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始まる 受難の日々 27

 過去、いや今もだけど、凪風に感じていた違和感を兄ィさまから感じる。

 凪風に聞いた時は「げーむ?」何それ美味しいの?状態で、私の考えは見事に外れたわけダケレドモ。

 まったく、つくづくここの男共は揃いも揃って秘密の香りをプンプンさせるのが大好きだな。私は犬じゃないんだ。そんな香りを出されても鼻はあんまりきかないし、判断に困るったらありゃしない。花さかじーさんのワンちゃんみたいに一発で大判小判を当てられるような頭脳も嗅覚も、言ってしまえばそもそも才能なんてないんだから。


「兄ィさん。僕はもう手段を選ぶつもりはありません」


 私と兄ィさまの間に沈黙が流れていると、タイミングを見計らったように凪風の声が割って入った。

 彼は年上の兄ィさん方を後ろから手で掻き分けてこちらにたどり着く。

 少し荒い息なのは、走ってきたからなのか肩が大きく動いてる。手には紙束を持っていた。でも握り潰すようにくしゃくしゃにしているので、いらないゴミでも見つけたのか、と呑気に思った。

 大事な物だったらくしゃくしゃにしない。


「凪風、何か見つけた?」

「これです」


 凪風が手に汗握った紙の束を、兄ィさまにクシャクシャのまま手渡した。それゴミじゃないんかい。兄ィさまは私に見せないように丁寧にそれを開くと、目を細めて紙に視線を走らせた。

 チャンス!

 その時やっと両腕が外れたので、これ幸いと私は抜け出そうとする。よし、ずっとその紙を見ていてくださいね。

 しかし身体を後ろに向けようとした途端、ガッと片腕でお腹回りを固められたので逃げることは叶わなくなった。どうやっても逃がさないつもりだ。

 私のほうを見ていないのに、なんと器用な。

 

「これは――――…すごいね。彼女もまぁ、そろそろ限界なんだろう」


 そうして暫くその紙に目を通していた兄ィさまは、ふぅと息継ぎをして目線を上げると、疲れたように苦笑する。

 私と兄ィさまの会話を凪風にブン取りされて悔しいが、今の私はその紙が非常に気になる。

 何か書いてあるのかな。

 彼女って誰だろう。

 私はそっと手を伸ばしたけれど、目ざとい兄ィさまのせいで紙は遠くへと追いやられた。手が届かない。中指をパタパタ泳がせてもかすらない。いや、これはけして私の腕が短いからとかじゃないからね。全然違うから。


「こら、駄目」

「なんでですか」

「駄目だよ。ね、凪風」

「はい」


 タッグを組まれた。なにこの人達。いつからこんな阿吽の呼吸並みに仲良しになったの。


「ケチです」

「まぁまぁ、ね。さて、野菊?」

「? あの」

「人の心の機微に昔から敏感でね。キツいことを言うようで悪いけど、君がどんなに愛理を好きでいても、彼女がもう同じ気持ちを野菊に向けることは難しい」


 険しい顔で兄ィさまにそう言われる。

 私は下を向いてしまった。


 やんわり言っているようで、そのところ私には少し厳しいその言葉。

 まわりの皆はなんだなんだと聞き耳を立てていて、話を聞かないようにするという気立てもない。あんたら本当に遊男か。こういう時こそ空気を読んで散らんかい。

 そもそもこの話をこの場で切り出した清水兄ィさまに声をあげるべきなのだけど、それも何だかお門違いな気がして突っ込めなかった。そうだよ、私は小心者だよ。


 というか人の心の機微に敏感って言ったって、エスパーでもない限り限度ってものがある。

 確かに兄ィさま程の人なら多少相手の気持ちを汲み取るような業を身につけているのかもしれないけど、それにしたって察しが良すぎないか。


「兄ィさまが、なんでそんなにも分っているのかっていうことには、口出ししません。多分聞いても答えてくれないのは分かっています。凪風だってなんにも話してくれない。でも私だって話そうとしなかった」

