始まる 受難の日々 21
今年もやって来た。この日。
ピンクの花と甘ったるい菓子の匂いを漂わせた桃色の悪夢とでも名付けようか。
「野菊!!」
朝早くから牛の鳴き声のような脳に響く声で起こされた。大変な騒動もあったが寝不足なんてものは幸い無く、昨日もしっかり三時辺りに寝たわけだが。
早朝からオッサンの野太い声で起こされたら、そりゃ目が据わるのも無理は無い話だと思う。
「なんですかもう…」
なんだなんだ…と腕で目を擦りつつ欠伸をつきながら部屋の襖を開ければ、想像の通り廊下に立っていたのはおやじ様だった。想像できていたから驚いたりはしない。
けれど朝から目に刺さる厳つさに、私の眉間には皺が寄った。
「なんです?それ」
そして何やら手には鮮やかな赤色の着物を持ち、こちらを見てニヤニヤとしている。
糸切り歯、言う人にもよるが、うっすらと唇から覗く犬歯が眩しく光輝いており、それがより一層私の眉間の皺を深くしたのは間違いない。
彼はもうただの不審者だと思う。大きな声で叫べば誰か来てくれるだろうか。まぁそんな事しないけれど も。
嫌な予感しかしないので襖をそっと閉めようとすれば、とっさに足を挟まれたので閉じることは叶わない。しかもその時のおやじ様の顔といったら憎たらしいってもんじゃなかった。
ふてぶてしいとも違う。
とにかく大手を振って殴りつけたい衝動に駆られるものだったと言っておこう。
「無駄な抵抗はやめるんだな」
刑事ドラマで良く聞くフレーズが私に放たれる。
人様を殺めたわけでも銃を持っているわけでも、盗みをして伝説の怪盗さながらに逃げるわけでもないと言うのに、実に納得のいかない言葉だ。
いっそのことおやじ様の足を犠牲にしてでも閉めれば良かったと悔しく思う。
「ほれほれ赤い着物だぞ~」
「ち、近づかないでください!私は遊男ですっ、女の着物は一切、一生涯着ません!」
闘牛の牛ならば飛びついて行っただろうが、生憎私は人間だ。赤色に興奮もしない上に興味もない。
バン!と勢いよく襖を開けて、私はダッシュで廊下を走り出した。逃げるが勝ちである。
走ってる間、新造の子がおはようございます、と言ってくれた気がしたので息切れしながら挨拶を返せば「おう!おはよう」と後ろから追い掛けてくる牛から声が掛かってきたので更に足の速度を早めた。
禿の子なんかは、一体何事なのかと興味津々で走ってきたが、これはそんな楽しい事ではないのだよと座って言い聞かせたい。
「来ないでください!」
「諦めろ!」
年に一度の恒例行事とも言える光景になりつつある私とおやじ様の攻防戦。
あの桃の節句の時から一切の諦めも無いのか、毎年の様に着物を着せたがってくる。
昔は「誰が見るでも無し」と言うから、まぁ良いかこれぐらいと着ただけで、人に見せる為に着たわけではないと声を高らかにして言いたい。というか過去、高らかに言った。
始まったばかりの私の一日は、まだまだ終わりそうもない。
◆◇◆◇◆◇◆
「食堂までついて来ないでくださいよ!」
山菜うどんを黙々と食べながら前にいるおやじ様に悪宅をつく。
うるせーおやじ様のせいでいつもより朝食が遅くなってしまったので、ガヤガヤと食堂は人に溢れており忙しなく、久しぶりに沢山の人がいる空間で食べる事になってしまった。
もちろん花魁達もそれぞれ朝食兼昼食を摂っているので顔を合わせる事になる。
愛理ちゃんも変わらず調理場で働いているので、何だかな…。と意気消沈気味になった。
「兄ィさま、これおいしいです」
「じゃあこの漬物あげちゃう」
「やった!」
一緒に食堂へと来た和泉が大根の漬物を頬っぺたが落ちそうなくらいフニャフニャに顔を緩ませて食べている。
