始まる 受難の日々 25
「そっちはいたかー?」
「いねーよ」
秋水は厠にいた蘭菊を見つけ、二人で野菊を捜していた。
けれどどこを捜しても一向に見つからない。
布団部屋へ行き、次は楼主部屋に戻っているのかもしれないと予想してそこに行ったが、予想は外れた。裏庭で居眠りでもしているのではないかと蘭菊も提案して行ったが、やはりそこにもいなかった。探している者達さえいなかった。
途中野菊を捜している遊男や新造、かくれんぼ感覚で楽しくきゃっきゃと探す禿達ともすれ違ったが、見る限り誰も見つけられていないようだった。
「凪風と清水兄ィさんは、どこ行ったんだろうな」
「さぁ、知らね」
二人も見かけない。
これだけ妓楼をまわっているというのに、会わないというのも不思議だと秋水は思った。
「あと見てない所ってどこだ?」
「……三階はもう見たし、裏庭はいなかっただろ。そしたらあとは一階で使う座敷だが、あそこは客が来るとき以外は入らない決まりだ」
「一階の座敷で中庭あるよな。座敷には入れねーけど、中庭にだったらいたりしないか?」
「…そこまで隠れるか?」
「でも廊下なら通れるだろ?縁側は出入り出来んだから、いたりしねぇ?」
しかし捜すとなれば、あとはそこぐらいしか無い。外に行くということは流石にないと思うので、可能性を頼りに座敷へと続く廊下を歩いた。
歩いていると、野菊を同じく捜していた梅木たち新造とも鉢合い、どこを捜した、あそこは捜した、と話しながら一階の座敷へと足を進めていく。
やはりまだまだ誰も見つけられていないのか、階段の下を見ていたり、物置に首を突っ込んでいたり、床の板をはずそうとしていたり、天井へ登ったり、さらには大きな壺の中を探している者もいた。
……本当に真面目に捜しているのかと半ば疑いたくなってくる。
けれど、いずれもみな『のぎくー!』と呼びながら捜しており、壺の中を見ていた遊男・阿倉も当たり前のように、
『野菊ぅぅ!!』
と叫びながら捜していた。
ようするに、あれは真面目とかそういう類いではなく、ただの馬鹿なのか、と二人は思った。
「ん?」
「どうした?」
「誰かそこ、いないか?」
そうして中庭と縁側のある角を曲がろうとした頃、先から複数の影がちらつくのが見えた。
微かに声もあり、既に誰かが縁側へと行っている気配がある。
「おいおい、嘘だろマジで…」
蘭菊は頭を掻く。
そうとなれば、そこに野菊がいる可能性は限りなく低い。見つけていれば大抵誰かが知らせに来るか、話し声は微かなんていうほど甘くはなく、もっと大きな声で騒いだりしているはず。
「ったく、なんだよ。結局どこにもいねーじゃん」
「でも……絶対どこかにいますよ」
自分たちの考えた宛は外れた。絶対の確信があってここへこようとしたワケではないけれど、到着する前にいないということが分かってしまえば、なんとも言えぬ気分になる。
内心首を垂れた。
「そうだな。梅木の言う通り、どこかには絶対いる。まぁ、とりあえず声だけ掛けておくか」
しかし一応そこにいる者たちに確認して、また違う所を捜すかと思い立つ。
違う所とは言っても、もうどこも思い付かないが。捜さないよりは良い。
「はぁ……それもそうか」
足の速度を一度は緩めたものの、早く終わらせようと再び二人は意気込んだ。
「秋水、あいつの話どう思ってる?」
「愛理のか?」
しかし、考えてみれば妙な話である。
なんでそんなに着物を着たくないからと言ってここまで姿を消す必要があるのだろうか。そこまで嫌がるなら、野菊は最初からおやじ様に付いてはいかなければいい話だし、わざわざ愛理に同じ着物が嫌だだなんて傷付けるようなことを言う必要もない。
『着物を脱ぐと仰って』と愛理が言っていたが、それなら野菊は着物を着ていたということだ。あんなに嫌だ嫌だと言いながら、結局は着たのだ。
それを愛理が同じ赤色の着物が良いからと言って、それが嫌だから脱ぐ、というのは少し不自然なところがある。
何が不自然と言ったら、野菊の性格的にだ。
そんな安い嫌がらせなようなことをしてまで、妥協をし、せっかく着た着物を脱いで姿まで眩ますなど自己中心な人間ではないと思っている。
野菊の部屋に行った時、彼女が食堂にいた時まで着ていた長着が畳んで丁寧に置いてあった。
つまり野菊はいま、肌襦袢でいるか素っ裸か、その赤い着物でいる可能性が高い。
だからそのような格好で今どこにいるのかと思うと、何してるんだお前はと言いたくなってくる。
そう会話を交わしながらも角を曲がりきると、風通しの良い縁側へと出た。中庭の青臭い、植物の髄から溢れる匂いが鼻をつく。
「お、いたいた。兄ィさん」
するとそこには中庭をじっと見つめる羅紋と宇治野、遊男の蟻目や南、朱禾など複数の人間がいた。
なんだ、ここにいたのは兄ィさん達だったのか。しかし今日も良く晴れているもんだ、と思いながら蘭菊は宇治野達に声を掛けたのだけれど、反応がまったく返って来ない。誰もピクリともしない。
それに些か居心地の悪さを感じ、横にいた秋水になんだ?と首を傾げて助けを求める。
「どうかしましたか」
秋水も気になりそう声を掛けると、一番近い所、手前にいた遊男の兄ィさんが中庭に向けて指をプルプルと指した。秋水の方は一切見ずに、視線は外へと向いたまま。
後ろにいた梅木達はなんだろうと思いその指差す方向へ視線をやれば、宇治野たち同様、そのまま固まることになる。
中庭の木の下に、誰かが座っている。
その隣には清水が地面に方膝をついて、その座っている誰かの髪を手櫛で優しく解いていた。
「あれは…」
猫を懐に抱き締めて木に凭れかかり眠る女性。
手触りの良さそうな長い髪はいつものように結んではいなく、ハラリと風に揺れて肩に流れている。
サラシはしていないのか、少しはだけた襟の間からは男には無い肉が見え隠れしていた。
ほどけそうな帯はぐにゃりとしているけれど、粋に走らず品の良い鳥の子色で不思議とだらしなさを感じない。
紅を塗った花びらのような瑞々しい唇は薄く開いており、男からしてみればまさに無防備な姿。
水蜜桃のような柔らかでほんのり赤い頬は丸みを帯びていて、普段からは感じない女性特有の香りが視界から脳へ鼻へと入ってくるようだった。
眠りについているというのに微笑むような表情の彼女は、此処が天の国だ、とも納得してしまいそうなものである。
「野菊兄ィさん…?」
梅木が呟いた言葉に、誰かが息をのんだ。




