始まりは 日々5
今回は色々な和歌にお世話になりました。
本日は和歌の練習。
先生は宇治野兄ィさまです。
「和歌はね、客の心を掴む遊男の言葉の武器なんですよ」
優しく赦すように語りかけるこのお方。
宇治野兄ィさまは歳が20の、天月妓楼の花魁である。
紫色の首に掛かる位までの髪に黒い瞳、肌はこれまた白く綺麗な人だ。
まだ座敷に上がる前なので、今は落ち着いた藍色の着流しを着て過ごしている。
少々つり目でちょっとキツそうだが、そんな事は実際無く。
…いや、時折ズバっと思っていることを素直に言うときがあるから、思う人によればキツいのかもしれない。
でも洗練された所作と客への丁寧な心遣い、そして宇治野兄ィさまが詠む歌は、客の心を離さない。良い男に極上の恋の歌を詠まれたらそれだけで骨抜きになるだろう。
「多く詠まれているのは恋歌でしょうか。この前詠んだ歌は覚えてますか?」
「 おもいつつ、ぬればやひとの…みえつらん、ゆめとしりせばさめざらましを 」
「訳は?」
「あ、あの人のことをおもいながらねたので、ゆめにあの人がでてきたのでしょうか。
もしゆめだとわかっていたら、めをさまさなかったのにな……」
「うん、正解です。ほら、飴をあげますよ」
答えられたら毎回飴をくれる宇治野兄ィさま。
大阪のオバチャンみたいな人だ。
飴ちゃんだ飴ちゃん。
しかし大坂のオバチャンとか変な事は覚えてるのに。
自分が分からないって一体何なんだ。謎過ぎる。
「じゃあ次は蘭菊、覚えている恋歌を詠んでみてください」
「うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初めてき」
「訳は?」
「うたた寝した時の夢に、恋しい人を見てしまってからは、あなたが私を想ってくれていると夢を頼りにし始めるようになってしまった、です」
「正解。野菊の夢を使った歌に合わせたんですね?はい、飴をあげますよ」
私の隣に座り、一緒に和歌を練習しているのは蘭菊。
蘭菊は七歳で私の二つ上の禿の子。
容姿は赤色の短髪に赤黒い瞳。健康的な肌色をしているが、浴衣の袖から見える右腕には火傷の跡が少しある。
火傷の跡の詳細について聞いたことは無いが、別に死ぬほど知りたいと思うワケでも無い為聞きはしない。
知りたいワケでは無いが傷の形が兎みたいで可愛いので、ちょっと見てしまう時もある。
天月妓楼に入って来たのは私よりも半年前だそうで、秋水と同じ理由では無いが、こうして一緒に芸を習う事が多々ある。
ここでちなみに私達禿の服装だが、仕事をする際は皆白い上衣に黒の野袴を履いて動いている。
野袴とは、形状で言うと袴の裾を絞ったスタイルである。
ズボンに近くて動きやすいのが特徴だ。
今は時間では無いため、禿用の紺の浴衣を着用している。
はからずも禿の皆とはペアルックだ。
「お前はあと何覚えてる?」
「っえ?えーと、ちぎりきな…かたみにそでをしぼりつつ、すえのまつやまなみこさじとは…」
「お前…よりによってなんつー歌を…」
「おやおや」
確か訳は、
私たちは固く約束しましたね。互いに涙に濡れた袖を、何度も絞りながら、あの末の松山を、波が越すことのないように、どんな事があっても心変わりなどしないと。なのに、あなたは何故・・。
ぶっちゃけて言えば
『おいぃ!ずっと好きだって言ってたじゃねーか何裏切ってんだよ!?ああん?』
と言う、恋人に裏切られた歌である。
「お前馬鹿だよな」
「らんちゃんうるさい」
蘭菊はこうやってちょいちょい貶してくる。
一日一貶しだ。
…あらやだ、なんか一日一善みたい。
でも何だかんだで構ってくるのでツンデレだと私は思っている。
「ほらほら二人とも。今度はこの和歌集を見て、お互いに相手へ贈りたい歌を詠んでみましょう。」
そう言って宇治野兄ィさまが百人一首等の和歌集を数冊手渡してくる。
ちなみにこの世界の文字は予想通り、ミミズが這っているような形だった。
達筆過ぎて読めやしない。
しかし言葉は分かるし喋れるので、教われば以外と直ぐに読めるようになっていった。
もちろん書くのも同様に。
でもいまいち和歌については構成や言葉的な意味で理解が乏しい為、一々教えてもらわないと何を言っているのかさっぱりである。
「歌を自分で作るのも大事ですが、先ずは状況に合った歌を贈る事から練習しなくてはいけませんからね」
「なんでも良いんですか?」
「ええ、合っているなら何でもです」
ペラペラとページを捲って取り合えず見てみる。
和歌の隣には私の為に宇治野兄ィさまが訳を書いてくれているので、とても分かりやすい。
しかし沢山あるので直ぐに見つかると思ったのだが、中々見つからない。
そもそも蘭菊に合う歌って何だろう。
このツンデレ人間にピッタリな歌は、この美しい言葉が並べられている和歌集に果たしてあるのか。
「じゃあ俺からいきます」
「はい、じゃあ蘭菊からですね」
早!!