おいおいどういう事だこれは。隣に天使がいるぞ。
胸から血が吹き出すくらいハートの矢が刺さってしまった私は悶え苦しんだ末に貢ぎ物をする。
キャバ嬢のお姉さんに好かれたいが為にドンペリ頼むおじ様と似ていなくも無い。
「はよー野菊」
「ぉはようございます」
あれから皆と軽く話しをするくらいはするようにしたけれど、やはり怖い。
とくに彼女がいる食堂では。
羅紋兄ィさまは朱禾兄ィさまや清水兄ィさまと食事をしているし、あの意味深な言葉を吐露した凪風は秋水と共にうどんを啜っている。
呑気な野郎だ。
「今年だって悩んだんだぞ?青か赤かどっちが良いかってな」
「悩む方向が違う!」
指で相手をビシッと指しながら突っ込む。
的が大いに外れている。青か赤かなんて……。ん?青か赤…。
もしかして前に私の部屋に来た時に持っていた、あの青と赤の布切れ。私の襟に乗せて何か考えてたけど、もしかしてこの為だったりしたのか。
あの謎の行動の解読に成功したからといって嬉しく思えるわけもなくワナワナと口を開け固まっていると、見事に私の発言を無視してクシャクシャな笑顔で言い放つ。
「野世が着付けをやりたいらしい」
「え!?」
今、何と言ったのか。
野世、と言ったのだろうか。
野世って言ったら、確かそれはおやじ様の奥様だった気がする。
「奥様、ですよね?」
「それ以外に誰がいるんだ馬鹿かお前は」
馬鹿じゃないかとこちらが言いたい。
おやじ様の家に居た時にすら会った事の無かった人が何故私の着付けをしたい等と思うのか。
「あ、あの、一度も見たこと無いですけど?というか確か来させない様に、遊男に会わせない様にしてるんですよね」
あんなに『秩序が~うんたら~かんたら』とか言って妓楼側には来させず隠して来た奥方を、桃の節句ごときでポンと出すというのは、どう考えても可笑しい話である。
「だから、お前が、俺んとこの屋内に来りゃ良い」
「行き来は駄目だって言ってましたよね!?」
愛理ちゃんにも相変わらず着物を宛がったようで、桃色の可愛らしいお着物を着用し、今日は皆に配膳をしていた。お店のウェイトレスさんみたい。
そんな彼女を見て鼻の下を伸ばしているオヤジに不躾な視線を送れば、ははん、とニヤニヤして簪をチラつかせてきた。
くそう、本当このオッサン何なんだ。
私は花魁になった時の一件から簡単に信用してないんだからね。嘘つきおやじ。
「ほら見てみろよ。愛理はちゃんと着てくれているぞ」
「愛理ちゃんは良いんです。でも私はあくまでも男なので結構です」
「クッ、こんな頑固になっちまって悲しいぜオレぁ」
目頭を親指と人差し指で摘まみ抑え、胡散臭い泣き演技をしだすジジィに冷めた眼差しを送り付ける。箸を口に加えたままジトリと自分を睨む私を見て、おやじ様は胡座をかいている膝に肘をつき頬杖をついた。
じぃっとそのまま穴が空くほど此方を見てくるおやじ様に何かを言い返したいが、話し出したらまた同じような会話が始まってしまうかもと思いとどまる。危ない危ない。
しかし、と私は周りを見渡す。
昨日はあんな事があったというのにも関わらず不思議な程皆いつも通りだ。いつも通りにご飯食べて世間話しして笑って厠行って寝っ転がって…。いつも以上に愉快な人達である。
あれかな、一々気にしていたら身が持たないって事なのかな。捕まったは捕まったんだし、いつまでも気にしていてもしょうがないのは当然なんだけどさ。刃物向けられた身としちゃあ、おいそれと切り替えは出来ないよ。
清水兄ィさまにお礼?も言いたいのだけれど、中々タイミングが掴めないし。
ええと…昨日は助けていただいてありがとうございました?
兄ィさま凄かったですね?
よっ、大将!とか?
