始まる 受難の日々 18
ネタバラシをすると、ようはこうだ。
札差である長浜が、ここ二年ほど金を不正に手に入れていた事は確かだったのだが、江戸奉行所の者たちは中々その尻尾を掴めていなかった。
掴めていないのに確かだと言うのは可笑しい話だろうが、その人物の動きや金回り、人間関係が怪しく、通常の利益にそぐわない生活や、更に不自然な長浜周りにいる同業者の没落を目の当たりにすれば、証拠が無くとも何かあるなと思うのは一目瞭然だった。
しかし証拠と根拠を形のあるモノにしなくては証明が出来ないので、いくら可笑しいと思おうとそれが無ければ何も始まらないのである。
江戸の奉行である左近之上親忠はそこで、奴がめっぽう遊男好きだという事で吉原に目をつけた。
遊男に金を費やし、長浜が急いで金を作らなければいけない程の状況にして、金の流れを探る。短期間に金を用意するとなれば、どこかで必ず粗が出ることは間違いなく、三日の間、長浜の動きを監視していれば自ずと尻尾を捕まえさせてくれるに違いないと判断したのだ。
だが、奴に金を尽きさせる程の高級妓楼とは何処にあるのか。知っているには知っているが、捕まえるとなるとその妓楼側の協力も得たい。けれどその考えはかなり難しいと分かっている。
そもそも事実上吉原は治外法権、外の干渉を受けない一つの国である。なので奉行所が簡単に立ち入れる場所では無かった。
『お父様』
そんな悩める奉行には娘がいた。
その娘は女らしく、それはもうしょっちゅう吉原へと足を運んでいる。
『そんなに悩まれているのなら、天月に協力してもらえばいいのでは?』
ある日の夕前の会話。
奉行の娘が通うのは天月の遊男の所。あの高級中の高級妓楼だ。しかもその天月の花魁ともなれば金額は馬鹿デカい。稼いだ金がそれに消えて行くのを、働いている己が一番知っている。
しかし最近やたらと娘が長浜についての話と、ある解決策を奉行である父に持ち掛けて来ていた。
『どうした雪野。いきなり』
『あの妓楼で騒ぎを起こせば最後、吉原の役人は黙ってはいません。それが分かっていたからこそ長浜はまだ天月に手を出していないのでは?だめ押しをしてでも甘い誘惑を仕掛けてみてはどうでしょうか。吉原の者達から多少なりとも恨みをかっている男ですから、頼めばきっと協力をしてくれるでしょう』
と、それが娘の言う策だった。
娘には仕事の話を一切していない筈なのに、まるでこちらの話を聞いていたかのように話をかけてくる。何処かで情報が漏れたのか。
しかしそれが叶うならば、こんなにおいしい話は無い。
そうして。
「おやじ様はそれに了承して、協力をしたということですか?」
そんな娘の言葉に半ば縋る思いで天月に話を持ち掛ければ、結果、思うより直ぐに色好い返事を貰えたという事である。
「まぁこれで二度と入って来ねぇなら良い話だしな。捕まえてくれりゃ万々歳だ。これだけ騒ぎも起こしてくれたら、金に釣られて中へと入れていた連中も役人も青ざめるだろうよ。しかし、おめぇに何も言わなかったのは悪かったよ」
おやじ様はそう言うと、座ったままでいる私を笑った顔で見てくる。
長浜の好みは女のような男。
女のような男花魁、と言われれば天月にいるのは宇治野兄ィさまか私の二人。どちらかといえば私の方が長浜の趣向には合っていたようなのだが、この二人の中ならば宇治野花魁が適任だろうと言うことで(なんで!)、宇治野兄ィさまをだしに話を進め、それは極上な遊男が天月にはいる、一度は会ってみたら良い、名の通り天の月に届くような夢心地だそうだ、とあれやこれや御奉行様の手先が長浜に吹聴したのは約一か月も前の事。
そして誘惑に負け天月に通い出したのが二日前の事となる。
この男、我慢が効かぬ性格ゆえに、思い通りにならない遊男は身請けをするという実に厄介なことを考える馬鹿者だったらしく、宇治野兄ィさまも思う通りにいかなかったら身請けするつもりだったようだ。
それも見越しての今回の計画は無事成功と言えよう。その厄介な考えをしてくれたお陰で、大量の金の出どころが分かったのだから。
宇治野兄ィさまの身請けを考えるならば、それ相応の巨大な額を用意しなければいけない。きっといつもより大金過ぎて焦りに焦り、何処かの経路でボロを出してしまったのだろう。
「野菊、大丈夫か?」
座りこみ未だその場から動かずにいると、羅紋兄ィさまが近寄って来て声を掛けてくれた。
動かせてしまい申し訳ないが、後ろの松代様の羽織を掴む手が未だぷるぷるしているので簡単には動けない。
それに様子を見に後ろへ振り向きたいのに、私がちょっとでも動こうものなら背中を押さえられ、振り向くのを拒否される。
松代様大丈夫なの!?