私まだ見つかって無いんだけど!
「なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖にふれけむ」
「やくは?」
「しいて言えば、お前に触りたくなかった。って意味だ」
「こら蘭菊!…野菊、気にしなくてもいいですからね」
だって合ってれば良いって言ったじゃないですかー、と口をへの字に曲げてそっぽを向く蘭菊。
詳しく訳すと『別に好きでもねーのに関わっちゃったよ。こんなんだってわかってたら、触れなかったのにさ』らしい。
しかし私はそんな事では腹を立てない。
だって私は大人。大人だから!
そう、だから睨む事しかしない。
「………」
「…っなんだよ」
フッ。
ちょっとは私の睨みで怖じ気づいたかツンデレめ。
しかしまぁ、こう言う仲間というか友達というか。
たとえ毎日馬鹿馬鹿言われて言い合いばかりだったとしても、私はそれをとても楽しいと感じている。
生きて怒って笑って泣いて驚いて。
私の世界に色を塗ってくれた此処の人達。
蘭菊もその一人なワケで。
そんな風に考えていると、少しピッタリな和歌が目に入った。
「あけぬれば、くるるものとは、しりながら…なほうらめしき、あさぼらけかな」
「おや、良い歌ですね。蘭菊が羨ましいですよ」
私が歌を詠むと宇治野兄ィさまが優しく笑い、頭を擦り擦りと撫でてくる。
嬉しい。嬉しいのだが、此処の兄ィさま達に撫でられ過ぎて頭がハゲないか正直心配だ。
蘭菊は意味が分からない様で眉間にシワを寄せていた。
「なんだ?」
「また、あしたあえるってわかってるけど、よるはなれるときはやっぱりちょっとさびしいなって…、ことで」
この歌は夜明けの朝を歌っているが、私の場合は夜寝る時の自分の心情にちょっとリンクしているので、この際夜明けの部分は別として詠んでみた。
「それ俺に詠んだのか」
「うん」
「お前やっぱり馬鹿だな」
そう言ってまた私を貶しても、ちょっぴり口角が上がっている蘭菊を見る限り、やはりツンデレだ。と思う。
「宇治野ーいるか?」
「いますよ、入ってどうぞ」
突然の声に宇治野兄ィさまが答える。
入って来たのは羅紋兄ィさまと、続いて清水兄ィさまだった。
二人とも宇治野兄ィさまと同様に座敷用ではない着流しに身を包んでいて、羅紋兄ィさまは朱、清水兄ィさまは若草色。
兄ィさま達はカラフルで見ていて飽きません。
そんな羅紋兄ィさまの手には何やら箱が握られている。
それになんか良い匂いがプンプン漂って…
ああ!あの箱の紋章は!!
「おやじさまが焼きまんじゅうくれたから、一緒に食おうや」
「てことでね。ひと休憩にどうかな」
おやじさまが一月に一回、皆に買ってきてくれる老舗の美味しい焼きまんじゅう!!
