表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/123

始まりは 日々6

「野菊、背中洗ってくれ」

「はーいじゅうぎ兄ィさま」


 兄ィさまの背中を古布でゴシゴシと洗っていく。



 此処は天月妓楼の大衆浴場。

 現在の時間は大体夜中の2時30分である。


「今度は野菊の頭を洗ってやろう」

「ぬわ!?」


 ゴッシゴッシと滅茶苦茶強く洗われる。

 痛っ、痛い!痛いよ!!

 ハゲちゃう、ハゲちゃうって!!


 この豪快に私の頭を洗う人。

 髪は短髪の水色。瞳は蒼く肌は少し浅黒い。目尻には笑い皺があり、背はこの妓楼で一番高く180以上はあるかもしれない。

 筋肉も程好く付いていて実に逞しいお方。


 名前は十義(じゅうぎ)、歳は32、遊男である。


 32歳!?

 有りなの!?


 と思うかもしれないが有りなのだ。

 考えてみて欲しい。

 女は若ければ花盛りと言って持て(はや)されるが、後半に差し掛かれば『枯れた』とか『盛りは過ぎた』とか言われるのが普通で、もし遊女だったら年増扱いでお払い箱だろう。


 だが。


 男の場合は違う。

 歳をある程度とっても、『枯れた』ではなく『味が出てきた』や『渋みが増した』等でまだまだイケるのだ。

 実際客もそのダンディな遊男を指名することも多く、この世界での遊男の年季明けは35歳となっている。

 花魁はその年季まで花魁であり続ける。


 晴れて吉原を出れても、売られた為行くところも無く働く所が無い人は、妓楼の()り手になったり飯炊きになったりして遊男を引退するのだ。

 それ以外での引退は身請けをされるかである。


 ちなみに遣り手とは遊男の指導・手配等をする男性のことである。軽く言えばマネージャー的な。


 だから一生をこの吉原で過ごす人はザラにいる。



「じゅっ兄ィさま、あの、イタっ!」

「なんだー?もっとデカイ声で喋ってくれー」



 遊男の1日のスケジュールだが。

 天月妓楼の通常の営業は大体現代で言えば16時から夜中の2時まで。

 床入りの場合は別で、客が帰るのは朝5時になる。


 朝は遅く大体11時頃に起床。

 朝って言うか、もう昼だと思う。

 道中がある場合は昼からなので、主役の花魁と直垂新造、禿は早めに起床し準備する。花魁は前日は絶対に床入りしない約束だ。


 起床したら朝食兼昼食を取り、食べ終わったら一日一回の部屋掃除をするのが決まり。

 サボったらおやじさまに一発でバレるので毎日欠かさない。

 バレるのだ。何故か。


 それからは16時まで各自芸事を学んだり、部屋で好きに過ごす等自由がある。


 16時になったら夜見世と言って、花魁では無い普通の遊男達が格子の中に座り並び始めて客を待つ。

 ここで、外から客が良い男を品定めするのだ。



 それから仕事が始まり、終わるのは夜中の2時となる。



「あたまが、はげてしまいますぅう!」

「おー?こりゃすまんな」


 そして今の入浴タイムへと繋がる。


 ああ、大丈夫かな頭皮。

 毛穴から血とか出てないかな。


「十義兄ィさま、野菊は俺が洗うんで隣の蘭菊洗って貰えますか?思いっきり」

「そうか?よし来た!」

「え、おい秋水!…十義兄ィさまっ俺大丈夫で…イっつ、いてぇ!」


 天月の皆で仲良く洗いっ子。


 ちなみに私は男に紛れ、真っ裸。

 羞恥心は初日から一ヶ月で完全に麻痺した。


 風呂は決まった時間にしか入れない為、皆と一緒に入らなければならない。

 床入りして風呂に入るのが朝になる遊男は別だが、それ以外では夜中の2~3時半の間で入るのが決まりになっている。

 この時代、お湯はそうそう毎時間用意出来ないので。



 最初は見ないように、周りを絶対に見ないようにして隅に隠れながら、火吹きの人が沸かしてくれた湯で体を流していたのだが


『チビ、そんな隅っこに居ねぇでこっち来な』

『そうだぞー。まだ小っせぇんだから気にすんな、な?』


 小さい私を目敏(めざと)く見つけた兄ィさま達に声を掛けられてしまった。


 気にするなと言われても、中身は立派なレディの私。

 無理な話だ。

 それに私が気にしているのは自分の裸ではない。

 こんな凹凸の無い幼児体型なんて、見た方も何も思わないのは分かっている。

 お腹なんてポンポコリンだ。


 気にしているのは男の人の裸を直視する事で。


『ほーら、こっちに来い』

『うきゃっ』


 よっ、と今だ動かない私が持ち上げられて移動させられたのは皆が浸かっている湯船。

 しかも意外と風呂の深さがあり、私は足がギリギリ着くか着かないかだった為兄ィさまの膝に乗せられた。


 何が、とは言わないが直に触れている。


 いやぁぁぁああ!!

 誰この人!何この人!お節介だよ!


