アラツグ、少女を守る。
1、アラツグ
「そっかー……エレアナ・スタリヤァーちゃんて言うのかぁ……」
巨大なグリフォン像を載せた台座の周囲を歩きながら、アラツグ・ブラッドファングは右隣を歩く少女に言った。
「ええ? レンカって呼んで良いって? みんなにそう呼ばれていたから? そうか、それじゃ、レンカちゃんって呼んじゃおうかな。え? 俺? 俺の名前はアラツグ。アラツグ・ブラッドファング。よろしくね」
二人で手を繋いで歩く姿は年の離れた仲の良い兄妹のようにも見える。
「レンカちゃんは、何歳なの? え? 八歳? そうか、八歳かぁ……よく皆から『可愛い』って言われるでしょ? あと十年もしたら、レンカちゃん相当の美少女になるよ。うん……そしたら俺、レンカちゃんデートに誘っちゃおうかなぁ……そん時はよろしく……ええ? ひょっとして俺はロリコンなのか、って? あっはっはっは、そんな言葉どこで覚えたの? 女の子がそんな下品な事を言っちゃ駄目だぞ! こいつぅ……」
アラツグが少女の額を指でツンッと突っついた。
ほんわかした二人の様子とは対照的に、少し距離を置いた所から彼らを凝視するローランド・ブルーシールドとハンス・ゾイレからは、驚きと怒りの気が発せられていた。
「ハンス!」
ローランドが秘書を振り返り、怒気を含みながらも押し殺した声で言った。
「あれは一体、どういう事だ!」
「そ……そんな筈は……」
普段は冷血そのものと言った秘書の顔にも「何が何だか分からない」という戸惑いの色が浮かんでいる。
「やあ、フリューリンクさんに、ゾイレさん……」
ローランド達の緊張を知ってか知らずか、アラツグがにこやかに手を振った。
「おい、アラツグ! そのガキは一体何者だ!」
「え? この女の子? いやぁ、グリフォン像のちょうど反対側に居たんだけど……どうやら迷子になっちゃったみたいでさぁ……レンカ・スタリヤァーちゃんって言うんだ」
「今の東館はコバルド剣士団の厳重な警備の下にあるんだぞ! 子供だろうが猫だろうが鼠だろうが、絶対に残って居るはずが無い! 迷子など有り得ない……曲者だ! そのガキをこっちに渡せ!」
ローランドが手を伸ばしながら、アラツグの方へ一歩出た。
「いやっ! あの金髪のお兄ちゃん、恐い! アラツグさん、助けて!」
レンカと名乗る少女がアラツグの足にしがみ付いた。
アラツグが「まあまあ」と親友をなだめる。
「財団の特権で東館を閉鎖したっていうのはさっき聞いたけど……きっと、この子はカクレンボか何かをしていたんだよ。それでホールを出るタイミングを逃しちゃって、逆にホールに閉じ込められちゃっただけだと思うよ」
「いいから、そのガキをこっちに寄こせ!」
ローランドがさらに一歩、アラツグと少女に迫る。
アラツグのズボンを掴んでいる少女の小さな手にギュッと力が入った。
「おいおい、どうしちゃったんだよ? ローランド……こんな幼い女の子がグリフォン像に何かできる訳ないだろ。それを『曲者』呼ばわりだなんて……自慢の警備に漏れがあったのがショックってのは分かるけどさ……たかが幼い女の子が一人取り残されてただけじゃねぇか……いくら腕利きの剣士団だって見落とし位はあるさ……そんな恐い顔しなくたって良いだろ。お前らしくもない。せっかくの美形が台無しだぜ」
薄っぺらな愛想笑いを顔に浮かべ、穏やかな口調で言いつつ、アラツグはゆっくりと左手を腰の短剣に持って行き、静かにその鯉口を切った。
その動きを視界の隅に捉え、ローランドの足がピタリと止まる。
お互い、まだ剣の間合いからは遠い。
アラツグの動きを察知して、ローランドを守るため前へ出ようとしたハンス・ゾイレをローランド自身が手で制止した。
「やめろ、ゾイレ。どうせお前のかなう相手ではないよ。何しろ、目の前で剣を抜こうと身構えている男は……〈狼〉だから、な」
そして、あらためてアラツグの顔を見据えた。
「おい、アラツグ……お前、本気なのか?」
「そりゃ、こっちの台詞だぜ……ローランド、おまえ、たかが八歳の少女一人に、何をそんなにむきになってんだ? 後ろの秘書さんの『殺気』と言い……レンカちゃんを殺す気満々じゃねぇか。相手は八歳の女の子だぞ? 正気の沙汰とは思えんな」
