始まる 受難の日々 20
「ごめんあそばせー」
深刻っぽい感じで行っても気まずいので、楽観的に脱衣所にお邪魔する。
「に、兄ィさん、そんな堂々と……。凪風兄ィさんからも何か言ってください」
「僕の言うことを聞くのなら、とっくに言ってるよ」
とりあえず後ろから聞こえる会話は無視しよう。
「うわ」
戸を開けて中を伺えば、裸の男たちがワラワラといた。 ムワッとした湿気が肌につく空間で更に人が多いせいか、少し酔いそうになった。
私の声が届いたのか、数人が此方を見る。
そしてきまって石のように微動だにしなかった。私はメデューサにでもなったのか。
「き、ききき」
兄ィさまの一人が私を指さしてプルプルと震えだす。
何?なんかいるの?と後ろを振り返っても佐久穂と凪風しかいない。
なんだ何もいないじゃん。
私は再び前を向いた。
「ええと、ごめんあそば…」
「きゃ゛ぁぁああぁあぁああ」
「うわぁあぁああああぁああ」
「きぃぁぁあぁあああああ」
褌を振り回し乱れだす男たち。
女子か。
「みるなああああっ」
一部は手ぬぐいで体を隠しだす始末。
だから女子かって。
反応が乙女過ぎてびっくりだよ。そんな大人達を見て禿はポカーンとしているし、いい大人が威厳も何もあったもんじゃ無い。指を差され、どーしたんですか、なんて言われている兄遊男はタジタジで面白おかしくなっている。
「そんな……今更でしょう皆」
それに裸なんて今更じゃないのか、と思うがそれは胸の内に秘めておく。あまりこういうことを言うのは宜しくないことだと分かっているので。
とにかく男たちはいつまで経っても純情なのだなと思いました。
「それより和泉はどこにいますか?」
「い、和泉なら秋水に手を引かれてこの裏にいるが」
では裏へ行くことにしよう。
ご丁寧に教えて頂いたのでペコリとお辞儀をする。
「待てまて何処に行く気だ」
「どこって…裏ですが」
「だぁあめぇぇでぇええす!」
下を手拭いで隠す阿倉兄ィさまたちに駄目だと言われて少し怯む。眉が下がり思わず眉間にシワを寄せてしまった。
まさかそんなに拒否をされるとは思わなかった。
その気迫に圧されて自室へ戻った方が良いのかとも思ったけれど、和泉が気になって仕方がないし、あまりに彼が嫌がるようだったら私と一緒に入れないかどうかだけでも聞こうと決める。
「ん~…駄目…ですか?もし凄く嫌がるようでしたら、時間をずらして私と一緒に入って貰おうと思ったのですが」
「一緒に!?」
ん?と一際デカい声が上がったと思い浴室の入口を見てみれば、風呂から上がったばかりの蘭菊が首に手拭いを巻いて出てきていた。
お湯によく浸かっていたのか、彼の全身からはユラユラと湯気が泳ぎ出ている。
髪も真っ赤なのに体も真っ赤で存在自体が炎に見えた。
「蘭ちゃ」
「こっ此方見るんじゃねぇよ!」
カッポーンと木の桶が飛んで来たので横にサッと避ける。危ない。もう少し反応が遅れていたらお花畑で御釈迦様と鬼ごっこするところだった。
全く、なんてこう暴力的なのか。あんなに昔は一緒に入っていたというのに、性別が違うというだけでこうも扱いが酷くなるとは。解せぬ。
常識的に考えて女性が堂々と男性の裸を見るというのはちゃんちゃら可笑しいと分かるが、自分の場合そのカテゴリに当てはまるとは思わないのに。
とりあえず凄く嫌がっているのは分かるので、両手で目を隠し視界を暗くする。
奴もこうすれば文句無いだろう。
それでも駄目だったら足元にある桶でアイツを花畑に送ってやる。
「はい。これで良いですかね」
「当然だ」
ちっ。
仕方ないので目隠しをしたまま裏へと行く。結局兄ィさま達の許可を貰わないままだったけれど、目隠しをした途端何も言わなくったのでこれ幸いと突き進む。
突き進むとは言っても目隠ししているので当然辺りは見えず壁と人に何回かぶつかった。そしてその度に後ろからブフ、と笑い声が聞こえるので額に青筋が走るのが自分で分かる。あれ絶対凪風だわ。
