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神罰の行方 中編

このお話には、残酷な表現、グロテスクな表現が含まれています。

お気を付け下さい。

 玉座の間は重い沈黙に支配された。

 誰もがその少女の言葉に衝撃を受けていた。

 ある者は裏切られたと。ある者はその娘のせいでわが身が破滅したと。ある者はこんな事で国を揺るがせたのかと。


「愚かな……」


 思わず漏れたその言葉は、いつもの威厳のある国王の言葉とは思えないほど、老いて疲れていた。


「エリザベータが神の娘だと知っていて、謀ったのか」

「私は謀ってなどおりません!むしろその娘に騙されたのです!」


 国王の力なき呟きに、王太子が反論する。

 王太子にとって、その心の内を聞いた後となっては、アンジュは愛する少女ではなく自分を陥れた悪魔に等しかった。それ故、わが身の潔白を国王に嘆願する。

 だが。


「王太子よ、マリウスよ」


 公の場でそうして名を呼ばれるのは、立太子以来初めての事だ。国王は、王としてではなく血を分けた息子として、その行く末を哀れんだ。


「婚約とは、婚姻に至るまでの誓約である。それを一方的に、相手の疵瑕しかなく破棄するのは、神の娘、もとい、神への誓約の破棄に等しい。神は我らを守り慈しんでくださるが、神誓しんせいを破る者を許しはしない。たかが婚約と侮っておったか」


 王族の婚姻は、政略結婚と言えども、永遠の結びつきを神へと誓い、決して離縁することはできない。それを破れば天罰が下され、夫婦共に命を失うからだ。

 だがそれは王族に限った話で、それ以外の貴族も平民も、教会で二人の愛を誓い戸籍を共にするだけの結婚をする。


 それでも王族とはいえ、普通は婚約の時点で神誓をすることなどないのだ。

 その相手が神の娘でなければ。


「皆の者に沙汰を告げる。ジェラール以下、王太子の側近であった者は、王太子の暴走を止められなんだ咎により、その職を辞して各々の領地に蟄居とせよ。エリザベータの従者であったテオドールも職務放棄のゆえに、学園でかかった諸費用及び学園へ参ってから受け取った給金を大公家へと返還せよ。ジェラールに関してはこの度の件で負った怪我によって死亡したとしても、側近の職務によるものとは見なさぬゆえ、心得よ」


 王太子の側近であった者たちは、それぞれ高位貴族の嫡男であった。だが領地へ蟄居となれば、その栄達は閉ざされたに近い、であるならば、爵位継承の道もまた、彼らではない他の者の物となってしまったのであろう。

 飼い殺し。

 それならば、まだいい。

 だが領地に戻ったその後、神の娘を忌避し王家に厭われ家名を穢した彼らに、不慮の事故や急な病が訪れる可能性は限りなく高い。


 青ざめる彼らはその可能性に気付いたのだろう。蒼白な顔で手を握りしめている者も多い。


 そしてエリザベータに階段から落とされ大怪我をしたジェラールもまた、今この時より適切な治療を受けることなく、そのまま捨ておかれる事になる。元が騎士であっただけに体力があったからか、治療どころか痛みを軽減する事もないまま放置されても死ぬことはなかったが、適切な処置をされずに放っておかれた手と足はいびつな方向に向かい、二度と歩く事は適わなくなった。

 家人はジェラールを屋敷に連れ戻し、そのまま離れの部屋に放置した。

 歩く事のできないジェラールは誰にも世話をされる事なく、食事を与えられる事もなく、糞尿にまみれてそのまま死んだ。

 王太子の第一の側近として怜悧な美貌を謳われていた男であったが、その死に様はやせ衰え、髪もボザボザで髭も伸び放題で、その髭の周りも飢えに耐えかねて食らったらしき糞尿にまみれと、見るもおぞましい姿であったという。


 その遺体は代々の先祖が眠る墓ではなく、身元の知れぬ者を弔う共同墓地に葬られた。


 テオドールは代々騎士の家の生まれであるが、学園の諸費用や給金を全て返せるほど裕福な家の出ではなかった。剣の腕は良かったので、いずれかの貴族に出仕することができれば良かったのだろうが、職務放棄をした騎士に声がかかる事などない。

