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終わりのない始まり 記憶の糸 1

「お嬢ちゃん?」


 土の匂い。

 朝露に濡れた草の香りもする。


「大丈夫かい?」


 金木犀の香りを纏った風が、鼻先を通り抜けた。


 視界を埋めるのは広くて遠い、青く冷めた空。

 大小様々な雲の下では、鷹がのびのびと翼を羽ばたかせて飛んでいるのが見える。

 さざ波のような音も聞こえたかと思えば、それは風に吹かれて揺れる木々の葉の音だった。鷹を目で追いかけていれば、横目に見えたのは竹藪かと思うくらい細い木がびっしりと生えている光景。まるで森の中にいるみたい。

 さわさわとした空気や音の耳障りが良くて、揺りかごにでも入れられたような眠気が私を襲った。揺れてもいないのに。


 一体ここは…………。


「お嬢ちゃん、そんなかっこうじゃ間違われちまうよ?」


 ん?もりみたい?


「ん?」


 森みたいって、なに?


 いつの間にやら、腰に鎌をぶら下げた、どこの誰かさんかも存じ上げないお爺さんが私を見下ろしている。

 訝しげな顔をしているけれど、それは下から見ているせいなのかどうなのかは正面からお爺さんを見てみないと分からない。

 しかも失礼だけど鼻の穴がバッチリ見えた。鼻毛も見えた。

 でも見たくて見たんじゃない。私の不可抗力。


 お爺さんの膝小僧がチラ見えしている丈の着物は、何かの作業をしていたのかな、なんて思わせる。着物の後ろを強引に引っ張り上げて、裾を帯に挟んでいる格好だった。首には手拭いを巻いて、鼻には土が付いている。

 髪の毛は焼け野原だった。


「こんな格好って」

「遊女って確かそんな格好だろう?それとも逃げ出して来たのかい」


 背中がゴツゴツして湿っている感じがする。

 私は地面の上で寝転がっていた。

 嫌だな、地面に頭つけて寝るとか野宿でもあるまいし。お風呂で髪の毛に付いた汚れ落とさなきゃじゃんか。


 私は片手を支えに、慌てて上半身を起こす。

 急に起きたせいかズキリと頭に痛みが走って、私は額を抑えた。

 痛い。グワングワンする。

 眉間にシワが寄って、思わず指で伸ばした。


「ええと、遊女?」


 額に手をやったまま自分の姿を見下ろせば、先程おやじ様の奥様に着せられた着物が目に入った。

 紅い着物。前帯の、遊女の姿。

 そう、遊女の格好。


 ん?待って。

 さっきまで私は楼主部屋にいたよね。

 奥様に着替えを手伝ってもらって、そのあとに愛理ちゃんも着せてもらって、それで。

 愛理ちゃんが帯引っ張って着崩れしちゃったからなんだかどうでも良くなって、中庭まで行ってのんびりとしていた……ような。

 でもここ、明らかに中庭じゃない。

 庭に森は無いし、森は庭じゃない。

 全身の動きを止めて頭をフル回転させてみたけれど、それでも今私のいる場所が何処なんだかは全然分からなかった。

 困り顔のお爺さんが私をさっきからずっと見ている。

 そんな顔をされても、私もほとほと困り果てているので何の返しようもない。


「ここ、どこですか?」


 しかし今頼りになるのはこの鼻毛爺さんだけ。

 見るからに現地人っぽいので此処は何だと聞いてみたら、こいつ頭大丈夫か、みたいな顔をされた。

 ……何故そんな顔をされなければいけないんだ。それほどおかしな事を言った覚えはないのだけれど。


「本当に大丈夫かい?ここは江戸だぞ。今いるのは山ん中だが」


 え、ど?

 山……?


「ここ、江戸なんですか?」

「山だがな」


 私は何か夢でも見ているのかもしれない。

 だいたい山の中って……。

 どうやってあの吉原から移動したというのさ。

 それに江戸?