後ろからついて来てくれるのは有り難いが、少しは誘導してくれても良いのではないかと文句を言いたい。
フラフラ徘徊し、だいたい此処かなと右へ曲がる。
すると啜り泣く少年の声が響いてきた。
「うっ、うっ」
「大丈夫、大丈夫だ」
そんな少年をあやすように語りかけているのは、多分秋水で間違いない。
蘭菊の監視を盗んで指の隙間からそっと覗いてみれば、頭をさすって宥めにはいる青髪の彼が、予想通りそこにはあった。
それに佐久穂が言っていた通り、秋水が野袴を脱がせたのかスッポンポンの和泉がいる。秋水もこれから入るところだったのか、腰には手拭いを巻いていた。
「ほら泣くな」
丸い頬に流れる涙を親指で拭う。
その姿は昔泣いていた私をよしよしと励ましてくれたあの小さい頃の光景と被る。
そして今も昔も変わらない彼の優しさは、自然と私に笑みを与えた。
「ね、蘭菊、手を取ってもいい?」
「…あぁ」
両手をどかして視界を開かせた。
一歩二歩と歩みを進めて二人に近寄る。
「秋水」
「野菊?なんでここに」
「佐久穂が教えてくれて」
声を掛けてきた私に目を真ん丸と開いたが、新造の名前を出すと、そうか、と合点のいく返事をした。
「のぎく兄ィさま、ぼくは、帰れないのですか?」
「和泉、お風呂は今入らなくても良いよ」
「もうおかあちゃんに会えない?」
気を逸らそうと話を掛ければそう返されて言葉が詰まった。
小さな子に現実を教えるというのは、中々おつなモノである。胸が痛いし、それを聞かされる相手はもっと痛い。
「あの、えっとね」
「ぅっ、会えない?」
「ずっと会えない、ことも……ないんだけど」
「なんでっずっとなの?ずっと会えないの?」
「あ、いや違うの!違くて」
また泣きそうになる和泉の後ろで、秋水が私に向かって首を横に振った。
それを見て、思わず手で目を覆う。
「兄ィさま?」
「…ん……………ごめんね。お母さんには、今は会えない。それに皆もね、お母さんには会えてないの」
「なんで?」
「…お母さんを、助けるために、来たから……かな」
何と言ったら良いものか悩む。
和泉と同じ目線になるためにしゃがみこんだ。
「ぼくは、おかあちゃんを助けるために、ここに来た?」
「っ…そ……そうだよ」
丸くて大きな瞳が私の心をえぐる。
こんなことを言って一体何になるというのだろうか。和泉が大きくなった時、助ける、なんて言葉では片付けられないことだって理解してしまうのに。
「じ、じゃあ、ここでがんばれば、おかあちゃん助けられる?」
じわりと罪悪感が芽生えた。
……いや、じわりなんてモノじゃない。だって私は今嘘を吐いている。今は会えない、なんて言い方は、いつか会えるのだと言っているようなものだ。秋水がさっき首を振ったけれど、あれは和泉はもう母親に会うことが出来ないのだという合図である。何故彼が知っているのかは分からないが、そう伝わった。
嘘つきは泥棒の始まりと言うけれど、今この瞬間、私は和泉の信頼を将来的に奪うことになる。
「――――――私ね、皆の気持ちが心の底からは分からない。ごめんなさい。お父さんやお母さんのことも、自分が何なのかも覚えていなかったから。ただ拾われて此処で仕事してる。それに皆と違って閨の仕事もしていない。立派じゃ無いの」
「?」
「本当の辛さが私に分からない。頭の中では、辛いんだろうな、なんて思えるけど他人ごとに思ってしまう」
「兄ィさま?」
ポツリ、ポツリと情けない様を吐く。
そもそも自分よりうんとちっちゃい子にこんなこと話しても、理解はそんな簡単に出来ないと思うし、なんか言ってるな、位にしか思わないかもしれないけれど。
私みたいな奴がこんな小さな子に説教する資格は無い。持てるはずもない。だってこんな経験が無いから。人の気持ちが分からない奴に何をどうこう言う権利は微塵も無い。
けれど、私以外の皆は違う。ちゃんとした経験者だ。