「俺は大丈夫。それよりも松代が心配で」
「私は平気ですわ。でももう暫くくっついていても良いかしら」
それに天月でこのような事態を起こせば、なんでも、『終わり』らしい。
案外上手く事が運んだことには雪野様のお父上も当然、という態度だった。
「ああいう奴は少し此方が背中を押してやれば、誘惑に負けて直ぐに溺れる。今までそうならなかったのは、奴の傍使いが上手く逸らしていたからだろう。いやしかし、潜入は楽しかったなぁ」
この時代、というかこの世界の警察である町奉行所のトップ左近之上親忠。
逞しい見た目のわりに、頭の中は実に楽観的である。
「清水さま、今夜はもう寝ましょう?夜は短いわ?」
「父の前でそう堂々とするな娘よ…」
「お父様さようなら」
そう言って兄ィさまへ抱き着く雪野様に、御奉行様は目元に手を当てて首を横に振った。
ドンマイ、父ちゃん。
「はぁ…。では天月の方々。これからこの男をみっちりと締め上げる為、私共は失礼する事にする。また後日お礼に来よう」
御奉行様は同心と岡引、三郎の亡八衆を従えて部屋をあとにする。
勇ましい口調のわりにトボトボと帰って行くその後ろ姿には、どこか哀愁が漂っていた。
父の心子知らず。
「じゃあ私達も行こうか」
清水兄ィさまはそんな親子の会話を笑顔で聞いたあと、雪野様にそう声を掛けた。
「きゃ」
「ほら掴まって」
かと思えば、腕に絡まっていた雪野様の手を自分の首に巻きつかせると、彼女の膝下裏に腕を挿し込みそのまま横に持ち上げてお姫さま抱っこをし始めた。
兄ィさまの若草色の羽織が大きくなびく。
「き、清水様」
羽根を持つように軽々と優しく彼女を抱き上げる姿は、まるで異国の王子様のよう。
首に腕を巻きつけて抱き締めている雪野様は照れているのか嬉しいのか、ボウっと惚気た顔で自分と同じ高さになった彼の瞳を見つめていた。
もうなんか、すっごいウットリしてる。というか見ている此方が恥ずかしい。
兄ィさまはそんな雪野様に微笑むと腕を上下させ、赤ちゃんをあやすように彼女の体を揺すった。
微笑むその視線がいたわりを込めた柔らかい目つきで、あら素敵。
「落としはしないから…安心しなさい」
なんて思っていれば、彼女へと放たれた妙に艶やかで囁くような低い声が私の耳をくすぐった。
そんなに大きな声では無いはずなのに、なんだかこう、お腹にくるような声である。いや、お腹の下?
不思議に思ってお腹をさするが、よくわからない。
「では失礼」
そしてそのまま部屋に戻るため後ろへ振り向き足を進めた兄ィさまは、私の部屋から去っていった。
宇治野兄ィさまはそんな清水兄ィさまを見て口笛をピュウと吹く。
「キザですね」
腕を組んでニッコリと笑い見守る宇治野兄ィさまに対し、羅紋兄ィさまは思い出したように目をハッとさせる。
今までに無いくらいの白目が見えた。もはや三白眼か。
「やべぇ!樺乃様をほっぽったままだわ!」
「何かと思えば騒がしいですね。それよりもあの変態を撃退出来た事に感謝しなければ」
「言い様があれだな。お前本当に嫌だったんだな」
「あれが野菊を買おうとしていたなんて思うと、ゾッとします」
うむ?
あれ、今なんか変な話が。
私を買う?