あのモチモチの白い餅のような少し甘味のある饅頭に、甘辛い味噌を塗りたくってちょっと焦げを効かせて焼いた私の大好きなお饅頭。
「そうですね。今丁度野菊が蘭菊に可愛らしい和歌を詠んでくれましたから、区切りを入れて少し休憩にしましょう」
皆で輪になって座り、饅頭の箱を真ん中に置く。
うん、良い香り。
皆で一斉に手を伸ばし竹串を掴む。
右隣の蘭菊と掴んだ竹串が被ったがブン捕った。
睨まれているが気にしない。
ふふふ。いただきまーす。
「ところで野菊は蘭菊に何を詠んだんだ?」
饅頭を頬張っていると、目の前に座っている羅紋兄ィさまに歌について質問された。
「うたですか?あけぬれば、くるるものとは、しりながら…なほうらめしき、あさぼらけかな…とよみました」
「え、恋歌か!?…蘭菊には勿体ねぇな。蘭菊は野菊に何詠んだ?」
聞かれた事にちょっと渋い顔をする蘭菊。
ああ…あの、アンチ野菊の歌か。
「な…なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖にふれけむ……です」
「…お前なぁ、馬鹿か」
羅紋兄ィさまが呆れていると、左隣から肩をトントンと軽く叩かれる。
清水兄ィさまだ。
あれ、もうお饅頭食べ終わってる。
結構早食いなんだな清水兄ィさま。
「口直しに私が百人一首から歌を贈ってあげよう」
「くちなおし?」
「蘭菊の歌はけしからんからね。野菊にはもっと良い歌を」
私は奴がツンデレだと思っているため、あんなツンツンの歌は正直屁でもないが。
いや、睨んじゃったけどもさ。
「では…
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
「?」
「とても有名な歌なんだよ?」
まだ竹串を持って食べている私の両手を、竹串を真ん中にしてぎゅっと両手で握られ、目線を合わせられる。
あ。ちょ、今清水兄ィさまの手に味噌が!!
「兄ィさま、みそが…」
「野菊ー?」
「はい!あの、み」
「意味は聞かないのかな?」
今の歌の事だろうか。
しかし兄ィさまの笑顔が威圧的過ぎてビビる。
「いみはなんですか?」
「簡単に言うとね、野菊とずっと一緒にいたいなって意味だよ」
…取り敢えず遊男は天然タラシが多い。
「じ、じゃあおみそを… 」
「野菊、ずっとだよ」
まぁ、タラさなければ商売にならないのだけれど。
「おい馬鹿野菊!」
「わっ、」
清水兄ィさまが両手を握り締め笑顔で見つめてくる中、蘭菊に名前を呼ばれる。
何故か隣で座っていたのに立って私を見下ろして、腰に手をあてて…なんか偉そうだな。
「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを!…俺、ちょっと厠行って来ます!!」
「はい、行ってらっしゃい。その前にほれ、飴をあげますよ」
いきなり和歌を詠んだと思えば。
宇治野兄ィさまから飴を受け取ると、ダダダっと効果音が付く勢いで戸を開けて出て行った。
あれ、蘭菊の串に饅頭が1個残ってる。
…ぐふふ。
「モグモグ…いまのはなんでしょう」
「野菊は練習中ですからね。百人一首の冊子を見れば分かりますよ?」
「らんちゃんはなんていってたのですか。モグモグ…」
「野菊は知らなくても大丈夫だよ。まぁ、いずれわかるようになると思うけど。百人一首の勉強は今日で終わりで良いんじゃないかな」
「はぁ…清水、そう言う訳にはいきませんよ」
「俺も終わりで良いと思うぜ」
「………」
モグモグ。
『君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな』
君に逢う為ならいつ死んでも良いと思っていたんだ、君に逢うまでは。でも君に出逢ってしまった今、君とずっとずっと長く一緒に生きていられたら良いのになと思うようになったんだよ。
<藤原義孝>
百人一首より抜粋
『かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを』
キミの事が好きで好きで仕方ない。そう伝えたいのに、伝える勇気さえ今の私にはないんだ。
こんなに私が熱い想いを抱いているなんて、キミは全く知らないんだろうなぁ。
<藤原実方朝臣>
百人一首より抜粋
「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」
<清原元輔>百人一首より抜粋
「なつかしき 色ともなしに 何にこの すゑつむ花を 袖にふれけむ」
<光源氏>源氏物語より抜粋
「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな」
<藤原道信>百人一首より抜粋
「うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初めてき」
<小野小町>古今和歌集より抜粋
「思ひつつ 寝ぬればや人の 見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを」
<小野小町>古今和歌集より抜粋
歌人に感謝です。