多分兄ィさまや皆にもこんな事があったかもしれない。訳がわからず泣いた事や怖くて寂しくて泣いた事が。
それでも皆大人になって此処でやってきている。
「でも、だから私なんかよりきっと、ずっと、和泉のほうが強くなる」
そう、私よりも何倍も。
兄ィさまや秋水達のように。
「私なんかよりずっと、皆和泉の味方だよ。兄ィさま達の事信じて欲しいな」
「つよく?」
「ふふ、具体的には分からないけど」
まだ震えている頭を撫でようとしたけれど、直前で指先が戸惑った。
どうしたものかと何となく指をこすり合わせてゆっくりと拳を握れば、そのまま頭にグーで軽くパンチをする。
「あたっ」
「これからだ少年!」
大丈夫、痛くない痛くない。
柔らかなほっぺを摘まんでムニムニと動かす。
「それに和泉に嫌って言われたら、秋水兄ィさまが泣いちゃうぞ~」
「なく?」
ニンマリと後ろにいる秋水を見つめれば、心外だ、と声にはしないものの口をへの字に曲げて目を逸らした。言い返さない辺り、小さい子に一緒の入浴を拒否られている状況に内心落ち込んでいたのだと察してみる。
和泉は頬にある私の手を外して後ろに振り返ると、自分よりも遥かにデカい大人の彼を見上げた。
しゃがんでいた私も見上げようと上へ視線をやれば、誰かが私の後頭部を抑えつけて思いきり下にやった。
い、痛いんだけど。
「いった!」
「見上げるな見るな顔を上げるな息をするな」
「いやそれ死ぬし」
蘭菊の容赦無い言葉に反論する。
なるほど、このメリメリと脳みそに食い込みそうな勢いで頭を掴む無礼な手つきはアイツだったのか。
だいたいさっき秋水を見た時は何も言わなかったくせに何で今はダメなの。
「恥ずかしいことは何もないよ」
「お前に無くとも俺等にはあるんだよこの馬鹿が!」
すみません。
「しゅうすい兄ィさま、ごめ、ごめんなさい」
「いや…謝ることじゃない。謝んなくていい」
「いっいっしょに、あの」
そんなやり取りをしているうちに、どうやら前の方では話がちゃんと進んでいるようだ。
頭にある手が憎々しいが、声を頼りに見守る。
「おふろ、あの、兄ィさまたちと、さくほ兄ィさまも」
「和泉、この手拭いを持て」
「へ?は、はい」
「ほら行くぞ」
「わっ」
その会話の数秒後、ガタリと浴室の戸が閉まる音がした。
良かったなー、なんて周りから声が聞こえるけれども、これは、つまり、あの。
「お風呂…入ったの?」
「入った入った。だからほら、お前は早く此処から出ろ」
「頭を離してくれたらね!」
「しょうがねぇな。野菊、この手拭いを持て」
「?うん」
そう言われて見せられたのは長細い手拭いの端っこ。よくわからないが、持てと言われたのでそれを掴み引き寄せようとすれば、逆に相手に引っ張られて前につんのめった。
危ないな!
「わっ」
「行くぞ。頭を上げるなよ」
「そんな徹底しなくても…」
薄焦げ茶色の床板を見つめ続けるのは良いが、首輪にリードじゃないけど連れられている感が半端ない。見方を少し変えれば犯罪者扱いをされているようにも見える。おかしい。
「…俺は少なくとも、立派だと思ってるからな」
何やら口をモゴモゴとさせ言っている。下を見ているから見えないけれど、何か喋ってる。
聞こえなかったのでもう一度言ってくれと肩を叩いたら、鬱陶しい!とおでこに張り手を喰らった。
ので、叩き返した。
「ぁい゛ってぇ!お前どこ叩いてんだよ!!」
「尻だよ尻!分かんないの!?」
「~っこのスケベ女!」
「スケベでけっこう!!」
もう聞かない。
「でも覗きは立派な犯罪だよ」
「何、私なにか恨みを買ったのか君らに」
一緒に此処へ来たはずの凪風に見事裏切られる。
あれ、一体私は何をしに来たのだろう。
確か和泉がお風呂に入るように仕掛けようと…あれ。私の今のこのなりようは一体…どーいう…あれ。
「はいはい文句言わずに早く出まちょうねー野菊」
赤ちゃん言葉で私を先へと促す朱禾兄ィさまが隣に来て背中を叩いた。
に、にに兄ィさまの裏切り者!
