始まる 受難の日々 28
おやじ様を二階の階段横で見つけた兄ィさまは、すぐさまその身を確保し、凪風と共にいたいけな年寄りを両側から挟んで楼主部屋へと連行していった。
私の手はその間もずっと繋がれたままで、離される気配もない。そろそろ手汗が気になる頃。おやじ様もワケの分からないまま二人に問答無用で挟まれて連れられている。おいなんだ、俺をどうするつもりなんだ! おい! とキョロキョロと自分の両隣にいる彼らを見ては叫んでいた。
端から見ればお奉行様に捕まって事情聴取を受ける容疑者みたいなことになっている。凪風はちゃっかり奉行側についているし。
それから一階に行って部屋の戸襖を凪風が乱暴に開けると、二人はおやじ様をポーンと座布団の上に置いてその前に座った。扱いが雑だ。おやじ様の目が若干涙目になっている。
「おやじ様。彼女、愛理を家に帰しましょう」
「家?」
片腕を擦って不機嫌顔で答えるおやじ様。拗ねているようにも見えなくはない。
そりゃそうだろう。あんなざっぱに扱われて良い気分になる人がいたら、そいつは間違いなくドエムだ。
私はおやじ様の前に並んで座った二人の後ろに座らされて、半ば仲間はずれみたいになっている。なんか嫌なので座布団を持ってどっちかの隣に移動しようとしたら、二人の手が私の座布団の端を押さえ始めたので早々に諦めた。
「はい。家です」
そんな涙目の楼主を見て見ぬフリ……いや、無視して清水兄ィさまが話し出す。
それはとても真剣な声で、二人の後ろに座っている私に表情は見えないけれど、少し怒っているようにも聞こえた。隣にいる凪風は大人しくそれを聞いていて、やっぱりこれはどんな状況なんだと首を捻らずにはいられなかった。
しかし兄ィさまの言葉。愛理ちゃんを家に帰すと言った気がするんだけど、私の気のせいか。空耳だったり?
家ってだって、愛理ちゃんの家はお城なワケだし、それを兄ィさまが知っているはずもない。以前の愛理ちゃんでさえ、頑なに私へ家のことについて話そうとはしなかったから、本人から聞いたっていうのも考えにくいのだけれど。
目を点にしている私の顔は、今おやじ様にしか見えていない。おやじ様も私の顔を見て目を点にしている。私を見て点にしたというか、兄ィさまの言ったことに対してお互い素頓狂な顔をしたのだろうけど。
「雪野の父上に話しをすれば、寧ろ喜んですぐにでも連れて行ってくれるでしょう」
「喜ぶ?」
「愛理の家は末山城。城主の塗木義吉は愛理の父親です」
「「―――はぁ!?」」
私とおやじ様の声が見事にダブった。
兄ィさま! 今なんと!?
しかし吃驚しているのは私達二人だけのようで、凪風はびくともしていない。今更それについては驚きようもないけれど、 もう少し反応をしてくれても良いんじゃないか。話が未だに読めない私とおやじ様がアホみたいだ。
「兄ィさま、何故それを」
「探している人を知っているんだ。特徴から愛理かなと思ってね。結果愛理でなくとも、一度は会わせても良いと思うんだ」
私の声に兄ィさまが後ろを向いて答える。
「それが末山城ってーのか?」
「はい。これを見てください」
「?…………っ!」
くしゃくしゃになっている例の紙を見せられたおやじ様の顔が曇る。
曇るというか、険しいと言ったほうがしっくりくるのかもしれない。私はその紙の内容を知らないけれど(二人が見せてくれない)、そんなに変なことが書いてあるのだろうか。
「こりゃあ……どういうこった」
「彼女は危険です。だからあれほど近づけ無いようにと言ったではないですか」
兄ィさまはそう言うと、私に向かって手を伸ばしてきた。
「おやじ様、何かあってからでは遅いのです」
苦しそうにそう呟く。