「……」


 この世界を理解しているようで、理解できていない。

 なのにこの人は、この人達は、私が知らない何かを知っている。歯がゆくて仕方ない。

 悔しげな顔の私に、兄ィさまはさっきと同じく苦笑いをした。

 そんな顔をさせたいワケじゃないのに。


「なにもかも、全部終わったら話そう。約束だ」

「なにもかも、全部?」

「そう。君が本当の笑顔でいられるようになったらね。必ずだ」


 兄ィさまの腕がゆっくりと私に向かって伸びてくる。

 近づいてきた手に思わず身を構えたけれど、その手は顔の横を過ぎていった。目をパチパチと瞬かせる。

 そしてそのまま後頭部を掴まれたと思えば、指先で軽く首筋を撫でられた。

 さわさわとしてくすぐったい。


「私、どうすれば良いのか分からないのです」


 それでも向けられる視線はさっきと変わらない。

 清水兄ィさまの瞳の奥を覗くように、私は見つめ返す。


「愛理ちゃんは、私の初めての、同性の友達で仲間です」

「うん」

「お馬のやり方も、教えてくれました」

「うん」

「女同士なのよ、って笑ってくれました」

「そうだね」

「ノギちゃん、て、言って走ってきてくれたり」

「君は彼女が大好きだね。……知ってるよ」


 ぽむ、と頭を撫でられた。


「けれど彼女には、元の場所へと帰って貰うことにする」

「元の、場所?」

「君は愛理を大切に思っていたから。だから今まで遠慮していたが、それももう必要なくなった」


 兄ィさまは横にいる凪風に向き直る。


「凪風、野菊、一緒に来なさい。おやじ様の所にいこう」


 言い切ると、次いで私を立たせた。腕は掴まれたままだった。

 今からおやじ様のところへ? 

 さっきの話のいったいどこの流れでおやじ様のところに行く話に……。


「羅紋、お願いだ。愛理を見ててくれ」


 清水兄ィさまは近くにいた羅紋兄ィさまの肩を叩く。


「? どうした?」

「一人にしては可哀想だろう?折角おめかししたんだから、一緒にいてあげてくれないか」


 愛理ちゃんは今、一人なのか。


「私達はおやじ様のところに用があるから行ってくる」

「……なるほど……独り占めか」

「……。凪風もいるだろう」


 良く分からない会話を広げられている横で、私はそういえば、と木の下で裸のままの秋水の腕を引っ張る。


「秋水っ、これ返す!」


 おやじ様のところへ行く前に、と急いで肩から長着を剥がし秋水に渡す。いつまでもそんな格好でいたら風邪引くだろうし、三月で日が照っているとはいえ肌寒い風が吹いてるんだから。遊男は体調崩しちゃあきませんのよ。


「あ?いや、羽織っておけ。そんな格好でうろつかれていても困る」


 待て、どの口が言っている。

 寧ろその褌一丁でうろつかれていたほうが困るわ。


「いやそっちが」

「いやお前が」


 ええい露出狂が!


「のぎく兄ィさま、もう着替えちゃうのですか?」


 二人で押し問答を繰り広げていると、誰かに袖を控えめに引っ張られた。

 ん? と下を向くと和泉が口をへの字にして私を見ている。和泉?

 若干半べそをかいて寂しげな顔をしているので心配になった。どうしたのかな。

 兄ィさまに掴まれている左腕はそのままに、和泉の頭を空いている右手で撫で付ける。ふわふわしている紺色の綺麗な髪の毛。羨ましい、猫っ毛だ。


「どうしたの?」

「……ん」

「和泉?」


 掴んでいた袖を離した和泉は、そのまま離れるかと思いきやお腹辺りに抱き着いてきた。

 

「着替えちゃったら、のぎく兄ィさまは兄ィさまに戻っちゃいます」

「え? ……っおっと!」


 後ろからも誰かに抱き着かれる。


「野菊兄ィさま!」

「兄ィさま!」


 この声は睦月と珠房だ。


「睦月、珠房?」


 私はなぜか今、三人の禿にくっつかれている。なんだこれは。たいへん可愛い状況になっているぞ。

 戸惑って清水兄ィさまに視線を送れば、好かれてるね、と微笑まれた。……好かれている、のか。

 宇治野兄ィさまや蘭菊達も、私と禿達を見て頷く。


「うーん。野菊からは……禿に対して常日頃、隠しきれない母性が放出されていましたからね。無理もない、ってところでしょうか」

「今は姿形が完全に女だもんな、お前」


 母性……。姿形が女?


「宇治野兄ィさま、どういうことです?」

「だから、一番近くにいる年上の女だろ」


 宇治野兄ィさまに聞いたのに蘭菊が答えた。

 横入りめ。なぜ割って入った。敬語のムダ遣いをしてしまったじゃないか。


「近くの……」


 腰に巻きつく腕を見る。

 それはつまり、この子達の目には私が母親に見えるとか、そういうことなのだろうか。

 確かに猫可愛がりしちゃってたりもしていたけど、可愛がるって、皆も同じくらい可愛がっていたし。それに和泉に関してはまだ出会って三日。そんな短期間で完全に好かれることをした覚えは、思い出せる限りあまりない。どっちかっていうと、悔しいけど昨日和泉と一緒にお風呂に入った秋水とか佐久穂のほうが親しさは一歩先を越されている気がしている。


「のぎく兄ィさまは、ちがうけど、母さんです。母さんですもん!」


 睦月がそう言って更にぎゅっと腕に力を入れてきた。なんか、凄いハッキリと母さんって言われた。梅木にも昔『母みたい』って言われたことがあるけれど、私って大分昔から老け込んでいるのかな。でもここまで言われると特に悪い気はしない。いやむしろ母万歳って感じ。