 確かに吉原は江戸にある色町だけど、外に出るなんてあり得ないし、絶対夢だよねコレ。

 夢の中で意識があるなんて変だし、感覚も妙にリアルだけど、絶対夢だよね。

 頬っぺたをぐにゅりとつねってみる。


「……痛いような、痛くないような」


 痛みはさほど感じない。つねり損した。

 掴んだ感覚もあるし掴まれた感覚もしたけれど、なんだかボヤけた感じで、ハッキリとした痛みを感じることはできなかった。

 だからと言って、これが夢を見ている証拠だとは言えない。

 誰かが私を中庭から連れ出して江戸の山奥にポイっと捨てたっていう可能性も、無くは――――…いや、可能性は無いな。ありえない。


『邪魔しないでっ』


「…………っ」


 ああ、もう。

 あああ、もう。

 夢の中だっていうのに、嫌な事を思い起こしてしまった。せめて夢の中では楽しい思いをしたいのに、なんでこうも頭の中からこびりついて離れないの。一瞬でも忘れたいから中庭に行ってのんびりとして、寝て、意識が落ちたら考えなくても良くなるかと思ったのに。



「……あ、そうだ」


 手をポンと鳴らす。

 夢の中だけどここは江戸。

 なんならこの際、夢を利用して江戸の町を堪能しようじゃないか。きっとこれは神様が私にくれたご褒美なんだ、と思えばいい。なんのご褒美かは自分でも決められない(何かを成し遂げた覚えもないし)けれど、気分転換にはちょうど良い。

 いつか観光してみたいとは思っていたし。


 こういう時の思考って、自分で言うのもなんだけどかなりポジティブだと思う。


「あの、おじいさん」


 とりあえず、此処は山の中だというし町の方向が分からないからお爺さんに聞いてみよう。


「おじいさん、町って――…おじいさん?」


 気がついたらお爺さんはどこにもいなかった。

 


「御子が跡を継いだ!号外だよ!」

「おーい!俺にも一枚くれ!」

「そうかぁ、お世継ぎ一人だもんなぁ」

「あんた、そんなことより両替屋に行くよ」

「お母ちゃーん!」


 それどころか、私はいつの間にか人の賑わう場所に立っている。

 長屋に荷馬車、川の上に架かる橋、

 さすが夢と言うべきか。


「猫みっけたー!」

「あー!」

「きゃははっ」


 私の腰にも及ばない背丈の子供達が、横を駆けて通りすぎていく。

 なんだか、この世界では初めての光景かもしれない。天月に行き着くことになるまでは外の道をブラブラしていたけれど、真昼の賑やかな声や人を見るのは初めてだった。


「今度はどこに連れていってくれるんだい?」

「お前の好きな所、どこへでも連れて行ってやるぜ」

「あら、あんたってばもう」


 女の人と男の人が当たり前に並んで歩いており、川を渡る赤い橋を越えてその先まで進んで行く。制限の無い、自由な外。

 そもそもコレ夢だけど。


 ずっと放心していても仕方がないので、散歩と言う名の人間観察および観光を始める。これでお握りとかお弁当的なものがあったらもっと良かったのにな。


「かあちゃん、きょうごはんなにー?」

「父ちゃんに聞きな」

「とうちゃんやさいばっかだからやだ!」


 手を繋いだ母子が前を通る。

 やっぱり行き違う人行き違う人の毛の色は様々だった。今通った母らしき人はどきついピンク色だったのだけれど、その子供も同じどぎついピンク色だった。あれ遺伝なんだな、遺伝。じゃあ赤髪と青髪の人の子供は何色になるんだろう?紫とか?


「てか、まだ覚めんのか私」


 しかし、本当に出歩いている感じで妙なものだと思う。

 それに夢だって気づいた時の夢って、どうやって終わらせれば良いんだろう。

 もう終ーわり、って思えば覚めるの?

 もう一回寝て起きれば夢から脱出できるの?

