らせた唇を素早く動かす。
「《牙蛇血流・詠唱術・盾》。死ヲ与エシ暴力カラ。其ノ身一ツデ我ガ身ヲ守レッ!!」
赤黒く輝く刀身は大蛇へと形を変えた。大蛇はぐるりとグレイヴ、ブリュンヒルデを巻き込み塒を巻く。発光する大蛇守られている二人ごと焼き尽くさんと威力を増す光線。拮抗した大蛇の防御だがそれを光線の破壊力が上回るのは時間の問題だろう。最後の防壁である大蛇が破られれば、一瞬で骨まで溶かされるのは分かりきった事。死が視認できるほど間近に迫っているというのに、グレイヴは笑みを浮かべた。
諦めた訳ではない。
反撃の時間だ。
「今度はこっちの番。ぶちかます」
短く怒気を含んだ言葉を発するブリュンヒルデ。
グレイヴは素早く空中に浮かぶ二人と一頭へと合図を送った。
「了~解っ♪ 行くぜェッ、《金剛蟲流・拳術・剛》《崩帝》☆」
「ふふふ、食らえぃ! 《湖乙女流・魔術・超級》《大焔湖》ッ!」
空気を裂き飛翔するヴェナムはゴーレムとの激突の刹那、全く同一のタイミングで硬く握り締められた四つの拳を炸裂させる。
同時に、反対側で笑みを浮かべるヴィヴィアンはヴァイオレットの背から、小さな街なら瞬く間に蹂躙される規模の津波に匹敵する水量を一本の光線へと収束、変換し、切っ先から撃ち放つ。
二つの攻撃は狙い通りゴーレムの体を抉り、攻撃中断を余儀なくされる。
地獄の業火を耐え切った大蛇は大剣へと姿を戻し、持ち主の手に収まる。
守られていたブリュンヒルデは、鬱憤を晴らす如く両手をゴーレムへと向け怒声を上げた。
「《戦乙女流・魔術・極級》《天上導く死の乙女》ッッ!!」
光が世界を覆い尽くした。
《極級》は一発で数百人近い命を奪ったとされる《魔術》の最高峰。
未熟ながら習得していたブリュンヒルデの《極級》は、本来の威力には程遠いものの、今しがたゴーレムを抉ったヴィヴィアンの《超級》とは比べるのもおこがましい程遥かに上回る。
故にその結果は当然である。
空間を切り裂く九本の神々しい光の矢は、狙いを外す事無くゴーレムの身体に九つの風穴を開けた。
轟音など生ぬるい。まさに神の一撃。圧倒的耐久性、再生能力を誇るゴーレムが、たった一つの魔術に膝を屈した。
ゴロゴロと雨のように降り注ぐゴーレムの破片。
形を留める事が出来ず溶岩の中に沈んでいくゴーレムへと、グレイヴは疾走した。
ゴーレムはまだ死んでいない。だが弱っているのは火を見るよりも明らか。今が絶好のチャンス。
極限まで集中された眼力はゴーレムを形作る『秘結晶』を捉えた。崩れ行くゴーレムの頭部にソレは燦爛と輝いている。
距離は既に二十メートルを切った。両手で握り締める大剣は最後の障壁であるゴーレムの頭部を切り裂く。
「《牙蛇血流・剣術・破》《紅十五夜》」
頭部は呆気なく切れ、『秘結晶』が外部へとその身を晒す。
勝った。終わりだ。
右腕を大剣から離し、『秘結晶』へと限界まで伸ばす。
勝利は目前。この指が触れれば――――。
そして、伸ばされた人差し指が、どこかひんやりとした『秘結晶』の表面に、僅かに触れた。
――――転瞬、圧倒的衝撃の暴力が全身を余すことなく蹂躙した。
「ごがォ――――ッ!!?」
足が地面を離れ身体が宙に浮く。
悲鳴が聞こえたような気がした。
宙を浮いた身体はあっという間に地面に墜落した。ゴドリと音を立て横たわった衝撃により、漸く思い出したかのように、腹に開けられた綺麗な円状の穴から血や臓物、腸が零れ落ちる。
最後勝利を確信したグレイヴの腹を刺し貫いたのは、複数のゴーレムの身体の破片だった。ゴーレムの破片は槍へと姿を変え、《封印術》を行使しようとした意識の外から身体の中心へと図面に描かれているような均等な、とても綺麗な風穴を空けた。穿たれた槍は一本や二本ではない。腹に開けられた風穴とは別に、左腕の肘から先を吹き飛ばし、右足のふとともの途中から先を消し飛ばした。