 とは声に出さず。

 衝撃で私は固まる。


『あはは、野菊?だっけか。俺は十義ってんだ、宜しくな』

『俺は宇治野です、初めまして』

『俺は朱禾(あかのぎ)。』

『俺は…』『僕は…』


 皆が湯の中で一気に紹介を始めてくれるが、正直最初の三人位の名前しか覚えなかった。


 薄情と言わないで欲しい。

 私の顔がお湯のせいで真っ赤になっていたワケでは無いのを分かって頂きたい。

 見たくないものを見ない為に明後日の方向をジ―――、と見ていた私は悪くない筈。


 それからは毎回風呂へ入る度に誰かに捕まった。

 三回程走って逃げた事があるが、三回とも5秒もしない内にべチャリ、と素っ転んで結局捕獲された。

 とても痛かった。心身共に。


『ほれ。慣れろ慣れろ、な?』

『ぅ…』


 諦めが肝心だぜ、と言う副音声が聞こえた気がする。






「しゅうすいありがとう」

「ハゲたら困るからな」


 十義兄ィさまとチェンジして私の頭を洗ってくれる秋水。 石鹸は無い為お湯のみだが。


 尊い犠牲になってくれた蘭菊にも感謝は忘れない。

 ありがとう蘭菊。


「今日宇治野兄ィさまは閨の日か?羅紋兄ィさまはさっき凪風が着替え手伝いに行ってたから違うと思うけど」

「うん、きょうかさまとみたい。きよみず兄ィさまも?」

「ああ、馴染みの雪野様とみたいだ」


 私達の間では、客と一夜を共にすることを『閨の日』と呼んでいる。

 風呂の時間に見かけない遊男は大体閨の日なので、居ないと『ああ、今日は閨か』と分かるのだ。


 禿仲間達とはこうやってお互いに今日付いた兄ィさまの事を話したり、客についてあーでもこーでもないと一丁前に議論したりする。

 私は聞く方専門だが。


 今更だけど、私達が付く兄ィさまは花魁のみである。

 天月妓楼には現在三人の花魁がいて、

 宇治野花魁、羅紋花魁、清水花魁の三人がそう。


 あと一人歳が30の花魁がいたのだが、ついこの間身請けされて花魁を引退していった。

 とても格好良かったのを覚えている。


 なんでもその客とは十年来の付き合いだったようで相思相愛。身請けを出来るお金がやっと用意できた今年、一緒になる事が出来たと言う。


 こんなハッピーエンドもあるのだなと感動した。

 この際女が男を養う部分は抜きにして。



「湯に浸かるか。お前は俺の膝な」

「うん」


 頭を洗い終わった為湯に入る際、秋水にそう言われる。

 浴槽で溺れそうな私を心配して毎回誰か膝に乗せてくれるのだが


「ちょっと待ちな。これはな、俺の仕事なんだよ。なーおチビ?」

「……」


 十義兄ィさまがいる時は必ずこの人の上に乗せられる。

 それはあの最初の頃から変わっていない。

 三回逃げて、三回共私を捕まえた人はこの十義兄ィさまだ。

 猟師か!



 ある時、十義兄ィさまが話してくれた事がある。


『俺にはな、野菊みたいに小ぃせえ妹がいたんだ。今はもうデカくなってると思うけどな』

『?』

『もう顔も覚えていないが、お前見てたら何だかだんだんその妹と被ってきてな』


『鬱陶しいと思うが、猫可愛がりさしてくれな』







「おーし、ほれ泳いでみろ」


 十義兄ィさまの手が私の胸と足を支えて逆お姫様抱っこ状態となり、お湯の上をブラブラさせられる。


 屈辱だ。


「野菊嫌がってますよ」

「そんな事ねぇよ秋水。おチビ楽しいもんなー?」

「……」

「なー?ははは、」

「お似合いだぜ野菊」


 黙れ蘭菊。


「十義兄ィさま、」

「どーした?お前もやってほしいか」

「いえ、蘭菊もやって欲しいみたいです」

「よし来た!」

「え、おい秋水!…十義兄ィさまっ俺大丈夫で…ぉわ!!」


 蘭菊が楽しそうで良かった。

 似合ってるよとても。


「野菊こっちに来い」

「うん」


 再び秋水の膝元へと帰還。

 秋水は蘭菊をいじるのが好きらしく、二人でいる所を見る度しょっちゅう蘭菊が声を荒げている。

 打てば響くような反応をする蘭菊を毎回面白そうに見ているのだ。


 まぁ、蘭菊はツンデレだから。

 しかし若干秋水にSっ気があるのは気のせいだろうか。







「おー!大きくなったなぁ蘭菊、ほれほれ」


 凄く楽しそうな兄ィさま。

 十義兄さまの笑顔を見て、またブラブラやってくれるのかなーと心の隅の隅の隅っこで思う私は、十義兄ィさまがキライでない事は確かで。


「チビ共、もっともっと大きくなれよー。なー?」


 本当は大好きだ。

 あ、ライク的な意味で。
























 ちなみに清水兄ィさまがいる時。


『おいで野菊』

『清水、これは俺の仕事だ。なー?野菊』

『ゎっ……は、はい『十義さん』

『何だ?』

『おやじさまがさっき用事があるって言ってましたよ、早めに出たほうが良いです』

『え、そうなのか?分かった!』


 急いで風呂から出る十義兄ィさま。


『きょうは、なんのようじなんでしょうか?』

『んー?なんだろうね』


 毎回このやり取りである。

説明が多い回でした。

まだまだ床入りのルールやその他の説明を入れたかったのですが、今回はここまでにしておきます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