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猫に憧れた傾城 三

 真っ青な空を見上げる浅護の髪は、亜麻色に光っていた。


「冷静に考えてみれば、あの女の言うことって自業自得なことばかりだったの。何であんな戯言を、暗示でもかけられたかのように信じたのかしら。それにおやじ様や渚佐、あんたしか知らない私の昔のことを知ってたのよ。気味が悪いったら」

「というかさ、いい加減その喋り方やめたら? 似合ってるけど無理してない?」

「……うるさいわねぇ。川下で客取ってたときからの名残なんだから仕方ないでしょ。別に僕…私は直そうなんて思ってないし。客にもなんかウケてるから、これからも変わりなくやらせてもらう」


 浅護は幼いころ両親に捨てられ、生きていくために橋下の暗い影で客を取っていたことがあった。

 男も女も関係ない。取れるだけ取って、客の数だけ自分を演じてきた。


 そしてその噂を天月の龍沂が聞きつけ、妓楼に保護という名の面目で厄介になるという形になったのだ。

 そのことは当時同じ年で妓楼に入った渚佐と清水しか知らなく、浅護も誰かに話した事はない。


 だというのに何故かその秘密を愛理、彼女は知っていたのだ。渚佐が話したのではないかと疑った浅護だったが、彼に聞くと話してはいないそうで、親友の俺を疑うのか? と逆に怒られたほど。


 好い人への好意が、嫌悪に変わるのはほんの些細なことで、


『幼い頃から男も女も知る浅護さんだから、きっとこんなに優しいんですね。恥じることなんてないんですよ』


 浅護が客に対しての感情に悩んでいたときに、愛理から不意にそう言われた。

 幼い頃から男も女も知るとは、つまりそう言うことしかなく、寧ろ他にどんな意味があるのか分からないが、浅護はなんとなく気持ちが悪くなった。

 話してもいないことを、なぜ彼女は知っているのかと。


 どうしても隠さなければいけない秘密ということではないが、あまり知られたくないものではあった事柄だっただけに、浅護は彼女に不信感を持つようになった。

 清水も出自を知られていたようで、どうにもきな臭い。

 

 それがあってからの階段の件だったので、もう彼女に対しては気持ち悪さしか感じていない。


 あれからはなるべく野菊を見ていようとはしたが、どうにも自分の預かり知らない所で事件が起きるので、まったく何の役にも立たなかった。

 清水も京へとしばらくの間出ていたので、そのせいもある。


「自分の身でさえ保証出来ない私達が、一人の女を背負うなんて端から無理な話。あそこまでいったら、助けるのも両手両足無くなるの覚悟しなきゃ。あの自傷中毒女を負かすにはね。集団心理ってのは怖いもんよ」

「まぁね。あれこそ暗示だ」


 一人を説得するならまだやりようがあるが、人数が多ければ多いほど、信じる数があればあるほど、人間はそちらへと流されてしまう。逆にいえば、それに流されない人間というのはかなり特殊な人間であり、どこか外れている人間なのだと清水は呟いた。


「あの子が生きられるなら、ここ以外ならどんなところでも構わないと思っていたけれど」


 さっきよりも声の色を落とし、清水が言う。


「まさか、遊女屋か。この妓楼で金をためるには気力がいるね」

「……私――僕も手伝うよ」

「……君が?」

「お互い身請け話は受けない覚悟でね。あと九年、辛抱強くいこうじゃないの」


 男と男の約束、とそっぽを向いて小指を立てる浅護に、清水は小さく笑う。


 約束だとも、と彼も返しに、それへと小指を巻き付けた。


「あら、猫」

「本当だ。珍しいね」


 二人がいる屋根の上に、黒い猫がいた。

 猫は一度彼等を見ると、自慢げに屋根の端まで歩き、そこからピョンと下に飛び降りて行った。


「ここ三階建てよ!?」

「下の柵に飛び移ったんじゃないかな。ほら」


 飛び降りた猫は、離れにある楼主の屋敷へと続く屋根の上を歩いていた。

 心配をして損した、と浅護は胸に手を当てて深呼吸をする。


「あーあ。……あの猫みたいに、行きたい所へ行けたら良いのに。鳥のような羽根も持って、すぐに飛んでいけたら良いのにねぇ」

「浅護が猫か。似合うんじゃない?」


 ここではないどこかへ飛んで行きたいと、そう願った浅護の瞳には、僅かな光が煌めいていた。


 そんな彼を見た清水は、彼の気持ちを否定することもなく、しかしただ、続けて自分の思いを吐露する。


「私は人間をやめたくはない。一等恋しい者の手を掴めなくなるのは嫌なんだ」


 自分の手を見て、握り締めた。




 ――こうして二人の約束は、誰にも知られることなく、九年と五カ月先への出来事へと続く。


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