何がそんなに彼の表情を曇らせているのか、私には分からない。隣で話を聞いていた凪風は、さっきまで前を向いていたのに今は下を向いている。
今この場で、現状取り残されているのは私だけ。
やっぱりあの紙を見ないと、何がどうなっているのかが分からない。たぶん見せてくれるつもりはまったくないのだろうけど。
「だから、おやじ様」
「分かったよ。今度会わせてみろ。……そうだな、出来るなら明日でも良い」
「本当ですか?」
話は進んでいく。
私に伸ばされた手はもう兄ィさまの膝の上に戻っていて、遠のいていた。凪風は下に向けていた顔を上げて、おやじ様を真っ直ぐに見ている。
「あの、その紙にはなんて書いてあるので?」
たまらず私は三人に聞いた。すると誰も答えず、一瞬しんとなる。
ここまで来て除け者にはされたくない。話を聞かせに私をここへ連れて来させたのなら、せめて紙に書いてある内容くらい聞いたって罰は当たらないだろう。たとえそれを二人が私に見せない方が良いと判断したモノでも。
「これは……」
「兄ィさん、僕は見せても良いのだと思います」
凪風がおやじ様から紙を取って、清水兄ィさまに渡す。渡された本人はそれを受け取ると、しばらくまたじっと眺めてから紙を膝に伏せた。
「知らなくていい」
「兄ィさん!」
「もう十分だ。これ以上、十分なんだよ」
兄ィさまは紙をグシャッと握りつぶすと、おやじ様の水がめに放り投げた。
え、水がめに、放り、投げた? 寸分の狂いもなく水の中に入ったそれは、ピチャ、と音を立てて浸かる。
当然あの紙は和紙なので、水に濡れてしまえば文字は霞むし紙も……、
「溶けちゃうぅ!」
「あれはもう一瞬で溶けたね。お見事」
凪風がパチパチと手を叩いて呑気にそう言う。
アンタは内容を知っているから良いけど、私は知らないんだよ! それにさっき私に見せても良いと言ったのはどこのどいつだ!
清水兄ィさまの強硬手段に、私の顔は穴という穴が開いている気がする。
私は負けじと兄ィさまの前に回って、彼の前に座り込んだ。絶対逃がしてやらない。絶対吐かせてやる。
しかしそうムッとした顔で相手の顔を見つめていれば、全然怖くないよ可愛い、と言われて頭を撫でられる。
やめてぇ!
「いいかい、ここから暫く出ないで」
「っそんな、教えてください! なら凪風から聞いちゃいますよ!」
「お願いだ、言うことをきいておくれ。おやじ様、私は一旦失礼します」
今度は私が兄ィさまの腕を掴んだけれど、その腕はするりと私から離れて、手は行き場を失う。
色々言いたいことがあるのに、私から出てきたのはそんな言葉だけで、部屋から出て行く兄ィさまを止めることも出来なかった。
凪風は立ち上がらずに、その様子を淡々と横目で見ている。
「野菊」
「もう、なんなんだよぉ……」
体育座りをして膝を抱えこむ。
裾が開いて脚が見えたって構いやしない。こんな着物、早く脱いでしまいたい。
偶然が重なっただけなのか、たまたま兄ィさまが勘づく流れが知らないところであったのか。エスパー並みの察知能力があったとしても、出来すぎていて少し怖い。
何もなければいいけど、なんだか知っていることと違い過ぎて、この先を考えるのが嫌になった。
雨は降っていないのに、この部屋は少し湿った畳の匂いがする。それにどこからか香るお線香の香り。申し訳程度にある窓から射し込む夕暮れ前の日の光。
もうこんな時間が経っていたのかと何気なく思った。
「あいつ、昔からあーいう所があるんだよな」
「あーいう所?」
おやじ様が顎に手を当てて、感傷深そうにそう唸る。彼は正座していた足を崩して胡座をかきだし、懐にしまっておいたのだろう煙管を取り出して吸いだした。煙がふよふよと天井にのぼる。
あーいう所って、強引な所? とか?
