始まる 終わりと始まりの足音 5
日中はひとまず二階で過ごさせてもらった。
厠は一階にしかないので仕方ないが、そこまで凪風が付いてきたのには流石に笑った。
しかし本人からすれば笑い事ではないらしく、至極真面目な顔で「早めに済ませてね」と言われた。八秒で済ませた。
秋水や蘭菊はいつもの凪風と違う様子に、笑いながら彼の背中を叩いていたけれど、知らないのが吉だろう。
凪風もそれに対して何を言うわけでもなく、付きまといごっこをしてるんだよ、と変態発言をして二人をひかせていた。ドン引きだった。あんな青ざめながら後ずさる二人を初めて見たかもしれない。
「兄ィさま、これなんてどうですか?」
「う~ん。……採用!!」
笑顔で髪飾りを取った私に、和泉は頬を赤く染めて嬉しそうな顔をする。
今、和泉には私が座敷で使う髪飾りを選んでもらっていた。
あれから合同でやっていた稽古の時間も終わり、それぞれ夜に向けての支度をしている。あんな大人数での稽古は初めてだったので、昼なのに座敷をしている気分になった。
「兄ィさん、ここに箏を置いておきますね。茶請け持ってきます」
「ありがとう梅木。あ、ついでに冬様用のお酒を持ってきてもらっていい?」
「はい」
直垂を着用している梅木には、夜見世の時間までの間に必要な物を色々と準備してもらっている。
彼ももう私が指示を出さなくとも、自ら進んで仕事を見つけやってくれているので助かっていた。
まだ十二歳だけれど、しっかりしている所は秋水に似たのかもしれない。
今日はずっと部屋にいたので、兄ィさま達に会うことはなかった。
……それもそうだろう。彼等にも下がいるのだし、一日会わない日だって……たぶんある。避けていたときの自分が嘘のようにショボくれた気持ちになるのは、愛理ちゃんがいなくなる寂しさを紛らせたい為なのか、はたまた罪悪感のようなものを感じたくないせいなのか。
どちらにせよ、今更考えても無駄なことであった。
「兄ィさま、げんきがないですか?」
「ううん、ちょっと眠たいだけだよ」
和泉にまで気を使われては、兄ィさま失格である。
手をパンと叩いて腰を上げた。
早くにも今日には雪野様が来て、清水兄ィさまが詳細を伝えるのだろう。……もう一度、今度は頬を叩く。
「よし! 気合い十分!!」
「兄ィさま?」
気合いを入れた私を見て首を傾げながら、和泉は私の腰紐に手をあてた。
夕日が山の向こう側に消えて、吉原の町には小さな赤い灯りが点々とつき始める。
提灯の明かり、見世の明かり、行灯の明かり、呼び子が持つ手持ち蝋の明かり。
吉原の闇をかき消すような明るさに、私は部屋の格子窓から目を細めて外を見た。
「この前は京の米屋に顔を出しに行きましたけど、江戸とはまた違う、美しい趣きがあったわ」
「京か。俺も行ってみたいな」
冬様の隣に腰をかけ、肩を寄せながら彼女の話を聞く。さめた藤色の綺麗な着物をシワにしないようにと、細心の注意を払いながら手を握った。
冬様の日は、着物の色をだいたい決めている。きまって青か紫で、彼女もこれらの色を好んで身につけている。彼女自身そういう系統の色を毎回着てくるので、色がお互いに被ると、お揃いね、と嬉しそうに言ってくれたりしていた。
老舗の米屋の娘である彼女は、たびたび遠出で江戸から離れている。松代様より妓楼に来る頻度は少なく、家業を学ぶ時間を作っているようであった。
「ずっと会いたかったのよ?」
しかし楽しそうな顔から一転、彼女は唇をつきだしてふて腐れた表情になる。
上目遣いで私を見上げて、心底寂しそうに目線をそらした。
「会えたじゃないか」
「そうじゃなくて!」
「うん、俺も会いたかったよ」
冬様は少々寂しがり屋なところがあるので、本人には悪いが見ていると楽しくて、つい苛めてしまいたくなる。まるで蘭菊を相手にしているよう、……なんて口が避けても二人の前では言えないが、なんとも微笑ましかった。
これからもずっと、この妓楼で生きていくのだろうか。
愛理ちゃんがいなくなっても、私はずっとここで。
なんてことを思うくらいには、私はここでの未来を考えるようになっていた。