う~ん、とうどんを啜りながら何となしに兄ィさまを見てみれば、あちらさんと見事に目があった。
うわわ、と自分が見たのにも関わらず内心あたふたとしていれば、片目を瞑ってウィンクをされる。
「ブっ」
思わず、ぶふっ、とうどんを吐いてしまった。
後ろからきったねーなオイ、なんて言葉が聞こえたけれどムセてしまっている為悪たくも満足につけなかった。覚えてろよ赤毛。
苦しい胸をドンドン叩いて呼吸を戻し、お椀の上に箸を置く。
ふぅ…と落ち着けば、そんな私の間抜けな一部始終を傍観していたおやじ様が、昨日は…と塞いでいた口を開けた。
「眠れたか?ちゃんと」
「眠れましたよ。疲れて」
「おお、図太い神経で良かった良かった」
図太い神経は余計だ。
「あの野郎、今度は男じゃなく女にまで食指を動かそうとしていたらしい。吉原の外れにある女郎屋を前もって調べていたようだしな」
「いやまぁそれが普通ですよね」
「野郎に限っちゃおかしいんだっつってんだ。一体どんな心境の変化があったんだか。だが本当、お前に一瞬でも接触させちまったのは俺の注意不足だったよ、すまん。女に走ろうとしている奴にお前の姿を見られようとは…」
「すみません、あの私一応男の格好してますけど。もしもーし」
「騒ぎを起こさせりゃ良い話しだったんだ。ったくあのデブ、デブの癖に走りはえーしよ。まさかお前の部屋に直行するとはおもわなんだ。こんなんだったら気ィ使わねぇで最初っから言っときゃ良かったぜ。なぁ」
「良いんですよ別に。刃物で刺されたワケじゃあるまいし」
刺されそうな状況にはなったが。
「と、言うことでだ」
「?」
「せめてもの詫びにこの着物を着て欲しい」
「詫びの意味をご存知か」
絶対に詫びの意味を履き違えている。
「詫びにはならないですし、そもそも詫びなんていらないですし、そもそも振り袖なんぞ着ません」
「着てみればいーだろ。似合うかどうかは別だけどな」
人の話に首を突っ込んでくる癖はいい加減直したらどうかと思う。
何処から聞こえてきた、なんて疑問に答えるのが馬鹿らしくなるくらいに後ろへ振り向くのも面倒だった。
「じゃあ蘭ちゃんが着てみればいいじゃん。似合うかどうかは別だけど」
嫌みったらしい蘭菊の鼻の穴に割り箸を突っ込みたい。そんでそこら辺でドジョウ掬いでもやるがいい。
今日は珍しくあの二人と朝食をとっていなく、自分に付いている禿とご飯を食べている姿を来たときに見た気がする。
あまり注意して見ていなかったので見間違えかもしれないが。
「キモい事言ってんじゃねーよ!」
「キモくない!」
後ろを振り返らないまま言い返す。
あー言えばこー言う会話を食堂のど真ん中で繰り広げる私達。周囲の目は心なしか生暖かく、それが更にむず痒く感じた。
「そうだぞ野菊、着物着てみろよ」
「可愛い姿を是非とも俺らに見せてくれりゃ大手あげて万歳だ」
「ほらほら黙っておやじ様に従え?」
「もうさっさと連行しちゃえばいいんですよ」
皆他人事だと思って好き放題言っている。
そんなに煽らないでいただきたい。なんだか着なくちゃいけない流れになってしまうではないか。やめて。そんな事は絶対にしないからね。
それにあまり食堂で目立つような事をしないでほしい。お願いだから。
食べ進みの悪いうどんを箸で掬えば若干伸びてしまっていたのか感触もふやふやだった。美味しく頂きたかったのに悲しいことである。伸びてしまっても不味くなりはしないが一番美味しい時を逃してしまったのは今日一番悔やまれる。
今日一番と言っても起きてからまだ三時間も経ってはいないが。
「もう放っておいてくださいって…」
黙ってやり取りを見ていたおやじ様がゆっくりと近づいて来る。
「決まりだな」
右肩に手をずしりと置かれる。
本人にしてみれば軽く置いただけなのであろうが、今の私には気持ち的にも重さが倍に感じられた。
離れろオヤジ。
触るんじゃない。
「あの、おやじ様」
「どうした?愛理」
愛理ちゃんがおやじ様の肩を叩いて声をかける。
てっきり配膳をしていると思っていたものだから、急に声を出した彼女に私もおやじ様も少し肩が跳ねた。
「私もお手伝いさせてもらって良いですか?」
「お前がか?」
「はい。是非」
愛理ちゃんが、私の着付けを手伝ってくれる、だと?
