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始まる 受難の日々 16


「まぁ可愛らしい童だこと。お名前は?」

「いず、みです」

「いずみちゃんね?名前まで可愛らしいわ~」


 あっという間に仕事の時間。


 正座をして私の三歩後ろに佇む和泉に、松代様が両手を胸の前で組ませて感嘆している。

 いやいや、そんな無邪気にはしゃぐ君も可愛いよセニョリータ。


 日頃滅多に私の座敷に禿は来ない為、松代様は和泉に興味津々である。他の妓楼へも通っていたと言っていたが、そこでもあまり見掛けなかったのだろう。

 一日目、初っ端から座敷へ出させられている和泉だが、本来はこれが普通である。引込ならば奥で大事に客へも見せず育てるのだが、普通の禿であればこうして座敷にポンと見せ物宜しく出されてしまう。

 でもだからと言ってお茶を入れさせるワケでも酒を注がせるワケでも無いし、襖を開けさせたり火鉢に墨を入れたり何なりと仕事をさせるワケでは無い。入って約一週間が経つまでは常に私の後ろへ居させ、座敷を見せる。ただただ見せるのだ。お客が遊男と二人でいたいと言えば部屋へ下がらせれば良いので、まぁ教育実習のようなものである。

 私が昔やっていた閨の布団敷きだが、残念なことに私自身使う事が無い。なので他の花魁や兄ィさまの手伝いにまわってもらうことにしている。


「いずみちゃんの字はどう書くの?」


 母性本能をただ今絶賛くすぐられ中の彼女はしきりに和泉を構い倒し、頭をポフポフと撫でて可愛がっている。

 目をパチパチとさせて照れている和泉に、良いね、と言えば更に顔が赤くなってこれまた面白かった。松代様がこのちびちゃんを腐るほど構いたい気持ち、今世界で私が一番分かると思う。


「和紙の和に、泉で、あわせて和泉だよ」

「うふ、雅な字なのねぇ」


 手のひらに指先で文字の形をなぞり書きながら、松代様は楽しそうに和泉を見た。


 この時間、本当に癒されるなぁ。

 でもこんな事をおやじ様が聞いたら『お前が客に癒されてどうするんだ馬鹿野郎!』とか言われそうだけど。まぁその通りなんだけど。


 今日も今日でなんだかんだ色々あったし、頭がちょっと痛いのもあってか余計この状況に癒しを感じてしまっているみたいだ。考え事のしすぎだろうか。愛理ちゃんの寝言が気になるのもあり、それも中々頭から離れない。あのまま凪風の邪魔が入らなかったら、何かが変わっていたのだろうか。

 清水兄ィさまの言葉も勿論気にはなっている。凪風の嫌い発言に動揺も何もなく普通に応答していたし、二人が以前その事について話していたという事も謎だ。


『そう。でも私は前に言った通り彼女が嫌いではないから』


 彼女って…。話の流れからするに愛理ちゃんの事で良いのだろうか。


 なんか私、ゲームの記憶を思い出さなかったほうが良かったのかな。記憶に振り回されている自分は心底滑稽だと思うし、楽しくともなんともない。悲惨、と言う一言につきる。


「佐久穂ちゃんも、こう見ると随分大人なのね」

「佐久穂は良い新造だよ。もう子供扱いできるのも時間の問題かな」


 佐久穂とは、今日の座敷にあがってくれている新造の子の事だ。直垂姿はしゃんとしており、美形というよりは、どこか少し可愛さの残る顔をしている。

 亜麻色の髪の毛は艶やかで、頭の形に沿うようにサラサラしている綺麗な短髪はついつい触ってみたくなる程に柔らかそう。良いな。私の髪のキューティクルは最近はがれ気味なので是非見習いたい。何もしなくてもキラキラしていたあの頃が懐かしい、なんて今年十六になったばかりの人間が言うことじゃないけれど、天使の輪が頭頂部で光っているのを見ているとかなり羨ましくなり唇を噛んでしまうのは仕方がないよね。

 ね。


 羅紋兄ィさまの下についている彼だが、今夜は私の座敷へ出張してくれている。前回来てくれたのは五日前でつい最近来てくれていたばかり。

 けっこうお世話になっています。


「そんな事はないです。お恥ずかしい」


 私と松代様の会話に、お酒後の茶に使う茶葉を用意してくれている佐久穂がそう言ってニコリと笑った。礼儀正しいのに何処か愛嬌のある素敵な新造ちゃんである。



≪『お高く止まりやがって!こっちは金払ってんだ!口吸い位良いだろう!』≫

≪『お客さん落ち着いてくださいっ、困ります!』≫


「?」


 そう和んでいると、突然男の野太い怒号が上の階にある私の部屋にまで響いてきた。

 なんと傍迷惑な。


「あら?何だか下が騒がしくありませんこと?」


 松代様は口に手を添え、訝しげながら首を傾けた。

 佐久穂はその声にビクリと体を跳ねさせたが、何も無いというようにして、直ぐにお茶の支度に戻る。


「さぁ、どうしたのだろうね。それよりもまだお酒はどう?」

「今日も美味しいわ!新造の舞や、芸者の箏もより一層楽しみたい気分ですわね」

「良かった」


 話題を逸らし酒をすすめる。


 妓楼に男性の客がたま~にチラとやって来るのは、珍しいが珍しくも無い事。

 基本、しかるべきお金を払えば誰でも遊男を買えるのでこう言う事は有り得なくないのである。ただし男の場合はちゃんと身分を証明できる物を持っていなければダメだ。大門で半ば強引に職質に遇うし、良いことは一つもない。