 うーん。


『あのおねーちゃんすごーい!』

『こら!しっ』

『確かにすげぇなあ』

『あんた、およしよっ』


 それより、心なしか複数の視線を感じる。霊感はさっぱり無いのに変なところで敏感だ。

 けれど足取りは妙に軽い。いくらか開放的な気分を味わえているからなのだろうか、久しぶりに長い道を黙々と歩き続けているからなのか。ウォーキング効果炸裂。目が覚めてもこんな気分でいられたらいい。


 途中分かれ道があり、そこを右へと進む。右を選んだ理由は特に無い。あるとすればそれは利き手が右手だからとかそんな感じ。


 そしてそこからまた更に進めば、再び分かれ道があったので今度は左に行ってみた。旅というか冒険みたいで少し楽しくなってきている。


「?なんだろ」


 スキップをしそうな勢いでいると、入りくんだ場所に広い敷地があり、その中にお墓を発見した。

 後ろに少し下がり離れて見てみれば、全体的にお寺のよう場所なのだけれど……お墓の石は一つしか見当たらない。

 奇妙な場所だと思う。普通なら沢山墓石が並んでいるのに。

 私が知らないだけでそんな場所もあるのかもしれないけど。


 なんとなく気になってお墓の前まで行くと、周りに花が置いてあるのに気づく。まだ綺麗に咲いていて、昨日今日に誰かが置いていったのかなと思う。

 紅い菊。白い菊。黄色い菊。

 菊で溢れていた。

 このお墓の人は菊が好きだったのかな、と墓石を見る。


 その瞬間、私の時が止まった。



「これって……」


 墓石に刻まれた文字を親指でなぞる。


「誰だい?」


 すると後ろから誰かに声を掛けられた。

 足音にも気づかなかった私は肩を跳ねさせる。


「あっあの、」


 後ろを振り返ると、背の高い40、50代くらいの男の人が立っていた。黒髪の男性だった。

 手には菊の花を持っている。

 黒い髪は白髪が混じっている様子はなく、艶やかまではいかないものの、とても綺麗だった。

 身にまとう灰色の着流しには、膝のあたりに土のような汚れがついている。


「……君は遊女?」

「え?」


 そういえば、そんな格好をしていたんだった。だから人にあんなジロジロ見られていたのね。

 私は慌てて前帯を解き始める。

 こんなところで遊女の格好とか、なんだか不謹慎極まりないよね。


「ち、違います、あの今」


 つい焦ってしまい、どこかがつっかえてなかなか解けなかった。

 モタモタしていると、男の人がしゃがんで私の帯へ手を伸ばす。


「こんな格好、しては駄目だよ」

「あの、」

「結んであげるから、後ろを向きなさい」


 男の人が帯を結んでくれる。

 私はそんな中、男の人から香る匂いに懐かしさを感じていた。どこかで嗅いだことのある香り。

 考えても思い出せない。でも確かに記憶に残っている香りだった。


「あの」

「なに?」

「ここって、なんなんですか」


 後ろで帯を結んでくれている男の人は手を止めた。


「見てのとおり、遊女の墓だよ」





『遊女之墓』


 私の動きが止まった理由はこれだった。

 そう、遊女之墓と書かれた墓石が一つだけ。

 お寺のお墓にしてはお座なりで、周りも花以外は何もない。広い校庭にポツンと石が立っている感じ。


「遊男、ではなくて?」

「遊男の墓はまた別にあるんだ。でも遊女は少ないし、お墓もいくつ立ててもしょうがないからと一つこうやってある」


 帯を結び終ると、男の人は地面に一度置いた菊の花を持ち直して墓石の前に置いた。


「よくお墓参りに来るんですか?」

「なぜ?」

「菊の花がたくさんあります」


 土から根を生やしているわけでもないのに、菊がたくさん咲いているように見えるほど置かれているので、この人がいつも置いていくのではないかと単純に思っただけだけど。


 男の人は目を伏せて再びしゃがみこんだ。

 私より背が低くなって、目線も逆転する。


「少し散歩に付き合ってもらえるかい?」

「えっ」

「無理にとは言わないけれど」


 散歩に誘われた。

 無理にとは言わないと言いながらも、男の人は手を差し伸ばしてくる。

 警戒をするほどでもなく、寧ろ墓参りの邪魔をした私のほうが不審者なんだけど、何となく迷った。夢とはいえ知らない人に付いていくのもどうなんだろう。

 とはいっても、現実じゃ小さい頃全く知らないおやじ様のあとをついて行って結局は今の場所に収まっている私が言うのもなんだか変な気がするけど。


「そうですね。お天気良いですしね」

「散歩日和だろう」

「ふふ、はい」


 優しそうな目が細められた。

 

 私はその夢の微睡みに、身を任せていった。

あとがき。

本日は2話更新です。

次回まで更新は暫くお休みします。


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