地面を侵食していく真っ赤な血液は、グレイヴの身体を血溜まりの中へと沈める。血の池には死相が映し出されていた。意思に反して手足が意味も無く痙攣する。赤を映し出していた視界に四方から闇が押し寄せてきた。闇と共に流れ込む堪えようの無い孤独感。ヒタヒタと黒い布を湿らせながら真っ白な死神の手が胸をすり抜け、奥にあるなにか弱弱しい光の球体を掴むのを幻視した。
冗談じゃない。洒落にならないぞこれは。血反吐をぶちまけ明滅する意識でグレイヴは迫り来る死を予感する。
既に地面を引っ掻く力すら残されていない。僅かに残された血液も、間もなく全て流れ出るだろう。赤と黒に覆われた視界は、僅かに役目を果たそうと周囲の状況を伝えてくれる。見えたのは止め処なく涙を流しながら地面に膝を付き何事か叫ぶブリュンヒルデ。
ヴェナムとヴィヴィアンは青ざめた表情を浮かべ、精細を欠く動きで力なくゴーレムの相手をしている。既に粗方の修復を終えてしまっているゴーレムに、勝つ術は残されていないのだろう。
「 」
ブリュンヒルデの声は届かない。
耳は既に機能を失ってしまっていた。
涙目で叫ぶブリュンヒルデ。聞こえない。聞こえない。
「 」
だからもう、叫ぶのは止めてくれ。
その言葉も既に届かない。空気を震わす事はない。
まるでパズルのようだった。長年構築されてきたグレイヴを支える意識が、闇から伸ばされた手によって一つ一つ細かく分解されていく。消えていく。沈んでいく。闇は何処までも深く、沈めば全てから開放されるであろう、麻薬のような艶美な香りで誘う。視界は既に何も映す事は無い。目蓋をこんなにも重いと思ったのは生まれて初めての経験だ。
死神がゆっくりと魂を引きずり出そうとする。
グレイヴの魂は儚く淡い光を放ち肉体と言う器を放棄しようとする。
死ぬ。死ぬ。死が近付く。今死んでしまえば、一体他の皆はどうなるのだろうか?
ぼんやりとした思考が、仲間へと向いたとき、バグンッ! と既にただの肉へと成り下がった心臓が、唐突に自身の仕事を思い出したかのように大きく撥ねたような気がした。
そうだ、ここで死ねば、あいつらも死ぬ。駄目だ。それだけは駄目だ。
目蓋が勢い良く開き、奥の眼球は鮮明に周囲を映し出す。
脳裏に落雷が落ちたような衝撃と共に声が鳴り響いた。
『良いですか、グレイヴ。これは絶対に使ってはいけません』
ぐじゅぐじゅと腹に空いた穴が音を立てる。
直ぐ傍で絶望したように泣き喚いていたブリュンヒルデは突然の事態に大きく目を見開いた。
『幸運な事に、貴方の精神力、そして私の《封印術》でソレを封じる事に成功しました。しかし貴方が使おうと思えばいつでも使えるような、とても危険な代物です』
全身の骨が立てる異様な音と、同時に這い上がる絶望に似た悪寒が全身を撫で回す。
身体が痙攣し動き出した心臓が生み出す血液が沸騰する。
『次、ソレが完全に覚醒した場合、再び封じ込める事はまず不可能でしょう。貴方は討伐対象となる。愛する者を殺してしまうかもしれません』
筋肉が膨れ上がり、細胞が死滅と再生を繰り返す。
骨は本来の形とはまた別の形へと構築される。
全身をぐちゃぐちゃにかき回される激痛にグレイヴの意識は光と闇を行き来する。
『だから絶対に、これを使ってはいけません。グレイヴ、誓ってください。これをどんな状況だろうと使わないと』
グレイヴは死んだ。そして生き返る。
死と生の境界線を何度も行き来し、その度に別のモノへと変化していく。
先ほどの激痛が足元にも及ばない痛みに、意味も無くのた打ち回った。
――すみません、ギルドマスター。誓いを破ります。
【―――ッッツヅ!! がアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ッ!】
天高く咆哮を発しながらグレイヴは再生した二本の足で力強く地面を踏みしめ勢いよく立ち上がった。
