表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/123

終わりのない始まり 記憶の糸 2

 川のある土手を並んで歩く。

 水が日に当たりキラキラとして涼やかで眩しい。3羽ほどのカモが川を目掛けて飛んできて、バシャバシャと羽をばたつかせては腰を水に落ち着けていた。

 それを横目に私は足元に転がる石ころを蹴飛ばす。 

 隣では男の人も同じく石を蹴飛ばしていた。時には私が蹴飛ばした石を男の人が蹴るなんてこともしている。正確な歳は分からないけれど、歳のわりに若いことをするもんだな、と思う。

 というか、たぶん石を蹴り出した私に付き合ってくれているだけなんだろう。


「大丈夫?」

「はい?」


 黙々と石を蹴り続けている私の肩に手を置いて、動きを止められた。

 何がだと首を捻った私に男の人は苦笑する。


「顔色が優れないようだけど。やっぱり散歩はやめようか?」


 心配の色を滲ませた視線を向けられた。

 私の、顔色が優れない?

 しかし、いたって具合の悪い所は無いし、散歩をやめるほど疲れてもいない。それにさっきまではスキップをしそうなくらい探索を楽しんでいたのだから。


「だっ大丈夫ですよ!」


 けれど、ひとつ何かあるとするならば、それは……。


「本当に?」


 低い声で、けれど優しい口調で念を押されるように言われる。


「本当…に……」


 男の人は最後だと言わんばかりに石ころを遠くのほうに蹴飛ばすと、私の足元にある私が蹴っていた石ころをつまみ上げた。

 そして手中にあるその石ころを軽く握ると、私の顔を覗き込んでくる。


「私で差し支えなければ、聞くよ。話したくなければそれでも良いのだけれどね」


 弧を描いていた私の口角は、徐々に下がる。

 ここは現実じゃない。

 私を知る人は誰ひとりまわりにはいない。


「本当は、私……」


 だから今くらい、本当の気持ちをさらけ出しても良いのではないのかと思う。


「本当は、………く……じけそうなんです」


 夢ならば、この人になら、別に構わないのではと。


「くじけそう?」

「許そう、許そう、そう思っても、歯を噛み締め過ぎて顔が痛くなるくらい、我慢が足らなくなりそうで」


 誰に、とか何に、とかが抜けたけれど、今は先程の愛理ちゃんのように言いたいことだけが口からついて出た。


「好きにも、嫌いにもならないようにしようなんて、出来るわけがなくて」


 私は心に嘘をついた。

 愛理ちゃんへ特に怒りを感じていない、なんて、そんなことあるわけがなかった。

 眠りにつく前、無意識の内にお腹を絞めるようにして力が入っていたのを覚えている。暫く鼻息もほんの少し荒かった。それには、ちゃんと理由がある。


 それは『怒り』という感情が芽生えていたからだ。同時に悲しみも。


 見ないように、視線を反らすように扱っていた感情だけれど、見向きもしないなんてやっぱり無理なのだと悟る。

 前にも似た思いを他人に感じたことがあった。それは昨日の長浜へ感じた物に酷似している。

 だって、本当は悔しくてたまらない。私は悪いことをしているわけではないのに、何故へりくだらなければならないのだと思いきり叫びたい。

 だって違うだろう。私が何をしたって言うんだ。