 かといって剣だけを極めた男に他の仕事などできるはずもない。テオドールは商業都市アグリアへ行き、そこで闘技場の剣士となり、金か命か、の闘技士の道を選んだ。

 最初は顔のいいテオドールは人気の剣士となり、戦いにも勝利を続けた。だがやがてテオドールが神の娘を護る職を放棄した事が知られ始めると、たちまち彼は悪役のポジションに堕ちる。ちょうど新たなヒーローが闘技場に生まれた事も大きいだろう。亡国の王子である彼は、見目麗しく故国の再建の為に命をかけて戦っていた。

 悪役となったテオドールは負けが続く事になり、姫君たちの目を楽しませていた凛々しい美貌にも醜い傷が残るようになると、闘技場に現れるだけで罵声をあびせられるようになった。

 彼の最後は、亡国の王子との命ある限り戦うデスマッチである。

 剣の腕からすればテオドールの方が上だっただろう。だが彼は前日の戦いで腕を痛めていた。

 戦う者たちは知らなかったが、勝負は最初から仕組まれていたのだ。

 テオドールは亡国の王子の剣に貫かれ死んだ。そしてその死体は獣に与えられた。そこまでが見世物であったからだ。


 それでもテオドールの負った負債は返しきれず、その生家はやがて家族離反となって家名も消えた。


「そしてそこな娘は、既に天罰を受けし身。これ以上、人によって裁くことは神への不遜にあたるゆえ、このまま捨て置く。ただし学園を混乱させた罪により、学園は退学するものとせよ。テオドールと同じく、学園でかかった諸費用の返還を命ずる。王太子に関しても既に神罰を受けし身ゆえ、人による罰は与えられぬ。心穏やかにその時を待つがよい」


 王の裁定に、娘と王太子、そして神官長以外の者が憤った。

 なんと生ぬるい裁定であるのか、と。

 英明で知られる王も、やはり自分の子供は可愛いのか、と。


 だが彼らは、やがて神罰の本当の恐ろしさを知る。


 学園を退学させられたアンジュではあるが、生家が裕福な商家であったことから、学園での諸費用は難なく返す事ができた。突然戻ってきた娘に驚く両親に、アンジュは涙ながらに訴えたのだ。

 学園で王太子に恋慕され、それを逆恨みしたエリザベータに学園を追い出されたのだと。

 神の娘がいかに恐ろしく、慈悲のない生き物であるのかを、ジェラールへの仕打ちを交えて訴えたのだ。

 アンジュを溺愛する両親は、なんと哀れな娘だろうと、一層アンジュを可愛がった。学園でかかった諸費用もすぐに返し、娘は心の傷を癒すために郊外の別邸で静養させる事にした。そこでもまた、裕福な他の商家の息子たちをはべらせ、両親についたのと同じ嘘を吹聴して同情を誘った。


 だがその別邸でアンジュの母は病に倒れる事になる。王都から急いでやってきた父の訪れを待つ事もなく、そのまま息を引き取ってしまった。

 葬儀を終え王都に戻った父娘であるが、妻を亡くした父親は生きる気力をなくしたように覇気がなくなった。そしていつの間にか酒に溺れ、女に溺れ、仕事をせずに遊び暮らすようになってしまったのだ。

 そんな毎日が続いていれば、いくら王都でも有数の商家といえども傾くのは早い。だが家が傾くより先に、父が暴漢に襲われて死んだ。

 アンジュが悲しみに暮れる間もなく、借金取りが屋敷に押し掛ける。アンジュの父は賭博にも手を出しており、莫大な借金を背負っていたのである。


 それを知ったアンジュの取り巻きたちは、潮が引いたように一人もいなくなった。


 その頃にはアンジュが呪われた娘であるという噂が囁かれ始めていたからだ。

 神の娘に弓を引いて呪われたのだと。


 アンジュの父の借金を肩代わりし、その代わりにアンジュと結婚しようと考えていた若者も、その噂を耳にした家族に反対されて結婚を断念した。


 そしてアンジュは娼館へと売られた。だがその庇護欲をそそる美貌で、商品として店に出される前に、妾として飛ぶ鳥を落とす勢いであった貴族の男に買われた。その男は貿易で財をなしていたから、新しい妾にも高価な品をふんだんに与えた。