つい一年前まで深い山の奥で共に厳しい修行に明け暮れた二人の少年は、剣の届かない間合いのまま、眼光鋭く相手の瞳を睨みつけ、互いの本心が何処にあるのかを探った。
「ふうっ」
最初に息を吐いたのは金髪の美少年の方だった。
「負けたよ……っていうか、どのみちお前と斬り合ったところで俺に勝ち目は無いし、な……同じ道場で修業を積んだとはいえ、俺とお前じゃ『格』が違い過ぎるってもんだ……分かったよ。その少女には手を出さないよ。……で、どうするつもりなんだ? その……ええと、レンカ……」
「レンカ・スタリヤァーちゃん、だ。正確にはエレアナ・スタリヤァーちゃんって言うんだそうだ」
「ああ、そう。エレアナ・スタリヤァーちゃん、ね……」
アラツグの言葉を復唱しながら、ローランドはサッと秘書に目配せをした。(憶えておけ)と。
ゾイレが小さく頷く。
ローランドとゾイレから殺気が消えたのを確認して、アラツグもやっと左手を剣から離した。
親友と切り結ばずに済んで良かったと、ホッと小さく溜め息を吐きながら答える。
「とりあえず、博物館の管理事務所か何処かに連れていこう。きっとご家族が心配しているはずだ……」
その時、少女……エレアナ・スタリヤァーが、アラツグのズボンから手を離し、巨大な怪物の頭を指さして言った。
「あ! グリフォン像が動いた!」
2、エレアナ
いきなり突飛な事を言い出したエレアナ・スタリヤァーに驚き、その場にいた他の四人……アラツグ、ローランド、ゾイレ、メルセデス……は、一斉に少女の指さす方を振り仰いだ。
「ええ? どこが動いたって?」
さっきと少しも変わらないように見える怪物の像を見上げながら、アラツグが少女に問う。
「いやだなぁ……レンカちゃん、気のせいなんじゃないの? だいたい金属で出来た像が動くなんて……」
その瞬間、突然、未知の金属で造られたグリフォン像の首が本当に動いた。
天窓ごしに春の青空を仰ぎ見ていた頭が傾き、片方の目が足元の人間たちを見下ろす形になった。
……いや、怪物が見つめるのは、ただ一人……
「うわ! ほ、ほんとうに動いた! 何か知んないけど物凄く見られてる! いま俺グリフォンにガン見されてる!」
アラツグは両手で顔を覆った。両手で顔を覆っておきながら、好奇心には勝てずに指の間から怪物を見上げ、そこでまたグリフォンと目が合ってしまい「ひゃああ!」と叫んで目を閉じてしまった。
グリフォンの目玉が僅かに動き、視線がアラツグから隣に立つエレアナに移る。
「え? ほんとう?」
エレアナが怪物に向かって叫ぶ。
「ほんとうに、この人なの?」
グリフォンは何も言わない。「言葉ではない言葉」で少女と心を通わせているのか。
少女がアラツグの顔を見て、その小さな手でシャツを引っ張った。
「ねえ、ねえ……」
顔を覆っていた手を下ろし、アラツグは少女の顔を見返した。
彼女の瞳が潤んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「目覚めよ! って言ってみて」
「はあ? レンカちゃん、そりゃ一体どういう……」
「グリフィーちゃんに向かって……ええと、あのグリフォン像の頭に向かって、大声で『目覚めよ!』って叫んでみて」
「いやだなぁ、レンカちゃん……俺、もう十七歳なんだぜ。そんな、銅像に向かって叫ぶなんて恥ずかしくて出来ないよ。……どうせ、このグリフォン像だって、中に機械が仕掛けてあるだけなんでしょ。きっと……ゾイレさんがこっそり梃子か何かを動かしたに決まっているんだから……ほら、オペラとかの舞台でも時々使うらしいじゃん、ええと、機械仕掛けの神とか言うやつ。あれと同じだよ。只のハリボテさ」
「四の五の言ってないで、さっさと『目覚めよ!』って叫んで!」
イライラして、いきなり大人びた声になったエレアナ・スタリヤァーの有無を言わさぬ口ぶりに驚き、思わずアラツグは「はいっ」と答えてグリフォン像を見上げた。
「め、目覚めよ……」
「もっと大きな声で」
「目覚めよ」
「もっと大きく!」
「目覚めよぉぉぉ!」
ゆっくりと……静かに……グリフォン像が震え出した。