ゴポゴポと不快な音を立てる風穴の中央に、燦燦と強烈な輝きを振りまきながら浮かんでいるものがあった。
見える全ての景色は歪み、狂い、崩壊したような世界。視界から与えられる情報はどうやら正しくないようだ。
灼熱した身体。熱い、熱い。込み上がる吐き気と激しい頭痛。視界に移った死神は、大きく鎌を振り上げた。
悪いな、俺の魂はまだやれん。
【オォォォォォォ!】
気味の悪い光を発する『秘結晶』は、グレイヴの肉体へ沈む。
そして――――変貌が始まった。
◆ ◆ ◆
ブリュンヒルデは涙で歪んだ視界に映った光景を、どこか夢を見るような感情で見つめていた。
勝利を確信した瞬間、愛する男が腹を貫かれた。どう見ても致命傷。何をやっても助からないのは明白。呆然と同じく絶望的な光景に飲まれていたヴェナムとヴィヴィアンは、ゴーレムの咆哮と共に意識を浮上させ、絶望した。
全身全霊の攻撃。それすらも、このゴーレムには届かなかった。絶望し、死を確信した。メンバーの中で疑いようも無く最強の冒険者グレイヴ=ディシースの死。次は自分達の番だ。戦意を完全になくしてしまったブリュンヒルデとは別に、ヴェナムとヴィヴィアンは戦意を失いこそしなかったものの、既に勝てるなどと言う感情は消え去っていた。ただまだ死にたくない。それだけの感情で、武器を振るう。しかし着実に死は近づく。
そんな時だ、ブリュンヒルデの目の前で、死んだはずの男が、地面を踏みしめ咆哮を上げた。
【―――ッッツヅ!! がアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ッ!】
訳がわからない。何故死んでいないのか。何故動けるのか。
一体、その姿はなんなのか。
ブリュンヒルデだけではない。ヴィヴィアンも、ヴェナムすらぽかんと口を開け、信じられないといった表情でグレイヴを見つめていた。
【オォォォォォォ!】
上がった咆哮は、既に人のモノではなかった。
胸の風穴に浮かんでいる物体は間違いなく『秘結晶』。盛り上がった肉に飲み込まれる。
始まるのは、人から異形への変貌。
バギバギと骨が纏めて砕けるような音が炸裂した。
本来数万年以上の時間をかけ変化する生物が凡そ数分の時間でまったく別の生物へと変化する。ブリュンヒルデにとってはゆっくりとした時間に感じる速度で、しかし生物の進化と言う点から見れば実に恐るべき速さで進化する。
既に腰から下に生えているのは二本の足ではなかった。凡そ十メートル近い大蛇の尾。肩の肉が盛り上がったと思ったら、そこから飛び出す二本の腕。計四本の腕は何時しか鱗に覆われていた。両目は人のモノでは無く瞳孔が縦に伸びた蛇のモノ。口から見える牙は反り返り、チロリと先端が割れた舌を覗かせる。人の身体と蛇の尾の境界線まで延びきった長い髪。
全長十五メートル近い巨大な怪物が咆哮を上げる。
【オ雄ォォォッ、ゴッガぁぁあアアアア!】
この怪物を、ブリュンヒルデは知っていた。嘗て大陸一つを沈めたという『秘獣・鬼系』最強種。
――【蛇神鬼】。
ブリュンヒルデたちの視線を集めながら、【蛇神鬼】は大剣を握り締める。
【ぐぅルガァァああああ!】
咆哮と同時に大剣が変化する。光り輝く大剣はその数を四本へと増やし、同時にサイズを変え【蛇神鬼】の巨大さに合う巨大な物となった。
「あれは……《詠唱術》?」
間違いなく今【蛇神鬼】が使ったものは《詠唱術》の一つ。全ての『秘獣』は《詠唱術》や《魔術》・《剣術》といったものを使えない筈。それは最強種であっても変わらない。しかしそんな常識はいとも容易く覆された。
四本の大剣を握り締めた【蛇神鬼】は鋭い眼光でゴーレムを見据え、恐るべき速さで襲い掛かった。
ゴーレムもまた本能で【蛇神鬼】の強さに気付いたのかヴェナムたちを意識の隅へと追いやり全神経を持って、嘗て無い強敵を迎え撃つ。