夜は背後に気を付けな!!
憤怒する気を抑えてようやく廊下に出た。
風呂にも入っていないのに自分の頭から湯気が出ている気がする。その証拠に私の頭頂部に手をかざし、あー温かい、なんて暖を取り出す変質者が後ろに湧いているもの。
とりあえず、凪風の足を丁寧に勢い良く踏ませていただいた。
「お?野菊どうしたんだ?風呂か?」
「いえまだ早いでしょう。それに蘭菊、そんな格好で出てきては風邪を引きますよ」
足の甲を震えながら抱え出す彼を無視して、階段方向からやって来た羅紋兄ィさまと宇治野兄ィさまに顔を向ける。てっきり二人とも閨だと思っていたので、ちょっとビックリした。
当の本人たちは、褌一丁でいる赤小僧を寒そうに見ている。
確かに寒そう。
「野菊が覗きを」
「してないです」
口を挟み蘭菊を見れば、薄暗い中でもハッキリと目が合った。
「ばっ、だから此方見るんじゃねーよ馬鹿!」
「男尊女卑!差別だ!蘭ちゃんの馬鹿!」
「馬鹿はオメーだよ!」
わーわーと近所迷惑な程言い合う私たち。
感覚はまるで男兄弟を持った気分である。
「あらあら、それはいけませんねぇ」
「だからしてませんてば」
宇治野兄ィさまに染々と言われて即返す。
兎に角これ以上此処にいても何も良いことは無いので、ツンデレに背を向けて二階へ戻る事にしようと思う。
「和泉も無事に入った事だし、私は大人しく部屋に戻ります」
「ふん、帰れ」
「ふん。蘭菊の馬鹿」
「まっまま真名で呼ぶな!」
蘭菊の名を蘭ちゃんではなく「蘭菊」と言うと何故か奴は焦り出す。理由が分からないのであまり呼ぶことは無いが、たまに腹いせでふざけて呼ぶ事があったけれど、やはりきまって吃り出したなコイツ。
ふ、これで勘弁してやるわい。
「じゃあお休みなさい」
「おう。早めに出るから待ってなー」
手を振る羅紋兄ィさまに頷き、私は二階へと戻った。
◆◇◆◇◆◇◆
野菊が去ったあと、宇治野はふと思い出したように言葉を紡いだ。
「そういえば、少し気になる話がありました」
脈絡の無い唐突な切り出しに、不思議に思った羅紋が目を瞬かせる。
「なんだ?」
まだ脱衣場の中へ戻らない蘭菊と後を付いて来ていた凪風、朱禾は、その声と同時に話を切り出した男を見た。
開け放しの戸から聞こえる皆の声がうるさいので、宇治野は近くにいる朱禾に戸を閉めるよう声を掛ける。言われた彼が指示どおりに片手で戸を閉めきれば、周りを見渡し誰もいないことを確認した宇治野が腕を組み、その場にいる四人に話をし出した。
「ペラペラとあの変態男が良く話していたのですが、ある城の姫様が行方不明だそうで」
組んでいた腕をほどいて顎に手を置く。
「拐われたとかか?」
「分かりません。それもつい最近ではなく、もう六年も前の事だそうです」
羅紋の質問に彼は首を振った。
話を静かに聞いている三人が、一度視線を上にあげる。皆この話の意図が分かりかねているようであった。
「ええと、それだけで気になったんスか?ただの誘拐でしょ。いや良くある話ですよ、このご時世じゃ」
こめかみに指を当てて苦笑いをする朱禾に、宇治野は苦笑いで反応を返す。
「いえ、そうではなく…。姫の特長は、桜色の髪に碧色の瞳なんですよ」
「まぁ、そこらへんに一人や二人いるわな」
二番目の年長者が人差し指を立ててそう返した。
それにも苦笑いで返せば、宇治野は真剣な表情で一人一人の反応を確認するようにゆっくりと周りを見た。
「一人いるでしょう?」
「?」
凪風以外が首を捻り出す。
一方で、銀色の彼は下を向いて額を抱えていた。
「六年前に妓楼へ、おやじ様が拾って連れてきたおなごが」