 昔の愛理ちゃんにすがろうとしても、今はもう―――。

 けれど、どこかで彼女を憎めない気持ちもある。だから苦しい。


「その子を許すことが出来なくなったら、私は同じことを繰り返してしまうかもしれない。それに大切なものを、友達を無くしてしまう。怒りよりも、私はそっちのほうが怖い」


 頬を引っ叩いて目を覚ませと怒鳴りたいくらいには、私の腹は確実に煮えたぎっている。

 しかしおいそれと手を上げるのは駄目なんだ、と有り余る理性が私を支配していた。

 手を上げたらゲームの野菊と同じことになってしまう、という恐怖だ。そして友を失うかもしれないという虚しい気持ち。

 だから行き場の無いこの胸の内を、発散できないのなら最初から無かったように無くしてしまえばいいと思うのだけれど、そうも簡単にはいかない様子。


「悔しくて、怒りに身を任せてしまうのが、怖くてたまらない」


 私の中にこんな激情があるなんて、と自分でも驚いている。誰かをこんなにも、その、一発パンチ入れて殴って叱って目を覚まさせてやりたいとか……、いやいや落ち着け私。

 駄目なんだってば。


「そう。どうしても許せない……けれど信じたい子が、君にはいるんだね。とても難しい事柄だ。しかし感情を殺すことは悪いことじゃないけれど、でも、いいことでもない」

「でも、怒って、そしたら自分が危険な目に合うと分かっていたら?友達を失ってしまったら?」


 男の人は少し息を詰まらせた。

 たぶんコイツ何言ってんだと言葉が出てこないのだろう。


「それでも――周りに信じられる人がいるならば、その人に打ち明けたほうがいい。そうしたら少しは楽になる。周りが気づかないのならば、気づかせるんだ。したたかになってやるといい。頼るのは才能、泣くのは強さだと、昔誰かが言っていた」

「私が信じられる、人」

「ごめんね。私が君に言えることではないのだけれど」


 信じられる人……。私が信じられるのは誰だろう。


「少し吐き出してみようか」

「?」

「思いきり叫んでみるとかね。ほら、ここはちょうど叫び安い所だ」


 土手の周りを指さして得意気に男の人は言う。

 確かに川ぐらいしか無いし、田んぼが広がっているくらいで建物は見当たらない。

 男の人は私のほうを向くと大きく口を開けた。

 指は川をさして、トントンと壁を突くみたいに方向を示される。


 なるほど。こういうことをするのも、悪くは無いかもしれない。

 男の人の仕草につられた私は、口の横に手を当てて、胸が膨れるくらいめいっぱい息を吸った。

 吸いすぎて息ができないくらい大きく大きく吸った。


「も……もうっ!やだぁあああー!」


 そして風船の空気を抜くように、言葉を吹き出す。


「自分の力でなんとかしろよおおお!」


 川で泳いでいた鴨が、私の声に驚いて羽をバサバサと広げた。


「自己中過ぎるわー!」


 遠慮なく盛大に叫ぶ。


「ふっざけるなぁあああ!」


「チクってやるかんなぁあああー!」


「悪役ナメんなよぉおおお!」


「ついでにちょっとはまだしんじてまぁあああす!」


 さすがに山びこみたいに声が返ってくることはないが、母音が数秒響くくらいには大きな声をだしきった。

 叫び終われば、私は肩でハァハァと息をする。

 

