始まる 終わりと始まりの足音 4
「いつまで寝ってんだバッキャロウが!!」
「ぐっ」
いきなり布団をはがされたと思ったら、その生暖かい布団で叩かれる。
布団をはがされたということはつまり、私は珍しく布団の上で寝ていたということだ。
ということはいいのだが、ということはどういうかわけなのか、ということは誰かに起こされたということになる。
誰だ。
「……もっとさ、優しく起こしてくれないかな」
「どの分際で言ってんだ」
ということ症候群に陥っていると、赤い髪が視界にちらついた。寝ぼけ眼なのでまだ焦点が合わない。
あくびをして腕を上にぐっと伸ばす。
「優しくしても起きねーじゃねーか」
「あ、優しくしてくれたんだ」
「……」
二拍置いてゴツッと鈍いがした。
私は上に伸ばしていた手をすぐさま頭に持っていく。痛い。
「お前が気持ち良さそうに寝てるから起こしにくいっつって、禿が困ってんだよ」
とても頭がヒリヒリする。
別にからかったわけじゃなかったんだけど。
……あら、そういえば今何時?
「蘭ちゃん今って」
「もう未の刻だ」
昨日から朝方にかけて起きていて、なおかつ凪風の話やら清水兄ィさまの話で頭がいっぱいになっていた私は、なかなか寝付けず結局寝たのは日が完全に登った頃だった。
睡眠はそれほどしてはいないが、普通だったら皆起きている時間なので、私は焦る。禿の子だって稽古をつけなければいけないのに。
私個人の問題など、他の人には関係ないのに迷惑をかけてしまうとは。
和泉にも申し訳ないことをした。きっと起きない私を見て、あたふたしていたことだろう。
想像すると可愛くてつい口がにやけるが、頭を振って顔を引き締めた。
「いえもう本当に誠に本当に申し訳ございませんすみません」
土下座をする勢いで蘭菊に頭を下げる。
「お、おーおー、まぁ分かったなら」
私の必死な様子に、まぁ良いだろうと腰に手を当てて許しを出すと、布団も早く片付けろよな、なんて言って一緒に片付けてくれた。珍しく蘭菊が神に見える。もしくは蘭菊に化けた何かか。
そうして布団を片付け終わると、蘭菊は肩が凝ったのか腕をブンブンと回していた。
「あ、そうだ。じゃあ肩揉んであげる」
そんな冗談はさておいて、お礼に少しマッサージでも施してやろうと手をワキワキさせた。
「え? ああ。別に、やってくれんなら」
やってくれよ、と笑顔で頼まれる。
よし、軽く揉んであげよう。
「秋水にしてるのは見たこ……っ、おめ゛っ、おい」
「何?」
蘭菊に前を向いてもらい、両肩に手をかけて施しを始める。
しかし始まってから僅か数十秒で、蛙を潰したような声が彼から上がった。
「おぃ、ちょっ今ゴリッつったけど」
「関節がちょっとね」
「変な音したんだけど」
ゴキュ、バキッ。
「んー……凝ってるね結構」
肩凝りの治る音がする。
秋水には好評をいただいている私のマッサージ。
お前は俺以外にやるんじゃないぞ、と念をおされていたが、たまには違う人にやってもいいだろう。それに前には羅紋兄ィさまにもやってあげた。野菊は見かけによらず力があるなー、なんて言って片腕をもげたようにブラブラさせていたのを思い出す。まるで関節が外れたみたいに揺らしていた。柔軟が良くなっていたのかもしれない。
「ん? やだ蘭ちゃん。寝てる?」
可愛いやつめ。
動かなくなったと思えば口から白いもやみたいなものが出ているが、なるほど。天にも登るような気持ち良さだったのか。
「あれ、おはようございます。野菊兄ィさんやっと起き……」
「おはよう梅木。どうかした?」
開いていた襖から、梅木が顔を覗かせる。
部屋にいる私に視線を止めたあと、膝元で寝ている蘭菊に目をやった梅木は、そのコロコロとした丸い碧の瞳を更に丸めて口に手を当てた。
何かよからぬ物を見たような、憐れむような表情をしている。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
かと思えば急に手を合わせ始めたので、私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「情けです」