「?」
頭上にハテナを浮かべていると、羅紋兄ィ様が私の肩をポンポンと軽く叩きながら口を開いた。
「あの変態、元々次はお前を狙っていたと噂があったんだ。そんでまぁ色々とコネ使って最終的に御奉行様と利害が一致してこうなったわけ」
「羅紋の説明がザックリ過ぎて良く分からないけれど、とにかく助けてくれた事に感謝します」
頭を下げて二人に向かい合いお礼をする。
客の前では間違っても『兄ィさま』とは呼べない為、呼び捨てで呼ばせていただいた。普段から宇治野兄ィさまのような言葉遣いならまだしも、客の前で上下関係を匂わせるような事をしてはダメなので致し方ない。
けれど何故私にその情報が来なかったのだろう。知っていたら私も今回の件に協力出来たのかもしれないのに。やっぱり少し信用が無いのかな……主に頭脳方面で。馬鹿だと思われていそうで悔しい。
「でもお礼なら清水に言ってやりなさい。清水が雪野様に持ち掛けた話だそうですから」
「清水が?」
兄ィさまが?
「雪野様の父上が町奉行だと当然知っていましたからね。それに吉原でも随分問題のある男でしたし。…さて、野菊もまだお客がいることですから、俺達は引き上げることにしましょう」
宇治野兄ィさまは隣にいた羅紋兄ィさまの背中を押しながらそう言って、部屋から出て行こうとする。
「そうだったそうだった。じゃあまた後でなー野菊」
廊下まで押し出された羅紋兄ィさまがこちらへ振り返り手を振る。押し出した当人はその隣で苦笑していて、なんだか兄弟みたいだと思ってしまった。もちろん宇治野兄ィさまが兄で羅紋兄ィさまが弟という構図である。
私も手を振り返して挨拶をすれば、二人は階段がある方へと消えていった。
部屋からまた人間が去り、空間がスッキリする。
おやじ様は御奉行達と共に行ってしまったし。
つい先程まであんな事が起きていたとは思えない位に静まりかえっている。
「二人とも大丈夫?怖かったろう」
後ろにいる和泉ちゃんと佐久穂に声を掛けた。
思えば事の最中、二人の声をまともに聞いていない。それに自分の後ろに行かせてしまったから、様子も何も見れていなかった。
なんて配慮に欠けていたんだ…!
「だ、だいじょうぶです!」
「花魁、よろしければ新しい湯を持ってきます。少し冷めてしまったようなので」
和泉ちゃんは手を握り締めて力一杯答えた。
佐久穂は用意していた茶に使う湯が心配になったらしく、急須を持ってそう聞いてくる。よく分からんが…肝が据わっているというか、逞しいというか。
「二人共ありがとう。君らが一緒の座敷で良かったよ」
二人なりの返事に頭をよしよしと撫でる。
そして、と松代様に向き直れば何処か彼女は挙動不審だった。
「松代?」
「え?い、いえいえ滅相も無いですわ」
そう言う割には瞳がきらきらと私を向いていて、先程清水兄ィさまと雪野様がいた場所を小刻みにチラチラと見ている。そもそも私は名前を呼んだだけで、べつに何がどうした等とは言ってない。
それにそんな様子を見せられて、気づかないわけにはいくまいに。
私は立ち上がった。
「ほらおいで」
数歩前に出てクルリと振り返り、両手を広げて松代様に此方へ来るよう催促する。
「いえそんな」
「松代」
「わた、私重い」
「松代」
「いや私…」
と言いながらも、目をつむりふらりと吸い寄せられるように私の胸の中に収まってきた松代様。なんか面白い。
松代様の身長は五尺(約150~151センチ)。
対して私の身長は五尺五寸(約165~166センチ)。
彼女とは五寸(約15センチ)の身長差がある。
筋トレをしていないわけでは無いので、自分を信じてお姫さま抱っこを試みてみる。身長差はそれなりにあると思うし、無謀な挑戦ではない。今世紀最大の腕力を繰り出して軽々と持ち上げてやる!という心意気で行けば、結構できる気もしてくる。
「ひゃあ」
よいしょ、と横抱きにして持ち上げる。
首に巻かれた松代さまの腕は、一瞬強張ったものの、安定してくると私の鎖骨あたりに手を置き力を緩めた。
結構これって腕ももちろんそうだけど、お腹に力が入るんだね。
しかし松代様も意外に肝が据わっていらっしゃる。
あんな目に遭遇したのにも関わらず、そんなことはどうでもよくなった、とばかりに目をキラキラさせていたから。
内心ビックリだ。
でもそんなところも好きです、松代様。
「んー…いい匂い」
「や、野菊様ぁ…」
「本当、ウサギのようで愛らしいね」
腕がプルプル振るえないよう、私、頑張りますね。
お読みくださりありがとうございます。
このたびアリアンローズより「隅です」が書籍化されることになりました。
11月11日に発売となります。
こんなしがない文章ですが、読んでくださっている方々のおかげで頑張れています。