「結構、鬱憤たまってるんだね」

「ふぅ……ふぅ。はい。そうみたいです」


 夢の中でくらい好きに叫んでも誰も文句は言うまい。

 寝言で叫んでいたら一時の終わりだが、寝言を聞かれた所で恥ずかしさはあるものの痛くも痒くもないだろう。詳しい内容は知らないわけだし。


 幾分かスッキリした私の顔を見て、男の人は目を伏せた。心なしか寂しそうな顔をしている。

 私の叫び姿に何か思うところでも……。

 それかその顔は一緒にいて恥ずかしいとか思ってる顔なのかもしれない。眉がさがっているのは困っているからか。

 でも叫べばいいって言ったのは男の人のほうだ。

 私が訝しげな顔を向けると、相手はふいと顔を背けて歩みを始める。

 私もそれに小走りでついて行った。


「私は………昔、遊男をしていてね。軽蔑する?」

「っえ?い、いいえ!まったく!全然!」


 突然投下された遊男という言葉に、変に反応してしまった。

 全然、とブンブン音が鳴るくらい手を胸の前で振ると、そう?と笑われる。


 遊男をしていたと言われてみれば、確かにこの人は顔にシワも多少あり歳を感じるのに、端整な顔をしていて格好良い。たぶん若い娘にも好かれるだろう。


「その時、彼女と出会ったんだ」

「それは――お墓の方ですよね。遊女なのにですか?」


 遊女と遊男が出会うことなんてあるのかな。

 疑問を顔や口に出していると、男の人は首を小さく振った。


「いいや、遊女だったわけじゃない。最初は自分がいた妓楼の下働きで、周囲には内緒だったんだ。とても綺麗な人だったよ」

「何故そんな所にいた人が、遊女に?」

「詳しくは言うことができないけれど、彼女に罰を与える名目で、女の遊郭へと妓楼が売ったんだ」


 歩きながら淡々と会話を進める。

 なんかこの話、ゲームの『野菊』と若干……というか同じ感じがする。そんな似たような人がいるなんて吃驚だ。

 罰、ということは彼女は何かしら問題を起こしたのかもしれない。『野菊』のようにもう一人女の子がいたってわけでもないだろうし(そうそう女が妓楼にいたら、もう女も働いて良いんじゃないかとも思うよ)、あるとすれば遊男に恋をして一緒に逃げようとしたとかかな。それで愛の逃避行に失敗し、罰を受けるはめになってしまったとか。


「罰……ですか」


 なんだか女の遊郭って、女への罰のためにあるようにも思えてきてしまう。不祥事を起こした者ばかりがあつまって、半ば刑務所みたいじゃないの。


「彼女を助けられなかった。自分も天の邪鬼でね。気持ちに正直になれなかったんだ」

「後悔を……しているんですか?」


 少し、無神経な質問をしたかもしれない。


「後悔……。そうだね」


 だけどここまで話してくれたということは、何かを吐き出したいからだとも思ったから。

 夢の住人相手に何をこんな真剣になっているんだと馬鹿にされても、この人の話を聞きたいと思った。


「好き」

「?」

「だったんですか?その人のことを」


 彼女のことを語る横顔を見ていて思う。

 この人、その人のことが好きだったのではないのかと。後悔をしているというよりかは、そちらの感情のほうが私には伝わってきた。


「どうだろう。本当に好きだったのなら、あんな風に、死なせなかったんじゃないのかな」

「あんな風って」


 一拍おいたあと、川に視線を投げる。


「一人で死なせてしまった」

「それは……」

「一人で、暗く寒いところで」


 自ら命を断った、と、そう男の人は言った。自らということは、自殺ということになるのかな。

 私は何にも言えなかった。言葉が見つからなくて。


「けして手を離してはいけない人だった」

「………」

「誰よりも何よりも、守らなければならなかった」


 こういう時、なんと言えば良いのか正直分からない。

 人それぞれだし正解なんて無いのだろうけど、それでもどう言ったら良いのか何が正解なのかを考えてしまうのは、その人を傷つけたくないという人間がもともと備えている計り知れない良心が働いているからなのかもしれない。……そういう人ばかりじゃないから一概には言えないけど。


「……」


 私は結局、言葉も何も口から出なかった。


「そういえば、江戸の町を見たりした?」

「はい」

「そう……。この町をどう思う?」

「どう、と言いますと?」

「良い所だと思う?君の目にはどう映っているのだろう」


 男の人が話題を変えたことに口を挟むことなく、私はふられた話に耳を傾けた。


「……川は綺麗だし、自然はたくさんで、町中を歩いて来ましたけど、皆楽しそうで良いなと思いました」


 良さそうな町だった。

 現実でないとはいえ、子供達が外でめいっぱい駆まわっていたり、微笑ましい親子の姿、平和な空間。もちろん、平和ではない部分もあるかもしれない。というか絶対あると思ってる。

 でも見かける人達大半が満ち足りた表情をしていた気がした。


「素敵な町で…………?」


 町の様子を思い返していると、自分が一人で歩いていることに気がつく。隣にいたはずの男の人がいない。

 うわ恥ずかしい、一人で喋ってたの私。

 私は立ち止まって後ろを見た。

 男の人は十歩ほど離れた所で止まり、私を見ている。どうしたんだ。


「もう、行ってしまうの?」

「はい?」


 もう行く?