 それにつられたのか、抱き着いてこなかった禿達までもがダダダッと私の腰を目掛けて突進してきた。


「こらこらちょっと、危ないぞ」


 皆の頭をポンポン撫でる。

 兄ィさま達が小さい頃の私達の頭を撫で回していた気持ちが分かった気がした。可愛いっていうのもあるけど、兄ィさま達は一人の大人として子供に接してくれていたのだと思う。


「私は私だよ。どんな姿をしていたって性格は変わらないし、こんな格好していたって野菊兄ィさまは兄ィさま。私は和泉や睦月や皆の兄ィさまだぞ」


 背の低い皆に、ニカッと歯を見せて笑う。


「それに私もね、天月の皆を家族みたいなものだと思ってるんだよ? 宇治野兄ィさまなんてね、時々私にはお母さんに見えるし」

「うじの兄ィさまですか?」


 睦月が宇治野兄ィさまを見る。


「俺が、母ですか……」

「あの、兄ィさん。実は俺も思ってました」

「あ、俺もです」

「僕もです」

「俺も俺も」


 私の言葉を羽切りに、次々と皆がカミングアウトしていく。蘭菊も恥ずかし気に『俺も……』と手を上げていた。

 うっふっふっふ、やはりな小僧。いつぞや貴様が相部屋だったときに寝言で『うじの……かあ……』とかなんとか言っていたのは聞き間違いではなかったのだ。

 しかし当の宇治野兄ィさま本人は、皆のそれを聞いて微妙な顔をした。なんと言い表したらいいか分からない顔。彼自身そう思われているとは思ってもみなかったのだろう。

 でもやっぱりそうか。皆思うことは一緒だったみたい。


「野菊兄ィさん」

「梅木?」


 しぶしぶといった顔をしている秋水に、梅木が長着を着させている。さすが梅ちゃん。動きが違うね。


「それでもやっぱり、とてもお綺麗です。きっと神話のお話にある天女様は、兄ィさんのような姿をしているのかもしれません」

「て……? ……あっはっは!それは言い過ぎだって。そしたら世の中の女性は皆天女様だよ」


 手を振って笑い飛ばす。教育の賜物か、梅木から女性を褒める言葉がサラッと出てきたことに感心した。


「ニャーン」

「ん~、護おいで」


 足元にすり寄って来た護を片腕で抱っこする。

 だからなのかその後にボソリと梅木が『どうしてそこだけ理解が曲がるんだ』と呟いたことに私は気づかなかった。


 


「さて、じゃあ行こうか」


 清水兄ィさまに腕を引かれた私は、中庭に来ていた皆をすり抜けて屋内に上がる。凪風も清水兄ィさまの隣を歩いていて、私達と一緒に目的の場所を目指すようだった。

 彼等の組み合わせは、どことなくあの日の事を思い起こさせる。言い合い、とまではいかないのだろうけど、清水兄ィさまと凪風が声を上げて言葉を交わした、あの謎の状況。

 この二人は何を知って、何を知らないんだろう。

 腕にいる護は呑気に寝ていて気持ち良さそうだ。いいなぁ、猫は。気楽でさ。


「ゲコ」

「ん?」


 手を引っ張られながら護を見ていると、隣からチャッピーの声が聞こえた。なんで?

 だってそっちには凪風が……。


「ゲーコ(よっ)」

「なんでそこにいるの」


 見ればチャッピーは凪風の着物の襟からちょこんと顔を出して私のほうを覗き見ている。二本指を顔の横でスチャッと決めて『やぁ元気?』なんてほざく何処ぞのチャラ男みたいだ。

 あんた何してんの。


「ちゃっぴぃは賢いよね。野菊よりずっと賢いよ」


 凪風はチャッピーの頭をなでなでしながら私に向かって毒を吐く。


 なんだアイツ、腹立つな銀髪。

 私は横を向いてペッと舌を出す。どうせなら唾も出してやろうかとも思ったけど、男としても女としてもそれはちょっとどうかとも思ったので止めた。それにそんなことで凪風が怯むわけがない。鼻でフッと笑われて終わる。絶対。

 くそ、今日はなんて日だ。

 おやじに追いかけ回され、着せ替え人形さながらの扱いをされ、愛理ちゃんのある意味裏側をバッチリ聞かされ(攻撃され)たあげく、こんな姿を皆に見られて、今は一周回っておやじの元へと連行されている。

 今年は色んな意味で厄年だ。


「ねぇ、さっきの紙って」

「野菊、胸が見えてる」

「え?あ、ああ゛っ!! って嘘つけ! ちゃんとあわせてるわ!」


 胸見えてるとか言うな!

 わなわなと口が震えていると、私を引っ張ってくれている兄ィさまが私達を振り替えってニッコリ笑う。あら良い笑顔、なんて思ったけれど、チクチクと見えない針が身体に刺さっている感じになった。なんだこれは。一体私の身に何が。

隣にいる凪風に目を向けると、彼は口笛を吹いてあらぬ方向を見ている。


「ふーん、大人げないなぁ」

「凪風?」


 誰が大人げないんだ。

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