こ…これはどう捉えれば良いのだろうか。
好意的?それとも。
私を若干、いいや、嫌っていると思っていたから吃驚だった。
だって嫌っている相手の着付けなんて普通したいと思う?
私は思えない。
だってあの長浜がもし自分の友人だったとして着付けを手伝ってと言われたら、絶対に手伝わない自信があるから。
好き好んで傍には行きたくない。
「良いですよね、野菊さん」
あの「のぎちゃん」という寝言。
もしかしたら、前の事を少し思い出したのかな。それで私に対しての偏見やらがちょっとばかし取れたのかもしれない。
ただの予想だけれども。
都合良く解釈し過ぎたかな。
でもそうなれば愛理ちゃんが手伝ってくれるというのは好都合だ。兄ィさまたちや秋水たちの前では無いし、普段よりはきっと積極的に聞ける。
けれどまた何か起きてしまうのではないかという心配はある。
花魁の皆とのイベントはまだまだあるし、そもそ…。
ん?
イベント?
イベント、と言えば確か主人公が遊女の格好になるものがあったはずだ。
しかも桃の節句に。
普段黒の作務衣しか着ていない主人公がおやじ様や皆にせかされて、女の間で流行りだという遊女の着物を着るはめになるというものなのだけれど、これはその時の光景に非情に良く似ていた。
私との立場が変わり、着物が振り袖でなければもうそのまんまである。
しかし倫理的に考えて遊女の衣装を遊男の前で照れながら着るのはとても宜しくない光景だとは思うのだが、そういうイベントなんだと言われたら素直にプレイヤーは受けるしかないのだろう。今さらだが無理矢理イベントを作らなくても良かったよね、なんて思ったりもする。
光景が似ている、とは思うが愛理ちゃんは普通に可愛らしい着物だし、遊女の格好なんてしてはいない。
やはり似ているだけでこれはあのイベントとは違うのだろうか。
ゲームの世界との因果関係を見つけずにはいられない。
「じゃあ、」
「愛理は此処にいてくれないと困るな。せっかくの華がいなくなってしまうなんて、こんなむさい中ごめんだよ」
じゃあ一緒に、と私が返事をしようとすれば、清水兄ィさまが遠くから声をあげた。私を見ていた愛理ちゃんは兄ィさまの方へと顔を向ける。
「そうだそうだ」
「野菊のこたぁ、おやっさんに任せときゃいーのよ」
兄ィさまの言葉に飯炊きの人がしゃもじを顔の横で振って便乗する。
「女が一番綺麗になる見せ方をしってるんです。私もお手伝いさせてください」
「野菊は何をしなくとも綺麗だ」
さらっと何気に褒められたが反応はしなかった。
というか反応出来なかった。
お願いだからこの状況を誰かどうにかしてください。
心臓に悪いです。
なんで兄ィさまたちや愛理ちゃんに秋水たちと一緒になって話しているの、しかも私主体で。
「じゃあ決まりで良いだろう」
おやじ様とは反対方向を向いて、そろりと顔を横に反らす。
冷や汗が出てきた。
「何がですか」
苦虫を潰すように呟いたその私の言葉に『ムフフ』と口を猫のようにニンマリとして笑うおやじ様。つくづく汚ない笑いだ。
しかし何が、とは聞かなくとも分かる答えに、声を出さない溜め息を吐いた後。私はまるで捕虜のように両手を紐で縛られて部屋へと連れて行かれた。
愛理ちゃんを横で従えて。
「楽しみですね」
楽しそうな笑顔が目に刺さる。
ここまでするか普通。