膝から顔を上げて腕に顎を乗せる。
「全部見通してるっつうか、言ったことに嘘がねーんだよ」
清水兄ィさまの言うことに嘘がない。
凪風はそうは思わないようで、ボソッと、嘘ばかりだね、と唇を突き出して呟いていた。感じ方は人それぞれらしい。
でも私はどちらかと言うと、おやじ様の方の意見に一票かもしれない。
兄ィさまに嘘を吐かれたことは無いし(多分)、いつも正しい答えを教えてもらっていた気がする。仕事にしろ、私生活にしろ。
「清水が鏡を見ないのは知ってるか?」
「確かに、はい」
兄ィさまは鏡を見ない。
というか部屋にある化粧台には白い布がかかっていて、使っているのをあまり見たことがなかった。それに他の至るところに白い布がたくさんかかっていていたから、そういうテイストが好きなのかな、とか思っていたので気にはしてなかった。でも変わってるなとは思ってる。
もちろん化粧道具を使っているのは見たことがあるけれど、鏡を見ながら使っている姿は一度も見たことはない。
あと、それとは関係があるかは分からないけれど、私に化粧のいろはを丁寧に教えてくれたのは宇治野兄ィさまだった。
兄ィさまには兄ィさまの中のトラウマ? があるのだと思う。分かんないけど。
誰しも踏み込まれていい部分、悪い部分があるんだ。私はそんなにないけど。
「ここに来た時から一度もだ」
「何がですか?」
「清水が鏡を見ないのは」
私の眉が目から少し離れる。凪風を見れば彼もそんな感じで、思い当たる所があるのか考え込む仕草をしていた。
「小さい頃から自分の顔の配置も、自分がどの着物を着たら映えるのかも、鏡を見ずとも分かってる」
「凄い、ですね」
「おっそろしい奴だろ? それに、自ら売られに来たのはあいつが初めてだったんだ」
「へぇ、そう……ん? 自ら?」
「七歳になる少し手前だったか? お袋さんを楽にさせたいって、京まで行かせる資金だって言ってよ」
え。
なんか色々話してくれちゃっているけど、……え? ちょ。え? お袋さん?
どういうことなの?
「お母さま……?」
「あぁ、清水のな」
なんてことないように言ってのけるおやじ様の顔を凝視する。
ひとまず頭の中を整理しようじゃないか。
ええと私が想像していた兄ィさまの過去は、お母さんが殺されて、おやじ様が兄ィさまを迎えに来て、遊男として働くようになる、っていう流れだと思っていたんだけど。それに、そもそも記憶にそうあったから。ゲームのお話に。
必ずしもゲームに沿った世界ではないとは思ってたよ、そりゃ。ほとんど合ってないところがあるし、いるはずの花魁二人はいないし、愛理ちゃんは転生者 ( 仮 ) ? だし。
だけど清水兄ィさまに関しては、小さい頃からの環境も違うんかい。
「……」
でも待て。
もしかしたらおやじ様が嘘をついている可能性だってある。人の過去をベラベラと普通に話しているし ( 自分だってちゃっかり聞いてるけど ) 、そんなおいそれとくっちゃべっても良い内容じゃないじゃないか。
けれどそれでおやじ様になんの得があるのだというのか。得なんてないよね。むしろ私に不信がられている時点で損が発生しているもの。
なら、じゃあ。
「あの、今お母さまは」
「? 元気に京で暮らしてる」
元気に、京でお暮しになっている、だと。
「そうですか。京で――」
ううん、これは良いことだ。死んでいると思っていた人が、生きて今も遠い所で暮らしているのだから。全然良い。寧ろハッピー。
「僕、そろそろ部屋に戻ります」
「あぁ、気いつけてな」
「野菊、後で迎えにくる」
「う、うん」
おやじ様の隙をついて脱け出さないように、と念をして私に小声で注意をしてから彼も部屋を後にした。出るとき一瞬私を見たけれど、そんなにも信用されていないのか、と私も凪風を睨み返す。そうしたらフッと笑われて戸襖を閉められた。
はぁ、とため息をついた私に、目の前にいたおやじ様はまぁまぁと肩を叩いてきたけれど、なんの慰めにもならないので軽く流す。
「……だからまぁ、今回のことはそうであって欲しくはなかったが、決断しねぇといけねぇか」
凪風が出ていった後、おやじ様は煙管を横にある卓上台に置いて、ポツリポツリと呟き始めた。
「あの紙にゃ、お前を傷つける言葉がところ狭しと書いてあった。ただ、それだけだ」
「傷つける?」
彼はあんなに二人が拒否していた紙の内容をさらっと私にバラす。
咄嗟に部屋の外に誰かいないかを確認したけど、二人どころか誰も楼主部屋の前にはいなかった。
自分が座っていた座蒲団に戻ると、そんなにビビるな、と苦笑いで言われる。でも仕方ないじゃないか。こうも簡単に聞けるとは思わなかったのだから。
でも傷つけるってどういうことですか? とおやじ様に聞くと、それを言うのは嫌なようで、しかめ面をしながら『言わん』と一言そう言った。
「言葉ってのは怖いもんでな。言霊は分かるか? 名前も言霊と言われているが、野菊」
「はい?」
「ほらな、名前を呼べばそいつは嫌でも反応する。それに恐ろしい言葉を声に出すだけで、本当に何かが起きちまうことだってある」
だから知りたくても多少は我慢してくれ、とこれまた困り顔で言われる。
私は襟元を掴みながら唇を噛み締めた。
最近、人を困らせてばかりだ。