 アンジュはそれまでエリザベータの呪いに弱気になっていた自分を笑い飛ばした。

 次々に両親を亡くし、借金のかたに売られ、やはりこれはエリザベータの呪いのせいなのかと怯えていたのだ。

 けれどそれは杞憂だったのだろう。

 エリザベータは神の娘ではなく、そんな神秘の力など持ってはいないのだ。


 そうでなければ今の私がこんなにも満ち足りているはずがない。


 王太子妃にはなれなかったけど、私はこの世の栄華を極めている。

 彼の正妻には男子がいないし、私が男子を産めば正妻にとって代わる事もできる。

 そうよ。よく考えたら王太子妃になっても何もいい事なんてないわ。四六時中召使に監視されて、公務だなんだと好きな事もできやしない。

 だったら何の責任もないこのままで、贅沢三昧していればいいんじゃないかしら。


 貴族の男は爵位こそ低かったが、有り余る財産を持っていて、湯水のように金をお気に入りの妾に使った。毎日のように仕立てられる豪華なドレス、王女ですら買えない豪華な宝飾。世界の各地から取り寄せられる珍味。


 やっぱり私が呪われたなんて嘘。

 だって王太子妃よりも贅沢な生活をしているんだもの。


 だがそんな生活は一カ月と続かなかった。

 男の持つ船団が嵐に巻き込まれて、すべて沈没してしまったのだ。


 一夜にして、男は大富豪から一文無しになった。


 そしてアンジュは娼館へと戻された。


 だが良家の娘として教育を受けた美貌のアンジュは、店の看板として安売りはされなかった。相手をする男たちもそれなりの地位にあるものばかりだったから、それほどひどい目には合わなかった。

 けれどアンジュを買った男たちがことごとく不幸に合うのが知れ渡ってからは、アンジュを買うものがいなくなった。

 ある者は痴話げんかで刺された傷が元で床から起き上がれなくなり、ある者は賭け事で全財産をすられ、ある者は汚職の証拠をつきつけられ失脚した。

 それらは全て自業自得の転落ではあるが、なぜか揃ってアンジュの元へ通っていたという共通点があった。


 やがてアンジュは呪われた女と噂され、誰からも指名を受けなくなる。

 だが店への借金はまだまだ残っている。


 困った店はアンジュを他へ売ろうとしたが、呪われている女を買う店はない。

 ただ一つの店を除いては。


「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。世にも珍しい蝶女だよ。羽化したばっかりの珍しいもんだ。お客さん、ちょっと見ていなかいかい」


 見世物小屋の客引きに誘われた男は、そのうたい文句に気を引かれ、金を払って暗い店の中へ入る。

 するとそこには手足のない、目を閉じた金髪の美しい女がいた。背中に蝶の羽を模した張り子がある。


「おい、お客さんだ、起きねぇか」


 客引きが女の耳元で声をかけると、女はゆっくりと目を開けた。その眼球には青色のガラス玉が入っていた。


「ほう。これはこれで美しいな」


 その女には歪な美しさがあった。男はわずかに興を引かれる。


「旦那がよければ、金貨1枚で半時ほどここを貸し切りにできますぜ?蝶女には歯もねえんで、どっちでもお好きな方をお使いくだせえ」

「金貨1枚あれば娼館で人気の女を買えるじゃないか」

「ですが、こいつは珍しい蝶女ですぜ?ああ、分かりましたよ。ダンナは商売がうまいなぁ。銀貨8枚でどうですかい?」


 帰ろうとする客の袖を引いて、客引きは値段を下げる事にした。


「銀貨7枚なら買ってみようか」

「仕方ありやせんなぁ。じゃあ銀貨7枚でいいでしょう」


 男は知らない。

 その女が学園で憧れていたアンジュである事を。


 そしてアンジュは。


 気が狂う事もできずに、眼球をえぐられ目も見えず、薬で喉をつぶされ声も出せず、地獄のような毎日を送っていた。


 その日々に、終わりは見えない。





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