「なにそれ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
そうして南無阿弥陀仏症候群にかかった梅木の声は部屋の前から去っても小さく聞こえ、一階へ降りていく足音と共に消えていった。
「いいか、あれは腸をえぐりとられるような衝撃だ」
秋水は拳を作って捻りあげるような仕草をする。
「兄ィさま、おにぎりおいしいですか?」
「うん、美味しいよ」
今は二階の秋水の部屋で、禿達と蘭菊と凪風、秋水と私で一緒に稽古をしている。
私が寝ていて起こせない、と和泉が秋水に助けを求め一緒に稽古をつけてもらっていたらしい。そしてその話を聞いた蘭菊が私を起こしに向かい、ついでに皆で一緒に稽古でもしようかと凪風が秋水の部屋まで来て、今にいたる。
私が食べているおにぎりは凪風が持ってきてくれたようで、今はもう夜に向けて仕込みをしているみたいだから、と、おにぎりだけでもと作ってもらったらしい。感謝だ。
「気を緩めたらやられるぞ」
秋水は禿の子供達に向かい、私のマッサージについて語っていた。
ただ揉んでいるだけでそんな力が、と自分の両手を見る。
私はもしやある意味、とんでもない神の手の持ち主なんじゃ。
「あいつに揉まれるととんでもない痛みに襲われるが、でも不思議とそれから解放された後スッキリする」
ということは今まで秋水はその痛みを無言で耐え抜いていたということになる。
そこまでして耐えるとは、こやつよほど私のマッサージが好きとみえる。
「いやそれってただ地獄から解放されただけだよね」
隣で自分の禿の相手をしていた凪風が、至極真面目な面持ちで彼を見ていた。
「確かに、なんか身体軽いな」
「馬鹿で単純だからさっそく洗脳されてるよ」
蘭菊が手を閉じたり広げたりしている。
これは好都合。
もしここから出ることが出来たら、これで食べて行こうか。
「でもあの痛みに耐えられなかったら訴えられて終わりだろうけどな」
あいつ私の頭の中を読んでいるんじゃないよね。
微妙に噛み合っているのが気味悪い。
「何言ってる。大丈夫だ野菊、自信を持て」
「秋水っ」
秋水と手を取り合う。
さすが秋水。余計な一言がたまにキズというか本当に余計なんだけど、こういうときにすかさず味方をしてくれる。
弄ばれている気がしなくもないが、私が彼の客じゃなくて良かった。きっと客だったら何気ハマっていただろうに。
「皆いいかな? ああいう下げて上げる手練手管もあるんだよ。覚えておくように」
「「「「はーい!」」」」
下げて上げるんですね!なんていう声が聞こえてくるが、いったい凪風は何を教えているのだろう。良いことならいいが。
私は最後の一口になったおにぎりをモグモグと食べる。手についた米粒も、ひとつ残らず綺麗に完食した。もう冷めてしまったお茶も、これはこれで美味しい。
「野菊」
「凪風、おにぎりありがとう。おかげでお腹いっぱいになった」
「なら良かった」
秋水と蘭菊がそのまま囲碁を教える体制になったようで、おにぎりを乗せていたお盆を片付けていた私の所に凪風が来た。
「それで、話は出来た?」
凪風は誰と、とは言わないものの、私のほうも言われなくとも分かっていたので、うん、と返す。
その返事に彼も首を軽く縦に振ると、手にあったお盆は私の手から離れ、凪風の手に渡った。食堂に返してくれるらしい。
私が持っていくからいいよと言いかけた私だったが、一階には降りないようにと言われていたのを思い出した。
「ごめん」
「僕が好きでやってるんだから謝らない。……それより、決心出来たなら良いんだけど」
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「じゃあ出来てないって言ったら?」
「それは困るけど」
凪風や清水兄ィさまは、私の為を想ってやってくれているのだと、それだけは嫌でも分かる。
これまで頑なに愛理ちゃんを繋ぎ止めようと、戻れたら、と願っていたけれど、それももう終わりにしなくてはならない。
「ありがとう、凪風」
「別に……お礼を言われることじゃないよ」
お礼を言った私に凪風は渋い顔をすると、彼はお盆を持って部屋から出ていった。