 あまり女性には話題にしてほしく無いのだが、松代様はどうしても気になるのか、耳を静かに澄ませる仕草をする。よしなさいと彼女のちっちゃな耳に手を当てて蓋をしてみるが、あらあら良いじゃないですかと興奮しながら言われた。


 ちょ、この子は全くもう。

 それに何で興奮気味なのよ。


「男性もこのような場所にくるのねぇ。遊びは女がやるものだと思っていたものだから、そのような殿方がいると知って吃驚してしまったのを覚えているわ」

「それはそれは」

「男性が男性を買うだなんて、私達からしてみれば目から鱗ですもの」

「でしょうね」

「でもちょっと萌えますわ」

「え」

「うふふ」


 松代様の奇妙な萌え発言は聞かなかった事にして、お酒をお猪口に注ぐ。

 なるほど、興奮気味の理由はこれだったのか。


≪ギシッギシッガタガタ≫


 注いでいれば、先程まで聞こえていた怒号はどうしたのか、今度は何やら走り回る音が部屋の床を伝い聞こえてきた。不規則なリズムで駆け回る音は次第に近づいてくる。

 それに伴い、再び喧嘩騒ぎの声が私と松代様の耳へ届いた。


≪『お客さん!これ以上暴れ回れば仕置きを受けますよ!』≫

≪『うるさい!どこだ!どこに隠しやがった!宇治野花魁を出せ!!』≫


 何があったのかは定かでは無いが、客らしき男の言葉を聞く限り宇治野兄ィさまを探しているようだった。

 なるほど、兄ィさまの客だったのね。


 探している、という事はきっと兄ィさまに付いていた新造が上手く彼を逃がしたのだろう。


 遊男はどんな事をされても客に手をあげてはいけない。刃物を持ち出された場合は保身のため別だが。

 花魁ならば、馴染みの者ならいざ知らず、そうでない一般客の座敷の場合、部屋には必ず新造と男芸者が数人いる。客と花魁をけして二人にはさせない。

 花魁に馴染みにしてもらうのは、三日間通い、その末で花魁がこの客を馴染みにして良いと判断したらである。その過程において、客は花魁と話す事はおろか、触れる事さえも許されはしない。時折それに逆上をしてしまう客がいるのだが、そこは新造の出番。男芸者にその場を一時任せ、速やかに花魁を座敷から出し楼主部屋まで下がらせる。

 そのあとは男衆に客を抑えてもらい、おやじ様から客に『出禁』の称号(レッテル)を貼られるのを待つだけだ。


「宇治野花魁様は大丈夫なのかしら?男とはいえ、恋に盲目過ぎるのも程々にしませんと…憐れなものですわね」

「そうだね。恋におちると理性や常識を失ってしまうとは言うけれど…」


 しかし妓楼内を走り回るとは何事か。ちょいと荒れすぎだぞ。

 なんだか、恋は盲目、なんて可愛い言葉では言い切れない執着心がありそうだ。

 こんな事は普通無い筈。客が部屋から出て暴れ回るようなものなら、とっくに捕まえられていても可笑しくは無いというのに。


 男衆は何をしているんだ!宇治野兄ィさまの一大事だぞ!と心の中で叫んでは見るが当然皆に聞こえるわけも無いしテレパス能力を持っている超能力者でも無いので無駄である。もどかしくてついつい着物の裾を掴んでしまった。

 けれど松代様には何か伝わったようで「大丈夫ですわ、さぁさぁ厠へ」と言われる。違うっ違うよ!確かに裾掴んだから何か我慢しているみたいに見えたのかもしれないけど違うよ!


「ここにもいないのか!」


 声と共に襖が音を立てて凄まじく開かれる。

 何事かと思い、私と松代様は瞬時に振り返り見た。


「なっ」

「やだ野菊様!」


 松代様が私の後ろへ隠れだす。

 羽織をくしゃくしゃに掴まれ、背中にぴとりとくっ付かれた。


 一方、襖を声も掛けずに乱暴に開けた常識の無い無礼者は、息を荒くして此方を見ている。血走っている目はそのまま目玉が飛び出て来そうで気持ちが悪い。

 声からするに、宇治野兄ィさまを追いかけていたのはこの人だろうか。流れ的にも。


「おぉ…美しいな」

「?」


 男はブツブツと何かを呟いている。


 しかし久しぶりに丁髷姿の男性を見た。だと言うのにそれが茶色に白髪混じりで脂っぽい肌をしたおっさんというのには少しガッカリである。

 どうせなら凛々しい人の丁髷姿が見たかった。

 ここに来てから丁髷姿の人はあまり見たことがなく、髷、という概念さえも忘れていた気がする。最後に髷を見たのは天月に来る前、あの河原で起きた時以来だし。


「いやしかし…お前のよう男子(おのこ)も悪くは無い。それにその容姿、黒髪の女と見紛うばかりの美貌は、もしや野菊花魁か」


 とか呑気に考えていれば、私達が動かないのを良いことに男は一歩踏み出しゆっくりと近づいて来た。ジリジリと近付いて来る様は豚のような見た目をしているくせに蛇のよう。

 ちょっとちょっと此方来ないでよ。あとそれ以上汗かかないでくれないかな、変な菌を含んだ滴が畳に落ちたらどうしてくれるの。畳張り替えてくれんの、どうなの。もう絶対その畳使えなくなったわ。それに納豆臭い足で踏まれた時点で汚されたと思うからお願い弁償して。

 でもお願いです此方に来ないでください。




 

 とりあえず私は何が言いたいのかと言いますと。

 

「気持ち悪っ」



 男衆!カモン!

 なんて心の中で叫んでみたけれど、やっぱり駄目でした。

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