 何がだろう、となんとなしに自分の足元へ目線をやれば、そこに確かにあるはずの足が、ぼんやりと……でもハッキリと透けて地面が足首越しに見える。足を動かしても、動かしているのにその足の先は見えない。消えていた。


「あ、そっか」


 山の中でもやったように手をポンと叩く。

 もしかしたらこれ、夢から覚める合図なのかも。

 叩いた手もだんだん透けだしている。

 覚める時って、身体が薄くなるんだ?これは是非とも目が覚めたら誰かに教えたい。……話せる人がいれば。

 梅木辺りなら大丈夫そう。

 

 幽霊みたいになった私は、歩いて男の人の方へと寄っていった。


「私、今夢を見ているんです」

「夢を?」


 目先で手をかざし、空を仰ぐ。

 上には鰯雲が見えた。


「なんだか、貴方に会えて良かったような、そんな気がします。目が覚めても忘れないようにしなきゃ」


 ようやく覚める夢。

 でもどこか寂しさを感じるのは、本当は夢から覚めたくないと願っているからなのかもしれない。

 ずっとこうして散歩をして、目的もなく歩いて。

 この人の話をもっと聞きたいし、名前とかも聞いてみたい。まだお互い名乗ってないので改めて自己紹介とかしてみるのもいい。


「行かないで」

「え?」


 男の人は、少し屈んで私の頭を撫でた。

 目頭の下にあるシワが、きゅっと縮まるのが見える。

 一陣の風が吹いて、自分の髪が頬へとかかった。


「君の好きな物は不自由なくあげたい。君の嫌いなものは遠ざけよう。好きな所や景色の良い場所にもたくさん連れていく。冬になれば雪が降るし、かまくらでも作って、暖かい春になったら桜の木の下で花見をしよう」

「それは……楽しそうですね」


 男の人はそう言って笑った私の手を握ると、その手を自分の頬に寄せた。

 ゆるやかで柔和な美しい黒瞳。

 その黒い瞳にじっと見つめられて、微かに心臓が鼓動を速める。

 けれど眼差しに宿る儚げな影が、私の速くなりつつあった鼓動を些か静めた。

 

「他にもたくさんあるんだ。天国より良いところだって、きっと思わせるから」

「きっとじゃなくて、天国より絶対良いと思いますよそれ。良いですね、お花見したいです」


 手は男の人の頬が甲越しで見えるまでに透けていた。

 触れている感覚はあるのにそこに手が見えないのが不思議な感じで、浮世のようだった。

 

「まだまだ話したいことがあるんだよ」

「奇遇です。私もまだ貴方と話していたいと思ってました」


 冗談話かと思って笑い飛ばせば、男の人は目を閉じて静かに息を吐いた。

 そして空気に溶けていく、霧がかったような私の身体を抱き寄せる。

 静まっていた私の心臓は鷲掴まれたように、息を凝らした。

 そして同時に、泣きそうになってしまったのは何故だろう。


「なんだかとても、暖かいですね」


 誤魔化すようにそう言った。

 いろんなことがあって、もうよく分からない。泣きそうになった理由を考えても、自分の中で収拾がつかなくなって頭を振った。

 そして男の人を腕の中で見上げる。

 でも私の目には霧があるように、相手の顔が見れなくなっていた。鏡に息を吹き付けた時のように画面がモヤモヤとしていて、もう目を凝らしても無駄だと悟る。

 顔が消えかかっているのかもしれない。


 ああ、夢から覚めても、覚えていると良いな。

 私、忘れっぽいから。





『さようなら、野菊』




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